飯盛良隆のi佐賀iよ〜したか

住まいづくりのコンシェルジュから転身 佐賀県知事に挑戦した飯盛良隆のブログです。

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震和会とは。(為雷)人生の試練や困難を切り拓き、奮いたつ勇気をもって、
(日本)の国を再興する、という意味です。

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2019年09月

宿泊キャンセルとボランティア難民

007 令和元年8月28日の豪雨災害、その余波は、8月28日〜9月9日の間に佐賀県内に宿泊予定だった12,000人のキャンセルにも現れています。

 一方で、全国各地から足を運んで下さるボランティアの皆さん。
本当に有難いです。
が、せっかく足を運んで下さる皆さんを、定員オーバーでお断りしなければならないケースが増えているようです。
 京都からお越しの二人連れ。夜の間、高速道路を走ってきて武雄北方インターに到着して受付に向かったところ、武雄市はすでに受け付け終了。そのまま、大町町へ。今週月曜日、火曜日には人数不足に悩まされていましたが、新聞掲載などの効果で満員とのこと、仕方なく電話問い合わせを行い小城市限定受付中だった同市に受け入れしてもらったそうです。
 足を運んでいただき、被災地域にお金を落としていただくこともボランティアですが、やはりボランティア活動のニーズを調整することが必要なことを感じました。

新幹線西九州ルートなら唐津へ

002 九州新幹線長崎ルートの整備方法を巡り、フル規格かミニ新幹線かの議論が行われています。一度動き出した公共事業は止まらない過去の歴史を振り返って考えれば、二分した議論で佐賀県が割を食うことより、魅力的な提案で議論をリードすることが望ましいと感じます。


 チャイナの野望は地図の東を上にすることで見え、ロシアの思惑は南を上に置くことで見えてくる、と言われます。同じように、新幹線の整備計画も、北を上に置いた地図をただ見ているだけではいけません。地図を回してみたり、遠くから離れてみたり、時間を前後してみる必要があります。

 時間を戻し過去を振り返って見えること、それは新幹線が東京大阪間に開業して55年を迎える今も日本の大動脈として走り続けていることです。つまり開業から50年後、2080年の佐賀県をデザインして計画することが必要なのです。今の議論は30年前、井本知事時代のデザインであり、45年前に国がデザインしたビジョンの描き換えに過ぎません。新しい時代を迎えた今必要なことは、50年後の地域をイメージした高速鉄道のデザインです。
 では時間を進めて見通しましょう。10年後には東京名古屋間でリニア新幹線が開業しています。工事は大阪を目指して進んでいます。そのことをイメージできれば、鳥栖武雄間に必要な選択肢の一つに、2016年10月にも提唱したリニア新幹線があるべきです。乗り換え時間を考慮しても十分に効果が期待できます。2030年までに開業させれば、それ自体が観光資源にもなり人を呼び込むことになるでしょう。将来は大阪から四国、大分を経由して鳥栖で結ばれます。
 時間を動かしてイメージすることが苦手な方には、フル規格の新幹線を博多から糸島、唐津を経由して武雄へ結ぶルートを提案します。フリーゲージトレイン計画失敗の原因である、古川代議士の地元唐津を通る計画に変更することは、反省を伴わないことにもつながるリスクが生じますが、国土の安全、発展を考えたときに検討すべきルートです。全長約80kmのルートは、現在議論されている鳥栖分岐のルートとほぼ同じ長さです。しかも、佐賀県内の工事区間距離は短くなります。約40年間、時間短縮とは無縁だった博多と唐津を20分で結ぶことが期待できます。過疎化で廃止も検討される唐津線に変わり、佐賀と唐津を結ぶ新ルートにもなるでしょう。何より、長崎市とこれまで地理的縁の薄かった壱岐、対馬へと延伸することも視野に入れることができるのです。

 8月28日の豪雨水害で、これまでも指摘していた現行ルートの置き換えは、冠水のリスクと付き合い続けることが明らかになりました。未来の佐賀をつくるための計画が実現できることを願います。
 公共事業にマイナスのイメージをお持ちの方もいらっしゃいますが、時代は変わりました。日本の将来に何が必要かを考えて議論して欲しいと思います。財務省のホームページにはこうあります。国債「それは未来への贈り物」。

彼岸花が咲き始めた小城江里山

040 生産組合長の話し合いや、共済担当者からのお話で、小城町の石体地区や三日月町西分地区で道路やため池に大きな被害が出ていると耳にし、山間部へ足を運んでみました。




041 彼岸花の咲き始めた江里山地区では、農家の方が畦の草刈りに励まれていました。
 日本人の食生活の変化、米離れと過疎化は切り離すことのできない問題です。
 そして、令和の水害と米離れの問題、そのつながりに気づくことができなければ、日本の復興への環境は厳しいものになると感じます。
044 県道は、数カ所で崩落しています。個々の力では解決できない問題です。

被災地支援

 震災、水災、風災
 発生原因に違いはあっても、支援が必要なものは、被災地によって似てくる。

 大都市で発生した場合は「物資」である。
 食料、医療、衣料。

 逆に、田舎で発生した場合は「人手」である。
 食料などの物資は、歩いて行くことができる所にも販売されている。
 しかし、一人あたりの空間が広すぎる。
 東京だと、一人あたりの生活空間は10屬鯆兇┐訥度に過ぎない。片付けの範囲が狭い。
 地方だと、一人あたりの生活空間が100屬砲眈紊襦G晴箸任△譴弌△気蕕帽い空間を管理している。被災した人の数は少なくても、一人が片付ける範囲が広い。しかも高齢化が進んでいる。

 佐賀県で、8月28日の豪雨により、被災した人に一番必要なのは、やはり片付けを手伝う「人」であることを記しておく。

8月28日水害 江利部落では

001 令和元年8月28日の豪雨。我が家の裏を流れる川も、これまでに経験したことのない水位まで水面が上昇していました。(朝5時頃)





036 通常はほとんど水がない川ですが、この日の朝は大きなU字溝を超えて、お隣の敷地のL型から水抜き穴が見える所まで、水位が上昇していました。





009 線路の西側でビニルハウスを建て、アスパラガスを栽培する農家の方から
「生産組合長が水門を開けないから、ハウスが水に浸かった」
と、文句を言ってこられました。
(写真は9時半頃)



021 そもそも、有明海の満潮(午前8時)と重なった今回の大雨、水門を開けても下流に水があふれているので、流しようがありません。
これで、人災というのなら、従来の農地を転用して埋め立てを行った関係者に申し立てしてもらいたいです。


016排水路に併設された用水路は、かなり増水していました。









024 後で確認しましたら、法面のモルタルが水路へはがれ落ちていました。
 私が田圃を回ったのは9時を過ぎてから。有明海が満潮を迎える7時58分を過ぎて、全体に水位が下がっていますので、その前に時間は、道路まで浸水していたと思われます。


 従来、江利部落は水害に遭わないと言われていましたが、時代とともに変化する物です。慢心することなく、避難態勢を整えたいと思います。

飯盛良隆
佐賀県小城市三日月町出身。
佐世保工業高等専門学校卒業後、ブリヂストン鳥栖工場設備課勤務。橋本龍太郎通産大臣の時代に第3種電気主任技術者の免状を取得。

建材店:サンコー商事にて14年間建材の販売に携わり新築・リフォームの現場に数多く潜入。戸建て住宅でもインテリアの重要性を感じ平成20年町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー福岡校に入学しインテリアの基礎を学ぶ。

平成22年、スメトコプロモーションを設立し住宅CMサービス佐賀の運営を始める。
平成25年2月、ダブルスネットワーク(株)社との契約を解消、住宅CMサービス佐賀の運営を終了する。

平成24年3月、帝王学(氣の學問、道の教え)を学び始める。同年6月
唐津から釜山へ新幹線で!

実現するためには長崎県と佐賀県をひとつに。そしてアジアや世界中の人たちが、自然と人の美しさを求めて足を運ぶ地域にする。

そんな夢を描き知事を目指して政治活動をはじめることに。 活動に専念するために平成26年6月末にて住宅に関する事業は終了。平成26年8月末にて(株)スメトコプロモーションを退社。
平成27年1月11日実施の佐賀県知事選挙に立候補。惨敗。

現在
眞理學指導員 (日産鮎川義塾)
夏・佐賀で稲作
冬・東京エムケイ(株) 勤務
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