飯盛良隆のi佐賀iよ〜したか

住まいづくりのコンシェルジュから転身 佐賀県知事に挑戦した飯盛良隆のブログです。

準完全無減農薬・無化学肥料のお米「Shin-和」
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震和会とは。(為雷)人生の試練や困難を切り拓き、奮いたつ勇気をもって、
(日本)の国を再興する、という意味です。

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2015年08月

出穂確認

009 こだわりの米作りをはじめた水田で、出穂を確認できました。佐賀県が推奨する「特栽」ではなく、独自の方法で農薬を控え、肥料にこだわった米作りを行っていますので、穂が出るまでは不安もありました。




010 しかし、農薬が悪いのではなく、肥料が悪いから農薬が必要になる。肥料を見直せば農薬を使う必要がなくなる、という信念の元、これまで3年間行ってきた直播き栽培の実戦経験を踏まえ、種を播く時に併用する除草剤「サンバード」以外を使わずに、ここまでたどり着くことが出来ました。

 今後の日照不足や台風など、不安要素は沢山ありますが、イネの持つ力を引き出すことに専念した米作り、この経験をシェアできるように努めます。


007 8月14日のイネの様子








011 7月31日のイネの様子








022 7月17日のイネの様子








024 7月3日のイネの様子








035 6月19日のイネの様子





青帯卒業

001 武道を始めて3年。 この度、青帯を卒業することが出来ました。
 40歳を過ぎてから始める武道、簡単ではありません。
 生まれてから、それだけの期間を間違った教育を受けて育っていますから、思考を変えること、ソフトを変えることに時間がかかります。40年かけて壊した身体を元に戻すには、40年?かかります。

 今の子どもたちには、早い時期から武道に親しんで欲しいと感じます。

 これか来年に一つずつ、昇級していくと黒帯になるのは・・・。そんなに順調にいかないかもしれません。しかし、暑さに負けずに頑張って精進します。

70年目の8月15日

 昨日、戦後70年の安部首相談話が発表され、それぞれ賛否の意見が出されています。私は基本的に良い談話ではないかと受け止めています。特に後半部分での
「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」
という表現は、非常に良かったと感じています。
 サイトに投稿されている、いろんな人の声を見ていると、若い人の中に
「戦勝国になるまで謝罪を続けなければいけないのか」
という内容を記すものがありました。これでは、日本が目指すべき方向に逆行してしまいます。そうならないためにも、区切りが必要だと考えています。

 さて、今日の佐賀新聞には70年前の新聞記事の報道が掲載されていました。また、一月以上にわたり70年前を振り返る話題も多く掲載されていました。それらを読む中で、報道が今に伝えたい事実と伝えたくない事実・人物があるのではないかと感じています。
 70年前の記事で8月9日の会議出席者を実名で記載しているのは、平沼枢密院議長、梅津参謀総長、豊田軍令部総長、東郷外相です。陸軍大臣、海軍大臣の名前が登場しません。今年の佐賀新聞を読んでいても、鈴木貫太郎首相を非難するかの記事は繰り返し目にしましたが、米内海軍大臣には全く触れていません。
 70年前の指導体制が、悪かったと主張するために必要なことだけが伝えられ、それに反対する多くの政治家、軍人がいたことが抹消されていること、このことが非常に危惧されます。

 松田十刻氏の著書「海軍一軍人の生涯・最後の海軍大臣 米内光政」のなかで、この8月9日夜の御前会議の様子はより詳しく記述されています。そして、天皇陛下のご決断に至る理由をこう述べられています。
「念のため、理由を申しておく。大東亜戦争がはじまってから、陸海軍のしてきたことをみると、どうも予定と結果が大変ちがう場合が多い。本土決戦というけれど、一番大事な九十九里浜の防備もできておらず、また、決戦師団の武装すら不十分にて、これが充実は九月中旬以降となるという。飛行機の増産も思うようには行っておらない。いつも計画に実行が伴わない。これでどうして戦争に勝つことができるか。
 もちろん、忠勇なる軍隊の武装解除や戦争責任者の処罰など、それらの者は、忠誠を尽くした人々で、それを思うと実に忍び難きものがある。しかし、今日は忍び難きを忍ばねばならぬ時と思う。明治天皇の三国干渉の際の御心持ちを偲び奉り、自分は涙をのんで、ポツダム宣言受託に賛成する。」

 新聞をはじめとするメディアが取り上げない様々な史実。まだまだ埋もれているはずです。これからの日本に必要なのは10代の歴史教育に、明治維新の1860年代から終戦後の1950年代まで100年の歴史を、児童、生徒たちに、自由に研究し議論させる場をつくることではないかと考えています。一人の軍人、一人の政治家、一人の実業家に焦点を当てて調べさせ、それをクラスで発表・議論することで、日本人が反省すべき過去の歴史の真実に、少しずつ近づくことが出来るでしょう。

106 第37代内閣総理大臣で、最後の海軍大臣である米内光政氏。その人物像から日本の近代史を振り返ることは、私のライフワークの一つとなるようです。
 決して管理された情報によって、人々が同じ過ちを繰り返さないためにも。

お塩ちゃんがやってきました

001 北海道から「お塩ちゃん」こと笹谷達朗さんがお見えになりました。6月に初めてお目にかかり、首長選挙を経験したもの同士、そして今は、食の再生で日本人を復活させることを夢抱きながら議論が続きます。
 ペリーが来航した時に「支配層のみならず町の人々までもが高い知識と規範を持つこの国は、将来、私たちの国を脅かす存在になるだろう」そう報告され、第一次世界大戦の戦勝国に加わったことで、次のターゲットにされたこと。そして、次の大戦で勝利し、思い通りにこの国の精神を壊すことに成功したことを語っていただきました。

 日本人がふぬけになったのは、神前に供える全てのものを奪い、変えることに成功したからです。形式的な神社信仰だけが残り、その精神は忘れられてしまいました。麻の文化を捨て、薬とタバコと化繊に依存し、お米中心の食生活から麦を主食に変えてしまった食糧政策。

 御神酒として供えていた日本酒文化が衰退し、ビールを中心とした洋酒への趣向変化がありますが、興味深かったのは、フランスワインのボジョレーヌーボの誕生と日本市場開拓の話しがあります。現代日本人の浅はかな考えが、こんな所にもあるとは驚きでした。

 さて、日本人をふぬけにする政策の一つに、海水から作る天然のお塩をなくしてしまうことがありました。今、NHKの朝ドラで能登の塩田がテーマになっていますが、1971年に日本では全ての塩田が廃止されています。天然のミネラルが入った塩がなくなったのです。

 本物の塩を摂ることが出来れば、内蔵機能が活発になり、薬を必要とする病気を減らすことも出来るそうです。熱中症対策にも「天然の塩」が必要なのです。塩を摂ることで必要な水を穫ることが出来るのです。単に水を飲むだけでは解決できない障がいを解決する力、天然の塩にはそれが含まれており、日本人が信仰として掲げてきた神殿のお供え物には、日本人の力を引き出す全てが供えられているのです。

白米食のすすめ

先の選挙で私は「ふるさと佐賀県産のお米を学校給食に無償提供する。」ことを公約に掲げました。

本当は「玄米食を無償提供する」としかたったのです。健康に良いとされるお米の栄養価が高い部分の約8割は、精米する過程で失われるとされているからです。
しかし、食に隠された真実を学んだ時、玄米食の危険を学び、白米にしたのです。

身近な食材の一つ卵。ご家庭にある卵をゆで卵にしてみてください。

007 あなたが普段食べている卵は、このように鮮やかに黄身と白身が分かれますか?





031 それともこちらの卵のように、ちょっとくすんだりしていますか?





033 こちらの卵は黄身と白身の間に、少し黒ずんだ層があります。
 実はこれ、農薬や抗生物質が入った飼料をえさとして食べている鶏の卵に残留した物質がこの黒い層を形成するというのです。
 初めて耳にした時は驚きました。


 しかし、このことが他の食べ物の生育にも、同じように作用していることを直感的に知ることは難しいことではありません。お米も同じように玄米のまま食べる時に口にする、籾殻に近い部分に残留農薬や抗生物質が蓄積しているのです。

 健康に良いと考えて食する玄米食には、大きなリスクが潜んでいたのです。

 もし、完全無農薬で抗生物質を使用しないえさを食べている家畜の排泄物から作られる堆肥で育てられたお米を手に入れることが出来るなら、健康のために玄米を食べることをお薦めします。
 しかし今の日本で、こだわって育てられたお米を手に入れることは容易ではありません。とても、学校給食に提供することなど出来ないのです。

 日本では安全と水、空気はタダと言われた時代は過去のことと言われるように、健康になるお米を手に入れることも難しくなっています。
 今、日本の農業に必要なことは、失われた「日本人の健康と健全な精神」を保つ米作りだと感じています。
飯盛良隆
佐賀県小城市三日月町出身。
佐世保工業高等専門学校卒業後、ブリヂストン鳥栖工場設備課勤務。橋本龍太郎通産大臣の時代に第3種電気主任技術者の免状を取得。

建材店:サンコー商事にて14年間建材の販売に携わり新築・リフォームの現場に数多く潜入。戸建て住宅でもインテリアの重要性を感じ平成20年町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー福岡校に入学しインテリアの基礎を学ぶ。

平成22年、スメトコプロモーションを設立し住宅CMサービス佐賀の運営を始める。
平成25年2月、ダブルスネットワーク(株)社との契約を解消、住宅CMサービス佐賀の運営を終了する。

平成24年3月、帝王学(氣の學問、道の教え)を学び始める。同年6月
唐津から釜山へ新幹線で!

実現するためには長崎県と佐賀県をひとつに。そしてアジアや世界中の人たちが、自然と人の美しさを求めて足を運ぶ地域にする。

そんな夢を描き知事を目指して政治活動をはじめることに。 活動に専念するために平成26年6月末にて住宅に関する事業は終了。平成26年8月末にて(株)スメトコプロモーションを退社。
平成27年1月11日実施の佐賀県知事選挙に立候補。惨敗。
平成27年12月21日
東京エムケイ(株) 入社。
Tokyo2020オリンピック、パラリンピックの関係者輸送も経験


現在
眞理學指導員 (日産鮎川義塾)
稲作農業
佐賀タクシー勤務
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