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平成26年3月14日志津川町のホテル観洋から出発する震災を風化させないための「語り部バス」に参加しました。ホテルを8時45分に出発して約1時間で志津川の被災地を回ります。

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ホテルを出発して市街地とは反対の方に

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まず戸倉地区へ向かいます。
壊れた水門が印象的です。

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ここには、戸倉小学校が建っていたそうです。
3月9日午前、振り返ると東日本大震災の前震が襲います。防災マニュアルに従って3階建て校舎の屋上に児童全員避難したそうです。
無事に難を過ごしたその日、先生の一人から
「この後、もっと強い地震が想定されるだろう。その時、この校舎の屋上では危険なのではないか?」
この言葉をきっかけに、その日の午後の職員会議で避難場所を学校から国道を渡った先にある神社の建つ裏山に変更されたそうです。

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3月10日、児童全員による避難訓練が行われました。
そして3月11日の震災。学校にいた児童全員が前日の訓練通りに行動して、無事に一夜を過ごして難を逃れることが出来たそうです。

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ここは仮設庁舎が活動しているベイサイドアリーナです。
周囲にはまだ、仮設住宅が並んでいます。

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対岸に見えるのが宿泊したホテル観洋。津波では2階にある露天風呂まで浸水したものの、上の階は難を逃れ避難場所として活用されたそうです。

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再開された仮設の魚市場。
漁業が盛んな三陸では、やはり市場が再開しないと町の活気が戻りません。震災の翌年、わかめはかつてない生育をみせたそうです。

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ニュースなどで頻繁に目にした防災庁舎。

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生き残ることが出来た10数名の方は屋上よりも少しだけ高くなった階段の所とアンテナに上っていた人たちです。

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2014年3月の志津川市街地。

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高野会館という結婚式場。
当日は老人クラブのカラオケ大会が開催されていたそうです。震災直後に帰宅しようとしたお年寄りの方々に、責任者の方が
「助かりたかったらここに残りなさい」
と玄関に立ちはだかり、屋上に避難させて命を守ることができたそうです。

大震災の中で、生死を分けるわずかな判断の違い。石巻市の大川小学校の判断が非難されますが、その判断の成否を結果だけで評価するのはどうなのでしょう?

児童達の命を守った戸倉小学校。たまたま早退した児童が津波で命を落とすことになったことにも、誰も責めるわけには生きません。