飯盛良隆のi佐賀iよ〜したか

住まいづくりのコンシェルジュから転身 佐賀県知事に挑戦した飯盛良隆のブログです。

準完全無農薬・無化学肥料のお米「Shin-和」
平成28年産は完売しました。平成29年産の受付は8月を予定しています。

ラジオ体操会を開催します。
6月7日(水)〜10月4日(水)の月曜・水曜日(8月14日はお休みです)
時間は 6:25〜6:45  会場は、主に小城市三日月町樋口地区
 「6月 7日は現在未定」です。

元氣と景氣と大気を探求する震和塾を開催します。
6月12日(月)〜10月2日(月)の月曜日
ただし、7月17日、7月31日、8月14日はお休みです。
時間は
 13:20〜14:50(人を読み、時代を読み、天意を読む)
 15:20〜16:50(人類の至宝インド哲學、眞理學入門)
 19:20〜20:50(ボーダレスな社会・定員5名)
会場は小城市三日月町樋口803 震和会事務所
参加費は1回 1,000円相当 (但し後援会会員は2回まで無料)
震和塾参加申込みはこちらから
お名前と当日連絡の取れる連絡先をご記入の上、送信してください。

震和会とは。(為雷)人生の試練や困難を切り拓き、奮いたつ勇気をもって、
(日本)の国を再興する、という意味です。

2016年08月

信ずべし尊ぶべき山「信貴山」

056 信貴山を初めて訪れた二年前。有名な絵巻物があることしか知らずに訪れたこの時は、滞在時間わずか2時間。
 ご祈祷と宿坊を兼ねた千手院さんでお食事と法話をいただいて慌ただしく高野山へ向かったことを覚えています。



039 そんな信貴山を改めて訪れることができるとは思ってもいませんでした。しかも、先生や帝王学を学ぶ皆さんと一緒に。
 信貴山というと戦国武将・松永久秀をイメージされる方が多いようですが、日本の国造りの始まり、聖徳太子にゆかりの深い山なのです。


 今から1400年前、聖徳太子は物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遙かに毘沙門天が出現され必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも、寅の年、寅の日、そして寅の刻でありました。
 太子はそのご加護で勝利し、自ら天王のご本尊を刻み伽藍を建立し、信ずべし尊き山「信貴山」と名付けられたそうです。
 崇仏論争で、「そもそも日本には、古来より八百万の神がおり、外国の神様なんかを容認しようものなら大変なことになる」と仏教に反対した物部氏を、良いものは取り入れたいとする蘇我氏、そして聖徳太子。
 この戦いに勝利したことで、仏教が日本へと徐々にと広められていくことになるのです。この後国の制度をつくる過程で制定される冠位十二階は儒教の教えを基につくられたとされています。

109 千手院に宿泊、夕食の後に境内を散策。







110 目的は本堂・朝護孫子寺から見える町の夜景です。







005 こちらは朝の御来光。








112 夜の境内と








011 昼間の境内








013 朝ご飯を頂いて、山に登ります。








017 本堂の脇から空鉢堂まで、ポットに水を抱えて上ります。ポリバケツに水を治めることで功徳を積んだことになるそうです。
 空鉢堂まで、まつわる絵巻「飛倉巻」をはじめ国宝の絵巻3本(ただし模造品)は必見です。



 日本の成り立ちから考えて神社巡りをなさる方は沢山いらっしゃいます。しかし、天皇家が約1300年にわたり、日本の神様と並べて祈った仏教の祈り、忘れているような気がします。

毘沙門様のご加護について、次のような説明がなされていました。

御利益を得るためには、それなりの努力と信仰が大切です。
何にもまして、運(強運)を頂かなければなりません。その強運を頂く最大の鍵が信仰心なのだと。福を頂くためには次の十ヶ条を守ることが必要で、この実践により生活が変化することで、自らが良い方向へ導かれることになるということです。

1.感謝の生活をする人
2.収入以下で生活する人
3.夫婦仲の良い人
4.金や物を大切にする人
5.健康に心がける人
6.独立自尊心の強い人
7.仕事を趣味とする人
8.一事をつらぬく人
9.常に節約をする人
10.儲けをあてにせぬ人

簡単そうで、意外に難しい生き方。そう、今の私たちには日本人としての生き方が問われているのです。

日本佛法最初のお寺・四天王寺へ

043 氣の學問を学ぶ皆さんと1泊2日の修学旅行。今回のテーマは聖徳太子の国造り。
 初日に訪れたのは、先生が30年前につくられた緞帳がある四天王寺。当然、緞帳を観ることが出来ると思っていたのですが、納められているのはこちら。


042 なんと、四天王寺高校。大阪一の才女が通う女子校ではありませんか。
 しかも、オリンピック卓球で活躍された、石川佳純選手の母校だったとは。
 ここで問題です。四天王寺学園は成人男性の入校を許可して頂けないのです。みんなで女装してはという冗談もでていましたが先生曰く、
「厳しい門番がいるからダメだよ。」
ということで断念せざるを得ませんでした。

077 そんな四天王寺ですが、私たちの知らない歴史が凝縮されています。
 日本という国の成り立ち、それを学ぶためには外すことのできないお寺なのです。同じ聖徳太子がつくられた法隆寺よりも歴史が古く、推古天皇元年(西暦593年)に建立されました。
 物部守屋と蘇我馬子の合戦の祈り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、「この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世全ての人々を救済する」と誓願され、戦勝後にその誓願を果たすため建立されたものです。

082 四天王寺のすぐそばには、世界一歴史の長い企業「金剛組」があります。
 近年、不幸な事件がありましたが創業から約1400年続く世界企業です。
 こちらの訪問も叶いませんでしたが、今回スタートしたこのツアーは毎年実施されることが決まりました。

 四天王寺の緞帳と共に、いずれ足を踏み入れ、責任者の方とお話しできる機会が生まれることと期待しています。



なるには學問堂を観てきました

003 今、関西で注目の児童教育施設なるには學問堂。ご縁があって今回、会社と施設を見学させて頂くことができました。
 夏休みの午前、10名ほどの子どもたちが楽しそうに学んでいました。
 學長の上村さんが子どもたちに
「学長先生のお友達のいさがいさんです。」
と紹介してくださると、元気な声で
「こんにちは、***です。」
と挨拶してくれます。
009 子供の才能を引き出すための施設は、お部屋によって様々なテーマを設けてあります。
 このお部屋は、新聞を読まない子どもたちに、新聞に親しんでもらおうと造られたお部屋。



015 子どもたちが気になる記事を読んで








014クイズをつくります。
「学校の好きな時間は?」
といった記事や鉄道に関する記事が多く目にとまりましたが、論語を取り上げて出題をする子どもたちもいて、関心事の広さに驚かされます。
 新聞記者さんも注目ですし、取材に来られた後は、
「新聞記者になりたい」
という子どもたちが続出したというお話しもありました。

 こうした魅力ある施設は、保育園のように厚生労働省の補助金を受けずに、学校のように文部科学省の助成金も受け取らない、子供とお父さん、お母さんというお客様のために、という視線でつくられているところから生まれていると感じます。
 所得環境の違いから、佐賀では難しいと思いますが、未来の日本のためにも上村さんの施設が全国に広がれば良いな、と感じています。

経営の3要素 プラス

経営の3要素は「人」「もの」「金」といわれてきました。

1980年代くらいから、これに「情報」が加わりました。

これが全てなら、日本の将来を悲観するメディアが伝えるとおりです。

しかし、決算書で計ることのできない日本魅力が「勤勉」であることです。

西洋の数値では評価できません。

日本人が磨き続けなければならない経済要素。それが勤勉な姿勢です。
資源のない国日本が、国際社会で引けをとらないために失ってはならない、大切な要素です。

お金は腐るもの(食べ物と同じです)

045 通貨は約4300年前のエーゲ海文明の時に、宗教家ヘルメスが開発しました。当時の人々が食べ物(衣食住の産物)を手に入れるためには、物々交換か他の村を襲うことしかありませんでした。交換する産物が秋まで収穫できなければ、飢えて死を待つか、春に収穫のある村を襲うしかなかったのです。
 そこでヘルメスは、「通貨」と「貿易」の仕組みをつくり、戦わずにお互いに繁栄するシステムを完成させたのです。商業活動には信用が第一です。人々に「信じる力」を教えたのです。

 商業の徳義で、最も重要なるはである。(渋沢栄一)

 宗教での「信者」を商業では「儲」かるとしての言葉で使います。お金は不安から逃れるために蓄えるのではなく、信じることを学ぶために生まれたことを知る必要があるのです。大切なのは稼ぎ方や貯め方ではなく、その使い方なのです。
 争いをなくすためにつくられた通貨を、蓄えることを目的にしては食べ物と同じように腐らせてしまいます。戦後の日本で失われた教育の一つに「お金の使い方」があると感じています。

2007年 リーマンショックで世界の金融に激動が走りました。失われた資産は約7京円。
2011年 東日本大震災発生。その後20兆円の予算を組んで、被災地復興を決める。
2015年度 日銀がマイナス金利政策を実施。

この10年間、お金を蓄えてはいけないというメッセージが常に発せられています。
しかし、メディア情報を真面目に見聞きすると不安を覚えてしまうのです。

理解できない若者には、より強いメッセージが必要なのでしょうか?
・普通預金の金利をマイナスに。
・定期貯金、満期前の解約手数料引き上げ。

国や地方の借金を真面目に働いて返せる時代は終わりました。
返済には、違う方法を選ばなければならないのです。

南への旅はリーダーシップを學ぶ

054 観光とは「光」を見ることです。昔の日本人は方位学を学び、心が病むことの無いように努めていました。これを処方箋といいます。
 現在は医療の世界で便利上、「処方箋」という言葉を用いられていますが、正しい漢字の使い方ではありません。旅行に行くときに疲れた身体、心を癒やしたいのであれば西を選びます。西方浄土といいます。私が今年旅行したのは台湾、南の方角です。南は指南といいます。リーダースシップを學ぶ場所です。
050 このツアーの目的は台湾の元総統・李登輝氏の講演会にありました。昨年11月に行われた第一回のツアー参加者からとても良かったとの情報をいただいて参加を決めました。
 ところが、ツアー出発の一週間ほど前に「体調不良で李登輝氏の登壇ができない」という情報が入ってきました。とても残念です。しかし、昨年11月のツアー終了直後に、李登輝氏が病気になられたという情報が流れましたので、年齢を考えればやむをえないことです。真のリーダーが発する空気を感じることはできませんでした。
 総統の講演は叶わなかったものの、親日といわれる台湾の様子、戦前に先人たちが築いた歴史を目の当たりにすることができました。
113 台湾には正しい漢字が残っています。戦後の日本では、常用漢字というものに簡素化され、本来「象形文字」である漢字の意味が分からなくなってしまいました。
戦時中の小学校は日本でも「国民学校」と呼ばれていました。正しくは「國民學校」です。戦後、大陸から入ってきた蒋介石は、國民學校という看板を、國民党と同じ文字ということで壊すことがありませんでした。
114 大切な日本の文化がここに残されたのです。国という文字と共に学という象形文字「學」が。
 爻(こう)という大切な文字がここに生きています。教育の「教」、これも土ではありません。海判颪ます。
 台湾の人、文化から古き良き日本を学ぶことができる。それを体感する観光旅行になりました。

八田與一が導いた烏山頭ダム

167 佐賀県で治水の神様といえば成富兵庫茂安候ですが、1945年まで日本が統治していた台湾では、八田與一氏がそう呼ばれています。日本にいると全く知ることのない台湾の歴史。なぜ日本で震災が発生すると真っ先に義援金を送り支援を続けてくれるのか。


191 1930年に完成した烏山頭ダムは、その後の台湾経済の安定、台湾南部の農業振興に大きな役割を果たしたのです。
 堰堤は標高66.66m、長さ1273m、高さ56m、堰堤上の幅は9m、底の幅は303mにも及ぶそうです。専門的には「セミハイドロリックフィル工法」と呼ばれ、アジアにはここだけの施設ということです。
 湖面の水が堤防を適量しみ出すことで、その堤防が強い強度を保つ設計になっているとのことです。

127 長い堤防の中には、水力発電を行うための水管が設置されています。曲線を描くことで水圧をうまく逃がす仕組みになっているそうです。





147 水力発電施設が新しくなったげんざい、こちらの水管は、現在は使用されていませんが、映画KANOのラストシーンはこの放水路から水を放水して撮影されたそうです。




079 このダムから配水する15万haの灌漑地には総延長16,000km の給排水路を同時に建設し、多くの土地を潤すために、稲作は3年に一度の輪番制とし、その間の2年はサトウキビなど畑作を推奨することで、より多くの人々に恩恵を与え、嘉南平野と人々を潤すことに成功している。
 戦前日本の陰の部分がクローズアップされるばかりで、現地で80年以上経つ今でも人々の役に立つ功績が伝えられない現実。
 もっと史実に目を向けることが必要であると感じます。

 そして、稲作は日本文化の象徴で、その果実であるお米を食べることが日本人の精神そのものであることに、光を当てなければならないと感じています。

李登輝元総統に会えなかった台湾

056 昨年11月、法友の鳥内浩一さんが主催するグループで、李登輝総統の講演を聴きに行くツアーが開催されていました。私は参加していませんでしたが、その後、日本塾をはじめとする会合の場所で、参加した皆さんから「とてもよかった」という声を沢山耳にしました。
 今年になって、第二段が開催されるということで日程を調整し、参加することにしました。ところが、総統は高齢です。日本から若者が来るというと、より張り切ろうとして体調を崩されることがあるようです。
 058 
 残念ながら、講演の登壇は叶わず、代役の金美齢さんと交流協会の沼田幹夫様にお話を伺うことができました。
 親日国(国ではないが)台湾の歴史を少しだけ理解できるようになりました。

 この時期、台湾は新しい総統の誕生に期待が高まっていました。

蓬莱米ってどんなコメ

119 台湾には蓬莱米、という日本人が開発したお米があるそうです。
 台湾で育てられていたお米は長粒種のインディカ米で、日本人の味覚に合わないため、磯永吉先生と末永仁先生によって研究をはじめられた短粒種をベースに、食味を日本米と同程度に育成された品種を総じて蓬莱米と呼ぶそうです。
 日本でいう「コシヒカリ」とか「ヒノヒカリ」という一つひとつの種類の呼び名の一つに「蓬莱米」があるのではなく、研究されてできたお米を総じて「蓬莱米」と呼ぶそうです。

054 南回帰線付近に位置する台湾で日本のお米を育てることは、容易ではありません。温度の違いを克服するために台北・陽明山の麓にある竹子湖に試験場を設け、品種改良に取り組まれています。生育に成功すると少しずつ、標高の低い地域に作付けを広げることで、新しい品種の実用に結びつけたそうです。

072 資料館を見学したあとは当時、品種改良を行っていた試験田へ。







095 今は、稲の品種改良ではなく地元の皆さんが様々な野菜作りに励まれています。

 戦前、日本本土だけでまかなうことができなかったコメを、海外の土地から輸入する、そんな時代があったことを私たちは知っておく必要があると感じます。

東京を手軽な場所にする春秋航空

005 今年の7月、善光寺・戸隠・黒姫フィールドキャンパス、下田自然学習会と2回東京へ出掛けることができました。
 こんなに頻繁に自分のお金で東京に行くことは・・・。
 費用の負担が大変なことになります。春秋航空がなければ。
 新幹線なら往復5万円です。ANAなら3万円。しかし、春秋航空なら最安値で
約 3,000円です。東京都内までの電車代を含めて約 5,000円。

 とても有り難い時代なのです。そんな時代だから東京の皆さんにも、気軽に佐賀へ足を運んで欲しいと思います。成田空港第3ターミナルから出発する春秋航空の利用は、成田空港第二ターミナル駅に飛行機の出発時刻より1時間早く着く必要があります。
006月〜木曜は一日一便(11時台出発)ですので早起きが必要になります。
しかし、週末の帰り(金・土・日)は佐賀発14時半と19時半の飛行機があります。
 夏休みのおもいでづくり、魅力ある食を楽しみに、そして農作業の手伝いに佐賀へ足を運んでみませんか。

伊豆下田の爪木崎で海岸清掃

044 関東地方が梅雨明けしたばかりの7月29日、30日の両日、伊豆半島の南端、下田市の爪木崎へ出掛けてきました。
 お天気に恵まれた両日、自然からのメッセージを理解するための學を身につけるために、成田から東京へ出て、さらに東京から5時間かけて現地に到着しました。

 ここは、アリスの門と呼ばれるそうです。

046 門をくぐると目の前に美しい青い海が広がります。ゴミ一つ無い美しい芝生。

 この場所は皇室の御用邸がすぐそばにあるために、行政が総力を挙げて清掃活動を行っているから、この美しい環境が維持されているということを知りました。


051 広場での授業を終えると海に向かって歩いて行きます。
 眼下に広がる美しい海。しかし、その景色が少しずつ違った姿を見せてきます。海岸にテントを張ってくつろぐおじさん。美しい景色に癒やされているようです。

 しかし、その先には・・・。

054 大きな冷蔵庫!!

 遊歩道はありますが、自動車で行くための道路はありません。
 キャンプに来る家族が捨てに来るわけはありません。
 この冷蔵庫が、どうしてここにあるのか?

 これが、日本の海の実情なのです。決して、そこに捨てようと思って捨てられたゴミがそこにあるわけではありません。意図しない場所からそこにたどり着いたのです。
 たとえば、津波で流された家の中から流れ出た冷蔵庫の一つが、この冷蔵庫なのかもしれません。
076 時々ニュースで
「川原でキャンプ中のグループが、増水した水で中州に取り残されている様子」
を報道されます。
 取り残された家族は、場所代も払ってキャンプをしている。
何も悪いことをしていないのに。
そう思うでしょう。

 しかし、地球から見た姿は違って写るのかもしれませんね。
「ここにテントを張るお前、そこにテントを張る前に、この冷蔵庫を片付けろよ。」
と。もし、あなたの部屋に身も知らずの誰かが、毎日ゴミを捨てていったら、あなたは警察や市役所に届けることなく、何日間我慢できるのでしょうか?
「あなたが我慢できる時間」
それが、自然の待てる時間なのです。

083 ゴミを拾うだけながら芦刈海岸や県内の海岸でも行うことができます。しかし、自然からのメッセージを解釈できるのは法友との学びです。
 学びの深い2日間でした。
飯盛良隆


佐賀県小城市三日月町出身。
佐世保工業高等専門学校卒業後、ブリヂストン鳥栖工場設備課勤務。橋本龍太郎通産大臣の時代に第3種電気主任技術者の免状を取得。

建材店:サンコー商事にて14年間建材の販売に携わり新築・リフォームの現場に数多く潜入。戸建て住宅でもインテリアの重要性を感じ平成20年町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー福岡校に入学しインテリアの基礎を学ぶ。

平成22年、スメトコプロモーションを設立し住宅CMサービス佐賀の運営を始める。
平成25年2月、ダブルスネットワーク(株)社との契約を解消、住宅CMサービス佐賀の運営を終了する。
平成24年6月 突然
唐津から釜山へ新幹線で!
実現するためには長崎県と佐賀県をひとつに。そしてアジアや世界中の人たちが、自然と人の美しさを求めて足を運ぶ地域にする。
そんな夢を描き知事を目指して政治活動をはじめることに。 活動に専念するために平成26年6月末にて住宅に関する事業は終了。平成26年8月末にて(株)スメトコプロモーションを退社。
平成27年1月11日実施の佐賀県知事選挙に立候補。惨敗。

現在
眞理學指導員 (日産鮎川義塾)
福岡インテリアコーディネーター協会監事
夏・佐賀で稲作
冬・東京で会社員
お問い合わせ

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