飯盛良隆のi佐賀iよ〜したか

住まいづくりのコンシェルジュから転身 佐賀県知事に挑戦した飯盛良隆のブログです。

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震和会とは。(為雷)人生の試練や困難を切り拓き、奮いたつ勇気をもって、
(日本)の国を再興する、という意味です。

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2014年08月

長崎新幹線開業による鉄道問題

(案1)肥前浜〜小長井の鉄道廃止
(案2)西九州鉄道会社の設立

2022年に開業が予定されている長崎新幹線。私たち県民の声は2007年の参議院議員通常選挙で長崎新幹線の現行案を計画主導した川上副知事が民主党・川崎候補に敗れるという結果で示されました。さらに、県民の意見を無視する形で進められる新幹線の着工に2009年総選挙で、並行在来線区間と選挙区を同じにする佐賀2区で、JR九州出身で自民党の今村代議士が民主党の大串代議士に敗れるという結果で再び示されました。
しかし民意を反映することなく進む長崎新幹線の建設を今さら見直すことはできません。より良い形での西九州における鉄道網をこれから考えていく必要があります。2006年12月、長崎新幹線の着工と並行在来線として肥前山口〜肥前鹿島〜諫早の上下分離方式による経営に変更されることが事実上決定しています。決定に際しJR九州から経営分離される並行在来線の存続についてその課題を提起し、2つの考えを提案します。

今回の経営分離計画で計画されている上下分離方式による経営は、2012年12月に起きた中央自動車道・笹子トンネルの崩落事故のようにインフラによる事故が発生するとその責任を県が負うことになるでしょう。これは一体運営する場合と異なり、営業するJR九州の運転手からの気付きによる情報が十分反映できない危険性を持つために、保守点検などの維持管理が難しくなると感じています。それが現在示されている計画をそのまま実施すべきでないと考える理由です。
 そもそも、2006年の決定から開業まで15年を要する将来の経営方法を、決定事項として議論しないのではなく、社会環境の変化に合わせて柔軟に対応する必要があると考えています。

 長崎本線の普通電車に乗車するとわかりますが、肥前鹿島〜小長井において、朝の上り電車、夕方の下り電車をのぞいて、その乗客数は一桁にしか過ぎません。
009 朝の電車に肥前山口から乗車してみると、そのほとんどが肥前鹿島駅で下車してしまいます。しかし、同じ電車でも小長井駅を過ぎると小長井40人、長里10人、湯江60人、小江20人、肥前長田25人(目視による概算)と増え、長崎県と佐賀県ではそのニーズに大きな差があるのです。将来の人口増加が見込めないこの地域での現実をきちんと見据えて、佐賀県は肥前浜〜小長井の鉄道廃止を決断し、肥前山口〜肥前浜はJR九州に経営分離を再考するように求めるべきだと考えています。肥前浜〜小長井を並行して走る国道207号線には信号機が少なく、路線を維持することよりも、バスの本数を大幅に増やす形で運行することのほうが、はるかに利便性を向上させることができると感じています。
007 さらに、この地域の山麓を走る「多良岳オレンジ海道」は沿岸部を走る道路に比べて、より快適に走行することが出来、肥前浜〜小長井の定時輸送の必要性が有る場合には、十分活用できるルートだとみることが出来ます。これからの時代、地方自治体が鉄道と道路の両方を維持管理することよりも、より現実的な選択を行う必要があると考えています。

 地方ローカル線の運営手法の一つに、東日本大震災の被害を受けたJR東日本・気仙沼線のようにBRT(バス高速輸送システム)を導入する方法もあります。
148 線路の部分を道路と同じように舗装し、バス専用道路として整備する方法です。しかし、今回議論の対象としている部分の長崎本線はカーブが多くスピードを出しにくいことと国道207号線に信号が少ないことから、肥前浜駅と小長井駅の乗り入れに関する部分以外ではお金をかけるべきでないと感じます。

 平成26年6月25日(水)、改めて長崎本線の乗客数を確認するために肥前山口〜諫早60.8kmを乗車してきました。まずは、肥前山口駅発7時27分2両編成の長崎行き。肥前山口から肥前鹿島までは乗客が多くて車内を移動できないために、後方車両1両の乗客数を目視で数えています。肥前鹿島から諫早の間は、車内を行き来してそれぞれの区間の乗客数を数えています。
肥前山口〜肥前白石 90人超
肥前白石〜肥前竜王 約70人
肥前竜王〜肥前鹿島 約85人
肥前鹿島〜肥前浜  17人
肥前浜〜肥前七浦  24人
肥前七浦〜肥前飯田 24人
肥前飯田〜多良  24人
多良〜肥前大浦  5人
肥前大浦〜小長井  7人
小長井〜長里  9人
長里〜湯江  12人
湯江〜小江  30人
小江〜肥前長田  35人
肥前長田〜東諌早  43人
東諌早〜諫早  46人

068 また、諫早駅9時9分発特急かもめに乗車して、グリーン席以外の乗客数と肥前鹿島駅での乗降を確認しました。
諫早〜肥前鹿島  指定席2両 27名
自由席4両 39名
(自由席の座席定員228名)
肥前鹿島の降車客 0名  乗車客18名
です。この結果からも分かるように諫早〜肥前鹿島のニーズがきわめて少ないことと、肥前鹿島〜肥前大浦の一般利用者が限られていることが分かります。では、肥前浜〜小長井24.7kmを廃止することの影響は。
 この区間は並行して国道207号線が走っています。肥前浜駅駅舎前から小長井駅までの距離は26.5km33分かかります。ほとんど信号はなく、渋滞もありません。時間帯によって肥前浜駅付近の渋滞も考えられますが、大きな問題にはならないと感じています。
 この間の普通列車の所要時間は最速のものに30分という電車があるものの、その多くが行き合い待ちなどに時間がかかるために自動車よりも速く運転することが出来ません。各駅停車の電車よりも自動車が速く走ることの出来る区間なのです。長崎方面から鹿島への直通需要に乏しく、各駅停車でバスより効果的な運用が見込めない現状では、この区間を廃止することが並行在来線として分離される上で最も現実的な判断ではないかと考えています。

 一方で様々な意見をまとめる中で、地域の将来性を考えるときに、地域興しの可能性として鉄道を考えることもできます。
031 長崎県と佐賀県が考えをひとつにできるなら、両県と民間企業が力を合わせ、島原鉄道、松浦鉄道、経営分離されるJR肥前山口〜肥前鹿島〜諫早、さらにJR九州の佐世保線・佐世保〜早岐、大村線全線、長崎本線・諫早〜長与〜浦上を新幹線開業と同時にそれぞれの経営から分離して新会社を発足させ、島原鉄道、松浦鉄道が持つ鉄道運行・経営のノウハウと島原鉄道が雲仙普賢岳の土石流被害から復興させた施設の維持管理力を元に、独自の鉄道経営で地元の足としてのみでなく、世界から観光客を迎えることのできる鉄道として再出発させることを考えています。

021 鹿児島への九州新幹線が2004年春に開業して10年を迎えます。開業に合わせて経営分離された肥薩おれんじ鉄道でも、当初の見込み以上に大変厳しい経営を強いられていますが、2013年春から沿線の魅力を再認識する列車を運行されています。成果を評価するには少し早いかもしれませんが、沿線自治体の人口減少が続く以上、効果は限られてくると感じます。
 長崎新幹線が開業して肥前山口〜諫早が経営分離された場合には、肥薩おれんじ鉄道以上に、厳しい経営を強いられると感じています。それは営業距離で比較したときに中央1/3(肥前鹿島〜小長井)の地域交流が少ないためです。その課題に直面する前に取り組むことのできる方法が、新しい広域鉄道会社の設立です。経営分離する鉄道を肥前山口〜諫早にとどめるのではなく、西九州の景色の良い鉄道を一体経営し、住民の足としてのみではなく、観光鉄道として世界にアピールするものです。そのためには、単にゆっくりと走って車窓を楽しむのではなく、必要な移動時間を有効に楽しむ事ができるようにするべきだと考えます。
214 「たびら平戸口〜佐世保〜大村〜諫早〜島原」を結ぶ列車は、キリスト教の歴史と温泉を絡めた旅を提案する3時間のコースです。季節によりますが大村湾に夕日が沈むときに併せて運行すれば、平戸観光を終えた人たちに、車内で夕食を楽しんでもらい、島原に到着したら宿で温泉を楽しんでもらうことができるでしょう。
 「島原〜諫早〜肥前鹿島」と走る列車は朝の有明海の眺めと海の珍味を楽しむことができます。
 「有田〜伊万里〜たびら平戸口」なら焼き物めぐりと伊万里牛、そして伊万里湾の景色を楽しんでもらえるでしょう。

070 この地域にお住まいの皆さんなら、さらに素晴らしいアイディアが浮かんでくることと思います。営業エリアを長崎・佐賀のローカル線を一体に考えることで、いろんな組み合わせを実現できます。また、観光列車の車両を共有化できることで初期投資の費用を抑えることも可能です。こうした取組が、日常の足としての鉄道から離れて、繰り返し足を運びたくなるような観光鉄道としての魅力ある鉄道に再編できる方法だと考えています。

 明治のはじめまで、長崎の一部を除き肥前の国・佐賀藩として一つだった地域が、お互いの課題を乗り越えたときに、世界に誇る地域に魅力を放っていくことができるのではないのでしょうか。

新鳥栖〜武雄温泉の課題
 現在開発中のフリーゲージトレイン。車両の実現までにはまだまだ課題も多く、さらに新鳥栖駅から長崎本線へ乗り入れるアクセス線の整備にも工夫が必要だと考えています。新鳥栖駅の立地条件を含めて鉄道としての性能を効果的に発揮させるには新鳥栖〜久留米にて分岐することが理想的ではないかと考えています。この場合、工事費用の増加が発生しますが、軌道変更に距離を設けることで運転速度の低下幅を小さくするができることなどをメリットと考え、県道22号線に隣接する形で鳥栖旭町〜吉野ヶ里公園駅に新線を整備することを提案します。
 懸念されている、肥前山口〜武雄温泉の複線化の問題や盛り土による地域分断の恐れ、開かずの踏切が発生する事への懸念などは、開業後の需要に適した形で新線を建設することを含めて対応することも検討すべきだと考えています。

夏の終わりに自然とふれあう

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福岡市西区にお住まいの方と打合せ。どこで打ち合わせしようか考えてたのですが、自動車を運転なさると言うことでしたので北山ダムのほとりにある21世紀県民の森「ほおのき」で待ちあわせすることにしました。

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夏休みとはいえ平日の火曜日11時、ほかにはお客さんがいません。打合せには最適の環境でした。

1時間ほどの打合せを終えて私は食事をして佐賀市へ向かいます。お昼時に訪れたのは、施設の工事に来ている作業者の方数名。せっかくの環境なのにもったいないな〜。

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北山湖ではボートをこいでいる方もいらっしゃいましたが、雨の多いこの夏の貴重な晴れ間。もっと気軽に活用できる環境にならないかと感じます。

子供達の修学旅行などでは使いやすくても、公共交通が無い場所なので気軽に利用することは難しいのかな。

21世紀県民の森。とても大切な時間を過ごせる場所だと感じます。

縁起は時を超えてやってくる

7月から始めた交差点での辻立ち。

月に数日佐賀にいないことがありますが、それ以外の平日朝7時から8時10分くらいまでですが、いろんな社会の表情が見えてきます。

身だしなみをきちんと整えて出勤される方が多いのですが、まだまだ眠そうな人やお化粧をしながら運転する人など様々です。

そんな中、対照的な女子高校生がちょっと気になります。どちらも自転車で朝7時半過ぎに久保田駅方面(南へ)一人で向かうのですが、一方はまだ眠いのか「おはようございます」と声をかける私の前を無表情で通り過ぎていきます。もう一人は私と同じタイミングで、あるいは私がほかの方向を向いていても「おはようございます」と元気に挨拶して通り過ぎます。

街角での一瞬の出会いであれば、どちらでも良いでしょう。しかし、時間軸で考えた時に街角に立つ私は、この子達が受験する企業の面接官になっているかもしれません。逆に、私が彼女たちの所へ行って何かの試験を受けることがあるかもしれません。全てが縁でつながっていると考えることが出来れば、明らかに後者の生徒の方が幸せな道を歩くことになるでしょう。

西洋の教育が70年間、あるいは明治から140年間続いて、日本人の精神が失われていると言われます。あるいは、この春アメリカ合衆国を訪れ、現地の街角やホテルですれ違う人に「Good morning」「Hi」「Hello」と声をかけるアメリカの人々が、現代の日本人より幸せな道を歩くのかもしれません。

「就職が見つからない」「希望する学校に進学できない」と目先の成果に一喜一憂するのではなく、人としての生き方を常に意識させることが、子供達に必要な教えではないかと感じます。

品川でフリマを初体験

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8月10日午前8時半
台風の動きが気になるこの日、品川で開催されるエコフリマのお手伝いに出掛けました。

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商品の展示を始める段階から、商品を物色しに見えられるお客様。もっと、ゆっくりとスタートするのかと思っていましたが、全く違っていました。はじまりこそ戦争です。

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ほかの所と比べると、人の流れが違うことをあらためて感じました。
これって、氣の流れでしょうか?
それとも、商品にこめられた念いの違いでしょうか。

ところで、フリマの商品って、価値を知らない人が値段を付けることに面白さがありますね。

私が、こんな物、と思って出した「JR九州のイベント記念キーホルダー」が予想外の安さで売られていました。でも、勝った人に喜んで頂けて良かったです。西武ライオンズファンクラブのレプリカなども、知らないうちに完売していました。

フリマは16時までつづくそうでしたが、同じ16時から飯田橋で「日本塾」という学びがありましたので、13時半には会場を後にしました。
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日本塾では、日本人の生き方として大切なことを学ばせて頂けます。

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嵐前の夕焼けに見えましたが、最後まで東京を楽しむことが出来ました。

六本木でガウディの精神と出会う

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六本木ヒルズ森タワーの52階で開催されている建築家ガウディ・漫画家井上雄彦特別展へ出掛けてきました。
スペインのサクラダファミリアが2026年の完成を目指すことになり、より注目を集めるようになった感じがするガウディ。その図面などが展示されているイベントが実施されていることを聞きつけて、足を運んでみました。

今回のイベントに足を運んで最も印象に残ったのは
「偉大な本、常に開かれ、努力して読むに値する本、それは、大自然の本である」
という言葉をガウディも残していたことです。
ガウディの設計には、自然が表現した最も美しい姿が再現されていたのです。

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そして、午後は清澄庭園へ移動します。

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ガウディと同じように
「自然からのメッセージをしっかり受け止めてください」
と教えてくださる先生の講義をしっかりと学んできました。

山本五十六と靖国遊就館を訪ねる

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都心の暑さから離れたくて群馬県の水上温泉に宿を取りました。

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川の流れをホテルの窓から眺めることの出来るお部屋は、窓を開けると天然クーラーです。ただし、水の音は騒がしいので夜中に何度か目を覚ましました。

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前日は越後湯沢駅でお酒の飲み比べを行った後、長岡へ向かい山本五十六の記念館を訪ねてきました。

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先の対米戦争で連合艦隊司令長官の職にあった山本五十六ですが、開戦前は米内光政、井上成美とともに海軍左派として日独伊三国同盟にも断固反対していたと言われています。

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3月に米内光政の生地を訪ねに盛岡へ向かった際に、長岡の友人と会うために宿泊したのがここ、長岡の三幸旅館。

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その旅館から100mほどしか離れていなかったにもかかわらず、当時は関心がなく訪れなかった山本五十六の生家。

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この数ヶ月の間に理解を深めた視点で、山本五十六のことを感じることが出来ました。

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資料館があるところの地名が「坂の上」。
岩手を訪れた時にも、米内の住まい近く八幡神社当たりを「坂の上」と呼んだようです。
坂の上の雲に登場する「坂の上町」は確か愛媛県。

当時は全国的にこの地名が付けられたのでしょうか?


さて、この日は東京へ戻り靖国神社の遊就館を訪ねました。
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日本の様々な戦争を学ぶことが出来ると聞いていたのですが、壬申の乱についての資料を見ることが出来なかったのが心残りです。
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展示された様々な資料を見ながら、多くの皆さんが一つの資料館や考え方から先の大戦を学ぶのではなく、日本各地、様々な場所にある先人を偲ぶ資料館へ足を運び、それぞれの価値観で戦争を振り返ることが重要だと感じています。
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日本酒の売り方を新潟で学ぶ

米どころ新潟県。広大な越後平野に育つコシヒカリと清らかな清流が育む日本酒の産地からは、佐賀県が学ぶ様々なヒントがあるのではないかと感じています。

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その一つが、越後湯沢駅の商業スペースかんぎどおりに誕生したぽんしゅ館の「利き酒 越の室」です。

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ちょっと不思議な空間へ

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まずは500円を払ってメダル5枚と交換します。

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おちょこは貸し出しのため、持ち帰ることは出来ません。

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ずらりと並んだ新潟のお酒。

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その数は120種類です。

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おちょこを置いて、メダルを入れボタンを押すと、一杯分のお酒が頂けます。
いろんな銘柄から5種類を楽しむことが出来ます。

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いろんな塩をなめながらお酒をいただきます。おつまみには冷えたキュウリが1本100円で販売されていました。また、別途有料になるお酒もあります。

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聞き酒のテストに挑戦することも出来ます。

佐賀のお酒も、博多駅や福岡空港にこんなスペースを設けてPRすれば、もっといろんな人たちが関心を持つのではないかと期待します。

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新潟のコシヒカリ。美しいパッケージに梱包され少量から販売されています。

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量り売りもあります。

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爆弾おにぎりは1個500円前後もする強者です。たしかにおいしいですが、おにぎりの値段としてはどうなのでしょう?

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都心のオアシスを早朝散策する

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東京は夜も暑いです。この日は上野に宿を取りましたが氣の流れが悪く感じます。しかもクーラーを付けて寝ていたのですがなかなか落ち着きません。気分転換に早朝の不忍池を訪ねました。

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まだ6時過ぎですが朝の日差しは強く照りつけます。

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しかし、ホテル周辺のざわつきから解放されすがすがしい気持ちになります。

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まさに都心のオアシス。東京にもこんな景色の場所がいくつもあり、早朝はゆったり過ごせることは魅力的です。

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私もここで、ラジオ体操をして過ごしました。
この暑さの中、4日間の滞在は厳しいと思い、これから群馬県の水上温泉へ出掛けることにしました。

大刀洗で陸軍飛行場を考える

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福岡県朝倉郡筑前町と三井郡大刀洗町にあった旧陸軍の大刀洗飛行場。特に1945年3月27日に受けた空襲の記憶をとどめた展示がなされている筑前町立大刀洗平和記念館へ足を運びました。
夏休みということでしょうか。平日なのに想像していた以上に多くの人が訪れていました。小学生の団体はちょうど帰るところでした。
いろんな予定の合間に訪れたのですが、想像以上に展示物が充実しています。特に図書閲覧コーナーは戦時に関する図書が集められゆっくり読みたいと思うものもありました。

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明日8月2日からは「戦地から愛のメッセージ」と題して伊藤半次さんの絵手紙展が開催されます。(9月29日まで)

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佐賀空港で陸上自衛隊との共同利用を検討され、さらには米軍基地の移転も視野に入れて議論される中、様々な角度で理解を深めるためにも、佐賀県民の皆さんが足を運んで考えていただく場になれば良いな、と感じます。

同時に、国を守るということは陸軍と海軍の両方の考えをバランスよく学び、何故多くの国民が犠牲になる「悲惨な戦争」と呼ばれるものになってしまったのかを、考える必要があります。
飯盛良隆
佐賀県小城市三日月町出身。
佐世保工業高等専門学校卒業後、ブリヂストン鳥栖工場設備課勤務。橋本龍太郎通産大臣の時代に第3種電気主任技術者の免状を取得。

建材店:サンコー商事にて14年間建材の販売に携わり新築・リフォームの現場に数多く潜入。戸建て住宅でもインテリアの重要性を感じ平成20年町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー福岡校に入学しインテリアの基礎を学ぶ。

平成22年、スメトコプロモーションを設立し住宅CMサービス佐賀の運営を始める。
平成25年2月、ダブルスネットワーク(株)社との契約を解消、住宅CMサービス佐賀の運営を終了する。

平成24年3月、帝王学(氣の學問、道の教え)を学び始める。同年6月
唐津から釜山へ新幹線で!

実現するためには長崎県と佐賀県をひとつに。そしてアジアや世界中の人たちが、自然と人の美しさを求めて足を運ぶ地域にする。

そんな夢を描き知事を目指して政治活動をはじめることに。 活動に専念するために平成26年6月末にて住宅に関する事業は終了。平成26年8月末にて(株)スメトコプロモーションを退社。
平成27年1月11日実施の佐賀県知事選挙に立候補。惨敗。
平成27年12月21日
東京エムケイ(株) 入社。
Tokyo2020オリンピック、パラリンピックの関係者輸送も経験


現在
眞理學指導員 (日産鮎川義塾)
稲作農業
佐賀タクシー勤務
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