昨日、武雄市長が表明された東日本大震災によるがれきの受け入れ問題が大きな波紋を及ぼしています。復旧が急がれることから感情的な議論が先行してしまう話題ですが、あえてここでは議論に上らない視点から、住まいとがれきについて考えてみたいと思います。

 日本では伝統的に、木や土を中心とした自然素材で住宅を造られていましたので、住宅の寿命は短くても環境に与える負荷は、現代の住宅に比べてとても小さいものだと考えられます。20年に一度建て替えられる、伊勢神宮を考えると、建物そのものの寿命の短さと同時に、その材料を別の場所で活用するという、自然の中の営みを感じることが出来ます。

 しかし、戦後日本の生活の中には、原子力発電のみならず自然へ帰る為に必要とする年数が、人間の寿命に比べて格段に長いものが取り入れられてしまいました。そのもの自体がアンティーク家具のように高価なものであれば、つねに大切に扱われ今回のような自然災害にあっても、洗浄・修繕・手直ししてでも使うという考えになるものが、もっと多かったのではと感じています。いや確かに、多数あったのかもしれませんが、それ以上に再生するに値しないものが、現代の生活にあふれていたことが、今回のがれきの問題につながったのではないでしょうか。

 がれきの問題は、近年でも兵庫県佐用町の水害、奄美大島での水害、今年の紀伊半島の水害など各地で発生しています。
 佐賀県でも、当時はがれきのことが大きな問題になりませんでしたが、平成2年7月の水害では、今回受け入れを表明している武雄市の高橋地区や小城市牛津町など、広く浸水した地域があります。また、台風によるがれきの大量発生も1991年、2006年など、つねに身近に発生しているものです。

 生活の中にがれきに変わるものを、膨大な量で使用する現代において、一時期に発生したがれきを1000km以上離れた地域に運び出すという行為は、その輸送時に発生する二酸化炭素の問題を含めて、地球環境に悪影響を与える行為ではないかと考えます。
 がれきを移動するさまざまなコストを負担するよりも、現地でがれきを処理できるように場所を確保し、施設を造り、そこに失われた雇用を生み出すことがより重要なのではないでしょうか。

 特に被害の大きかった東北3県は、その広さは佐賀県とは比較になりません。一番小さな宮城県でも佐賀県と福岡県を足した広さがあります。
 原発問題が大きな課題でもある福島県は、佐賀県と福岡県、それに大分県の面積を足してもまだ足りません。岩手県に至っては、長崎・福岡・大分の3県の面積に匹敵します。
 この面積の広さの違いを抜きにして、行政の数だけで受け入れを考えるのは、あまりにも説明が不足しているのではないでしょうか。

 今回は東日本で起きた震災です。しかし、いつ身近なところで発生するかも分かりません。そのときに、処分場がないからと言って他の国にお願いできますか?

 がれきの問題は極力、身近な土地で対応すべきではないでしょうか。そして私たちは、がれきにならないものを選んで購入して生活する工夫が必要だと感じています。