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 東京へ来て浅草橋に宿泊しています。昨日は宿舎の関係上10時から16時まで外に出なければいけませんので、スカイツリーまで歩いてみることに。

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 歩いているとガイドブックに載っていない町や施設に出会います。素敵な煉瓦造りの建物。そこは都立横網町公園にある、関東大震災に関する資料館です。
 震災当時に描かれた絵画や焼けた家財道具などいろいろ見ることが出来、とても良い学びになります。

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 ちなみに、当時の東京市(現在13区)の人口密度は、現在の23区の人口密度の2倍も高かったそうです。小さな木造住宅が密集して、そこに大家族が住んでいたからでしょうか。ちょっと意外でした。
 震災、防災を考える施設は、意外と身近なところに有るのかもしれません。

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 結局、寄り道しながら歩いたので、スカイツリーまで2時間半ほどかかりました。

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 スカイツリーでは千葉工業大学の展示ブースが有り、福島原発の事故処理で活躍するロボットを見ることが出来ました。
 ほかにも、3Dプロジェクターの紹介など、最新アイテムの紹介など時間を思わず浪費してしまいます。

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 ついつい食事が遅くなってしまいました。

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 浅草から上野・アメ横へ行って食事しようと考えていたルートを断念します。もちろん、美術館へも行くことは出来ません。

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 ところが、この判断がとても素敵な出会いをもたらしました。地下鉄で浅草橋駅へ戻り、宿へ入れる16時まで1時間ほど時間つぶしを考えていたところ、三井住友銀行への途中に、吉徳という人形店がありました。

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 何気に入ったお店の4階で、特に大きくPRされるわけでもなく、2つの人形は飾られていました。戦前、日米関係が悪化する中、子供達の力で両国の友好を、と願って交換された「青い目の人形」と「答礼人形」です。

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答礼人形は58体。そのうち洪水で流された一体を除くと、今でも大切に管理されているそうです。

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一方、青い目の人形は「敵国のもの」という理由で壊されていったそうです。

 神様は、人形に八つ当たりをする民族に味方することは有りませんでした。

 ここに展示されている青い目の人形は、三重県伊勢市の小学校に送られたもので、付属する幼稚園の保母さんによって守られ、近年、吉徳さんに寄贈されたものだそうです。

 日本の歩んだ歴史を振り返る、語られることの少ない一コマを学ぶ、良い機会でした。

 なお、青い目の人形・答礼人形の展示は今月いっぱい行われているそうです。