小城市役所の西側を借地権付き住宅にして開発しようという提言はサステイナブルハウスの考えをベースにしたものであります。
 サステイナブルハウスとは、住宅が経年しても、資産価値が維持され続ける住宅のことを言います。資産価値が維持される町の条件に、住む人がそこにノスタルジーを感じる、その住宅自体が街並みとして維持され続けるサステイナブルコミュニティに建っていることが必要な条件になります。

 しかしながら、小城市三日月町は本来農村です。25年前までは、住宅地として開発される地域ではありませんでした。同じ小城郡内でも牛津町や小城町の方が圧倒的に魅力的な住宅地だったと感じていました。

 では、どうして三日月町が住宅地として魅力を持つようになったのか。大きな理由が2つ考えられます。
 ひとつは1990年7月2日の水害です。牛津川が決壊して牛津の町の8割が床上・床下浸水したといわれています。平野部でありながら牛津町に比べて土地が高く、水田が広がる三日月町は水害の被害の少ない場所であることが、その後の開発に追い風をもたらしたのではと感じます。
 もう一つは「区域外通学の廃止」です。三日月町の本告・甘木地区はいつ頃からか、小城町の「桜岡小学校」「小城中学校」へ通学できる地域になっていました。ところが、1980年代に桜岡小学校の建て替えが持ち上がった際、負担金を求められた三日月町が、児童・生徒の通学を三日月小・中学校に変更するように決定したのです。当時は、毎日のように大きくニュースで取り上げられていました。その後しばらく、私は小城を離れていたのですが、いつの間にか同地区の小学生・中学生は三日月の学校に通学するようになっていました。つまり、それ以前に比べて学校の魅力が増したと考えられるのです。

 このような背景に経つ小城市三日月町は、伝統的な町並みは「田園風景」です。しかし、無秩序に宅地化されている現状では、それを止めることが出来ないでいます。しかし、この開発を続けていけば、まもなくおとずれる人口減少時代に対応することが難しくなるでしょう。それを防ぐためにも、ノスタルジーを感じることはなくても、新時代の住宅地のデザインを描く必要があると考えています。

 
 さて、2種類の住宅プランを紹介したうち、プラン2住宅サービス付き高齢者向け住宅を一つの基準に考えていることを紹介していました。
 一方で、プラン1住宅は、若い低所得者世帯を想定して開発することを考えています。住宅そのものの権利を販売することも含めて、住宅約250戸の約半数を整備することで、住宅地に住む人の年齢構成バランスを保つことが可能になると考えるからです。


 過去にブログの中でも紹介してきましたが、新しく分譲された町には人間と同様に寿命が感じられます。その寿命は最初の住民が住み始めて、30年と見ることが出来ます。町が高齢化しないためにも、入居する人たちの人口構成には配慮して町を造る必要があると考えています。


 なおこの記事は、私が小城市が発展するための案を紹介しているものです。役所がまとめた意志決定権のあるものではありませんのでご了承ください。