167 佐賀県で治水の神様といえば成富兵庫茂安候ですが、1945年まで日本が統治していた台湾では、八田與一氏がそう呼ばれています。日本にいると全く知ることのない台湾の歴史。なぜ日本で震災が発生すると真っ先に義援金を送り支援を続けてくれるのか。


191 1930年に完成した烏山頭ダムは、その後の台湾経済の安定、台湾南部の農業振興に大きな役割を果たしたのです。
 堰堤は標高66.66m、長さ1273m、高さ56m、堰堤上の幅は9m、底の幅は303mにも及ぶそうです。専門的には「セミハイドロリックフィル工法」と呼ばれ、アジアにはここだけの施設ということです。
 湖面の水が堤防を適量しみ出すことで、その堤防が強い強度を保つ設計になっているとのことです。

127 長い堤防の中には、水力発電を行うための水管が設置されています。曲線を描くことで水圧をうまく逃がす仕組みになっているそうです。





147 水力発電施設が新しくなったげんざい、こちらの水管は、現在は使用されていませんが、映画KANOのラストシーンはこの放水路から水を放水して撮影されたそうです。




079 このダムから配水する15万haの灌漑地には総延長16,000km の給排水路を同時に建設し、多くの土地を潤すために、稲作は3年に一度の輪番制とし、その間の2年はサトウキビなど畑作を推奨することで、より多くの人々に恩恵を与え、嘉南平野と人々を潤すことに成功している。
 戦前日本の陰の部分がクローズアップされるばかりで、現地で80年以上経つ今でも人々の役に立つ功績が伝えられない現実。
 もっと史実に目を向けることが必要であると感じます。

 そして、稲作は日本文化の象徴で、その果実であるお米を食べることが日本人の精神そのものであることに、光を当てなければならないと感じています。