飯盛良隆のi佐賀iよ〜したか

住まいづくりのコンシェルジュから転身 佐賀県知事に挑戦した飯盛良隆のブログです。

準完全無減農薬・無化学肥料のお米「Shin-和」
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震和会とは。(為雷)人生の試練や困難を切り拓き、奮いたつ勇気をもって、
(日本)の国を再興する、という意味です。

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(日本語以外は無視または削除します)

2020年06月

カフェ&キッチンMでお昼を

2020062604 伊万里自動車学校の入口交差点向かいにあるHOTEL WIN。その一階にカフェ&キッチンMというレストランがあります。松尾勝馬牧場さんが営業されており、ランチがおすすめです。
 全て1380円で「ピザランチ」「パスタランチ」「ハンバーグランチ」の3コース。


2020062607 デミグラスソースのハンバーグランチをいただきました。
 前菜に「スープ」と「サラダ」。






2020062401 ライスとパンは選べます。ライスの大盛りがないのは、残念ですが。
 ソースは和風とデミグラスを選べます。






2020062403 「デザート」とコーヒーか紅茶は、目でも楽しませてもらえます。








営業時間は21時まで。年中無休とのことです。

2020062502炙り丼








2020062608レモンステーキもお薦めです。

運行管理者講習で伊万里まで

2020062601 6月24日から26日までの3日間、運行管理者(旅客)の基礎講習を受講するために、伊万里自動車学校へ通いました。お天気に恵まれた初日、車のナビに「伊万里自動車学校」を目的地セットして向かっていると、事前にグーグルで検索した場所となんか違うような・・・。
 実は、今年になって自動車学校は新しい場所に移転オープンしていたのです。初日で受け時間に余裕があり、トラブルになりませんでしたが。
 新しい会場での授業は快適です。

神話から誕生した津島・対馬へ

033 日本の神話・古事記などにも登場する大八島の一つ津島。大陸文化との中継地でもある国境の島「対馬」に足を運んでみたい。そう思ってから10年が過ぎた今月、ついに足を踏み入れることが出来た。
 天気予報で「壱岐対馬地方」と称され九州・長崎県の一部であり身近に感じながら、島については何も知らない。その対馬に強い関心を持つようになったのは、2009年6月に購読した雑誌「WEDGE」に掲載されていた産経新聞社・宮本雅史氏の記事「韓国に買われる対馬 国境の島を守れぬ 日本の欠陥」に衝撃を受けたことである。
 日本の安全上、極めて重要である所なのに無関心でよいのだろうか?
 水と安全はいつまでたっても、タダと考えてよいはずはない。一方で、他人の情報だけで物事を考えてはいけない。指導者であればなおさらのこと。実際の対馬とはどんなところか。何を恐れ、何を大切にしなければならないのか、自然、人、あらゆるものから、何を感じるか、
 そんなことをイメージしながら、農作業が一段落した金曜夜、博多港を出るフェリーに準備も計画もなく、ただ帰りの船の時間だけを調べて島を目指した。帰宅してから本棚に、そのときの雑誌WEDGEが残っていたことに気づいたことも、準備不足の象徴になってしまった。
 朝4:50の対馬・厳原港。「港の賑わい」を想像していたが、フェリーを下りた人は足早に目的地を目指し、漁港や市場で賑わうわけでもない、フェリーに積まれた車が下船すれば、静かな港に戻るさみしいところ。バスの時刻は島の北部・比田勝港行きが7:03発。港近くのガソリンスタンドに併設されるレンタカーも7時から営業の看板が。時間まで港近くの丘に登って過ごす。準備不十分だから島の地図もガイドブックもない。
(農作業の最盛期で時間に追われた日々が続いていたので、自らと向き合うよい機会になった)

 幸い、レンタカーを借りることが出来たので翌日2時までの約30時間を、地図と直感を頼りに巡ることになった。レンタカーとともに貸していただいたガイドファイル。そこにあった神社巡りと砲台跡巡りを中心にルートを考えながら走ることにした。

 レンタカーのガイドに載っているからと目指した砲台巡りは、目的地に近づくにつれて道路が狭くなったり、未舗装であったり・・・。そもそも、昼間とはいえ男性でも一人で行くことは考えるべき場所だと感じるところが多かった。上見坂堡塁跡、太平砲台跡、姫神山砲台跡、豊砲台跡(写真6枚)。
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芋崎砲台跡と城山砲台跡(金田城跡)は、登山の道のりが長く準備不足のために断念。

077 上対馬町殿崎にある「日ロ友好の丘」
日本海海戦100周年を記念し、大きなレリーフが建つ。
日本が勝利したとき、負傷したロシアの水兵たちを井戸に案内し、夜は民家へ分宿させるなど、敵味方を関係なく手厚く看護しもてなした、ことが記されている。


131 豊玉町にある「和多都美神社」
海彦山彦の神話で知られる彦火火出見尊を祭神とする海宮。






156 和多都美神社から10分弱で到着できる「烏帽子岳展望所」
 WEDGEに紹介された、韓国資本が購入する土地問題が多いとされる浅茅湾。360度全ての眺めが美しい所。




204美津島町にある「金田城跡」
 663年の白村江の戦いに敗れた中大兄皇子が、国の守りの最前線として築かせた日本最古級の城跡。準備不十分のため、登山道入口までした行けず。
(登山道入口までの道路も悪路)



222厳原町小茂田にある「小茂田神社と元寇の古戦場」







234厳原町椎根にある「椎根の石屋根」
 板状の石で屋根を葺いた高床式の倉庫。冬場の強い北西の季節風から守るために作られた。





 南北約80km東西20kmの島を二日間で400kmを超えて車を走らせた。海に恵まれた漁業の島だから、おいしい刺身やお魚を食べられる、と思っていたが、お昼に食べることが出来る飲食店は少なく意外な結果になった。
125 初日にお昼ご飯を食べた比田勝のお店で、観光客の様子をうかがうと
「2018年までは韓国からの観光客が多く賑わっていたけど今はこの通り。
閑散としています。元々、(壱岐と違って)観光客の多い町ではありませんので元に戻った感じです。」
と、お話しくださった。夜の宿も手配していなかったので、どこかいいところがあるか尋ねてみると、車で5分ほどの泉という場所の民宿を紹介してくださった。初老のご夫婦で営まれる漁師さんの民宿だったので、こちらでも色々お伺いすることが出来た。
275 2日目は偶然なのか後を付けられたのか分からないが、島の南・多久頭魂神社でパトカーがやってきて、赴任して2年目というお巡りさんから10分くらい島の様子を伺うことも出来た。





 わずか2日間の滞在で自らの答えを出せることではない。厳原にある資料館や神社で、より深く歴史を学ぶことも必要である。冒頭で書いた「韓国に買われる」という懸念は、対馬の問題というより日本中で野放しにされていること、北海道や沖縄、各地の水源が買われている問題と区別して考えるものではないと感じた。そもそも「観光で成り立つ島でなかった」といわれることを考えれば、私たちが対馬という島に対し無関心でいることを反省すべきであると感じた。
 古来から大陸とつながり独自の文化を形成しながら、白村江の戦い、元寇、倭寇、秀吉の朝鮮出兵、家康による講和、日清・日露戦争と、常に外と内から圧力をかけられ、厳しい選択を迫られた島の人々。その努力のお陰で現在の日本の暮らしが成り立つことに感謝の意識を持って過ごしたい。日本と韓国・朝鮮、そのバランスの中で島は発展してきた。背景を知らずに韓国からの観光客を非難すべきではない。
 自然豊かな対馬は、足を運べば素敵なところである。しかし、私たちの振るまいが島の人や動植物にとって歓迎されるものか否かは判断できない。訪れた6月7日には、島の各地で老若男女総出の公役と思われる草刈りが行われていた。基幹道路の建設は行政の手によって実施されても、維持管理や生活道路を支えることは、住む人たちの力を結束することで成り立っている。それを目にすると私たちが対馬を支える方法は漁業の支援、すなわち「対馬産のお魚を意識して購入すること」なのだろう、と感じた。

 「唐津から釜山へ新幹線で!」
 そこには対馬をどう守るか、という考えが前提にある。鉄道は国防と国家戦略の重要な要であることは航空機や通信が発達した現在でも変わらないと考える。しかし、コストや技術の問題に目を奪われかねないが、根本の問題として対馬の経済は福岡県(韓国や佐賀も)との結びつきで成り立ち、漁業などの抱える調整すべき課題もこの地域との調整が重要である。にもかかわらず行政だけは長崎県。この現状を維持したままでは、住民が日本社会で共に生きることを実現することが困難になりかねない、と思う旅だった。

田植えをやめて8年 〜不退転〜

009 直播きによるイネの種まきを終えました。平成24年に1割の圃場(15a)で始めた直播きは、次の年にすべての圃場で実施し、その成功から田植えに戻らないことを決意し「育苗箱」、育苗のための「播種機」そして「田植機」を全て処分しました。



003 その後、まき直しや田植えを委託することになった圃場もありましたが、経験を積み重ねることで今年は、メーカー(クボタさん)からの指導を受けずに、種の準備から種まきまでの作業を無事に終えることが出来ました。




006  初期の水管理はジャンボタニシとの、格闘になりますが前に進むこと、情熱を持って取り組んでおります。
 昨年は、お盆以降の天候に泣かされましたが、今年は天候に恵まれること、皆さんに収穫したお米を十分に楽しんでもらえることを願って、作業して参ります。

選択の時

590 トランプアメリカ合衆国大統領がアメリカファーストで発言すると、その一部をとって批判される一方、日本のある知事が自らの地域で「コロナ感染を拡大させないために、特定地域から足を運ぶことは控えて欲しい」と発言することが批判されないことに矛盾を感じる。


 枠組みは異なっても、人を差別していることに変わりはない。

 Twitterに続き、Facebookまでもが、トランプ大統領の発言に、信頼性がないと警告、削除に動くネット社会。GAFAと呼ばれる企業たちの、特権意識こそ問題ではないだろうか?

 自由に発言でき、その情報化から受け手が真実を探求する行為こそ大切なことであり、それを否定してしまえば、その人たちは規制する側の奴隷として生きることしかできなくなる。

 世論が誘導される共産主義的な監視社会に異を唱え、「非国民」と言われても自由と責任を持って社会を生きる一員でありたい。日本人として覚悟を持って生きる。

飯盛良隆
佐賀県小城市三日月町出身。
佐世保工業高等専門学校卒業後、ブリヂストン鳥栖工場設備課勤務。橋本龍太郎通産大臣の時代に第3種電気主任技術者の免状を取得。

建材店:サンコー商事にて14年間建材の販売に携わり新築・リフォームの現場に数多く潜入。戸建て住宅でもインテリアの重要性を感じ平成20年町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー福岡校に入学しインテリアの基礎を学ぶ。

平成22年、スメトコプロモーションを設立し住宅CMサービス佐賀の運営を始める。
平成25年2月、ダブルスネットワーク(株)社との契約を解消、住宅CMサービス佐賀の運営を終了する。

平成24年3月、帝王学(氣の學問、道の教え)を学び始める。同年6月
唐津から釜山へ新幹線で!

実現するためには長崎県と佐賀県をひとつに。そしてアジアや世界中の人たちが、自然と人の美しさを求めて足を運ぶ地域にする。

そんな夢を描き知事を目指して政治活動をはじめることに。 活動に専念するために平成26年6月末にて住宅に関する事業は終了。平成26年8月末にて(株)スメトコプロモーションを退社。
平成27年1月11日実施の佐賀県知事選挙に立候補。惨敗。
平成27年12月21日
東京エムケイ(株) 入社。
Tokyo2020オリンピック、パラリンピックの関係者輸送も経験


現在
眞理學指導員 (日産鮎川義塾)
稲作農業
佐賀タクシー勤務
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