003 物心がついた頃から我が家の裏には大きな畑がありました。牛津町からおじさんが通って耕されていた畑です。しかし月日と共に人は年を取ります。身体の無理も利かなくなるのでしょう。ここ数年は、荒れた畑をご家族の方が年に1〜2回、草刈りに訪れる程度になっていました。
 そんな畑も、いよいよ転売されてお家が建つようです。4月に帰ってきたときには擁壁の工事が始まっていました。
 さて、私が住宅に関する仕事を辞めようと思ったきっかけは、東日本大震災の後で被災地を歩いてみたときの衝撃からです。どんなに立派な家、日本の伝統的工法であれ、現在主流の長期優良住宅であれ、建てる場所をミスすれば「アッ」という間に失ってしまいます。それは、広島市で起きた土石流災害でも、今回の熊本地震でも繰り返されています。建てる場所を評価しないローン付け、建てる場所を評価しない建築許可、そして建てることの許可を確認できない神職。
 信仰心を失った日本では、お金によって物事を解決しすぎたと感じています。
 まず、本当に資産としてローンの期間中、建物の価値を維持できるかを金融機関は評価すべきにもかかわらず、保険によって担保されることによりその責任を回避してしまいました。
 行政も本来、住宅地として適していない場所やまちづくりとして不具合のある場合でも、政治的な力関係によって、それを覆してしまう対応力の弱さ。
 そして最後の砦となるべき地鎮祭を行う神職は、先にお金をもらうために「ここに建物を建ててはいけない」という地球からのメッセージを受け取ることが出来なくなってしまいました。

 基礎など土地に関わる工事は「土用」の期間を避けて行うことが、当然のことのように守られていました。しかし、戦後の経済優先の社会では、こうした自然や神仏に対する敬意を払う風習は失われ「工事の安全祈願という主旨での地鎮祭」だけが残っています。経済優先ではなく自然との共存する生き方、それを思い出すことが東日本大震災以降、日本人に求められていることではないかと感じています。