飯盛良隆のi佐賀iよ〜したか

住まいづくりのコンシェルジュから転身 佐賀県知事に挑戦した飯盛良隆のブログです。

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震和会とは。(為雷)人生の試練や困難を切り拓き、奮いたつ勇気をもって、
(日本)の国を再興する、という意味です。

「コメント」「お問い合わせ」は、日本語でお願いします。
(日本語以外は無視または削除します)

思想・哲学

梵字仏教美術展に

 5月19日から23日まで、上野の森美術館で開催された梵字仏教美術展。最終日に見学してきました。

IMG_9103 大きな大きな美術作品。








IMG_9106 大きな作品の下の方に、小さな梵字「阿字」。指先で示すこの1文字が私の作品です。







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 丁寧に書かれた作品。いろんな手順で縮小され、仕上げていただいたものです。

 美術館の中に、小さくても自ら仕上げた作品があると、見るときの意識も違ってきます。


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佐賀錦に梵字を織り込み祈る

IMG_8870 佐賀の伝統工芸、佐賀錦。

 仏様を現す梵字。






IMG_8872 一つの作品としてまとめ上げて
いきます。

 継続は力なり。





IMG_8940 2023美術展出展作品
 名刺入れです

木と共生する首都 木を切る佐賀

IMG_8866 再整備が進む佐賀駅南口。4車線道路を2車線に減らして、歩行で楽しめるスペースを作るようですが、計画を進めるために中央分離帯に育つ楠木を切ってしまうようです。昭和51年の佐賀国体に合わせて佐賀駅を移転・高架化したときに植えられた楠木です。小学校入学と時期が重なりますので、同じ時代を生きた友達のような存在です。

IMG_8865 伐採される9本の楠木たち。生かす街づくりを計画できないのでしょうか?
 7年過ごした東京。佐賀で想像する東京は自然や樹木とは無縁の街、そう思っていましたが、現実には違っていました。東京の街造りは、木と共生しています。世田谷で観たけやきヒルズは、象徴的でした。


 歴史を観ると文明都市として栄えた街は、木を切ることから衰退が始まります。
 東に川、南に海、北に山をもつ佐賀は「都」になる地理的要因をもちながら、それを生かす街づくりに取り組めないことは残念でなりません。

地理と歴史を學ぶ必要性について

 戦後教育で日本人は日本の歴史、日本の領土について考えなくなったといわれます。

 小さい頃から地図を見ることが大好きな私ですが、歴史は40代になってから勉強するようになりました。では、地理や歴史はいつから始めたら良いのでしょう?

 今月、ふとしたことから気づきました。

 地理や歴史とは、学校の教科書で学ぶものでも、図書館やテレビ、新聞から学ぶものだけではないのだと。ご自身の住まい、ここにも地理は存在します。一戸建てならお隣との境界線です。マンションなら建物の境界はもちろん、個人が所有権を有する部分と共有部分を分ける境界線があります。歴史とは、自身のお父さんお母さん、それぞれの両親にあたる、お祖父さん、お祖母さん、そのまた両親にあたる、ひいおじいさん、ひいおばあさん。そんな身近な地理や歴史を学ぶこと、教えることを忘れてしまったのが戦後社会、戦後教育だったと。

 幼少期にはご自身の住まいの地理や家系の歴史を、親が教える必要があります。

 小学生くらいには、地域・集落の地理、境界線、その成り立ち、そして菩提寺の歴史を地域の人々で教える必要があるでしょう。中学を卒業すまでには、都道府県の地理とその歴史を学校や社会で学ばせる必要があります。

 その積み重ねが、日本の地理・歴史を生涯にわたって学び続ける礎になります。

 日本の領土を知らない子供たち。(大人も知らない)

 日本の歴史を学ばない子供たち。(大人が教えられない)

トインビーは言ってます。神話を学ばない国は必ず滅びると。

 家庭も国家も同じです。地理を学ぶ習慣、歴史を探究する心。そこに愛が生まれ、誇りが生まれ、成長するのです。

大人の修學旅行4 西田幾多郎を訪ねる

大阪港
新大阪駅
〜京都〜金沢〜宇野木
ポイント
015哲学の道






025









IMG_2060西田幾多郎記念館

お盆に準備するもの

 8月13日から15日のお盆の期間に、お参りに来てくださるお坊さん。お渡しするお金を入れたのしに何と書くか迷います。我が家の菩提寺である勝厳寺の副住職・大野英章さんに確認したところ「御礼」とするのが、よろしいそうです。
 参考までに。

(8月13日夜)
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(8月14日朝)
1708141








(8月14日昼)
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(8月14日夜)
1608143夜








(8月15日朝)
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(8月15日昼)
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(8月15日夕)
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(8月15日夜)
1608154夜








(8月16日朝)
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時折、気にかけて撮影していた
お盆の備え。参考にするときが
まもなく訪れます。

https://www.yakyu-ouen.net/lions/




虫の知らせ

 人間が自然から「人」としての「道」を伺いたいのであれば、五感と第六感を研ぎ澄ませておくことが必要です。教えてもらえる人と、もらえない人がいるのではなく、繊細な自然の声を聞く気があるか無いのかに違いがあるのです。
 ビジネスで使用している知識や携帯電話に気を散らしていると「気のせい」と呼ばれるその密やかで、深慮な教えを聞き漏らしてしまいます。
 この地上に、大自然が目の前で見せてくれている、様々な生態と光景に優る教科書はありません。自然も人為も同じ、偶然はありません。全ては必然です。

IMG_8267 令和4年5月31日8時半。私は台所とリビングの掃除機かけを残して、小城市が開催している健康診断へ出かけました。
「健康診断は、長く待たせられるよ。」
 母の言葉に、
本を持って行くから待たされても大丈夫。
と答えていながら、出かけるときには本を持って行くことを忘れていました。

 順番待ちで待機しているときに、会場の「ゆめりあ」では、停電が頻発していました。電気を必要とする機械を用いる検診は、一時、中断します。

「一度、本を取りに帰ろうかな」
「電話して、家から届けてもらおうかな」
そして、停電による中断が無ければ・・・。

検診を終えて帰宅しようとした私に父からの電話が!!!
「お母さんが倒れた。救急車を呼んでいるけど・・・」
急ぎ、自転車で帰ったものの、身体は青白く、脈がありませんでした。

AEDもない、できることは心臓マッサージ(人工呼吸)。

まもなく到着した救急隊の方々に、後を引き継ぎました。
AEDによる電気ショックで、心臓の波形こそ戻ったものの、血流の止まった時間が長く
令和4年5月31日17:01
母・飯盛久子は永眠しました。

どこか一つの行動が違っていたら、違う結果になったかもしれません。
しかし、そうならないのが運命であり、奇跡なのです。

これまで、母と出会い、素敵な人生を歩ませていただいた皆様との出会い、奇跡に感謝を申し上げます。(親族代表の挨拶

20220601 告別式の案内

東京を護る神仏たちを

 東京で仕事を始めて7年。節目には「山王日枝神社」「神田明神」「日比谷神社」へ足を運んできました。今月初めに靖国神社を参拝した後に、以前学んだレジメにメモした東京を護る神社仏閣が山手線の内側だけで、これだけもある、というものを見つけました。
 昨日と今日、二日かけでお礼のお参りをし、それぞれ「御朱印」をいただいてきました。

IMG_6737 湯島天神








IMG_6746 湯島聖堂








IMG_6764 伝通院








IMG_6784ちょっと一息、播磨坂の桜








IMG_6801 東京大神宮








IMG_6873 最期に渋沢栄一、徳川吉宗
両氏にゆかりの飛鳥山公園へ


靖国神社を初めて参拝しました

 保守思想、比較すれば最も右の思想といわれた経験のある私ですが、これまで靖国神社を参拝したことがありませんでした。併設された遊就館を訪れ、時間をかけて資料を読み感じた経験はありますが、参拝にはちょっと引っ掛かるところがありました。
 今から20年くらい前になると思いますが、新聞で目にした昭和天皇の回想に関する記事で、昭和天皇が靖国神社の参拝をやめた理由が、松岡洋右元外務大臣と白鳥敏夫元駐イタリア大使を合祀したことを許すことが出来ないことが記されていたことにありました。
 一般報道では、人物を特定することなくA級戦犯7人が合祀されたこと、と取り上げられる一方で、名指しされる二人は直接戦死した訳でもないのに祀られた理由が分からない(納得できない)のです。命をかけて戦い、終戦後に亡くなった人は他にもいます。祀るものと祀らないものの線引きを誰がどのような判断で行うのか、そこが理解できないのです。

IMG_5699 そんな気持ちを変えてくれたのが、先月招待券をいただいて見に行った映画・愛国女子でした。映画を視ていて頭で考えて参拝しないことよりも、そこに日本国家のために命をかけた先人が祀られている、そのことに対して理屈を抜きに参拝しようと思えるようになったのです。


 人それぞれ、立場や価値観は異なります。
IMG_5695 強制するものではないでしょう。しかし、この問題に対する議論を避け続けたのでは、日本人そして国家が失った「勇気」を取り戻すことはできないでしょう。
 人は何のために生まれてきたのかを改めて考える上でも、重要な機会となりました。

信貴山朝護孫子寺へ寅参りに 

 壬寅年の寅の年寅の月に信貴山へ参拝しようと、計画がはじまったのは約8年も前のことです。その時は信貴山の名前すら知らず、ツアーのメインイベントは空海が開いた天空の都市、高野山でした。その後、高野山への呼びかけはありませんでしたが、信貴山のツアーは毎年恒例となり、私も3回参加させていただきました。
 コロナ騒動で信貴山の毘沙門天結縁勧請の儀は10月に延期されましたが、聖徳太子が授かった勝利の秘宝はどのような環境の下に届いたのか、その空気を感じたいと思い、寅の刻に信貴山朝護孫子寺へと向かいました。
IMG_5638 まずは腹ごしらえ。というわけではありません。午前3時からお参りするために、麓の王寺駅で時間調整のために入ったのが駅にある吉野家さんです。午前2時までの営業ということでしたので、ちょうど良い時間です。駅前には沢山のタクシーが止まっており、閉店からタクシーで登れば「楽勝」という魂胆です。
 ところが、思っているほど現実はあまくありません。午前1時半過ぎに外を見ると止まっているタクシーは1台だけ。そのタクシーもまもなく、お客様を乗せて出発してしまいました。駅に戻ってくるタクシーは・・・・。
全くその気配すら感じることが出来ません。

 覚悟して徒歩で参拝することを決断しました。新月の夜、しかも数時間前まで雨が降った夜です。夜景が綺麗、なんてことは全くありません。闇夜を進みます。2月までの厳しい寒さ、強い風がないことが幸いでした。しかし、いつもの参拝でお世話になっていた観光バスでは想像できません。1400年の昔、信貴山に陣を構えることがいかに大変なことだったのかを実感する機会になりました。
IMG_5642 1時40分過ぎに王寺駅を出発してちょうど1時間。信貴山の山門に着きました。あれ、こんな山門あったっけ??
そうです。観光バスで来るとここは通りません。これも新たな発見でしょう。




IMG_5645 寅の張り子が沢山供養として並べられています。







IMG_5650 お寺なのに鳥居があるのは信貴山の特徴かもしれません。昔は神社とお寺を普通に並べて、信仰していたことの歴史を感じさせられます。





IMG_5660 そして午前3時の時を待って、朝護孫子寺の参拝に石段を上り進めました。境内には・・・・・・。
 コロナ騒動の下とはいえ、境内の様子は想像を絶するものでした。




 今年4月8日には、聖徳太子没後1400年の節目を迎えます。一人の青年の夢が護ってきたこの国ですが、一万円札肖像画の交代から約35年。その功績を正しく学ぶ機会は失われてしまいました。五黄土星で世界が荒れる今、私たちは改めて歴史・太子の偉業を学び知る必要があると感じます。

余談
IMG_5668 帰りの新幹線チケットです。新橋の金券ショップの安いお店を探して購入した京都から東京までの新幹線自由席のチケットでしたが、これ・JR東海の株主優待によるもの。下車予定の五反田、新橋へは別に山手線の乗車券を購入しなければなりません。利用者によっては最安値ではないチケットでした。

幻の信貴山研修「寅寅寅」

IMG_5379 今日は寅の年、寅の月、寅の日です。聖徳太子が戦勝を祈願したことで知られる12年に一度の機会にみんなで信貴山研修に行こうと誓ったのは8年前の秋。年初には100名で参加することが決まっていましたが、その後のコロナ騒動で中止になってしまいました。しかし、みんなで同じ時刻に梵字を書いて祈りを上げようということが提案され、先ほど寅の刻に行いました。
 久しぶりに集中してとった時間。出来映えは・・・・・・。ただ、課題だった縦の線に改善のヒントが見えました。大きな成長のきっかけになればと思います。

32時間断食を行ってみました

 食と健康についての情報をくださる元気の学校、公開された情報の中で鶴見隆史先生の断食が気になり、著書の「3days 断食」を購入して読んだ後に、実際に断食を計画して実行しました。

 実施したのは今月17日月曜日の21時半から19日水曜日の5時半まで約32時間。月曜夜は仕事なので普通に食事をとり、勤務中は水と塩以外は一切口にせず。仕事が終われば、いつも新橋でランチをとりますが、それを省いて帰宅。空腹に耐えるためになるべく寝て過ごそうと考えたのです。とはいえ空腹で寝るのは結構辛い。いえ、最初は仕事の疲れで眠れるのですが、一度目が覚めると次に寝付くのが難しくなります。16時から19時くらいが一番の辛かったようです。いつもの食事時間である21時頃は、ずいぶん楽な気持ちで過ごすことができました。

 休日は夜も寝ますので、目覚めた5時過ぎから少しずつ「回復食」をいただきます。

IMG_4826 まずは5時半に「白湯」と「梅干し2個」です。
 本には塩抜きした梅干し、とありましたが白湯抜きはしておりません。一昨年の夏に、我が家で漬け干した梅干しです。




IMG_4828 続いて7:20に「すりおろし大根」。これには醤油をかけるのではなく、自家製のお味噌を薬味にしていただきました。せっかく始める断食ですから、おろし金にもこだわって、東急ハンズで新しく購入してきました。
 たかが大根おろしと思っていましたが、結構、お腹にたまります。


IMG_4829 お昼は13時近くになってから。朝と同じすりおろし大根に、「干し柿」と「冷や奴」をいただきました。
 お豆腐はこだわってスーパーに並ぶ物で一番高い物を。360gで250円を超えます。
 干し柿は、お正月に準備した佐賀市大和町松梅の上野さん宅から購入した物です。


IMG_4830 にがりが違う、大豆が違う、お豆腐がこうも違うのかと驚きました。口の中に広がる大豆の香り。人生でこれだけ美味しいお豆腐は初めて。そう思えたのは断食明けのせいばかりではないでしょう。
 豆腐が大きかったので、干し柿は食事の時に1個食べて、夕方目覚めたときの空腹を和らげるために残りの一つをいただきました。
IMG_4831 夜の9時過ぎ、いつもと同じ出勤前の食事です。せっかくの断食明けですから動物性タンパク質を避けてまとめてみました。
「高野豆腐」を中心とした煮物。「ひじき煮」「焼き海苔」「生味噌」




 32時間の断食。予想よりも楽に終えることができました。一方で、期待した効果の一つ代謝が良くなり排泄が良くなる、ということを実感することはありませんでした。次回、佐賀に帰った夏以降になると思いますが、48時間の断食に挑戦したいと思います。

電子マネーには困ります

先日、タクシー代7220円の支払いを
「iDで」
と、おっしゃるお客様がいらっしゃいました。
iD ?
弊社では扱っていないはず。と思い
資料を確認すると、使える電子マネーの一覧にありません。その旨伝えると
「お財布を忘れたので、現金もクレジットカードもないんです。」
非常に困りました。本来なら110番通報して、お巡りさん立ち会いの下、判断を仰ぐところですが、20分後に別のご予約お迎えが入っており、時間がありません。
最短で処理できる方法は。

お客様に後日、銀行振込を行っていただくことにしました。

担保は「出会いに対する信じる心」です。

相手を信じることのできる者、それを漢字で「儲かる」と書きます。商業の基本です。

とはいえ、お振り込みいただくまでの数日間は不安がつきまといました。無事にお振り込みいただいたことで、お互いの人格がちょっとだけ向上したのでは、と感じます。

日本で通用するお金は「日本銀行券」であり、財務省が造幣する硬貨です。クレジットカードやほかの電子マネーはいつでも何処でも使えるとは限りません。当然、使えるお店とそうでないお店があることは、もちろんですが、決済を行う端末やインフラの故障により決済できないことが頻繁に起こります。クレジットカードは時間がかかるものの端末以外に、コールセンターを通して認証してもらう方法がありますが、電子マネーは端末の故障、通信障害など、様々な理由で利用できなくなります。

常に、現金での支払いができるように準備しておくことが必要です。
使用できることが明示されたお店ならともかく、そうでない場合には「警察」のお世話になることもありますからね。

天は地を覆い 地は天を載せる

 いろいろな批判もありましたが、眞子内親王殿下の結婚が来週実現できることに喜びを感じております。成人皇族の減少や皇位継承など国民の心配は絶えません。しかし、皇室典範の定めがあり戦後の陛下が、それを尊重してお務めくださるのでありますから、私たち庶民が余計な心配をするべきではないと考えます。

 聖徳太子がつくった十七条憲法。その三条には、

三曰、承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆臣載。四時順行、萬気得通。地欲天覆、則至懐耳。是以、君言臣承。上行下靡。故承詔必愼。不謹自敗。

三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め、君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。ここをもって君言えば臣承(うけたま)わり、上行けば下靡(なび)く。故に詔を承りては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん。

とあります。婚約内定から4年間、眞子内親王殿下の結婚問題では皇位継承に絡み、いろんな力が働いたと推測されます。しかし、十七条憲法の精神に戻って考えれば、皇室の問題を役人や学者、そして国民が意見していることこそ問題ではないでしょうか?

 皇位継承の問題は、天に任せるべきことであり、私たち国民は意見することではなく、決まったことをともに喜ぶことが大切だと考えます。

唐津から2時間の船旅 壱岐へ

IMG_2618 国境の島を訪れて1年。今年は唐津から船で行くことができる島・壱岐を訪れた。天気予報では「壱岐・対馬地方」と一つにまとめられた二つの大島。神話・古事記の中では、その誕生を別々に紹介され、大きさや風土、環境も全く異なるのに、あたかも同じように認識してしまった私たちの価値観。
 それぞれの島へ実際に足を運んだことで、知識による先入観が時として偏見の目で見てしまっていることを再認識させられる。

IMG_2671 壱岐は南北17km、東西14kmほどで、大きさは対馬の約5分の1。小さいというイメージからレンタカーではなく、公共交通(タクシーとバス)を使って島巡りをしたが、時間効率が悪く相当な距離を歩くことになった。せっかく運転免許証を持っているのだからレンタカーは使うべきだと実感した。
 さて、唐津からフェリーで1時間45分。印通寺港に到着して、どこへ行くか(見るところ、泊まるところ)を決めるために観光案内所へ。そこで、干潮の時しか渡ることができない小島神社をすすめてもらった。タクシーで10分ちょっと。約2000円で島の入口に到着。
IMG_2688 参拝のルートなど、運転手さんが親切に教えてくださったが、自然の流れに身を任せて神社へ足を運ぶ。
 少し足場の悪いところだが、宮崎県の青島を思い出させていただくような気持ちになった。2000年前、大陸からの船でやってきた人々は、ここ内海湾で小舟に乗り換えて、原の辻へ向かったそうだ。


 唐津の港には食堂がない。フェリーにも売店はない。昼食をとっていない島巡りは食事が難しいことを、あらためて経験させられることになるとは。

時刻は15時半。この後どこへ行くか、どこに泊まるか?

朝日を見ながら海に入りたい

 せっかく島へきたのだからそう考えてしまう。壱岐は西側に温泉宿もあるのだが、朝日を見るには東側でなければならない。学生の頃、壱岐の芦辺町出身の後輩がいたことを思い、芦辺町の宿に電話を入れてみる。宿泊できるということで、一旦バスで宿を目指す。
IMG_2725 荷物を置いてガイドマップを見ながら、芦辺町の食事処うにめし食堂はらほげへ電話してみる。
時刻は17時。
「そちらのお店、明日の営業は何時からですか?」
「10時から17時です」
「うに割体験とありますが、今の時期も可能ですか?」
「海女さんの漁が今日まででしたので、今日で終わりました」
 非常に間が悪い。そもそも、小島神社から電話していれば歩いて行くことができたお店。

 仕方なく食事を求めて徒歩で町歩き。まずは壱岐神社。

IMG_2739 近くに「寿司割烹 豊月」というお店が紹介されているが、18時を過ぎても看板は「支度中」のまま。
 少弐公園を見学して芦辺の街中へ。





IMG_2743壱岐牛のお店「味処うめしま」とガイドに載っているものの、コロナの影響か、食堂の営業はやっていない。
 旅行らしからぬイオンへ足を伸ばすことになった。




IMG_2767 翌朝、5時10分の日の出を目指して清石浜海水浴場まで20分の道のりを歩く。







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IMG_2791 芦辺港








IMG_2796 芦辺港から見える朝日








IMG_2799 港の脇に咲く花々








IMG_2803 旅館に戻り朝食。
 2日目は、バスで芦辺から勝本、郷ノ浦を経由して原の辻遺跡を目指す。
 芦辺7:50発郷ノ浦行きのバスに乗車。1000円で一日乗車券を購入する。車内から窓の外を撮影していた私に、勝本入口で運転手さんが
「ここで、次に来るバスに乗り換えた方が景色の良いところを通るから」
と教えてくださり、湯本湾を巡るバスで景色を楽しむ。
 柳田でバスを降り、壱岐国一宮の天手長男神社へ足を運ぶ。次のバスまで20分の時間で参拝を終え、再び郷ノ浦行きのバスに。
IMG_2815 八畑のバス停で印通寺経由芦辺行きに乗換え、原の辻遺跡へ。
 島のイメージとは異なり、壱岐の平野は広い。なんと、長崎県では諫早平野に次ぐ2番目の広さだと。吉野ヶ里遺跡から南を見るほどの広さは感じないが、同じ時代に栄えた所なので景色も似ている。佐賀で例えるなら北波多あたりの景色に似た感じがする。
IMG_2963 日差しの強い遺跡から、小高い丘の上に経つ一支国博物館へ森の中を歩いて目指す。黒いトンボに導かれて・・・。






IMG_2968








IMG_2973 自然がつくる造形美








IMG_2979 一支国博物館








IMG_2997 博物館の展望台へは、入場無料のエレベーターで上ることができる。高いところから見る原の辻遺跡と広がる水田、まさに百聞は一見にしかず。





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IMG_3015 有料(一般410円)の常設展示室では、遺跡案内のシアター上映とともに、通常はレプリカで展示されている「人面石」なども、実物を見ることができた。





IMG_3023 印通寺港から唐津へ向かう船は、バスの接続が悪いようだ。港で1時間半ほど時間があったので、お土産を買う前に松永安左エ門記念館へ足を運んでみた。観光客の少ない時期、スタッフの方も熱心に説明してくださる。



IMG_3031 帰りの船からも玄界灘の島々を楽しめる。この島は・・・。地図アプリが役に立つ。







IMG_3043 壱岐を離れて90分。左手に唐津城がお出迎え。
 フェリー乗り場が呼子から唐津東港に移ったものの、私たちの意識では遠い島。そんなイメージを持っていたが、日帰りでも十分に楽しめる島だと感じた。片道1740円、軽自動車ならレンタカーよりもマイカーで。
 そんな感覚で繰り返し足を運び、歴史を学びたい場所だった。


夫婦別姓 再び認めず

 一昨日、最高裁判所大法廷で「夫婦別姓を認めない民法と戸籍法の規定が憲法に違反するか」の判決で裁判官11人の賛成で「合憲」と判断されたようです。
 この種の問題を考えるときに「時代に合わない」「不利益を被る」などの声が聞かれますが「国の成り立ちについて考え直すことが必要な時期を迎えているのではないか」と感じます。損得や今の価値観で物事を判断するのではなく、この国はどうあるべきかを歴史に学び議論する必要があると。
 1300年を超える世界最長の歴史を持つ日本国。そのあり方は、誕生して100年〜250年の国に合わせる必要はないはずです。それぞれの国が、それぞれの歴史、成り立ちを尊重してこそ、共存共栄の世界が持続されるはずです。

コロナで崩壊、現代貨幣理論の危機

現代貨幣理論を使う日本の条件(2019/12/4投稿
 お金の話、というと多くの人が関心を持ちますが「金融」とよんで理論化されるとほとんどの人が離れてしまいます。そんな世界で、現代貨幣理論(MMT理論)というものが注目を集め、これまでの経済学者と真偽について議論がなされています。

 現代貨幣理論は、一言でいうと
「自国通貨建てで国債を発行する国は、インフレを起こさない範囲で国債の発行が出来る」
というものです。私もこの理論に賛同しますが、日本がこれを行うためには、2つの条件を満たす必要があります。

1.エネルギーが自給できること

2.食料が自給できること

現在の日本は、どちらも満たしていません。国債を発行して通貨の流通量を増やすことは出来ますが、全ての日本人、あるいは日本に滞在する人々が暮らすためのエネルギーを満たすことも、お腹を満たすことも出来ません。ゆえに、現代貨幣理論を実現するためには、発行する国債により得られた歳入を最優先で、この2項目に投資する必要があるのです。

1.エネルギーを自給すること
 過去に失敗した原子力、核燃料サイクルや自然エネルギーもありますが、シーレーン、石油を安定的に輸入できるための国際協力とそれを実現するための防衛力(海軍力)を補強する必要があります。
 ホルムズ海峡をはじめ、マラッカ海峡、台湾海峡と日本へ石油を運ぶためには、絶対に安全を確保しなければならない地域があります。これを他国に頼っている以上、外貨が必要であり自国通貨建てで運営している国家とは呼べません。

2.食料を自給すること
 政府が誤った統計を出すようになって、多くの人が勘違いをしてしまいますが、食料自給率とは「食糧」穀類の自給率であり、水の自給率です。カロリーベースや金額ベースでは、お腹を満たすことは出来ません。
 平成の30年間に、穀類を生産できる農地は埋め立てられ、飲み水を確保するための水源は外国人に売られ、水道事業は民営化(外資参入)が許されました。どれも、外貨でしか取り戻すことは出来ないのです。

 現代貨幣理論は、正しい理論だと感じますが、日本で採用するためには、2つの条件を政府・自治体が最優先課題として努力し、国民がそれを後押しすることが必要だと考えています。
 コロナ騒動で、無秩序に給付金・対策費用が計上さればらまかれています。給付金には現代貨幣理論を先導して推進した人たち(私も勉強させていただいた藤井厳喜氏など)も賞賛されていますが、私は現代貨幣理論が間違いだったという汚点になるのでは、と危惧します。

 私は現代貨幣理論が正しいことの前提として、自国通貨で国債を発行できることのほかに、エネルギーと食糧の自給が必要だと考えていますので、エネルギーまたは食糧の安定供給につながらないコロナ対策予算は、誤った発想で行われた財政出動だと感じております。
 コロナ対策として行われるべきは、製造業・技術開発に対する需要をつくることであり、例えば三菱が開発していた国産ジェットの需要や技術転用をつくること、製造業の雇用を拡大するため、あるいは防災のための予算を拡充するべきだったと考えております。

 現代貨幣理論は正しい、しかし条件を誤ったコロナへの対策にこの理論を用いた政策は誤りである。そのことを明確にしておきたいと思い、あらためて記事にしました。

令和3年の神宮参拝

IMG_2185 雲一つない青空・・・・。いや、この日は沢山の飛行機雲が、キャンバスにメッセージを添えていました。令和3年の神宮参拝。
 三碧「林」の中から見上げる六白「天」の中に流れる一白「雲」。昇華した水は、行動に対する最高の評価と受け止めました。



IMG_2216 伊勢市の駅前に宿泊して、6時前に月夜見宮へ参拝。
 8時にチェックアウトして外宮の参拝。
 外宮から内宮へはバスで440円ですが、猿田彦神社前までバス移動(310円)して10時半に内宮へ。五十鈴川を越えて別宮へもゆっくりと足を運びました。
(外宮から神宮会館前は 350円)

 内宮から中村町まではバスで230円ですが、天気も良いので徒歩移動。月読宮の4柱をお参りして伊勢市駅へ(310円)戻り昼食の後、15時過ぎに宿で預けていた荷物を受け取って、近鉄電車で桜井駅を経由しJRに乗り換えて帰路につきました。

過去の神宮参拝
2006-08-13
2008-01-04
2009-09-20
2010-05-04
2011-03-13
2012-01-17
2013-07-12
2014-01-12
2014-05-25
2015-04-03
2016-06-06
2017-05-02
2018-05-20
2019-05-01
2020-03-23

八次元の世界を生きる哲学者

IMG_2048 日本人として生きた最高の人格者の一人「西田幾多郎」先生。その思想に触れるために石川県かほく市にある西田幾多郎記念館を訪れました。西田幾多郎先生を知らない人は多いかもしれませんが、京都・東山にある哲学の道はご存じの方も多いかと存じます。
 歩きながら禅を体験された道です。


IMG_2018 生まれた場所の厳しい気候。家族に訪れる不幸。そして自らを襲う不幸。その生涯を体感できるような施設でした。
 哲学施設ということで、瞑想できるかな? と思っていましたが、強い風と寒さで落ち着くことが出来ません。その気候を感じたことで、先生の育った環境を体感できた、そんな気がします。


IMG_2030 JR七尾線宇野木駅(金沢駅から450円)から徒歩で20分ほどの丘の上に記念館は建っていますが、不安定なお天気でしたのでタクシーを利用しました(690円)。
 11時半に到着して、施設を見学しては喫茶コーナーや展望室で休憩しながら4時間半。瞑想は出来ませんでしたが、資料にはゆっくり目を通すことが出来ました。
 その中で気になったのが、昭和15年に収録された山本良吉氏との対談レコード「創造」です。

〜以下、資料を引用〜
「全体主義は人間の創造性を否定する」

西田: たとえば今日の個人主義とか全体主義とかいう、そういうふうなことも、そこから行かんならん。全体主義って言ったって、あれはそのなんだね、全くこう創造を否定する、つまり動物的になる。

山本: 個人だけはね。

西: 個人じゃない。全体主義、全体が、個人を否定する。全体主義。

山: そうかな。

西: そうなんだ。そりゃ 全体っていうことは、すべて何かその一つの人間のこの個性のそれからして人間の創造性を否定してゆく。

山: 否定するものは誰だ。

西: え?

山: 否定する主体は。

西: 否定する主体は、なにか、その、あれは、そのなんだろう。ある一つの団体であることもあるだらうし。
〜以上、資料の引用〜

 収録されたのは、右翼全体主義の思想が社会を支配する時代です。この音源は、(特高警察など)思想を管理するところから先生を守るために、当初は表に出されなかったとのことです。そして、先生がお亡くなりになったのは終戦直前の昭和20年。まさに生きるべき時代を選んで後生の私たちに思想を遺してくださっているように感じます。

 2020年。左翼全体主義(コロナ全体主義)による思想統制が始まりました。レコードに収められた対談をそのまま現代に当てはめることが出来ます。気の学問の教え
「創造力を失った社会は未来を失う。」
頭の良い政治家や現代社会をリードする経済人、学者先生たちは理解できずにいます。

 コロナ全体主義主義の今を乗り越えるためにも、歴史上の人格者から学ぶべき教えがあることを、多くの人に伝えなければと感じる学びの機会でした。

岐阜へ法友の農場を訪ね行く

IMG_2133 元競輪選手の法友が農業を始めたということで、東京からの帰りに岐阜の農場を訪ねました。メインの作物は「黒ニンニク」ということでしたが、約30aの田圃などを借りて様々な野菜を育てられていました。タマネギだけでも私の自宅で育てている量と比べものになりません。


IMG_2142 この日は、私を歓迎して仲間のご夫婦とともに畑でバーベキューの準備をしてくれていました。
 私は知らないはずの、お知り合いのご夫婦。なんとご主人は6年前にベトナムを訪れたときに、お目にかかりお食事をともにしていたとのこと!! 佐賀に戻って確認したら名刺交換して、FBでメッセージ交換もしていました。
 縁はどこでつながるか分かりません。まして法友の縁ですから。

IMG_2149

東京オリンピック開催への願い

 未だに、東京オリンピック中止を願う日本人が多いことを憂いながら、コロナ騒動が始まる直前の昨年1月、ギリシャを100人の団体で訪れることが出来た法友たち。その奇跡と先生の青春時代のお話を伺いながら、この夏に東京でオリンピックが開催される意味を考えてみた。

 先生は、現代社会ではスポーツと信仰の順番をはき違えていると教えてくださいます。現地・オリンピアでは「神殿に挨拶してから行う」そうです。しかし、現代のオリンピックは先にお金が動いています。

金が引っ張っている 神様を勉強しないと


健全な信仰心の上に、健全な肉体が宿る。


 第4回ロンドンオリンピック(1908)の陸上競技では、アメリカとイギリスとの対立が絶え間なく起こり、両国民の感情のもつれは収拾できないほどに悪化していました。その時にアメリカの司教がセントポール大寺院の礼拝で述べた
「このオリンピックで重要なことは、勝利することより、むしろ参加することであろう」
というメッセージが語られました。(ニッセイ基礎研究所サイトより引用)

このメッセージを、当時のIOC会長のクーベルタンがとりあげ、次のように述べました。

「勝つことではなく、参加することに意義があるとは、至言である。人生において重要なことは、成功することではなく、努力することである。根本的なことは、征服したかどうかにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある。」
(「近代オリンピック100年の歩み」(ベースボールマガジン社)より引用の引用)


 東京2020で重要なこと。メダルの色、勝ち負けではなく、開催することに意義があり、そこに参加することが出来た選手たちに、私たち日本人は支援し、声援を送り、賛美することを喜びにすべきではないだろうか。

 コロナウイルスという騒動に1年待たされ、それでも恐れることなく挑戦する姿勢に、惜しみない拍手を贈りたい。

丑年の意味は結ぶ

 今年は「辛丑」

 寂しいことに、親戚から届く年賀状の中に「今回で失礼します」という葉書が数枚。

 丑年のテーマには「人との縁を結ぶ」という意味があります。辛い年に他人を一つ加えることで「幸」に変えることが出来るのです。

 学校教育で頭の良くなった日本人ですが、戦後教育から「學」が抜け落ちた結果、漢字や時間などから学ぶことが出来る「格」を失いました。
 大切な情報はテレビや新聞ではなく、自らの記憶の中にあります。記憶を振り返って未来を発展させて欲しい、そう願っております。

バスに乗り遅れるな

 コロナ対策のワクチン接種報道を耳にすると、80年前の三国同盟を結ばせようとする社会の報道「バスに乗り遅れるな」と同じことのように聞こえてきます。

 反対派の意見を罵倒し、三国同盟を結んだ日本は対米戦争への道を歩みました。

 イタリアは早々に降伏し、日本敗戦の時には日本から賠償を穫る側に回りました。
 中華民国と戦う日本に対し、ドイツは中華民国へ武器を支援しました。
 シベリアを攻めたドイツは日本に、ソ連を東から攻めて挟み撃ちにすることを求めましたが日本は躊躇し、ソ連の反撃が始まった1941年12月に、ソ連ではなくアメリカと太平洋諸国の植民地解放へ軍を動かしました。

 三国同盟の意味は何だったのでしょう? バスに乗り遅れた方が良かったのでは。

 そう思う社会が繰り返されるのでしょうか?

 歴史に学び、反省して社会を成長させることが必要です。日本は「戦争した日本が悪かった」という思考にとどめられています。正しい反省
「何故、負ける戦争をしたのか」「何故、戦争に負けたのか」。
そのことをしっかり反省しなければ、バブル崩壊後の失われた30年もコロナ対策で後手に回る対応も解決の糸口をみることは出来ないと感じます。

2021年の三社参り 東京編

IMG_1091 2月8日に東京へ戻った後、こちらでの初詣は職場そばの日比谷神社へ。仕事の都合で時間がとれませんでしたが、11日のお休みに山王日枝神社へ足を運びました。
 建国記念日という理由でしょうか。いつもより長い参拝の列が出来ていました。



IMG_1096 続いて神田明神へ。
 東京で仕事をするようになって6年目も、ここでお金をいただけること、お金を回すことが出来ることに感謝です。

Force

 Forceというのは、脅迫、恐喝、詐欺や犯罪者をかくまうなど、自分の意思を、権力やその乱用を通じて、他人に強制することです。
 ワシントンの全ての要素がアメリカ国民を裏切ったのです。この全体主義の権力奪取に。上院、下院、行政機関、最高裁、全てがアメリカ国民を裏切りました。
 その結果が、2万5千人もの州兵によって警備されなければ就任式を行えない大統領を誕生させました。今、アメリカの政治家はアメリカ国民が怖いのです。

 2020年11月に起きたクーデターから2ヶ月。その真相を伝える動画配信の中で、非常に重要なキーワードだったと感じ、ブログで紹介させていただきました。

 同じことが今、日本でも進行していませんか?

 マスクを強要し、他人を誹謗中傷、そして排除する動き。
 施設や公費を整備することなく、入院を強制しようとする権力。

 午後8時と午後10時の説明すら出来ないのに自らの理論を正当化。
社会を分断するマスメディアと権力者たち。

 いずれ、ワクチン接種も権力を楯に強制するのでしょう。拒否するものには高額の罰金。懲役。社会排除。・・・・

 武漢肺炎・コロナウイルスを「生物兵器が漏れ出した」という声もありますが、私は「コウモリを通して人に感染した」という主張を信じています。
 もし、生物兵器だとしたら開発した人でなければ、ワクチンをつくることは難しいでしょう。一方で、コウモリから感染したのであれば哺乳類にも感染するはずです。人間の行動には「マスクをしなさい」などと制約をかける一方、犬や猫にはマスクの着用を呼びかけません。(させられるはずなどありませんが)室内で共同生活をすることで変異したウイルスを生じるリスクがあります。変異すれば、ワクチンの効果は希薄化されます。
 明らかに、都合の良いところだけ制限をかけ、自らのビジネスに不利益を被るところには、目をつむっているようです。

 この一年の騒動で神社やお寺でも、その伝統や権威を捨ててしまいました。もう一度、このままで良いのか考え直して欲しいと感じます。指導者としての「勇気」はありますか?

 アメリカ国民が怖いアメリカの政治家が、日本人を守ってくれるはずなどありません。

 私は伝統文化を破壊する活動には反対します。自由民主主義を愛する日本人として。

立春と節分

 街中のスーパーマーケットやコンビニでこの時期見かける「恵方巻き 予約受付中」の旗印。今年は、そこに一言加えられた案内が。
 今年の節分は、2月2日です。

 うん、確かにカレンダーを見れば立春は2月3日ですから、節分はその前の日「2月2日」で正解です。商売上は問題ないでしょう。しかし、節分や立春は季節の変わり目。神事の一つでもあります。

 「暦」をみると、2021年(令和3年)の立春は 2月3日23時59分 とあります。

 ほぼ、2月4日と言ってもおかしくはありません。それでも、カレンダーの「立春」「節分」の文字だけを見て、豆まきを行ったり、神社へ参拝に行っても、春は近いけどまだここにあらず・・・。
と、いったようなことになります。さらに付け加えれば、2月3日の23時59分に立春を迎えるのは、明石市などの東経135度の線上に位置する人たちなのです。

 天体の運行が、私たちの生体に影響を与えることを体系化した暦ですから、正しく使う必要があります。大目に見ても関西から東の人たち(東京ですと約20分早く立春は訪れますので)は、2月2日が節分、2月3日が立春として過ごす方法もあります。しかし、明石より西に位置する九州では、約15分遅れて立春を迎えます。どう転んでも、2月4日が立春なのです。

 この一年間、社会を二分する出来事に振り回されましたので、節分も企業の都合に踊らされることなく、その地域に合わせて過ごしてみてはいかがでしょう。

コロナワクチン後の世界を描く

 2年ほど前に法友の上村英樹さんから、一本の映画を紹介された。タイトルは「タイム」という作品で、通貨が時間に置き換わる近未来の世界を描き、富豪層は永遠の命を取り入れ、一方の庶民は日々の時間稼ぎに追われるというもの。
 その時は、あまり関心を引かずに放置していたものの、昨年春からの武漢肺炎とコロナウイルス。それを煽るメディアと振り回す政治家たち。ワクチンの開発利権とその安全性を疑問視する声が渦巻く中で、映画のことを思い出し視聴してみた。
 25歳の誕生日の姿でその後の人生を送る社会。お金に支配された世界以上に格差が広がり、生命の危機と隣り合わせの世界は、まさに今、左翼主義のエリートたちが目指す世界なのだと腑に落ちるものだった。
 コロナ騒動で広がる社会の格差。日本人として放置できますか?

謹賀新年2021 辛丑(かのとうし)

新年おめでとうございます

今年も東京で新年を迎えました。
これまでと異なり活気を失った東京。
學問に目覚めた2013年、当時より深刻に感じます。

一年延期された東京オリンピック。
無事に、盛大に開催されることを願っています。

気学上、新年を迎えるのは2月3日の深夜。
もう少し、庚子が続きます。

生き方の「更新」できましたか?


辛丑の十干は「辛」い。振り返って
2011年3月 東日本大震災 福島原発事故
2001年9月 アメリカ同時多発テロ
1991年3月 湾岸戦争 (同年は他に、6月普賢岳火砕流 9月台風17号19号)
1981年
1971年7月 ニクソンショック(チャイナ問題と金ドル交換停止)
1961年
1951年
1941年12月 太平洋戦争(大東亜戦争)始まる
1931年9月 柳条湖事件(満州事変)

その影響は、現代にも続いています。

干支は60年で一回りします。「還暦」です。
日々を振り返って反省の出来ている人は、還暦を迎えてから今年何が起こるか、何に気をつけなければいけないかを過去の記憶から指導することが出来るようになります。
その記憶を取り戻し、備える準備は出来ましたか?

「丑」の意味は、糸偏をつけた「むすぶ・人との縁を大切にする」という意味を持ちます。
辛いという文字に、他の人と交わることで棒を一本加えることが出来れば「幸」という文字に変えることが出来ます。

2020年11月、アメリカ合衆国でクーデターが起こりました。
東京オリンピックが中止になれば、来年の夏には・・・。

絶対に防がなければ、なりません。

東日本大震災と武漢コロナ騒動

IMG_0772 2020年の社会を振り返ると武漢肺炎・コロナウイルスの騒動に明け暮れた一年だったと感じます。
 ただ、その真相に心を配れば、人間の内側に潜む「欲望」、自分だけは生き延びたい、助かりたいという思いが社会を混乱させ、差別意識を目覚めさせるようです。
 振り返って、前回の「七赤金星」の年に起こった東日本大震災。
コロナ疾病も震災・津波被害も貧富の差が生死を分けることはありません。世界人口の1%の人が持つ資産合計の方が、残り99%の人々が持つ資産合計より多い現代社会。しかし、ウイルスや震災による死の恐怖は、貧富の差にかかわらず平等に襲いかかるのでしょう? 自然災害やウイルス感染以外にも死と向き合う機会が多い庶民と一部富豪層の思いの違いが報道やネットの規制を強め、外出を制限するなど庶民から自由を奪いました。

 この年の瀬に「寅さん」が生きていたら、どんな思いをしたでしょう?

 2020年「庚子」の年。更新を意味する「庚」で人々が変えたのは、人と接する機会を避け、マスクを着用することでした。
 この判断が正しいのか否かは、2021年が教えてくれます。来年は「辛丑」。

 正しい念いと心持ちで、良いお年をお迎えください。

戦後教育から抜けたお金の使い方

お金の世界で名を売る著名人たちの声

家計の方程式は
(貯蓄)=(世帯収入)ー(世帯支出)
これが絶対原則です。


市民オンブズマンが活躍するようになった平成の時代は、企業や自治体、あるいは国家思想まで

(内部留保)=(企業収益)ー(企業支出)
(プライマリーバランス)=(税収)ー(政策的経費)

という式に拘束されています。

この法則を守る限り、人々は幸せになれない


ことに気づいた私の生き方は、社会発展の道筋を見つけるきっかけと、人格向上につながる第一歩になるでしょう。

(布施)=(収入)ー(残金)


これは不変の法則です。

天はその人に必要な分だけ、お金を与えてくださいます。

過剰に蓄えるものではありません。
ローンでものを購入すること。そのお金は天が与えていないお金です。
勝手に使ってはいけません。

人々が幸せになる第一歩。それは「死亡生命保険」を必要としない道を歩むことです。

飯盛良隆
佐賀県小城市三日月町出身。
佐世保工業高等専門学校卒業後、ブリヂストン鳥栖工場設備課勤務。橋本龍太郎通産大臣の時代に第3種電気主任技術者の免状を取得。

建材店:サンコー商事にて14年間建材の販売に携わり新築・リフォームの現場に数多く潜入。戸建て住宅でもインテリアの重要性を感じ平成20年町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー福岡校に入学しインテリアの基礎を学ぶ。

平成22年、スメトコプロモーションを設立し住宅CMサービス佐賀の運営を始める。
平成25年2月、ダブルスネットワーク(株)社との契約を解消、住宅CMサービス佐賀の運営を終了する。

平成24年3月、帝王学(氣の學問、道の教え)を学び始める。同年6月
唐津から釜山へ新幹線で!

実現するためには長崎県と佐賀県をひとつに。そしてアジアや世界中の人たちが、自然と人の美しさを求めて足を運ぶ地域にする。

そんな夢を描き知事を目指して政治活動をはじめることに。 活動に専念するために平成26年6月末にて住宅に関する事業は終了。平成26年8月末にて(株)スメトコプロモーションを退社。
平成27年1月11日実施の佐賀県知事選挙に立候補。惨敗。
平成27年12月21日
東京エムケイ(株) 入社。
Tokyo2020オリンピック、パラリンピックの関係者輸送も経験


現在
眞理學指導員 (日産鮎川義塾)
稲作農業
佐賀タクシー勤務
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