飯盛良隆のi佐賀iよ〜したか

住まいづくりのコンシェルジュから転身 佐賀県知事に挑戦した飯盛良隆のブログです。

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2014年10月

縫の池でお茶会が開催されました

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杵島郡白石町川津にある縫の池。昨日、こちらで地域行事のひとつ縫の池の釣り大会とお茶会が開催されていました。

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釣り大会の後半から雨が降ってきたということですが、池にはいろんな生物がいるそうです。この日もこれだけの種類が釣り上げられていました。

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バラダナゴは中でも珍しいお魚だそうです。

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午後からはお茶会が開催されています。天気も回復して素敵な地域のイベントに多くの人たちが集まられていました。

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お茶会を大正琴の演奏で盛り上げてくださいます。

縫の池は昭和30年代に白石平野で地下水を大量にくみ上げたために、一時は枯れていました。平成になって復活した泉ですから地域の方のおもいいれも強いものがあります。未来に残していかなければならない佐賀の一風景です。

国宝を未来につなぐ活動・信仰心

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昨日は奈良を訪れました。學を深めて3回目になります。まずは大華厳寺(東大寺)です。9時半と早い時間ですが、修学旅行の児童や生徒など見物人で境内は人が溢れるほどです。
一方で、大仏様にお経を唱えている人・団体は他に見当たりません。就學旅行の意味を日本人は失ったのです。

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大仏殿の正面に1本の灯籠が建っています。銅で作られていますが、夜に明かりをともすと光が漏れる造りになっているそうです。国宝だそうです。

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その国宝が今、溶け出しています。1000年前に作った人たちが想定しなかったことが起こっているのです。酸性雨による影響です。このまま環境破壊を止めることができないなら、国宝は失われ、日本の繁栄を祈ることも出来なくなるでしょう。

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午後に訪れるのは聖徳太子が描いた夢の生地・法隆寺です。正式には法隆學問寺と呼びます。それぞれが教室・寮であり、広い石畳はキャンパスの廊下です。

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寮に「魔」が入らないために、屋根には鬼瓦が設置されています。このキャンバスの廊下の壁も至る所で崩れかけています。誰かが、この費用を負担しなければ1000年間守り続けられた日本の宝が失われてしまいます。

西洋の資本家が認定する世界文化遺産に、目を奪われていて良いのでしょうか?

地域の一過性の欲望ではなく、日本にとってより大切なものを守る努力を怠ってはならない、そう感じた今回のツアーでした。

東寺と三十三間堂で夢をあげる

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京都駅南西にある東寺。五重塔が有名ですが、ここでは人間の内側を観ることが出来ます。學問を学び始めて2年半、今回が3回目の就學旅行です。

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最初は経典を読むこともたどたどしかった私ですが、2年間の積み重ねで自信を持って暗唱できるようになっています。すると、仏様のと対話が出来るようになります。
「素敵な夢が叶いました」
と。

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今回の旅では初めて、観智院を訪れました。ここ五大の庭には、遣唐使船で帰国する空海の様を絵巻風に表現されています。お庭の左側には、五大虚空蔵菩薩像をを石で表現されています。

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続いて三十三間堂です。ここは、自らの先祖が並んでいらっしゃる場所です。自分と同じ顔の仏様を探しに来るところではありません。見物の方も多く、ゆっくりお参りできた仏様、陰からお参りすることになった仏様など様々ですが、これまでの訪問とは、また違った気持ちでお参りできたと感じております。

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しかし、この三十三間堂の通し矢。昔の日本人のすごさを感じます。長さ100mを超える距離を、高さわずか4mほどのしかない廊下と軒の間を、通し射貫く訳ですから。

人は孤独でないことをあらためて学ぶ良い機会です。

世界中の人がその美しさを求めて足を運ぶ県にする

「佐賀県はアピール下手だ」と言われてきました。しかし、知事が現在の古川さんになって佐賀の良さをアピールすることは以前に比べて格段に佐賀の良さをアピールできていると感じます。その成果は、学生世代を中心に佐賀を好きだと主張する人が増えたと感じるところにあります。ただ、時代に合う魅力を追いかけるのではなく、時代を超える魅力を大切にしていかなければなりません。観光に力を入れたつもりでも、行き過ぎた開発は自然の魅力を失うことにもなりかねません。

20年前、新幹線の中で読んだ雑誌に「うちの工場は富士山が見える素晴らしい環境に立地しています」という事業者の視点と、その工場を含めて眺める人々の視線「工場がなければ美しい富士山の景色を楽しめるのですが」という記事は、象徴的事例だと思います。

佐賀県の景勝地、虹ノ松原。現在も多くの観光客が足を伸ばす鏡山ですが、昭和50年代の景色と平成の今の景色は、訪れる人たちにそれぞれどう魅了するでしょうか? 昭和の鏡山を知る人は、青い海、緑の松原、その手前の水田に広がる色とりどりの景色、これらをまとめて楽しみ、季節の異なる時期にまた遊びに来たいと思ったでしょう。平成の鏡山からの眺めは、青い海と緑の松原は変わらないものの、その手前に広がる景色は統一感のない住宅やショッピングセンター、そしてビニルハウスです。経済的な発展の一方で、貴重な観光資源を消失してしまったのではないでしょうか。

2013年5月7日、日本の棚田100選にも選ばれている玄海町の「浜野浦の棚田」に沈む初夏の夕日を見ようと、現地へ足を運びました。現地で見る景色は報道映像で見るよりもより時の流れ・音・風・草花などを感じることができ、感動的だった一方で、景色に写り込む高圧電線がその景色を台なしにしているように感じてしまいました。佐賀をPRするフォトスポットで有り、観光の名称として人々を和ませるこの場所から高圧電線と鉄塔と取り除くことは、夢である「世界の人々がその美しさを求めて足を運ぶ県にする」ことを実現するためにも必要な政策だと感じます。現地の左上にある鉄塔は、玄海原発における非常事態に備えるためにも残しておく必要があると考えますが、この電線はルートを変更して、これまで以上に多くの人たちに愛される場所を目指して育てていく必要があります。

こうした課題を一つひとつ解決していくためにも、企業と現地の農政部門・環境部門そして経済・産業部門が一体となって地域の皆さんの活動を支援していくことが重要だと考えています。

20年に一度の式年遷宮を終えて観光客で賑わう伊勢の国を旅すると、自然豊かな木々の色合いや葉の光を感じながら「この国にはその豊かな自然だけで人々を引きつける力がある」ということに気づかされます。そこが日本の神々が宿る場所であるからなのかもしれませんが、出雲や日向では感じられない人々を寄せ付ける魅力を感じるのです。肥前の国には、こうした神々が集まる神話などありませんが、一人ひとりが地域の自然・環境を大切にする念いを持つことで、その魅力が輝き出すのではないでしょうか。

繰り返し足を運んでくれる人を増やしたり、口コミで人が集まるようになるためには、こちらが「見せたいところ」をアピールすることではなく、「見せたくないところ」をなくしていくことから始めなければなりません。 観光資源として見せたくないもの、それが車窓から見えるゴミです。駅で降りて散策するときに落ちているたばこの灰や空き缶、ペットボトルです。 これを無くしていくためには、みんなの道徳心を復興させることが重要でもあります。さらに、それと並行して集めたゴミを処分できる仕組みをつくらなければなりません。集められたゴミを確実に処分できる体制をつくると共に、五行のサイクル(木→火→土→金→水→木)にのって循環できる物作りやそれを使う機運づくりを行い、小泉八雲が賞賛した美しい国の再生を行うことで世界中の人々を魅了できる土地にすることを夢に掲げています。

地元にいると見失う資源が沢山あります。そのことに気づき育てていくことがとても重要です。気づきのためには、人を育てることが大切です。時代を超える魅力を伝え、世界中の人々がその美しさを求めて足を運ぶ県にする。  実現したい夢の章です。

吉野ヶ里〜唐津〜壱岐〜対馬〜釜山の海底トンネルを開業させる

2020年の夏季オリンピックが東京に決まりました。日本が一つにまとまることのできるとても良い流れだと感じています。オリンピックのように、現実が見えてきた話題よりも、はるかな先に見え隠れするテーマになりそうですが、私は日本と韓国を結ぶ新幹線・海底トンネルを佐賀からつくりたいと考えています。

この計画は福岡が行動を始めてからでは手遅れです。佐賀の経済を再興して収入を増やし、「吉野ヶ里〜多久〜唐津〜壱岐〜対馬〜釜山」と結ぶ新幹線計画を提案したいのです。

皆さん考えてみてください。この構想は着工して10年で完成する構想ではありません。この書をご覧になった方の中には、完成を目にすることのない方も多くいらっしゃると思います。そんな構想だからこそ、今の私たちが描く必要があるのではないでしょうか。

現在は、関係が良くない「北朝鮮」との関係が、10年後もこうちゃくしているでしょうか?

関係が雪解けしてから対応しようとしても、時は待ってくれません。北朝鮮を再開発する世界プロジェクトが動き出したときに、このトンネルが出来ていれば、日本は陸続きで中国にも負けることなく受注競争できる環境を手に入れることができます。

唐津と釜山を結ぶことで、東京からロンドンまで鉄道を利用して行くこともできます。船による豪華クルージングが人気を集めることと同じように、鉄道旅行を楽しむ人も増えるでしょう。そのときの日本の玄関口として唐津が位置づけられるのです。アジアへの、そして世界の玄関口として。

足下の公共事業が必要だといわれるかもしれませんし、税金の無駄遣いだと批判されるかもしれません。しかし、時代は流れていきます。足下にだけ目を向けることなく、将来へ向けて佐賀がどうありたいのか。江戸時代に長崎が唯一の国際社会への窓口だったことを考えても、ここ肥前の地・佐賀県が世界への玄関口になることを夢に掲げて皆さんの力をまとめることも重要だと考えています。

飛行機による行き来が盛んな現代に似合わない政策かもしれませんが、常に交流でき、そして東アジアの平和の象徴として海峡横断新幹線を実現させたいと考えています。

古事記では火の国と呼ばれていた

少しずつですが佐賀の歴史を勉強しています。明治維新からわずかな期間に、県の組み合わせが度々変わる中、首都東京のある武蔵国と共に、地方の県で唯一分断されてしまった佐賀県と長崎県。当時の様々な思惑を歴史の中から感じることができます。

一方で、古事記の記載では火の国とは、肥後・熊本県のことではなく、肥前・肥後の両方を併せて、火の国と紹介されていることを驚きながら読みました。

安倍政権の下で道州制の議論が再び動き始めましたが、これまでの経緯から、途中で頓挫するのではないかと危惧してしまいます。理想は九州が一つにまとまることだと思いますが、利害関係を調整することは容易でないと感じます。私は過去の歴史を踏まえ肥前県(長崎県との合併)を実現することを夢に掲げています。

現在抱えている佐賀・長崎両県の課題・長崎新幹線の着工手続きと開業後の利用・諫早湾干拓の開門調査・玄界灘の砂採取問題というものは、抱える問題に対する考えの違いのまま、平行線をたどり問題の先送りが続く事例だと思います。

またLLCのジンエアーをめぐる問題も、両県の連携の悪さを象徴するものに感じます。隣県同士競い合うのではなく、将来の発展のために協力していくことが、人口減少社会では必要だと考えています。

その第一歩として、肥前県の実現を夢に掲げています。

佐賀の離島 向島を考える

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10月16日(木)、唐津市肥前町にある向島を訪れました。肥前町の星賀港から船で15分ほどです。

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港を出て間もなく、鷹島大橋を背にして沖へと出ます。

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海をなめていました。波が半端ではありません。甲板にいる私、水しぶきで服やズボンに水しぶきがだいぶかかりました。
もし、玄海原発で事故が起こるなら、直線距離で約6kmの向島に住む人たちを、どのように避難させるかは重要なテーマになります。荒れた船で海に出ることは、他のリスクとも向き合わなければならないことになります。

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ともかく無事に港に到着しました。

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定員14名の船。お正月以外は一日3往復頑張っているそうです。片道460円は高いから往復割引を、といった声も出ていました。星賀に自動車を止める際に1日300円必要ですから、駐車場と往復で1000円になれば良いですね。

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小さな港ですが大きく目に付くのが自民党参議院議員「山下雄平」さんと「福岡たかまろ」さんのポスター。いくつも目にし圧倒されます。

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島に一つの学校。今は小学校の分校ということ。主な役割は住民の避難所だそうです。

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職員住宅が3棟ありますが、今は使われていません。

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港に面する集落。約25世帯が残っています。

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集落の西の端には断崖ときれいな海。

集落の中心あたりから山へと続く道があります。約10分で裏側の海岸まで出ることができます。

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離島の島でもゴミは多いです。

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島の裏側はきれいな景勝地です。

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でも、海岸にはいろんなゴミが届いています。

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ここは島の簡易浄水施設です。

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ここもそんな感じ。
海岸のゴミ問題と共に、飲料水が抱える問題は早めに手を打つ必要があると感じます。日本が独立国家であるためには、玄界灘に浮かぶこうした島をどう維持していくのか、重要なポイントになります。

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港への桟橋の反対にある海水浴場。小さいけどとても澄んだ水が待っています。
わずか2時間の滞在でしたが、貴重な時間を体験できました。

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島にはお昼ご飯をいただくことができる施設がありません。本土へ戻って、シラスご飯定食をいただきます。 

ワクチンは効かないから無駄である

 10月15日水曜日にホテルニューオータニ佐賀で行われた、佐賀政経懇話会に参加してきました。佐賀新聞に一般聴講を受け付ける記事が掲載されていたので足を運んだのですが、20名ほどの参加者に一人だけ一般聴講ということで緊張の時間でした。

 今回出席を決めたのは、ゲストが医師で医療ジャーナリストの富家孝さんで、演題が「間違いだらけの医者選び」ということだったことです。最近、食の問題にいろんなお話を聞く機会に恵まれ、その一つとして参考になるのではないかと考えました。

 お話は冒頭から面白い数値が登場します。医者の世界は原則として
・ 偏差値の高い人
・ 実家にお金がある人
しかなれないそうです。それは、全国に医学部は80校有り、そのうち私立は29校で入学金と6年間の授業料が3000万円以下の大学は9校しかないためだそうです。そして、安いところほど偏差値が高くなるために、医者は先に上げた2つのタイプにとのことです。

 ただ、良い医者かどうかはそれに左右されません。
特に、外科の先生の善し悪しは「巧みさ」「技術」によるもので有り、地位や肩書きは全く意味がありません。
非常に納得のいくお話でした。

 さて、ワクチンについてはインフルエンザから子宮頸がんのワクチンまで、効果なしとの結論で一蹴されました。もちろん西田敏行さんが行っているコマーシャルも、厚生労働省の商売上手さが出ているだけだそうです。

 そんな先生の講義でしたので、私も質問してみました。

「牛乳は飲まない方が良いという声をよく耳にしますが、先生はどう考えられますか?」

という内容です。

回答は問題ないと思います。ひと言です。ワクチン接種を問題にする先生ですから、この部分も問題視されると期待していたのですがそうではありませんでした。ちょっと意外だった感じがします。

牛乳とアレルギー、資料の問題は今後も地道にお話を聞いていく必要がありそうです。

2023年国体を佐賀・長崎両県の共催に

 2013年8月3日の佐賀新聞に佐賀県体育協会と県障害者スポーツ協会が、2023年の国体招致を求める請願書を古川知事などに提出したことが紹介されています。当初知事は「前回の国体では、かなりの職員を採用し、施設の充実もはかったが、今回は資金も限られている。両大会をどう意義づけていくのか、一つのイベントとして考えるのはもったいない。県教委と意見交換しながら検討していきたい」と答えられたようです。
 当時2023年の国体誘致を決めている都道府県がない中で、古川知事の判断は非常に的確なものだと感じております。2023年の国体は、今後少なくとも2回の知事選を経なければ開催できないイベントです。このイベントをすでに3期目を務めている知事が現時点で決断してしまえば、知事が交代したときに責任があいまいになることと予算の硬直化を招きかねません。限られた予算の中でイベントを行うには、インターハイがブロック開催に変更されたように、国体もブロック開催が検討されても良い時期を迎えるのではないでしょうか。
 また前回開催の1976年には、スポーツインフラ整備も脆弱で、職員の採用にも効率化を求められている時代ではありませんでした。現在との状況は大きく異なっています。

 さらにオリンピックが2020年に東京で開催されることが決まったにもかかわらず、私たちの国体への関心は遠のくばかりのように感じています。今年2014年、長崎県で国体が開催されています。しかし、隣の県にいながら準備の段階でその盛り上がりの様子を耳にする機会はほとんどありませんでした。さらに、大会が始まった今でも、新聞やテレビなど報道で大きく取り上げられるものの、日常生活の話題にそのことが上ることはほとんどありありません。

 そんな国体を魅力あるものとして誘致するために、2023年の国体を佐賀県の単独誘致ではなく、長崎県との共同開催することを提案したいと考えております。
 現在の長崎県と佐賀県の関係は、諫早湾干拓事業を発端とした水門の開閉問題でぎくしゃくしています。過去には長崎新幹線の建設決定の際に、佐賀県民の反対意見を振り切って政治判断として着工がなされました。しかし、双方の行政が対立軸の中で議論がかみ合わない状況が続くことは望ましくありません。くしくも計画通りに工事が進むと2022年に長崎新幹線が開業します。その開業イベントのひとつとして佐賀長崎国体を開催することは意味があることと感じています。
 幸い国体を開催している長崎県には、その運営に携わる方が多数いらっしゃることになりますから、9年後に再び開催することは担当職員が継続できることで運営の効率化も図れますし、準備活動を通じて両県の職員、特に若い職員達同士の交流が深まれば、両県が抱える課題を柔軟な方法で解決するための方法をみいだすことができるのではないかと期待します。

 国体という一つのイベントを通じて「和」の精神を復活させるきっかけになればと考えています。

 従来のやり方での誘致では、生まれてこないビジネスの機会が、新しいことに挑戦することで、新たなビジネスのきっかけを生み出してくれるのではないかと考えます。

夢1 佐賀県と長崎県の合併を実現する

今の政治家は福祉や公共事業など身近な話題にばかり目を向け、私たちに夢を語ってくれる人がいなくなってきていると感じます。確かに、票をいただくためには身近な政策を充実させることは重要です。しかしそれでは、人々が同じ方向を向いて頑張ろうという意欲は生まれにくいと感じます。トップに立つ人をリーダーといいます。漢字で書くと指導者です。指導者の指はどこを指すか。

それは「未来」です。そんな指導者の指が身近な福祉政策と予算のばらまきを語っていては未来が開けません。

佐賀県の抱える課題の中には、隣県の長崎県(県庁)との考えが異なるために解決できない課題があります。もともと肥前の国として共に歩んできた長崎・佐賀の両県は明治になって全国でも珍しく二つに分かれてしまいました。過去の歴史を詳しく学んでいないために、その経緯を詳しく存じませんが、ある方のお話では「肥沃な土地を持つ佐賀がその生産力に慢心して、農作物の取れない地域(長崎県)を切り離してしまった。ところが、産業の主体が農業から工業に変わったために、環境が厳しいと考えられていた長崎県が発展し、佐賀県が取り残されてしまったのだ」といういきさつがあるそうです。それが現実であるのなら、私たち佐賀県民は謙虚に反省することが大切です。そして、人々の暮らしと将来の日本を発展させるためにも、この両県が合併して社会をリードしていくことが必要だと考えています。
 長崎新幹線の建設工事を今さら止めることはできません。しかし、諫早湾の問題は地球にとってあるべき姿を考えて、そこへ導く必要があります。
 伊万里湾に浮かぶ、鷹島、福島は長崎県でありながら、伊万里市のインフラに頼るところがあります。一方で高度医療は、伊万里市も佐世保市の病院を頼りにしています。
 焼き物の里を「有田・伊万里」と「三河内・波佐見」と分かれてPRし続けることが、グローバルな時代に有効でしょうか?
 そしてなにより、壱岐・対馬は海上航路を佐賀県唐津市と福岡市に依存しながら、行政が長崎県であるためにガソリンの価格が高騰するなど生活環境が厳しさを増していても、本土での関心は盛り上がりません。日本にとってこの両島がいかに重要である場所か、日本人として考える必要があるのではないでしょうか。沖縄の基地問題がクローズアップされますが、それと同じように支援が必要な地域ではないのでしょうか?
 しかし、国民や今の政治家に関心を持たせることは簡単でありません。過去のわだかまりを解き、現代の課題を乗り越えて、未来の発展を目指す姿勢が、経営トップの姿勢に必要だと私は考えています。

 利権が絡み合う課題ですから簡単に実現するものではありません。政府には道州制の考えもありますが、全国の自治体や役所の皆さんが賛同する意見のとりまとめは容易ではないと考えています。それぞれの利益を超えて未来の発展のために、長崎県と佐賀県の合併を実現させたいと考えています。

政策指針書・「和」 のおわりに

「TPP反対」の運動が活発な農業団体ですが、そもそも現代の日本は「自由貿易」によってその経済や財政を賄っていることを忘れているのではないかと危惧することがあります。

農業に対する予算の原資、福祉に対する予算の原資はどこにあるでしょうか?

近年、医療法人のコマーシャルや広告を多く見かけるようになりました。そのことで業界が日本の財政に貢献しているように錯覚してしまいますが、単に国債の増発により流通するお金の量を増やしただけで有り、日本の富を稼ぎ出したわけではありません。

農業でも、福祉でも現状では国の予算配分次第で、経営が成り立たなくなる業界ではありませんか?

この予算を確保するためには、日本に来てお金を落とす外国人を増やすか、輸出産業を強化するしか方法はありません。農業は作物を輸出することで日本社会にお金をもたらします。医療・福祉も同様に外国からの患者さんを受け入れることで日本にお金をもたらすのです。

TPP反対を唱えている農業・医療の団体の発言には、自分たちの利権を失うことばかりが書かれており、日本のためにどう貢献していくのかという視点が不足しています。

農業政策も、国の補助金依存からの脱却を目指し、ご自身の別の収入から国土を守るための費用考えて、農業に取り組む人たちを育てる必要があると感じています。

「国造り=土作り=人創り」という考え方があるそうです。こんな考えはいいですね。ただ、先頭になって取り組むことを既存団体に求めることは容易でないと感じます。

戦後の農地政策で、農地解放、圃場整備、減反政策、農地転売と進めた団体の取組は、国土を売り物にして私腹を肥やすことを目的とし、今に至るまでその考えを改める気配がありません。

結果として優良農地にできたところでさえ、住宅が点在する不便な農地になってしまいました。手間を惜しまず「国を思い郷土を思う」人を、一人ひとり育てることが重要だと感じています。


社会の人口高齢化に伴い、これまでのように高齢者福祉に力を入れ続けては県の財政は保ちません。そこに予算を傾けることなく、年を重ねても「働いて社会に貢献できることを喜びにできる社会環境づくり」を創生していかなければなりません。原子力や自動車産業が生み出すお金で、福祉を充実させる時代はもう終わりました。これからは、それぞれの産業が自立して人々を雇用していかなければならないでしょう。

その手助けとして行政が支援できることは、「規制をなくす」ことだけではないかと感じています。新たなアイディアに前例がないと言うだけで規制したり、業界保護、消費者保護という言葉を巧みに使って新規事業の創生を阻んでいたのでは未来がありません。

もちろん、事業を始めるときに年齢の制約などありません。これまで、退職して「老後」と呼ばれていた時期を社会保障で支え続ける仕組みは崩壊していくわけですから、常にチャレンジが必要なのです。

土地の用途変更は農業・森林保護、水環境の保護という自然環境に直接影響を与えるものでなければ、必要なコストを負担していただくことがあっても、役所の権限で事業を差し止めることは行うべきではありません。その事業の成否は、事業者の能力にゆだねてこそ、自由主義経済の発展があると考えています。

医療や介護の分野でも、これまでの保健医療に特化することなく、海外からの患者・入居者を受け入れて、市場規模の拡大に取り組めるように支援していくことが必要になります。

地震対策と費用

阪神大震災以降、学校や公共施設、道路に堤防まで耐震補強が求められ現在も進められています。しかし、東日本大震災では、私たち人間が自然の力に対して力で対抗しようとしても無意味である事を思い知らされたはずです。

鉄筋コンクリートの寿命は70年といわれています。私たちの平均寿命より短いものを作り続けて、地上のゴミを増やす事が本当に必要なのか考えて事業を行わなければなりません。それは耐震工事をやらなくて良いという意味ではありません。しかし、人口が減少する中で全ての学校を耐震補強するよりも、学校の将来を考えて必要な学校や教室に補強を行うべきではないでしょうか。

災害避難所になる体育館などの耐震基準が足らないという声も耳にします。しかし、全ての避難所が地震に対する避難所である必要があるのでしょうか。佐賀県の場合、避難勧告が出される場合のほとんどが台風と大雨です。避難場所に求められる条件は、耐震性ではなく風雨に耐えられることであり、水害から住民の身を守る事です。

このように、想定される災害の割合が大きく異なる事を考えれば、災害の避難場所は一次避難所と二次避難所という形などで、災害の内容や規模に応じて対応できる仕組みをつくることが重要ではないかと感じています。

一次避難所は台風や水害のときに自宅にいては危険を感じる人たちが、その状況が過ぎるまで避難できる環境を整えることです。耐震性よりも台風に耐えることと情報が正確に入手できること、トイレが整備され簡易的な食事が出来ることが求められます。

二次避難所には一週間を超える避難や地震の時にも避難できることなどを要求されます。耐震性はもちろん、調理施設の完備や食料品などの備蓄、救援物質の受入が出来ることも条件になるでしょう。限られた予算の中で画一的な基準で避難所を設けるよりも、原子力発電所事故対応を含めたピラミッド型の避難システムを構築していくことが重要なのです。

AED設置場所と管理の見直し

自動体外式除細動器 (AED) の普及は、突然の心臓トラブルから多くの人々の命を救うことにつながっています。これからAEDを一般市民が使うケースは非常に多くなると考えられます。

さて、日本では救急車が現場到着するまでの時間は平均で約7分といわれ、救急車の到着以前にAEDを使用することが出来れば、救急隊員や医師が駆けつけてからAEDを使用するよりも、救命率が数倍も高いことが明らかになっています。佐賀県内でも1000を越える場所に配置されている事から、県民の皆さんが使用方法を学ぶことと身近な設置場所確認しておくことは非常に役に立つ事だと感じます。

ところで、最近は早朝のジョギングやウォーキングを楽しむ方が増えていますが、夏の朝5時半頃、ご家族と一緒にジョギングをして帰ったところであなたが意識を失ったとします。この時あなたの家族は、AED設備を使ってあなたを助ける事が出来るでしょうか?

この状況で皆さんはまず、119番通報で救急車を呼ぶでしょう。同時に別の人が、AEDを準備して救急車の到着より早く作動させる事が出来れば、あなたが助かる可能性は飛躍的に高まります。

ところが現在、県内に設置されているAEDのほとんどが、この時間は営業していない病院や公共施設の中にあるために、家族がAEDの設置場所を知っていたとしても、救急車よりも先に措置をすることは難しいと思われます。

こうした事態を防ぐために、AEDの設置数を増やすのではなく、身近なお寺や公民館、民間のビルやマンションのエントランスホールなど、風雨にさらされず鍵のかからない場所へ普及させる事が重要になると感じています。また、電池や備品などのメンテナンスが行き届く仕組みをつくる事も重要になります。

有明海の生物を守るゴミ拾い

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昨日10月11日東与賀海岸で開催された「AQUA SOCIAL FES!!」に参加してきました。

「佐賀平野と有明海の生物を守ろうプロジェクト」の一環として佐賀新聞社やトヨタ自動車の販売店が協力して開いているイベントです。

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まずは生物の観察会。

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これはシマヘナタリという絶滅危惧種だそうです。

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他にも、有明海奥部の地域では、他の場所で観ることの出来ない生物が23種類もあるそうです。


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女性の方々も興味深く、専門の方に尋ねられていました。

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続いて有明海に生きる生物の紹介。これだけの種類の生き物をスタッフの方がイベントの前、2時間ほどで揃えられたそうです。

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観測会が約1時間半、海は干潮の時を迎えいよいよゴミ拾い。まずは分別方法の説明です。

本来はゴミに分別すべきでない、葦をゴミとして回収するのが東与賀海岸の特徴です。台風で延期になったノリ網を張る時期が15日に迫っています。網に葦が絡まないようにすることも、ここでの清掃活動のポイント。
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こんな感じでトラック2〜3台分。

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約3時間の活動終了です。参加者にはオリジナル軍手、タオル、ペットボトルのお茶、そして記念品が。でも軍手以外のものはいらないかな?
人間が作るものの多くは地球のゴミです。拾ったゴミから葦を除くと、いただいたペットボトル、ビニルのバッグといった未来のゴミの量が多いような・・・。

多様な運営が求められる消防団

阪神大震災の後に、建築物の耐震性が強く求められました。今度の東日本大震災では、津波への対策、土地そのものの安全性を求められています。しかし日本人は本来、こうした自然災害とも調和を取りながら、繁栄してきた民族ではなかったのでしょうか。

自然から発せられるメッセージに耳を傾け、自然災害に立ち向かうのではなく調和を取って生きていく姿勢が求められているのだと感じます。

災害を防ぐための土木工事で、人々を守ることはできません。これからは、人と人のつながりを持って災害の被害を最小にしていく必要があります。その手段の一つとして、地域の消防団が果たす役割は大きいと感じます。


多様な運営が求められる消防団活動

現在の消防団の仕組みは1948年に公布された消防組織法により「消防団は地方公共団体に附属する消防機関」として規定された仕組みのもとで消防団の仕組みが整えられており、働き方が当時と大きく変わる現在では消防団団員への負担が大きく、団員の数を伸ばすことが出来ません。

これは個人の働き方の変化ばかりでなく、活動範囲が火災から水害、人捜しまで、様々な機会へ拡がり団員一人に対する負担が大きくなっていることが要因に上げられると感じています。私自身は約8年ほどしか消防団員として活動していませんが、職場における自衛消防隊活動と共に、基礎的な消火活動を身につけることができた点で、大きな意味を持つ経験が出来たと感じています。このように、同じ人が何十年も団員として留まり負担が大きくなるよりも、より多くの人が消防に関する経験を持ち、いざ近所で火災が起きた、大雨で大変だ、という時に先頭に立って対処できる環境をつくることが重要になると感じています。

多くの皆さんが消防や水防のスキルを身につけるためにも、ある年齢を超えて県内に住む場合に、3年程度の基礎訓練活動を求めることが必要なのではないでしょうか。それは、消防団であっても、企業活動の一環であっても、また学校教育の一部であってもかまいません。その経験の上で、個人の都合に応じた「総合防災団員」「水防団員」「消防団員」「夜間警備員」など区分を設けて、各人が負担の少ない形での防災活動に携わることの出来る仕組みをつくることが重要になると感じています。

こうした活動を積み重ねていくことで、地域に独立した防災意識を根付かせることができると考えています。防災意識を高めることで、災害の時に「助けてもらう」人を減らし、「助ける人」を増やすことができるのです。

クールビズと地域振興を考える

クールビズの普及を後押しするために夏場の議会服を和装とすることを提案します。

明治維新からまもなく150年を迎えます。当時は文明開化ともてはやされ、様々な西洋文化が取り入れられました。しかし、2008年のリーマンショックに象徴されるように、西洋的な考え方の行き詰まりを目にすることができます。新たな思考で時代をリードするためには、ファッションやインテリアへの考えかたを変えていくことも一つの方法だと感じます。議会服が和装に変わることで、地域経済・地元商店街へ与える効果も期待できるのではないでしょうか。

県議会の本会議を佐賀城本丸歴史館としてはどうでしょう。県民に開かれた親しみやすい県議会を開くことができるのではないでしょうか。
「県議会の議場が県庁の中になければならない」
確かに運営の効率化を考えれば当然のことです。しかし、議場から斬新なアイディアが生まれるためには、型にはまったことを続けてばかりでは、いけないのではないのでしょうか?

幕末に世界へ視野を広げることで日本をリードした佐賀藩と同じ場所で、社会を立て直す議論をおこなうことで、新しい時代の政治・経済を築き上げていきたいと考えています。

欧米社会から学ぶことも大切ですが、世界へ日本の思想・教育・文化を発信することから生まれる「経済」に光があたるように努め地域を成長へと導かなければなりません。


2013年2月28日、初めて佐賀県議会を傍聴しに出掛けてきました。その議場の重厚感と広さにちょっと驚き、
「これが議会の権威なのか」
と感心しながら、初めて佐賀県議会を傍聴してきました。しかし「議会の品位」という言葉とは裏腹に、身体をのけぞるようにして居眠りしている議員がいるなど、議場と議員のギャップに驚くところがありました。

県議会に足を運んだことで、明治初期に初めて佐賀県議会が開催された場所が、エスプラッツの東側・佐賀市高木町にあるにあるお寺「願正寺」であったことを知りました。現代の硬直化した議会のあり方を見直せればとの思いで提唱する本会議の「佐賀城本丸歴史館」への移動ですが、明治初期に活躍した佐賀の偉人達の活躍を思えば、十分に検討すべきテーマだと認識しました。

最近の本丸歴史館は独自イベントで週末を中心に利用率が高まっておりますので、別の意味で障害になる可能性はありますが、エネルギーの需給に課題を抱える現代、これまでと同じスタイルで社会を繁栄・発展させることは難しくなります。高さ9mほどもある今の県議会でエアコンを効かせながら行うよりも、佐賀城本丸歴史館で開催し、議員が和装で出席し、一般の人が傍聴しやすい議会にすることなど、発想の転換が必要な時代だからこそ有効ではないかと感じました。

日本の良さを再認識しながら、硬直した社会を変えていきたいと考えております。

ラムサール登録湿地となる意義

佐賀市が東与賀町沖合の干潟を2015年度に「ラムサール条約登録湿地」になることを目指し横断組織を立ち上ています。これまでの県としての姿勢は、
・有明海ののり養殖に制限がかかるのではないか
・佐賀空港の運航に不都合が生じないか
という観点から消極的な姿勢でありました。その後、申請面積が当初の1/5程度に縮小されたことで、県有明海漁協からの賛同も得られ申請への動きは加速しつつあります。今後、オスプレイの配備問題が影響を与えるのか懸念されますが、県としても最善の策をとって登録を支援するべきだと考えています。

21世紀のテーマは「共存共栄」です。自然と共生できない産業は継続できなくなるでしょう。有明海を美しくして、自然環境を再生していくという考え方から、東与賀海岸に限らず、県内のほかの地域から登録の動きが出れば全面的に支援を行うべきだと感じています。

日本では昭和の時代から北海道を中心に登録されてきた湿地の数が、いまでは46に上ります。2012年には熊本県の荒尾干潟も登録されています。同じ有明海を共通のテーマで自然環境を再生していくことはとても重要な取組になると期待されています。

三重津海軍所跡の世界遺産登録

佐賀市川副町早津江にある三重津海軍所跡が「明治日本の産業革命遺産」の一つとして日本政府からユネスコの世界文化遺産候補として推薦されることになりました。10月3日(金)には国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の諮問機関イコモスによる現地調査も実施されました。

この決定・進行は本来喜ぶべきことなのでしょうが、世界文化遺産という制度そのものに疑問を感じること、また佐賀県内にはほかにもお金をかけて保存すべき遺跡が沢山あるにもかかわらず、予算の都合で実現できない中で、三重津海軍所跡が世界遺産に決まれば、それを維持するための義務的費用が発生し、ほかの史跡と比較して予算を公平に配分ができなくなる恐れがあるために複雑な思いになります。

もし、「世界自然遺産」の候補地が県内にあるのであれば、総力を挙げて実現するべきだと思います。しかし、文化遺産という制度は、歴史的な価値観が変われば評価も変わるものです。現在の価値観を将来まで残そうとすれば、自然と歪みが生じるものではないのでしょうか?

三重津海軍所跡は、県民として誇りを持って日本中の人々に紹介する史跡の一つだと思いますが、それが世界中の人々に等しく評価していただけるものではないと感じています。単に観光客を呼び込むための世界遺産登録ならば、今回の決定は政治判断の誤りです。

内閣官房の有識者会議が2015年の世界文化遺産の推薦候補に佐賀市の三重津海軍所跡を含む九州・山口エリアを中心とする「明治日本の産業革命遺産」に選んだ一方で、文化審議会は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を推薦していました。両方に対象施設がある長崎では取組への温度差も発生します。この三重津海軍所跡を含む九州・山口エリアの世界遺産登録に関しては、世界文化遺産にふさわしいのか?
世界遺産の登録が世界的に見てどのように評価されるのか?
再度考えていく必要があるのではないでしょうか。三重津海軍所は幕末から明治にかけて、日本の歴史を動かすことには大いに貢献したと思われます。しかし、150年という浅い歴史しか持たないこうした施設が、現時点で世界的な評価を受けるにふさわしいものでしょうか。世界自然遺産と異なり、その時代によって価値観が変わる施設を、客寄せのために利用するべきではないと感じています。

日本の近代化は、日本の一歴史に過ぎません。世界の歴史と呼ぶにはまだまだ、時が短すぎます。国の文化財としてきちんと保存し、国際的にもより多くの人がその施設に関心を持ち、地域の人たちが誇りを持つようになって初めて世界遺産の候補地として名乗りを上げるべきではなかったのかと感じます。

まちづくり政策を考える

これからのまちづくりという考えは、県が主体的になって取り組む課題というよりも、それぞれの市が考える課題なのかもしれません。商業高校を市立化する考えは身近なまちづくりを、そこに住む若い人たちと考えることが出来るきっかけにつながると考えています。

ただ、それぞれの市町で中心市街地の空洞化が問題になりはじめて20年が過ぎようとしていますが、対応がうまくいっている事例を佐賀県でみることは、今のところありません。様々なリーダーの元で、この課題に取り組まれているものの、1年間を通して商店街が賑わう姿には、ほど遠いのが現実です。

これに対し、大型ショッピング施設を見ると核テナントを中心に、それと連携する形でいろんなショップが軒を連ね、週末を中心に多くの人出で賑わっています。一方では、人口が増加している鳥栖市で鳥栖シティモールが、地権者との20年契約満了に伴い2013年8月で営業を終了し更地にされることをはじめ、多久市や鹿島市のように計画通りに集客できずに核テナントの変更が繰り返されるところもあります。

こうした現状を踏まえ、単に商店街に賑わいをという政策から、成功しているショッピングモールと地域が共存できるまちづくりへと、そのあり方を見直していく必要があるのではないかと感じています。

自動車による移動がほとんどの佐賀において、無料駐車場に自動車を止めてショッピングモールで遊ぶというスタイルは、当面否定できるものではありません。しかし、今は自動車で行動している皆さんが年を重ねて将来、自動車を利用できなくなったときのために、こうした施設へどのようにアクセスできるかを常に考えておく必要があると感じています。ショッピングモールでさえネット通販と競争しなければならない時代がそこまできています。

では、買い物客がいなくなった商店街をどうするのか。その一つの方法が、働く場所の創出ではないでしょうか。

新しく企業を誘致する、工場を誘致すると言う場合、常に郊外に工場団地を造成するという発想で実現してきました。しかし、工場もリストラの影響で閉鎖されているところも出てきています。こうした、工場跡地に新しい企業が入ることや、これまで商店だったところに新しい産業の人たちが入りやすくすることで、新たな賑わいをつくり出すことが必要になるのではないでしょうか。土地の用途規制を守り、大切にしておきたい景色があるのも事実ですが、それにとらわれすぎると町の発展もありません。バランス感覚を持ってこれらの課題に取り組むことが求められているのです。

さが桜マラソン開催を考える

2013年春、佐賀桜マラソンがフルマラソンとしてスタートしました。私も30歳までの15年間にフルマラソンを3回(うち1回は途中棄権)するなど、競技経験がありますので佐賀でフルマラソンが実現したことは喜ぶべきなのかもしれません。

しかしながら、昨今の社会環境を考えると、4月の佐賀でフルマラソンを実施することの是非を検討する必要があると感じています。

2013年はPM2.5という物質も問題になりましたが、例年3月から6月にかけては中国大陸から飛んでくる黄砂や光化学スモッグが特に問題になります。

また、4月は人事異動の時期と重なるために、大会運営のためのスタッフを集めることにも苦労が多いと耳にしておりますし、交通規制の時間が長時間に及ぶことで県民の生活にも支障をきたしてしまいます。

大会を開催したことで得られた高い評価もあり、簡単に見直しできることではありませんが、選手・スタッフの健康を考えるとフルマラソンを佐賀で4月に開催することは再考する必要があるテーマだと感じています。

鳥栖重粒子線ガン施設を考える

鳥栖市に建設された重粒子線ガン施設への寄付金が九州電力から入金されずに問題になっています。原子力発電所が再稼働できないばかりでなく、電力会社と行政のあり方が見直しを迫られている以上、この寄付金が入金されることはないと考えて新たな対応策を考える必要があると感じています。

2013年5月に完成した施設はサガハイマットの名称で翌月から診療を開始し、その診療に対するニーズも高く想定した利用率を大きく上回って推移しているようです。しかし、計画した寄附が集まらなかったということで県の予算を継続してつぎ込むべきではありません。

対策のひとつとして、施設の運営を「株式会社」にして、一般から広く株主を募集することを考えます。

医療の株式会社参入には抵抗も大きいと思います。しかし、先端医療だからこそ、ほかの施設とは競合しないメリットがあります。施設を運営していくためには、その効果をアピールして海外からの医療ツーリズムによる佐賀への集客を働きかけることも、現在の運営方法より株式会社の方が期待できるのではないでしょうか。

借入金のまま、いつまでも金利負担をすることよりも、社会情勢を考えて、県民と利用者になるべく負担がかからない方法で結論を出すことが必要ではないのでしょうか。
飯盛良隆
佐賀県小城市三日月町出身。
佐世保工業高等専門学校卒業後、ブリヂストン鳥栖工場設備課勤務。橋本龍太郎通産大臣の時代に第3種電気主任技術者の免状を取得。

建材店:サンコー商事にて14年間建材の販売に携わり新築・リフォームの現場に数多く潜入。戸建て住宅でもインテリアの重要性を感じ平成20年町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー福岡校に入学しインテリアの基礎を学ぶ。

平成22年、スメトコプロモーションを設立し住宅CMサービス佐賀の運営を始める。
平成25年2月、ダブルスネットワーク(株)社との契約を解消、住宅CMサービス佐賀の運営を終了する。

平成24年3月、帝王学(氣の學問、道の教え)を学び始める。同年6月
唐津から釜山へ新幹線で!

実現するためには長崎県と佐賀県をひとつに。そしてアジアや世界中の人たちが、自然と人の美しさを求めて足を運ぶ地域にする。

そんな夢を描き知事を目指して政治活動をはじめることに。 活動に専念するために平成26年6月末にて住宅に関する事業は終了。平成26年8月末にて(株)スメトコプロモーションを退社。
平成27年1月11日実施の佐賀県知事選挙に立候補。惨敗。

現在
眞理學指導員 (日産鮎川義塾)
夏・佐賀で稲作
冬・東京エムケイ(株) 勤務
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