科学技術はリスクを生み出すものだ。ドイツの社会学者ニクラス・ルーマンはそう考えた。ルーマンは「危険」の対語を「安全」としない。「危険Gefahr」と対置されるべきは「リスクRisiko」だと考えた。彼が「危険」と呼ぶのは、いわゆる天災の類だ。それに対して、人間が関わることで発生する危険を、彼は「リスク」と呼ぶ。(日経ビジネスより)

 福島第1原発の事故から、電気エネルギーに対する考え方が大きく変わろうとしています。この流れは、私たちの暮らしそのものにも変化を強制することになるのでは、と考えています。

 そもそも、戦後の暮らしが豊になった理由の一つに「危険」を遠ざけ、身の回りを「安全」にという考えがありました。

 家で、炊事をするときに「竈で木を燃やす」という生活は、「火事」という危険を自らが住む家の中に抱えていました。
「お風呂」を涌かすときも同じです。

 「木を燃やす」ことから、「ガスを使う」「灯油で暖める」という行為に変わると、「木を燃やす」行為に比べて管理がしやすく、格段に「火事」という危険を遠ざけることが出来ました。しかし、「爆発」という危険を身近な場所に抱えたのです。

 こうした危険を遠ざける、便利なエネルギーが「電気」です。電気は長い距離を簡単に運ぶことが出来ます。火力発電所でつくる電気は、発電所のそばに黒煙による公害をもたらしたものの、多くの人はその危険から離れることが出来ました。

 便利な電気エネルギーの利用が広がると、製造コストを安定させるために原子力に頼ることになります。

 原子力は、排ガスも出さないクリーンエネルギーとして、私たちの生活の場から、さらに遠い場所でエリートたちが管理運営する優良企業・組織と思っていた企業や団体により安全に管理運営されていると思っていました。

 しかし、今年の3月11日以降、優良企業・組織と思っていた企業団体は幻想だったことに気づかされます。

 本来、原子力発電は「安全」と説明されるべきものではなく「リスク」として紹介されるべきものだったのです。身近な暮らしの安全を支える、遠くのリスクです。リスクとどうつきあうのか、私たち日本人の暮らしに欠けていたテーマだと感じます。


 住まいづくりで考えるリスク。テレビコマーシャルで見る大きな会社に頼めば良い家が出来る。雑誌で目にする設計士に頼めばあこがれのライフスタイルが手に入る。
 この考えも、間違った「安全」神話ではありませんか。地元の工務店に頼むのは「不安(危険)」という構図ではなく、それぞれの事業者に頼んだときに、どんな「リスク」があるのだろうか。このことをしっかりと考え、そのリスクを最小にする方法をイメージすること。

 そのことが家づくりの失敗を防ぐ第1歩だと考えます。