飯盛良隆のi佐賀iよ〜したか

住まいづくりのコンシェルジュから転身 佐賀県知事に挑戦した飯盛良隆のブログです。

準完全無農薬・無化学肥料のお米「Shin-和」
平成29年産はただいま予約販売受付中です。

残り 約500kg です。(10/31現在)

2014年03月

サクラメント市を一日楽しむ

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アメリカ合衆国二日目はサクラメント市内の観光です。

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ところでアメリカのホテルには「13階」がないのですね。日本でも4号室や9号室が無いところはありますが、4階、9階がないなんて聞いたことありません。

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ここはオールドサクラメント、西部開拓の歴史が詰まった街並みです。アメリカへ来て気づいたのは町中にゴミ箱が沢山あることです。それも「ゴミ箱!」と主張するわけでなく、街並みになじんでいます。

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パーキングメーターも沢山あります。お店の前に車を止めるのは当たり前のことのようです。

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鉄道開拓の歴史が学べる資料館

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ちょっと意外なアングル。木の皮を用いた屋根材です。日本では高級旅館や寺院でしか見ることはありません。

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サクラメントリバーに沿って鉄道を楽しみます。ちょっと大きな遊園地の鉄道といった感じです。

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車窓から向こうにカリフォルニア州議会が見えます。

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アメリカの人たちは甘いものが好きなのでしょうか。

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アイスクリームにも挑戦。

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お昼ご飯はピザの食べ放題(約7$+税+チップ)。意外と高く付きます。

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カリフォルニア州議会

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ゴールデンベアー

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コスト

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お土産を買い込みました。帰る時大変なことになるとは思いもせず。

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サクラメントの住宅街。
境界に日本のようなブロック塀や垣根がないのでとても美しく見えます。

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インディアンカジノ。西部開拓の時に白人達が追いやった原住民。その後の政策で、土地を奪われた原住民を保護する目的でカジノという職場を与えられたそうです。スロットは1セント〜1ドルまで5種類のレベルがあります。1セントでやっていた時は好調でしたが、早く食事に行くために5セントの台に代わったら全く音なし。

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食事はバイキングで約15$+チップ。朝昼と異なりこちらはお得でした。

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アメリカ氣學ツアーで海外初体験

「海外へ行くものが、よく知らぬから、知らぬからというが、知って往こうというのがよくない。何も用意しないで、フイと往って、不用意に見て来なければならぬ」
これは、7月4日の佐賀新聞に掲載されていた勝海舟の座談です。

3月17日から1週間のアメリカ氣學ツアーは、行程やホテルは主催者任せで、目的地がサンフランシスコとサクラメントということ以外にはほとんど情報を持たずに出掛けてきました。
そして、冒頭の言葉にあるように「予備知識」がないことで新鮮な発見や驚きを得ることが出来ました。
正確に言えば、予備知識を備えようと成田空港で「すぐに使える英会話」みたいな本とカリフォルニア州のガイドブックを2500円ほどで購入したのですが、飛行機を降りる時に座席前のポケットに入れたままで下りてしまったのです。
何が災いし、幸運をもたらすか分かりませんね。

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フィッシャーマンズ・ワーフにて

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サンフランシスコはどんよりと曇った日が多い町らしいのですが、そんな表情は一度もみることはありません。私の中には「カリフォルニアの青い空、そして海」だけが印象に残っています。

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ロンバート・ストリート

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ハイウエーの広さ

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個性的な自動車のデザイン。
アメリカの自動車が日本の道路を走ったらどんなことになるか!
ニュースや新聞では想像できない光景です。

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サクラメントのホテルの窓から

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日本では当たり前なのにアメリカのホテルになかったもの
浴衣であり、バスローブです。
ホテルなのに部屋着を持って行かなければならないとは想像していませんでした。
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オールドサクラメントの街

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ディナーはサクラメントリバーに浮かぶ船の上で
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気仙沼線を走るBRT

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一見、普通のバスの車内です。

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車両は普通のバスと同じでも走る場所がちょっとだけ違います。BRT(バス・ラピッド・トランジット)により復旧されたJR東日本・気仙沼線の一部です。もともと線路だった部分を舗装道路にして、数百m間隔で行きあい場所が設けられています。

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一般車両が進入しないように赤信号の時は遮断機が下りています。

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バスがセンサーに検知されると信号が変わり遮断機も開きます。

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駅(バス停)から一般道へ歩いて出ます。

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駅の設備も充実しています。

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トイレと案内板が設置された待合所。

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気仙沼線を走るBRTの位置情報が一目で分かります。

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最寄りを走る車両の様子も。

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まもなく到着のお知らせです。この案内があってからホームに出るとちょうど良いです。

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陸前戸倉駅へ走ってくるBRT。

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終点柳津で列車に乗り換えです。

現在でも利用が少ない鉄道区間へ導入することを積極的に検討すべきだと感じました。

奇跡の戸倉小学校と志津川町

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平成26年3月14日志津川町のホテル観洋から出発する震災を風化させないための「語り部バス」に参加しました。ホテルを8時45分に出発して約1時間で志津川の被災地を回ります。

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ホテルを出発して市街地とは反対の方に

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まず戸倉地区へ向かいます。
壊れた水門が印象的です。

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ここには、戸倉小学校が建っていたそうです。
3月9日午前、振り返ると東日本大震災の前震が襲います。防災マニュアルに従って3階建て校舎の屋上に児童全員避難したそうです。
無事に難を過ごしたその日、先生の一人から
「この後、もっと強い地震が想定されるだろう。その時、この校舎の屋上では危険なのではないか?」
この言葉をきっかけに、その日の午後の職員会議で避難場所を学校から国道を渡った先にある神社の建つ裏山に変更されたそうです。

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3月10日、児童全員による避難訓練が行われました。
そして3月11日の震災。学校にいた児童全員が前日の訓練通りに行動して、無事に一夜を過ごして難を逃れることが出来たそうです。

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ここは仮設庁舎が活動しているベイサイドアリーナです。
周囲にはまだ、仮設住宅が並んでいます。

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対岸に見えるのが宿泊したホテル観洋。津波では2階にある露天風呂まで浸水したものの、上の階は難を逃れ避難場所として活用されたそうです。

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再開された仮設の魚市場。
漁業が盛んな三陸では、やはり市場が再開しないと町の活気が戻りません。震災の翌年、わかめはかつてない生育をみせたそうです。

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ニュースなどで頻繁に目にした防災庁舎。

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生き残ることが出来た10数名の方は屋上よりも少しだけ高くなった階段の所とアンテナに上っていた人たちです。

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2014年3月の志津川市街地。

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高野会館という結婚式場。
当日は老人クラブのカラオケ大会が開催されていたそうです。震災直後に帰宅しようとしたお年寄りの方々に、責任者の方が
「助かりたかったらここに残りなさい」
と玄関に立ちはだかり、屋上に避難させて命を守ることができたそうです。

大震災の中で、生死を分けるわずかな判断の違い。石巻市の大川小学校の判断が非難されますが、その判断の成否を結果だけで評価するのはどうなのでしょう?

児童達の命を守った戸倉小学校。たまたま早退した児童が津波で命を落とすことになったことにも、誰も責めるわけには生きません。

大川小学校の経験から防災を学ぶ

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石巻市立大川小学校。宮城県石巻市釜谷山根にある公立小学校でした。
旧桃生郡河北町に位置するので、石巻市の中心から30kmくらい離れています。

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河口から学校まで約5km。
佐賀県で考えると、唐津市の鬼塚中学校が同じ程度の距離の場所にあります。

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校庭に立って、実際に避難した大橋を見ますとこんな感じ。


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振り返って、避難場所として検討された裏山を見ると・・・。



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河口から5km。
通常の穏やかな流れを見ていると、この場所で起きる被害を予測することは容易ではありません。


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河口からの距離に限らず防災計画が作成されているのか。
日頃から心掛ける身近な活動の、積み重ねが災害を軽減することにつながると考えて行動する必要があると感じます。

女川の街とトレーラーハウス

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女川町では、トレーラーハウスの民宿エルファロに宿泊しました。

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 トレーラーハウスを侮ってはいけません。

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 普通のお部屋よりもずっと綺麗です。

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 結構広いです。

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 おしゃれです。

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 夕食は・・・。
ちょっと高いかも。

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 デザート付き

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 イベントテラスを囲んで複数の食堂があり、宿泊者が多い時には、利用するお部屋の数が増えるそうです。

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 食堂の中はこんな感じ。

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 朝ご飯

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 ちなみに、ここのトレーラーハウスは震災以前より宿泊施設を経営していた方たち4人が共同で運営をはじめていらっしゃるそうです。現在女川町の旧市街地には住居施設を建設できないために、基礎が固定されないトレーラーハウスを設置してお客様を迎え、将来きちんとした場所が確保できるようになった時には、それぞれのオーナーさんが自らの持ち分のトレーラーを移設して営業できるように考えて運営されているそうです。

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 震災の時の津波は、このトレーラーハウスが建つ敷地総てを浸水させたそうです。海岸からは1kmほど、高さは約40mもあります。
 この浸水した地域には現在、住宅を建てることが出来ないそうです。

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 この日は女川原発のPRセンターを訪れました。

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 震災の時の様子などいろいろ詳しく伺うことが出来ましたが、震災から1年間休館されていたと言うことで、今回案内して下さったスタッフの方は当時お勤めされた方達ではありませんでした。

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 その後、女川市街地へ戻り笹かまの工場高政を見学に行きました。
被災地の雇用の場として健闘する工場を見ながら、被災地の支援には笹かまを購入することが一番いいのかもしれないと感じました。
現地に水揚げされるお魚を、現地の人たちを雇用する会社が製造販売するわけですから。

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お昼ご飯は仮設商店街へ。

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食事処三秀さんで女川カレー 780円をいただきました。3月9日に海軍カレー。3月11日に新潟で朝カレー。この日3月13日に女川カレー。やっぱり日本人にはカレーが一番ですね。

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 しっかりといただいた後は、志津川経由で気仙沼を目指します。

2年ぶりの野蒜海岸 復興は今

2012年3月27日、震災から1年が過ぎた宮城県東松島市野蒜地区を訪れていました。ここは、学生時代の1989年8月に訪れて、松島海岸とは異なる美しい砂浜が印象に残った場所でした。

あれからさらに2年が過ぎた今年、宮城県は瓦礫の片付けが完了したと宣言していますが、実際の様子はどうなのか気になって、同じ場所へ足を伸ばしたのです。
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今回2014年、野蒜駅のホームです。

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2012年は晴れの日の午後、今回は小雨の夕方という天気と時間に違いがありますので見え方は異なるものの、様子はほとんど変わりありません。

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土地の整備は確実に進んでいるようです。

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一方で、平気で捨てられるゴミは当時と変わりません。人の念いが天災を創り出すことを学ぶことは出来ません。

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2012年には至る所に積まれていた瓦礫の山は確かに片づいています。
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こちらは野蒜中学校
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校舎は取り壊され備品も片づいていました。
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お隣の公共の宿。
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こちらは2年前から変わらぬ姿勢を保っているようです。。
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2年前は瓦礫の山を積み替える車両が溢れていました。
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アングルが違いますが、片付いた部分とそうでない部分が混在する、瓦礫の定義にどんな意味があるのか考えさせられる東松山市の復興状況です。

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米内光政氏の生地を訪ねて

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盛岡市へ来ました。
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第37代内閣総理大臣で最後の海軍大臣でもある盛岡市先人記念館を訪ねています。

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米内氏は戦後、玉音放送の全文を繰り返し模写したそうです。
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奥にかけられた「親和」の書。米内光政氏は私も学生時代に過ごした佐世保市に本店を持つ親和銀行の名付け親なのです。本物は親和銀行本店にかけられているとか。
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お話は前後してしまいますが、先人記念館は9時開館ですので、ホテルで朝食を済ませた後に、まずは盛岡八幡宮にある米内光政像を訪ねます。

八幡神社へ続く通りには
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米内が少年期を過ごした自宅がこちらにあったそうです。
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八幡神社の境内へ
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参道より、一つ右側の裏手にあった米内光政氏の像
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八幡宮から歩くこと15分ほど
米内氏のお墓がある円光寺へ
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第二次大戦中から日本の未来と国体維持を考え、終戦後の日本発展に思いをはせた米内氏へ、現代日本の危機を救うべく力を注ぐことを誓ってまいりました。

さて、盛岡駅前の「東や」でわんこそばに挑戦。
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112杯を食べて盛岡を後にしました。
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真室川駅の贅沢な杉板に感動

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長岡駅を5時36分の始発電車で出発。東三条駅から弥彦線に乗り換えます。

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越後平野を走る電車から。3月はまだ平野部でも雪が残っています。

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JR弥彦駅のホーム。

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弥彦駅の駅舎。神社をイメージしてあります。

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車窓から見える鳥居は大きいです。

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吉田駅で越後線に乗り換え。

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ここJR東日本の新潟地区は有人改札のドアにロックがかかっています。7時にならないと駅員さんは対応しないようなのですが、青春18きっぷを使う私は自動改札が通れません。結局外へ出ることができなかったのですが、小淵沢駅の対応といい課題を抱えていると感じました。

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新潟から快速「べにばな」で山形へ抜け、仙台を経由するとこの日、丸3年を迎える東日本大震災の時刻に松島に入ることができると考えていました。
ところが
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白新線で特急いなほ4号が架線を切断する事故に遭遇。お昼まで復旧の目途がたたないということでした。

この日の被災地入りは断念せざるを得ません。
時間が空いたので、近くのトヨタレンタカーのお店で、翌日のレンタカーを手配。
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代行運転の連絡バスで中之条駅へ移動し、特急いなほと普通電車を乗り継いで余目駅へ。

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快速最上川で新庄を目指します。

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25年ぶりの陸羽西線。当時は考えられない風力発電。(実は私、卒業研究で風車の翼を研究していました)

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当時と変わらない最上川。

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雪深い古口駅。

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新幹線で東京直通となった新庄駅。

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東京ゆきのミニ新幹線。

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こちらはローカル線の奥羽本線。

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3つ目の駅、真室川へ。

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立派な駅舎です。

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駅舎よりも内装が素晴らしい。トイレにまで使用されているスギの無節羽目板。

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洗面カウンターも無節です。

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電車でさらに北上して横手を目指します。

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横手といえば、横手やきそば。四天王と呼ばれるお店「食い道楽」へ。

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食べ応えありました。

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北上線のほっとゆだ駅。雪深い駅の夜は風情があります。

北上駅で盛岡行きに乗り換え、盛岡駅には予定より3時間以上遅れての到着です。
駅から15分ほど歩いたのですが、小雪の舞う中のチェックインは風邪の原因になる?

長岡市が山本五十六の出身地とは知らず

3月10日(月)から14日まで4泊5日の予定で、東北被災地と米内光政氏が幼少期を過ごした盛岡市を訪ねるたびに出掛けました。出発時には被災地訪問の予定を、一昨年訪ねた東松島市野蒜地区と女川原発を訪れること、女川のトレーラーハウス民宿に宿泊することだけを決めて行動しました。
今回の移動に用いるのは青春18きっぷです。

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旅行の初日は新潟県長岡を目指します。塩山では10分ほど運転停車がある予定でしたが、都内中央線のダイヤ乱れにより、表へ出る時間程度しかありませんでした。

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日本最古の日の丸

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その解説書

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電車で終点小淵沢に到着します。ここでは、20分ほど乗り換え時間があったので途中下車しようとしたのですが、一つしかない改札口をきっぷの清算に時間がとられている方がいらっしゃり、行列ができて外へ出ることができません。

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仕方なくホームで弁当を買って車内へ。元気甲斐というお弁当を買おうと思ったのですが、想像以上に高くなっていたので断念。

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この日のお昼ご飯はこちらに。

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小海線ではハイブリッドディーゼルに乗りたかったのですが、調査不足で目的の車両に乗車することはできませんでした。

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日本最高峰を走るJR線ということで3月はまだ雪深いです。

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小諸からはしなの鉄道で長野へ。ここでも篠ノ井線からの特急が遅れて、その後予定していた途中下車が叶わぬことに。

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雪深い森宮野原駅

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日本最高積雪の駅

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念願の飯山線に乗車することができました。

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夕食は長岡市に住む学友・辻君の案内で小嶋屋本店へ、へぎそばを食べに。

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食前に一杯

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夜なのに?
夜のランチ

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結構豪華です。

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デザート

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これがへぎそばです。

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辻君。月曜日の夜なのに有り難うございました。

ところで、長岡市は山本五十六の出身地だったのですね。この後訪れた米内光政に関するゆかりの場所を訪れる中で、そのことを知り、ちょっと残念な気持ちです。

護衛艦ゆうぎりを見学しました

3月9日クラブツーリズムのバスツアー、海上自衛隊横須賀基地「艦艇」乗艦見学ツアーに参加してきました。

このツアーは千葉県内から月に1〜2回企画されています。
参加して分かったことですが、海上自衛隊の都合で直前にツアーキャンセルになることも多く、バスのすぐ後の席の方は3回目にして実現したとのことでした。
他にもツアーは行われても、施設見学のみで艦艇に乗船できないこともあるそうです。

そん中、見学順序に変更はあったものの全ての予定を消化でき、最高のツアーを体験することが出来ました。

午前7時勝田台駅を予定より5分早く出発です。
このことが、この日のツアーに全て好影響を与えました。
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午前8時に横浜市の大黒パーキングに到着しました。ここからは、NPO法人横須賀サイトシーイングの方がバスに乗車され(ここまでは松戸からのバスに乗車して身分確認)、案内と参加者の身分確認を行われます。
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おそらく、艦船見学ツアーに集中しないためでしょう。私たちのバス2号車は午前中に横須賀美術館を訪問することになります。開館時刻が10時のため9時まで休憩時間が延長に。

そうして着いた横須賀美術館。海の見える素敵な美術館でした。
ここだけで、半日くらい過ごしたいところです。
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しかし、今回の目的は海上自衛隊の施設見学。

その前には、ツアーにつきもののお買い物。
横須賀市のデパートさいか屋へ移動します。
ここへは、なんと!Facebookを見ていてくれたたび仲間の永井さんが会いに来てくださいました。
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いよいよ海上自衛隊の施設内へ。
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まずは海上自衛隊第二術科学校、ここで海軍カレーをいただきます。
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おかわり自由の海軍カレー。
この由来を聞くとインドカレーとの違いが理解できます。

食事の後は、資料見学と本物の制服を試着しての撮影会


その後は、ここで行われる研修の内容を伺います。
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内燃機関のディーゼルエンジン
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分解して綺麗に並べます。
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道具もきちんと並べて
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私たちのようにネジやワッシャが余ることなど当然ありません。114

続いて「海軍機関術参考資料室」と「海上自衛隊創設資料室」の見学
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山本五十六大将の軍服・制服も多数展示されていました。
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こんなところに、佐賀藩海軍史が!
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日本の国体を護り、第二次大戦の終戦に尽力した米内光政大将の記述もしっかりと紹介されています。
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いよいよ艦艇の見学です。
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今回は護衛艦ゆうぎりです。この艦艇乗船は、ツアー開催の時でも、都合により中止されることもあったとのこと。
今回はもちろん開催です。
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今回のツアーは、個人旅行では体験することが難しい、いろんなことを学ぶことができました。
機会がありましたら、皆さんも是非お申し込みされてみてください。


今日から東京です

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昨日の午後16:25のスカイマークで上京しました。
離陸が40分遅れで、途中気流の乱れで揺れましたが無事に到着です。


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最後尾に座ってゆっくり降りるつもりでしたが、遅れの影響でターミナルに横付けできないために、後部にもタラップが設置され一番に降りることになりました。


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夜の羽田に足を付けると、ターミナルから見る景色とちょっと違って見えます。


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羽田空港から京浜急行・都営地下鉄直通で浅草橋駅近くのホテル浅草橋ビジネスホテルへ。
夕食は前回から気になっていた天麩羅・三定
豚カツ定食790円は、そんなに混んでいないお店で待たされるだけの価値があります。
飯盛良隆
佐賀県小城市三日月町出身。
佐世保工業高等専門学校卒業後、ブリヂストン鳥栖工場設備課勤務。橋本龍太郎通産大臣の時代に第3種電気主任技術者の免状を取得。

建材店:サンコー商事にて14年間建材の販売に携わり新築・リフォームの現場に数多く潜入。戸建て住宅でもインテリアの重要性を感じ平成20年町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー福岡校に入学しインテリアの基礎を学ぶ。

平成22年、スメトコプロモーションを設立し住宅CMサービス佐賀の運営を始める。
平成25年2月、ダブルスネットワーク(株)社との契約を解消、住宅CMサービス佐賀の運営を終了する。

平成24年3月、帝王学(氣の學問、道の教え)を学び始める。同年6月
唐津から釜山へ新幹線で!

実現するためには長崎県と佐賀県をひとつに。そしてアジアや世界中の人たちが、自然と人の美しさを求めて足を運ぶ地域にする。

そんな夢を描き知事を目指して政治活動をはじめることに。 活動に専念するために平成26年6月末にて住宅に関する事業は終了。平成26年8月末にて(株)スメトコプロモーションを退社。
平成27年1月11日実施の佐賀県知事選挙に立候補。惨敗。

現在
眞理學指導員 (日産鮎川義塾)
夏・佐賀で稲作
冬・東京エムケイ(株) 勤務
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