飯盛良隆のi佐賀iよ〜したか

住まいづくりのコンシェルジュから転身 佐賀県知事に挑戦した飯盛良隆のブログです。

準完全無減農薬・無化学肥料のお米「Shin-和」
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震和会とは。(為雷)人生の試練や困難を切り拓き、奮いたつ勇気をもって、
(日本)の国を再興する、という意味です。

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2015年06月

日本のコメ文化を潰すのは・・・

004 今日は「JAさが」の通常総代会でした。私も、一農家として参加し、機会があればと質問を準備していきました。

(質問内容)
 農協法改正案が明日にも衆議院を通過しようとしていますが、この内容については、決して歓迎できるものではありません。一方で、この20年間の活動内容にはいくつか反省すべきテーマがあると感じます。
・ 農業の6次化による弊害を軽視していること
・ 集落営農など大規模戦略の効果
・ 米価の下落と米離れを招いた政策
などです。特に米価の下落については、コメの輸入自由化反対が目的となり、結果として農家として歓迎しない日本人の米離れと米価の下落を招いてしまいました。これは、国産米のライバルを見誤ったことにあると考えられます。
 日本のコメ農業を壊したのは、コメを輸入したことではありません。輸入小麦とそれに関わる産業の戦略に負け続けているのです。先日一冊の本を手にしました。
「アメリカの小麦戦略」
という本です。昭和54年にNHKの番組作成にあたり取材された内容をまとめられたものです。年配者の方には、当時番組を見られた方もいらっしゃるかと存じます。
 昭和30年代、日本人一人あたりが消費していたお米の量が110kg台を維持し、小麦の消費量は、その1割程度にしか満たなかったものを、いかにして食生活を換えていくかを、10年単位で戦略を立てて実行し、計画以上の成果を上げたことが紹介されています。本の結びでは、今後食管法の解体でコメの安楽死につながることまで予想され、今まさにそれが現実となっています。
 一人あたりのお米の消費量は、1993年の冷害のときに73kgだったと記憶しています。今では60kgを割ってしまいました。ミニマムアクセスを受入、自由化を拒んだコメ政策は明らかに判断ミスだったのではありませんか?
 このまま米の自由化の反対を続けて、日本のコメ産業が安楽死を迎えるのなら、コメの輸入自由化を受入、輸入義務枠を撤廃したうえで、60年前にアメリカが取った政策に習い、「日本のコメ戦略」をたてて市場を開拓すべきではないのでしょうか。
 昨年3月、アメリカ市場を見に行く機会がありました。カリフォルニア州のサクラメントにあるウォルマートで売られているお米(短粒種)は、907gで1.43ドル(1ドル100円で計算して、60kgあたり9460円)でした。食べてみると10年前に食べていたヒノヒカリよりも味が劣る感じがしました。一番安い短粒種に、Hinodeというものがありました。2.27kgで1.98ドル(60kg 5233円)です。一方で最高級として売られるSush rice は、454gで2.98ドル(60kg 39383円)です。決して挑戦できない数字ではないと感じます。 知人からの情報でブラジルでは今、ラーメン1杯2000円するそうです。日本のお米を加工して輸出することで、マーケットは世界中に広がります。
 お米を食べない世界の市場を開拓することこそ、これからの時代に農家と共に歩むJAが進むべき道があるのではないのでしょうか。
(以上)

 質問のタイミングを考えながら、内容を一部見直しての質問でした。アメリカでのコメ価格を紹介している途中で、議長から質問を手短にまとめるよう注意を受けましたので、まとまりとポイントがずれた質問になってしまいました。
 アメリカ市場に日本のコメを売り込むことも大切ですが、もっと大切なことはアメリカから自由化された米が日本に入ってくることは、本当に恐れることなのか?

 会を通して感じたことは、日本のコメビジネスをお荷物だと考えているのは、JAではないのか、と感じさせられる総代会でした。

リーダーの条件

028 昔、リーダーの条件として作物の作付時期を判断できることがあったそうです。今のようにレーダーや人工衛星もない時代に、天候を予測し農作物の種をまくときを判断すること、それを誤れば人々が餓死することに繋がります。食料を求めて戦に発展することにも繋がります。争うごとを起こさないために、天の気を読むことが必要なのです。
 統計学によって天気を読むこともその手助けの一つになります。

 さて、7月前半に大雨と遅い梅雨明けを予想した私は、前の日曜日(6月21日)に大豆の種まきを行いました。周りの皆さんが田植えを行っている時です。翌日には除草剤のサターンバアロをふり終えています。
 間違ってもすぐに戦になるわけではありませんが、リーダーとしての資質が試されるテーマです。

イネの肥料・アンモニア態窒素

035 佐賀平野ではこの週末、田植えのピークを迎えます。私は一足早く直播きで作業を終えていますので、あと一週間ほどは様子見が続きます。

 美しく広がる水田の一方で、まだ耕されていない減反の圃場が広がります。今年佐賀県が減反する面積割合は35%を超えています。前知事のときの判断で、国から求められる面積以上に減反した方が経済的にも有利に働くと考えられたからでしょう。佐賀平野は暗渠排水など基盤整備が充実しているからです。

 しかし、こうした判断が大きな誤りをもたらしているかもしれません。一昨年に体験したウンカの被害。この後に学ぶ機会を得た肥料について、その性質が田んぼと畑では大きく異なるというのです。ここで言う「田んぼ」とは水を張って作物を育てる稲作のこと、「畑」とは水を張らずに作物を育てる麦や大豆のことです。

(以下、岩澤先生の著書を引用)
 田んぼには水があり、無酸素の状態ですから還元的です。ところが畑の土には多くの空気が含まれ、酸化的です。従って、微生物から土壌生物、地表の生き物にも大きな違いがあり、雑草や作物も異なります。・・・・・・
 イネはアンモニア態窒素を好む植物ですから、施肥される肥料は畑とは違い、アンモニア態窒素が主体です。このアンモニア態窒素は、イオン化しての電荷はプラスイオンに帯電しますから、マイナスの土壌に吸着されて非常に安定的です。しかし、これが落水され、空気が土壌中に入り込むと、たちまち安定性は崩れ、窒素は流れ出します。そして土壌に酸素が入ると、今まで田んぼにいた嫌気性の微生物は、好気性の微生物に取って替わられます。好気性の硝酸化成菌は、アンモニア態窒素を硝酸態窒素に酸化します。硝酸態窒素は電荷がマイナスですから、マイナスの土壌とは反発して、遊離窒素になってしまいます。(以上引用、本では窒素をチッソと表記)

 ひと言で肥料と言っても、奥が深いです。戦後農業学校などで教えられた農学では、植物に必要な肥料の三要素を「チッソ、リン酸、カリ」とされていました。今でも多くの農家の方が、単純にそう考えていらっしゃると思います。しかし、同じチッソの中にも大別して「アンモニア態窒素」と「硝酸態窒素」があることを知り、また有明海学の中では「亜硝酸態窒素」というものがあることも知りました。私たちが普通に必要だと考えていた肥料や成分が複雑に変化し、今ではマイナスの効果が大きいと指摘されるものも多いのです。

 昨年香港にご一緒させていただいたDr.中松から「私はガンで余命2年と宣告されている。ガン患者は身体に悪い5つのものを外さなければならないと紹介していただきました。
・ タンパク質
・ ナトリウム
・ カリウム
・ 鉛
・ 砂糖
です。それから、ガンには乳製品が悪いことも付け加えられました。今後、先生の研究として発表されるかと思いますが、常識という言葉とは異なり、真実は常に変化していることを理解して学続ける謙虚さが大切だと感じます。

「食」という字は「人」を「良」すると書く

 食という漢字は「にんべん(冠)」に「よい」と書きます。
 人を良くするという意味から出来ています。

 食べ物が人間のハードをつくり、教育がソフトとして機能します。

 現代日本は飽食社会で食べ物が満ちあふれ、一方で健康ブームからテレビの情報番組や雑誌などで
「〜が健康に良い」といわれるとスーパーなど、お店の店頭から瞬く間に商品が消えることが紹介されています。

 ゆっくり過ごす環境を手に入れた今、物事を考えているといろんなことに気づきます。身体に良いといわれる食べ物、本当に全ての人が健康になるのだろうか?
 学校給食で小麦アレルギーや大豆アレルギーは耳にしても、お米アレルギーを聞かないのはなぜだろうか?

 いろんな報道を見聞きしていると惑わされてしまいますが、身体に良い食べ物(食事)というくくりではなく、日本人の身体に良い食べ物があるのではないかと。たとえば牛乳は欧米人にとって良い飲み物でも、成長と共に酵素が失われる日本人の身体には合わないことのような・・・。

 そうやって考えていくと、日本人に良い食べ物とは神前にお供えする「お米」「お塩」「お水」(そして「日本酒」)が最もシンプルで身体に良い食べ物ではないのだろうかということに気づきます。

 では、なぜそんな日本人の身体に良い食べ物を、日本人が控えるようになったのか?

 これは、謎が多い課題に出会いました。今週、その中の一つ、お塩に詳しい方とで会い、いろんな歴史や特徴を教えていただきました。今、朝ドラの舞台になっている能登。よい塩は、能登の塩田でもつくられていると思ってしまいますが、実は観光塩田しか残っていないそうです。1971年、日本の塩田は全て法律によって廃止することが決められたそうです。それ以降は工業製品化されたお塩しか食することが出来なくなっていたのです。
 一方、塩分の取り過ぎが「高血圧」などの成人病の原因となるということで、減塩政策が進められました。ところが、最初に厚生省が国民の塩の摂取に関する統計を取ったのは1979年だというのです。つまり、自然塩の影響は分からないまま、工業化された塩を摂取した日本人の健康調査を基に「塩が健康によくない」という信仰がつくられていたのです。

 今となっては、自然塩が日本人に与える影響を検討することは出来ませんが、日本人の身体を再生するためにも「良いお米」「良い塩」「良い水」を手に入れる環境を整えることが重要になると考えています。
 それらを手に入れることで、健康な仲間達と神様の前で「日本酒」をいただくこと、日本人として幸せな時間の過ごし方だと考えることが出来ます。

クボタ直播き機の清掃について

クボタ直播き機の、播種部清掃について記録しておきます。ブラシや溝に種が残ると、翌年に行う播種のときに、種の量がばらつくなど不具合を生じます。

0011. 右側の白い歯車を止めている黒いネジを緩め、歯車ごと外します。







004 これが外れます。








0022. 黄色いキャップの付いたピンを外すと、手前のブラシが外れます。







007 外れた部品です。

 きれいに洗浄し乾かします。

 組み立ての際は必要に応じ注油します。




005 外した後は、このようになります。奥のブラシを含め、きれいに洗い流します。

稲の直播きが終わりました

001 直播きを本格採用して3度目のシーズンを迎えます。初年度は「ウンカの大発生」によって壊滅的な被害を受けました。これは直播きが影響したわけではありません。
 2年目の去年は、佐賀県全体で8月の日照不足が問題になりました。この時は奇跡的に晴れた日に防除を行うことができ、イモチ病などの被害を最小限に食い止めることが出来ました。しかし、こちらも直播きが影響したわけではありません。

003 直播きを採用したことで、稲の本質を学ぶきっかけになりました。ウンカの大発生の影響、これは適期に防除できなかったことが要因にあげられます。しかし、いろんな意見に耳を傾けるうちに、被害が拡大する直前に行った「硫安」という肥料を散布したことが問題であることを学びました。
 化学肥料が植物に与える影響、それまでほとんど考えてこなかったことです。農薬を減らせば、より良い作物を作ることが出来ると考え取り組んでいました。肥料の問題は根っこが深くビックリしました。

012 先の佐賀県知事選挙は、その問題を「直感的に気づき」選挙公約の一つに掲げて活動しました。しかし、そのストーリーは他の方の経験をもとにした理論です。説得力がありませんでした。
 これから4年間の取組は、直感的な気づきを「実践で検証すること」にあります。

 本来は除草剤を含めて農薬は使いたくないのですが、肥料の特性を学ぶために、今年は今まで通り、サンバードという除草剤は使用しました。これによって、微生物の活動が死滅するなら、来年は使わない方法を取ります。直播きによる稲の特性を発揮するメリットを考えての取組です。

 5ヶ月後の成果に注目して下さい。

クボタ直播き機の調整について

播種量の調整

001 6条全ての量を減らす時には、播種装置右端にある「黒いキャップ」のかぶったハンドルを左(反時計方向)に回します。(量を増やす時は右に回す)
 1条ごとに調整する場合、ホッパー下にある右側の「白い歯車」を全量調整と反対に回す(右回しが減る)




播種数の数え方

0131. 走行副変速を「 N (中立)」にする。








0102. 播種部の高さを適当に下げるため、ハンドル右側のレバーを軽く「下降」側に押し下げる。






0083. 座席下正面にある油圧レバーを「閉」にする。


4. ハンドル右側のレバーを「下降」側に2回押す。播種状態になる。



0095. 走行レバーを「前進」に進める。
  PTOが作動するので10回分の種を箱に取る

  (種の量が40〜50粒で調整する)






株間の調整

011 植え付けの密度を変える株間調整は、右側足下にある。
 エンジンをかけた状態で、副変速を走行副変速を「 N (中立)」にし、レバーを動かすだけでOK。通常は50株で播く。





このページは、毎年行う直播きの作業前に行う調整の手順を忘れないように記録しているものです。

大前研一さんから

経営コンサルタントとして有名な大前研一さんが
こんな事を言っていたそうです。

「人間が変わる方法は3つしかない。
1番目は時間配分を変える。
2番目は住む場所を変える。
3番目はつきあう人を変える。
この3つの要素でしか人間は変わらない。
最も無意味なのは、
『決意を新たにする』ことだ。」

納得です。大前さんは同じ三碧木星ですから。

私たちの先生は「他人の成功事例は星が同じでなければ役に立たないよ」とおっしゃいます。同じ星の大前さんが都知事選挙に出た時のことが書かれた本を読み学ぶこともありました。

ただ私の場合の1番目は、時間配分を換えることではなく、思考を換えることでした。日本社会の教育の間違いに気づき、思考を換えたことで知事選挙に出馬する挑戦が出来ました。

人生は変わりました。さらにステップアップを目指すために住む場所を変える、つきあう人を変える、思考が変わるとけっして難しいことではなくなります。

ベトナム経済の壊し方

240 4月に訪れたベトナムホーチミン。その活気のすごさにはビックリしました。このまま順調にいけば、10年後には日本を超えると感じました。
 しかし、日本経済の高度成長がオイルショックをきっかけに急減速したことを考えると、一本調子で成長すると断定できないでしょう。私は直感でベトナム経済が壊れる3つの仕組みに気づきました。

1.保険事業が広がること
2.住宅ローンが浸透すること
3.物事に自己責任で取り組むことを避け、行政の規制が強化されること

 海外からの投資が拡大するベトナム社会が、グローバル経済の先例から逃れることが出来るか高い関心を持ちたいと思います。

 逆に、日本経済を10年後に追い抜くには。

 シンガポールの初代首相・リー・クアンユーのようなリーダーが登場し、街を汚すゴミの問題に人々の関心を集め、都市からポイ捨ての文化を一掃すること。これが実現すれば2030年、ホーチミン市は確実に、日本を超える都市に発展しているでしょう。
飯盛良隆
佐賀県小城市三日月町出身。
佐世保工業高等専門学校卒業後、ブリヂストン鳥栖工場設備課勤務。橋本龍太郎通産大臣の時代に第3種電気主任技術者の免状を取得。

建材店:サンコー商事にて14年間建材の販売に携わり新築・リフォームの現場に数多く潜入。戸建て住宅でもインテリアの重要性を感じ平成20年町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー福岡校に入学しインテリアの基礎を学ぶ。

平成22年、スメトコプロモーションを設立し住宅CMサービス佐賀の運営を始める。
平成25年2月、ダブルスネットワーク(株)社との契約を解消、住宅CMサービス佐賀の運営を終了する。

平成24年3月、帝王学(氣の學問、道の教え)を学び始める。同年6月
唐津から釜山へ新幹線で!

実現するためには長崎県と佐賀県をひとつに。そしてアジアや世界中の人たちが、自然と人の美しさを求めて足を運ぶ地域にする。

そんな夢を描き知事を目指して政治活動をはじめることに。 活動に専念するために平成26年6月末にて住宅に関する事業は終了。平成26年8月末にて(株)スメトコプロモーションを退社。
平成27年1月11日実施の佐賀県知事選挙に立候補。惨敗。
平成27年12月21日
東京エムケイ(株) 入社。
Tokyo2020オリンピック、パラリンピックの関係者輸送も経験


現在
眞理學指導員 (日産鮎川義塾)
稲作農業
佐賀タクシー勤務
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