飯盛良隆のi佐賀iよ〜したか

住まいづくりのコンシェルジュから転身 佐賀県知事に挑戦した飯盛良隆のブログです。

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震和会とは。(為雷)人生の試練や困難を切り拓き、奮いたつ勇気をもって、
(日本)の国を再興する、という意味です。

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2019年08月

平成の住宅事情と水害の影響

004 三夜待ち仲間の奥さんの実家が、8月28日の豪雨被害を受けたということで、武雄市の高橋駅近くに仲間4人で後片付けの手伝いに行ってきました。
 水道や電気のインフラは整っていましたが、浸水した家具を室外に出す人手が不足しているようです。
 現時点では、男手のボランティアが欲しいという声を耳にしました。

 同時に耳にしたのが
「30年前は、若かったからか、片付けに元気があった」
「30年前は和室が多かったので、畳を外して床下を掃除し、風を入れて乾かすことができた。今の家はフローリング(特に合板)なので、浸水したらやり直すしかない」
という声でした。
家具を片付けていても、MDFで作られた棚などは、持ち上げると少しの重みで崩れてしまいました。
見かけは良くても、水害の時にはそのもろさを表してしまいます。

今回の水害、佐賀県では過去にも被害があった地域で、被害が発生しています。
できれば、被害に遭わない土地選びの工夫をして欲しいのですが、人それぞれの生活があります。

自然災害に調和して生きてきたのが、日本人の知恵であると考えることができます。
現代の住まいから失われてしまった、日本住宅の和室。そのあり方、使い方を改めて考えて欲しいと思います。

失われた30年

令和元年8月28日、未明に発生した豪雨で佐賀県内は大きな被害を受けました。そのことを伝える新聞やテレビに写る画像、それは、30年前に見た記憶をそのまま思い出させるものでした。

・ 30年間、何も変わらなかったのか?
・ 30年前に比べて、ものすごい大雨だったのか?

どちらも違うはずです。確かに、今回の大雨で観測された雨量は1時間に100mmを超えています。しかし、30年前に比べて観測点が増えたこと、観測方法が進化したことにより、より細かく大雨の降った場所のデータを記録できるようになった効果だと考えるべきです。
(時間雨量での日本記録は1982年7月の長崎大水害、長崎県長与町役場に設置された雨量計で23日20時までの1時間に187mm)
 治水工事は、堤防の補強や遊水池の整備など、計画立てて進められて来ました。排水ポンプの整備により、浸水している時間は短くなりました。

 ならば、他に疑うべき要因がないかをしっかり考えるべきです。

・ 治水工事のやり方に間違いはなかったか?
・ ダム機能を果たしていた水田の役割を軽視しなかったか?
・ 諫早湾干拓事業により、有明海が小さくなったことで、奥地の筑後川・六角川の水位変化に影響を与えていないか?

 結果的に今回の大雨より、雨量が少なく被害の発生しなかった昨年7月の豪雨では、嘉瀬川堤防の決壊まで心配される深刻な事態を迎えています。一昨年は、朝倉市で大きな被害が発生しました。小さくなった有明海の影響、因果関係は分かりませんが、無視するべきではないと考えています。
 食生活の変化や米の輸入解禁により、農家の稲作離れが進み、計画性のない農地の宅地転用は、天然のダムを奪い、計画された治水能力では限界を迎えたのではないでしょうか?


平成2年7月2日月曜日
久保田駅007 5年間の皆勤賞がかかる私は、雨による電車の遅れを心配して、父に自動車で肥前山口駅まで送ってもらいました。
 ところが、6時21分発佐世保行電車は、定刻になっても出発できません。車内で待ちながら外を見ていると雨は時間とともに強くなります。これまでに体験したことのない大雨でした。
 1時間ほどたったでしょうか。車内放送で高橋駅付近の線路が冠水し、運転を取りやめることが伝えられます。
 携帯電話などない時代です。駅まで送ってきた父は、すでに帰り着いた頃で上りの電車を待つしか有りません。しかし、事態は深刻化します。7時19分着、佐賀方面からの電車は到着したものの、佐賀方面への電車は、牛津川決壊により運転することができなくなっていました。
 公衆電話には、長い列ができています。その時、ホームで待っていたか待合室にいたのかは記憶がありません。ただ、特急「あかつき」が停車する3番線ホームの脇から、公衆電話で自宅へ連絡したことを覚えています。雨の音とディーゼルエンジンの音、家族が何を伝えたかったのかは帰り着いてから知りました。
線路は高いので、そこを歩いて帰ってこい

 10時を過ぎた頃でしょうか。雨が上がったので歩いて帰ることに。駅前の国道から牛津町に入ると目の前の道路が冠水しています。とりあえず山辺に近い高いところを選んで。しかし、牛津町上砥川宿にさしかかったとき、道路が川になっている状態に太刀打ちできませんでした。
 だんだんと深くなる水位。多久市納所方面(牛津川上流)から県道を流れてくる濁流。水深が胸まで来たときに、県道から下流の国道へ流され身体をの自由を奪われる経験をしました。(水害で命を落とす人はこうなるのか)

 うまく身体を回転させ、幸い近くに停車していた軽トラックの荷台で、2時間ほど休ませてもらうことができました。水深が腰くらいまで下がった頃に、川と化している県道を歩いて渡り、さらに牛津大橋を越えたところからはお巡りさんとボートを漕いで牛津町役場まで進むことができました。
 ずぶ濡れで帰宅した私を見た家族は、どんな思いだったでしょう?


 佐賀平野は有明海を埋め立て、稲作を中心とする農業で発展したところです。ある意味、大雨被害と共存してきたところでもあります。有明海の潮の満ち引きが大きいため、満潮で被害が拡大する一方、この30年で排水施設が充実し、一度潮が引けば復旧作業もスムーズになったと感じました。
 今回水没した地域、佐賀駅周辺は3〜4年に一度、規模の大小に違いはありますが冠水していますし、小城市牛津町や武雄市の高橋駅付近、北方町周辺も10年1度くらい浸水するところです。地元になじみのない方にとっては、よりつらい経験になられているでしょう。また行政職員も広域採用されていますので、地形すら分からずに対応を苦慮されているかと思います。

 一方、小城市三日月町は比較的水害に強いところです。農作物への影響は少なからずあると思いますが、住環境への影響はほとんどないと思われます。
 しかし、慢心してはいけません。米離れが進み、水田を住宅地に変える政策。貴重な天然のダムを失い続けています。今回の水害で、30年間の土木工事が無力化するような被害をもたらしたのは、被災地区やその上流で水田の埋め立てが進んだことを切り離して考えることはできないはずです。
 来るか来ないか分からない50年に1度の水害に耐えられる街づくりが必要です。浸水した水を早く排水する設備ではなく、浸水しない街づくりの計画が必要なのです。

 今、議論が始まった長崎新幹線、武雄温泉〜新鳥栖のルートが、現行ルートでは駄目だという主張を、改めて考えて欲しいと感じます。

地鎮祭とは

地鎮祭とは?

建設業者さんにありがちなお答え

・ 工事の安全を祈願するため ⇒ 安全祈願祭と混同

地鎮祭を行う人の話によると

・ ここに建物(など)を建てさせていただきます、という許可をいただくこと。

私なりに、より納得させられる答え

・ ここに、建物(など)を建てても良いですか? と天地に伺うこと。


先にお金をいただいて、天や地から
「建てたら駄目」
と言われたときに、あなたがお願いした神職や僧侶の方は
「ここに建ててはいけません、工事はお止め下さい。」
と助言してくれるでしょうか?

大切な資産で命を失わないためにも、考えてみる必要があると思います。

一般人とトーレス選手の違いは

8月23日、サガン鳥栖フェルナンド・トーレスの引退試合が行われます。

サッカーよりも野球の方に興味があるからでしょうか。

興味があるのはスペイン代表ではなく、アルゼンチン代表だからでしょうか?

興味があるのはサガン鳥栖のイレブンであり、サガン鳥栖の結果です。

でも、トーレス選手にはあまり関心を持つことがありませんでした。


ユニフォーム姿で見える彼の腕

入浴施設などでは、当たり前のように書かれている禁止事項

一般の人は、問題になり、トーレス選手だと許される?

それが問題であれば、誰でも同じ目で見られるべきだと思うのですが。

その違いは何か。分かりやすい説明ができないだろうか?

たわけにより母屋が浸水する

 平成以降の農家の仕事として、重荷になっているのが収益の上がらない米作りを辞めて、優良農地を住宅地に転用する際の、審議から立ち会いという課業です。そもそも、農地法1条では、耕作者の権利を守るために定められている制度ですが、耕作者の意思を確認する機会を与えられることなく、開発者の利益が重視されるのが現状です。

 ここ江利部落では、長い間、開発に歯止めがかかっていたのですが、山口知事誕生とともに、その重しが外され、次々と転用許可と申請がなされています。まさに、家来の功績をたたえ、相手政策の本丸を壊す、といったところでしょうか。

027 さて、今年の開発許可はさらに厳しいものです。私の曾祖父が購入して耕した農地、分家として独立するために分けられた農地、約60aが住宅地の開発として申請されたのです。




「たわけ」とは
 江戸時代,農民が田畑を分割相続したこと。幕府諸藩が分地制限令を出したのは,こうした分割によって耕地が零細化し,担税能力が減少することを防ごうとしたものである。零細化して水呑百姓となるおそれがあるところから田分けするものを「戯け (呆け) 」と呼んだ。別に丹後地方の地割制度も田分けと呼ばれた。(「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」より引用)


 今回転用される農地は、我が家の川上にあります。大雨が降ったときは天然のダムとしての機能を果たしてきたところです。ダムとしての機能を喪失するばかりか、今回の計画では排水のルート変更が予定され、約900屬諒狆譴凌紊新しく我が家のそばの川へ流れてくることになります。
 この量は、1時間あたり60mmの雨が降ったとき、入浴時の浴槽の水が10秒間ですべて流れ出る量に匹敵します。一昨年行われた宅地造成では、1500屬諒狆譴杷喊絅襦璽箸諒儿垢なされていますので、合わせると
入浴時の浴槽の水が3秒間ですべて流れる(雨量 60mm/時)
状況を生み出しました。

 「今だけ・金だけ・自分だけ」の共産主義思想に対峙することは、地域の人々一人ひとりを啓発していく必要があるため、手遅れに近い状況に立たされています。
 大切な人の命と財産を守ること
その難しさを、切に感じています。

 1時間あたり60mmの雨が珍しいことか?

 異常気象と呼ばれることが頻繁に起こる現状、繰り返されるゲリラ豪雨、決して珍しいことではありません。
 嘉瀬川の堤防が決壊するのではと心配された昨年7月の雨では、1時間あたりの雨量は約50mmです。それよりも、2割以上多くの短時間雨量を計測したケースが、平成の30年間だけでも約15回を数えます。災害が増えるこれからの時代、開発者が環境アセスメントを住民に対して開示することが重要になります。

 分家に分けた農地が転用されたことで、本家が浸水したら

笑い話にできない、深刻な問題です。


佐賀地区の雨量統計(平成30年間)
 1時間あたりの雨量
1 91.0mm 2012.7.13
2 72.0mm 1990.7.2
3 69.5mm 1999.8.31
4 69.0mm 2008.6.19
5 68.0mm 2014.8.20
6 65.5mm 2007.8.3
7 63.0mm 1999.9.10
8 59.0mm 1991.8.5
9 59.0mm 1992.8.12
10 58.5mm 2004.8.23
11 58.5mm 2007.7.2
12 55.0mm 2014.7.3
13 54.0mm 2009.7.26
14 51.5mm 2016.9.18
 (気象庁HPより)
なお、昭和の記録として
統計上1位 101.5mm 1937.7.25
同3位 72.3mm 1953.6.25
がある。

両親が長岡花火を見物に行く

080202 日本三大花火に数えられる長岡市の花火大会。学生時代の友人が長岡に住む縁で、花火大会のことが話題に上るので、一度は見せてやりたいと思っていました。
 ともに70代の両親二人で出かける3泊4日の旅。暑さが心配でしたが、大満足で返ってくることができました。

080208 長岡の花火は、一ヶ月くらい話題に上りそうです。BSで生中継されていたビデオを見ながら、あらためて余韻に浸っております。





080316 2日間で100万人を集める花火大会。長岡市に宿を取ることができなかったので、翌日は上高地へ。平湯温泉につかって、ゆっくりできたかな?





009 松本市から高山市までのバスの旅では、4日間有効の信州飛騨アルプスワイドフリーパスポートが大活躍。1万2千円で西穂高のロープウェイまで乗ることができますので、広範囲の移動に。




040 当初の予定にはなかった乗鞍高原も満喫してきたようです。
 西日本に台風が近づいていたので、最終宿泊地の高山では、観光することなく列車に乗って帰ってきました。それでも、充実した旅を楽しんだ様子です。

土地の境界が違っていた話

 今年は、農作業よりも農業環境を変える力に、時間をとられています。

 故・村岡町長の先見で、ここ江利部落は約50年前に圃場整備を行っています。早い時期から機械化する環境が整った一方、オイルショックなどによる物価上昇前にお金の借り入れが終わっていたので、返済負担が比較的軽くすんだようです。
 一方で、現在では想像できないような原始的な計算手法で、測量や地図が作成されているために、実際に売買されるときに、想定外のことが起きてしまいます。

 私のものごごろがついたときからあった住宅

013そことの境界杭の一つが、約40cm敷地の中に入っていました。つまり、地図上では飯盛家の田圃であるところに、ブロック塀があり田圃であるはずのところが地高めされていたのです。
 さて、この土地が売りに出され、まもなく売買がなされます。売り主さんは、ブロックを正確な位置に積み替えて・・・、とおっしゃいますが。

 この小さな土地、登記上「農地」です。現状で購入してもらおうとすると、農家でない方は購入できないために、手続きが複雑になるようです。もちろん、費用もかかります。

 法律とはいえ、やっかいな問題です。
飯盛良隆
佐賀県小城市三日月町出身。
佐世保工業高等専門学校卒業後、ブリヂストン鳥栖工場設備課勤務。橋本龍太郎通産大臣の時代に第3種電気主任技術者の免状を取得。

建材店:サンコー商事にて14年間建材の販売に携わり新築・リフォームの現場に数多く潜入。戸建て住宅でもインテリアの重要性を感じ平成20年町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー福岡校に入学しインテリアの基礎を学ぶ。

平成22年、スメトコプロモーションを設立し住宅CMサービス佐賀の運営を始める。
平成25年2月、ダブルスネットワーク(株)社との契約を解消、住宅CMサービス佐賀の運営を終了する。

平成24年3月、帝王学(氣の學問、道の教え)を学び始める。同年6月
唐津から釜山へ新幹線で!

実現するためには長崎県と佐賀県をひとつに。そしてアジアや世界中の人たちが、自然と人の美しさを求めて足を運ぶ地域にする。

そんな夢を描き知事を目指して政治活動をはじめることに。 活動に専念するために平成26年6月末にて住宅に関する事業は終了。平成26年8月末にて(株)スメトコプロモーションを退社。
平成27年1月11日実施の佐賀県知事選挙に立候補。惨敗。

現在
眞理學指導員 (日産鮎川義塾)
夏・佐賀で稲作
冬・東京エムケイ(株) 勤務
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