都市計画を考えて開発した場合、帝都になる要素のある小城市ですが、これまでは計画性なく開発されたことを否定出来ません。
江利団地 市役所の南東部にある江利団地は、40年ほど前に開発された労住の団地です。オイルショック前で、昭和51年の建築基準法改正より前の住宅ですから、個々の判断で建て替えられた住宅とそのままの住宅が混在しています。

大寺東団地 左側市役所東にある大寺の東団地。ここは、開発から30年くらいの団地があり、その東側にさらに新しい(10年以内)の住宅が隣接して建てられています。



初田の水田と団地 その東側には、初田部落の水田が残る一方、さらに奥には、初田部落の住宅が次々に広がっています。




ドゥーイング三日月 右側に目を移すと、体育文教施設のドゥーイング三日月が建っています。
 ここが開発されたのは(体育館の完成)、私が中学校を卒業した後の年ですから25年が経ちます。
 こうした、水田の真ん中に公共施設が建設されたり、水田の一部を住宅地にすることは、都市計画として成功するやり方とは考えにくいです。都市計画に限らず、今話題のTPP問題に対し、
「日本の農業を強化しなければ行けない」
という声が上がりますが、土地の権利が地主にある中で、強化する対策を実施しても、最終的に虫食い状態になっている日本の農地では、国際競争力の確率は難しいと感じます。
 これまでに開発されてきたこれら土地の多くは、昭和40年代に「圃場整備」という助成事業で農業の機械化を進めやすい環境をつくっていたにもかかわらず、土地の売却益の魅力が大きいために、虫食い状に開発された現実がそのことを示していると感じます。

 市役所本庁舎の建築を一つの区切りと考え、都市計画の青写真を描いた町づくりが小城市には必要性だと感じています。