飯盛良隆のi佐賀iよ〜したか

住まいづくりのコンシェルジュから転身 佐賀県知事に挑戦した飯盛良隆のブログです。

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震和会とは。
 (為雷)人生の試練や困難を切り拓き、奮いたつ勇気をもって、
(日本)の国を再興する、という意味です。

2018年08月

福岡竹田研究会に参加して

 昨日8月29日は福岡護国神社にて、福岡竹田研究会が開催されましたので、蒸し暑い会場でありましたが最後まで楽しく勉強してきました。
 古事記を読む会は「中つ巻」を最後まで(応神天皇)読み終わりました。
 その後は、時事ネタです。平成の時代が残すところ8ヶ月と言うことで、天皇陛下のお仕事にスポットを当ててお話しいただきました。

 天皇陛下の執務室を表御座所といいます。毎日陛下は、ここで書類に目をお通しになりますが、東日本大震災以降、自らもエネルギーの節約に努めたいと、現在はお住まいの吹上御所でその執務を行われているそうです。確認される書類は、内閣から年間1200件、宮内庁から年間1500件が届き、そのすべて目を通されているそうです。また、公布される書類は官報に載るので、すべてその日のうちに決裁されるそうです。閣議が原則的にお昼前に開かれるのは、このためで、それを無視して行う内閣が出て来た時には、夜遅くまで陛下はずっと執務室で閣議が終わるのをお待ちになったそうです。
 その他、主な行事として以下のような内容がずらりと
・ 親任式(内閣総理大臣、最高裁判所長官)
・ 認証式(年間40件ほど)
・ 親任式(在日大使 年間30回ほど)
  (新任大使はお迎えの乗り物を、東京駅前からの馬車か宿舎からのトヨタセンチュリーで、選ぶことができるそうです)
・ 離任のお茶会(年間30組ほど招く・時期が同じなら一緒に)
・ 各国の大使として任命する(年間約30名)
・ 帰国した大使とのお茶会(年間約30組)

・ お見舞いなどの親書 年間数百通

・ 国賓の晩餐会 年間5〜6回 (公賓は、年間4,50回)

・ 三大行幸啓 (全国植樹祭・国民体育大会・全国豊かな海づくり大会)
・ (一般)参賀 年2回(1日7回)
・ 勲章・褒賞 年間それぞれ30回
・ 宮中祭祀 主に19回、全部で400回ほど
この他にも、御田植をはじめとする御所での行事から海外への慰霊の旅まで、私たちでは想像のつかないほどのお仕事を、手抜き無く続けられているそうです。手抜きなくというと表現がよくありませんが、昭和天皇の時代は、稲作を田植えから始められていたのに、今は苗を作るための種まきから行われているそうです。

第二の敗戦

 大きな自然災害に直面した後「第二の敗戦」という言葉が使われる。私が始めて耳にしたのは、1995年の阪神淡路大震災の後である。次に記憶しているのは、2011年の東日本大震災の後。実際には、これ以前にも使われたことがあるらしいが、私の記憶にはない。
 第二の敗戦と言うからには、第一の敗戦はある。1945年8月に終わった対米戦争である。この敗戦には、アメリカ合衆国という相手がある。さらに深く検証していけば、より具体的な名前も出てくるだろう。
 一方、第二の敗戦と言うが、これには相手がいない。あえていうなら、自然が相手である。自然を相手に日本人の技術力で押さえ込もうとして、返り討ちに遭った。そう考えれば、ある意味分かりやすい。
 日本人は、反省が苦手のようである。対米戦争に敗れた原因は何か?みんなで議論しようとしない。第二の敗戦と呼ばれた、阪神淡路大震災、東日本大震災、自然相手に負けた理由を検証しようとしない。反省ができて初めて未来が開け・進歩がある。
 第二の敗戦に反省をせず、原因を考えないまま災害対策を行うから「想定外」という、都合の悪い現実に直面して犠牲者を生じてします。
 相手が人である、対米戦争の原因は、しっかり検証して、同じミスを来る返さないように準備することが必要だ。一方で、自然災害には、謙虚に反省し、自然と調和した生き方・暮らし方を追求することが必要である。

休日の武雄神社へ

033 8月19日、武雄神社へ足を運びました。午前中、毎年恒例の綾部神社へ出かけた際、
いつもの年より参拝者が少ないかな?
と、印象を受けていましたので、武雄神社の賑わいは想像以上だったかも知れません。余り広くない駐車場ですが、次々に自動車が出入りしていました。参拝者の顔ぶれを見ながら、ちょっと、落ち着きのない印象を受けました。神社のイメージ戦略は難しい感じがします。

酷暑に豪雨・6月年度末を考える時

 毎年のように繰り返される梅雨の大雨・洪水。一方で、梅雨明け後には35℃を超える猛暑、ときには40℃を越える酷暑も。「学校の教室にクーラーを」「東京オリンピックの暑さ対策にサマータイムを」。従来の政治家発想では対処できない現実に向き合う必要があります。
 日本独自の伝統を守りたい私としては、本意ではありません。「4月桜の咲く季節に入学式」がなくなることです。しかし、大雨洪水警報で学校が休校となり、体育の授業で熱中症、暑さで勉強に集中できない現状を考えると、学校の年度末を6月に改め、新学期は地域や学校の目的に合わせて8月〜9月に変更することが必要だと感じています。
 現在「4月1日に満6歳の人が小学校に入学する」ことになっている制度は、7月1日付などに改める必要が出てきます。卒業式や修了式は? 会社の入社式は?
 さらには、今年100回目を迎えた夏の甲子園。卒業を迎える3年生はどうなるのか、という声も出てくるでしょう。しかし、生命にはかえられません。入学式が4月から9月に変わっても、それが直接の原因で命を失うことはありません。一方で、現状の4月入学にこだわっていては、暑さで倒れる生徒や通学途中で川に流される子供など、避けることができなくなると考えます。学校の授業も夏休み前の暑い中で集中力を欠いて行うよりも、3月4月の季候が良い時期に集中して行える方が、より効果が上がると思います。
 学校にクーラーを設置しても、地球の温度を下げることはできません。サマータイムを導入しても、日中の温度は変わりません。環境の変化を受け入れ、それに合わせた仕組みをつくることが求められていると感じます。

「敗戦の日」負けたことを反省する

 1945年8月14日、大日本帝国は連合国にポツダム宣言受諾を告げ敗戦国となりました。それから1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発行するまで、あるいは発行から60年が経った2012年4月28日まで、日本は植民地として、様々な報道規制などを受け、正しく歴史を学ぶ機会を失いました。
 明治維新から150年という節目の年に、当時を振り返る活動が各地で行われていますが、歴史から何を学び、何を反省し、未来の日本を切り開くかの道筋があいまいに感じさせられます。節目の年のイベントと位置づけた活動に留まることなく、1850年から1950年までの歴史を改めて検証することが必要だと感じています。
 関野通夫氏の本によると、ポツダム宣言の原文は
「・・・・ the unconditional surrender of all Japanese armed forces ・・・・」
と書かれており、「全日本軍の無条件降伏」であり、「日本国の無条件降伏」ではないとされています。また、東京裁判に関しては、東京裁判を受け入れたのではなく、東京裁判の判決を受け入れた、とされています。英語をはじめ外国語を得意としない私が言語で議論・対立することは望みませんが、正文は英語・フランス語・スペイン語とされる内容について、公に議論が深まらないことは、日本人が歴史から学ぶ反省の機会を失うのではないかと危惧しています。
 また、対米戦争一つをとっても、本当に勝つ見込みがなかったのか、しっかり検討する必要があると感じています。私たちは教科書で歴史を学んでも、当時の意志決定の仕組みすら知らないのが現実です。ドイツにならった陸軍では参謀本部をもち、参謀総長が統帥権を掌握していた一方、イギリスを手本にした海軍では、明治26年に海軍軍令部が設置され、軍令部長が統帥権の責任をもったあとも、昭和8年の改正まで、海軍大臣の方により多くの権限があったことなどは一例でありますが、歴史を検証する上では非常に重要なポイントでないかと感じます。
 また、三国同盟を急がせた松岡外務大臣や白鳥駐イタリア大使の責任問題は、対米戦争を始めた東条英機首相兼陸軍大臣の責任に比べて、陰もない印象にとどまります。三国同盟を結んだドイツは、中国大陸で日本軍を相手に指揮を執り、いち早く敗戦したイタリアは日本に賠償を求めるなど、敗戦の原因を考え反省するテーマは計り知れません。
 ソビエト連邦という共産主義の国とロシアという王政の国を混同してイメージすることは、現代まで日本が、先の敗戦を正しく反省できていない象徴ではないかと感じています。

 個々の手柄や派閥争いに終始し、国家としてまとまりを欠いた戦い、その反省ができた時、日本に真の独立が実現すると考えています。

聖人は九族に親しむ

佐藤一斉「言志四録」の言葉だそうです。
九族とは高祖父母から玄孫まで、先祖・子孫それぞれ4世代までの意味だそうです。

052 市役所を訪れて、改正原戸籍謄本を調べることで、16人いるはずの高祖父母のうち、15人まで判明しました。ここで止まった理由は、先日戸籍の保存期間は120年と示していましたが、正しくは150年。
「150年なら詳しく分かるだろう!」
と思いがちですが、これは、平成になって戸籍が電子化され、写真保存されるようになってからのことでした。従来の手書き戸籍の保存期間は80年だったため、電子化される前に破棄されていると、調べることができませんでした。
 とはいえ、戸籍制度はありがたいものです。50年近くほったらかしにしていた、ご先祖様のお名前や生年月日が分かるわけですから。これから、感謝の気持ちを込めながらひもといていきたいと思います。

信貴山千手院でお守りをいただく

 信貴山のお札にパワーを感じたのは、前回のツアーに参加した後から。都合で、2年ぶりの参拝になりましたが、お札に有効期限があること、そのことも実感したのが昨年の8月終わり。037 今回は、祈祷したお札ではありませんが、千手院で販売されていたお守りを試してみることにしました。
 2月、4月と事故で売上が減少、うち1件の治療代は未だに清算が終わらず1万円以上の立替金。6月、直播きしたイネが発芽不良を起こし、田植えを委託、約6万円の出費。フランスベッドの掃除機、タイヤが摩耗し、くずが落ちていた。交換代約1万円(タイヤ1個3000円と言われてビックリ! 軽トラか?)
 マルチエアコンは、エラー点灯し修理代3万円(故障部分で無いガスセンサーや室内機の基盤も交換されたため)。で、極めつきは倉庫の屋根の雨漏り。勾配が緩すぎるために、水を保って錆びたことが原因。過去2回は塗装で延命しましたが、今回は屋根材を貼り替えました。
 そんなこんなで、すごい勢いで、お金が出ていきました。そろそろ、お金に落ち着きを取り戻して欲しいとおもい、購入させていただきました。
 1年後、成果を楽しみにしたいと、おもっています。

 
飯盛良隆
佐賀県小城市三日月町出身。
佐世保工業高等専門学校卒業後、ブリヂストン鳥栖工場設備課勤務。橋本龍太郎通産大臣の時代に第3種電気主任技術者の免状を取得。

建材店:サンコー商事にて14年間建材の販売に携わり新築・リフォームの現場に数多く潜入。戸建て住宅でもインテリアの重要性を感じ平成20年町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー福岡校に入学しインテリアの基礎を学ぶ。

平成22年、スメトコプロモーションを設立し住宅CMサービス佐賀の運営を始める。
平成25年2月、ダブルスネットワーク(株)社との契約を解消、住宅CMサービス佐賀の運営を終了する。

平成24年3月、帝王学(氣の學問、道の教え)を学び始める。同年6月
唐津から釜山へ新幹線で!

実現するためには長崎県と佐賀県をひとつに。そしてアジアや世界中の人たちが、自然と人の美しさを求めて足を運ぶ地域にする。

そんな夢を描き知事を目指して政治活動をはじめることに。 活動に専念するために平成26年6月末にて住宅に関する事業は終了。平成26年8月末にて(株)スメトコプロモーションを退社。
平成27年1月11日実施の佐賀県知事選挙に立候補。惨敗。

現在
眞理學指導員 (日産鮎川義塾)
夏・佐賀で稲作
冬・東京エムケイ(株) 勤務
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