佐賀市川副町早津江にある三重津海軍所跡が「明治日本の産業革命遺産」の一つとして日本政府からユネスコの世界文化遺産候補として推薦されることになりました。10月3日(金)には国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の諮問機関イコモスによる現地調査も実施されました。

この決定・進行は本来喜ぶべきことなのでしょうが、世界文化遺産という制度そのものに疑問を感じること、また佐賀県内にはほかにもお金をかけて保存すべき遺跡が沢山あるにもかかわらず、予算の都合で実現できない中で、三重津海軍所跡が世界遺産に決まれば、それを維持するための義務的費用が発生し、ほかの史跡と比較して予算を公平に配分ができなくなる恐れがあるために複雑な思いになります。

もし、「世界自然遺産」の候補地が県内にあるのであれば、総力を挙げて実現するべきだと思います。しかし、文化遺産という制度は、歴史的な価値観が変われば評価も変わるものです。現在の価値観を将来まで残そうとすれば、自然と歪みが生じるものではないのでしょうか?

三重津海軍所跡は、県民として誇りを持って日本中の人々に紹介する史跡の一つだと思いますが、それが世界中の人々に等しく評価していただけるものではないと感じています。単に観光客を呼び込むための世界遺産登録ならば、今回の決定は政治判断の誤りです。

内閣官房の有識者会議が2015年の世界文化遺産の推薦候補に佐賀市の三重津海軍所跡を含む九州・山口エリアを中心とする「明治日本の産業革命遺産」に選んだ一方で、文化審議会は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を推薦していました。両方に対象施設がある長崎では取組への温度差も発生します。この三重津海軍所跡を含む九州・山口エリアの世界遺産登録に関しては、世界文化遺産にふさわしいのか?
世界遺産の登録が世界的に見てどのように評価されるのか?
再度考えていく必要があるのではないでしょうか。三重津海軍所は幕末から明治にかけて、日本の歴史を動かすことには大いに貢献したと思われます。しかし、150年という浅い歴史しか持たないこうした施設が、現時点で世界的な評価を受けるにふさわしいものでしょうか。世界自然遺産と異なり、その時代によって価値観が変わる施設を、客寄せのために利用するべきではないと感じています。

日本の近代化は、日本の一歴史に過ぎません。世界の歴史と呼ぶにはまだまだ、時が短すぎます。国の文化財としてきちんと保存し、国際的にもより多くの人がその施設に関心を持ち、地域の人たちが誇りを持つようになって初めて世界遺産の候補地として名乗りを上げるべきではなかったのかと感じます。