飯盛良隆のi佐賀iよ〜したか

住まいづくりのコンシェルジュから転身 佐賀県知事に挑戦した飯盛良隆のブログです。

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震和会とは。(為雷)人生の試練や困難を切り拓き、奮いたつ勇気をもって、
(日本)の国を再興する、という意味です。

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趣味の旅行

本州のJR線制覇へ

 初めて列車に乗ったのはいつの頃か。古い佐賀駅〜久保田駅まで。降りるときにステップとホームまでの広さにちょっと怖さを感じた記憶が・・・。はっきり覚えているのは幼稚園のお別れ遠足の帰り。小城公園で解散の後、近所の同級生とお母さん達で高架化された佐賀駅の見学に。
 小学校に入学してからは時々、福岡の叔母のところに遊びに行った帰りに一人、急行「出島・弓張」号に乗せてもらって帰っていました。(時間帯によって走る「かもめ・みどり」に乗りたいと思っていたけど、一度も実現しなかった)
 本格的に鉄道旅行に目覚めたのは、小学4年の春休み。母と弟3人で、母の兄さん、父の弟がいる兵庫・大阪への旅。往路は「明星6号」で寝台車を体験。帰りは「ひかり23号」新幹線初体験でした。

 1980年代に実施されていたのが「チャレンジ20000km」という国鉄のイベント。中学に入り、国鉄佐賀線の乗車で入会したものの、国鉄分割民営化でイベントのことをすっかり忘れていました。学業の合間がのぞけるようになった18歳の頃、イベントを思い出し再チャレンジ。1990年3月14日までに、80線の踏破が認定されました。
 イベントは終わったものの、少しずつ乗車区間が増え、九州制覇、四国制覇に続き、本州のJRを乗り進めてきました。
IMG_4350 19歳の誕生日に訪れた十和田南駅。当時は「東北ワイド周遊券」があり、14日間自由席特急が乗り放題。夜汽車の急行がいくつも縦断しており、車中泊を繰り返した旅の最終日に選んだのが、JRバスで行く十和田湖でした。



IMG_4346 30年以上の時を経て訪れた駅は寂しく、1日10本くらい出ていたバスも今は予約制のタクシーに変わったようです。






IMG_4412 令和5年12月9日。本州最後に訪れたのが大湊線の大湊駅。
 冬期臨時営業の「越後湯沢〜ガーラ湯沢」、災害のために運休中の津軽線「蟹田〜三厩」。両区間は残りますが、JR線本州まで完走です。



 残るのは北海道。北海道新幹線札幌開業に合わせて、JR全戦制覇を目指したいと思いますが、赤字区間の廃止が続く中、残る室蘭本線「東室蘭〜室蘭」、札沼線、羽幌線がどのような状況になっているのか気がかりです。

長崎新幹線開業前の沿線から

IMG_8388 九州新幹線長崎ルート。武雄温泉〜長崎の開業まで25日ほど。今のうちしか体験できない、懐かしの景色(肥前山口〜早岐は通学などで約5年間、週末や毎日利用した。早岐〜竹松は夜間長距離徒歩で2〜5年生の時、毎年利用した。など)
 この日は肥前山口駅から出発。佐世保線・早岐・大村線・諫早・長崎本線の順で肥前山口まで一周してきました。
IMG_8399
 草原? を走る
肥前山口〜大町
博多から新幹線で長崎を目指すと不思議な世界に見えることでしょう。




IMG_8409 佐世保線の一部が複線化された
大町〜高橋

下りは新しく引かれたレールを走りますが、右側には、以前から使用されているレールが上り線として存在しています。



IMG_8421 乗換駅となる武雄温泉








IMG_8432 高架になっていた早岐駅








IMG_8464 竹松駅で途中下車。新幹線の橋脚を横目に、現在の隣駅
諏訪駅まで歩いてみると






IMG_8469 開業準備が進められる新大村駅








IMG_8487諏訪駅から列車に乗り込んで諫早駅へ。新しくなった駅ビルで乗り換えて、
第三セクター化される長崎本線
「肥前山口〜諫早」へ。この日は大潮。
引き潮の有明海を背にした小長井駅




IMG_8496 新幹線が開業するとみることができなくなる特急列車の追い越し。
土井崎信号所






IMG_8507 行き違いのために停車する
里信号所

この景色、まもなく見納めです。

川崎大師平間寺

IMG_7300 今朝は川崎大師平間寺へ出かけました。平日の朝ということで、駅前からの参道も境内も静かです。






IMG_7301 まずは大本堂に参拝。般若心経3回唱えて・・・。






IMG_7307 続いて不動堂にて、不動明王の真言から・・・。








IMG_7309IMG_7315境内中心に  八角五重塔。







IMG_7336 20の梵字が刻まれた「やすらぎ橋」を渡り








IMG_7344 薬師如来の待つ薬師堂へ。
 すがすがしい朝のひとときを過ごすことができました。

両親が長岡花火を見物に行く

080202 日本三大花火に数えられる長岡市の花火大会。学生時代の友人が長岡に住む縁で、花火大会のことが話題に上るので、一度は見せてやりたいと思っていました。
 ともに70代の両親二人で出かける3泊4日の旅。暑さが心配でしたが、大満足で返ってくることができました。

080208 長岡の花火は、一ヶ月くらい話題に上りそうです。BSで生中継されていたビデオを見ながら、あらためて余韻に浸っております。





080316 2日間で100万人を集める花火大会。長岡市に宿を取ることができなかったので、翌日は上高地へ。平湯温泉につかって、ゆっくりできたかな?





009 松本市から高山市までのバスの旅では、4日間有効の信州飛騨アルプスワイドフリーパスポートが大活躍。1万2千円で西穂高のロープウェイまで乗ることができますので、広範囲の移動に。




040 当初の予定にはなかった乗鞍高原も満喫してきたようです。
 西日本に台風が近づいていたので、最終宿泊地の高山では、観光することなく列車に乗って帰ってきました。それでも、充実した旅を楽しんだ様子です。

ユースと過ごした平成30年間

050 令和元年5月2日。また訪れたいと思っていた場所へ、ついに足を運ぶことができました。京都市右京区にある宇多野ユースホステル。平成4年4月25日に宿泊して27年の月日が流れました。
 平成元年に修学旅行で京都に立ち寄ってから、京都を訪れる機会はかなりの回数ありましたが、交通アクセスが不便なために、これまで宿泊場所に選ぶことはありませんでした。噂に聞いていましたが、驚くほど立派になった施設と変わらぬおもてなし。
 今回宿泊することができてよかったです。

19920426京都104 30年前も歩いた大覚寺への道。当時はポピーの花畑がありました。住宅地が増えたと感じる景色の中に、今回はレンゲ畑を見ることができました。




19920426京都106 アングルは異なりますが、大沢の池。今回は6時台に早朝散策。当時はどんな風に見えていたのだろうか?





 平成30年間の旅は、ユースホステルとともに過ごしてきました。18歳で旅したみちのく路。群馬県太田市での工場実習を終えて、初めて泊まった宿は田沢湖ユースホステルでした。駅からのバスを降りたところで偶然乗り合わせていたのは、東北大学大学院の電気工学科で学ぶお兄さん。高専で電気工学科に属しながら、専門教科に苦労する私に貴重なヒントを与えてくださいました。
 佐賀県内で就職を決めた私が、卒業旅行で訪れた北海道。中山記念小清水ユースホステル(後のオホーツク小清水ユースホステル)での出会い。当時は湾岸戦争で、海外への卒業旅行を中止した同世代の仲間が沢山いらっしゃいました。そこで勧められた氷上運動会への参加は、それを目的とする旅行を計画するように魅了されました。

 時代とともに旅のスタイルが変化する中で、令和の時代、私の旅のスタイルはどう変化していくのでしょう? 自分のことながら興味深いものです。

帰省の新幹線。駅員も知らない

028 年末の帰省で利用するのは新幹線です。仕事の終わり時間が読めないことと、飛行機は料金が高いからです。
 帰り道に体幹の矯正を行うために、唐津廻りで帰るのですが東京から佐賀まで帰る乗車券を筑肥線・唐津廻り唐津線経由で発券できることを、今の駅員さんはご存じでないようです。福岡市営地下鉄が全線開業する昭和58年?まで、筑紫線は博多駅へ乗り入れしていたことを、その名残で現在でも福岡市営地下鉄を経由して連続した乗車券を発売することが可能であることを。
 今回は、関ヶ原地区積雪の影響で、自由席しか切符を持っていない私に座席に座ることは不可能と判断し、電車を待つのではなくいけるところまで進む方法を選んだために、券面通りのルートで帰ることは出来ませんでしたが、追加負担なく迂回できる便利な方法です。

青春18きっぷっで只見線を走る

017 平成28年3月6日。25年前からの念願が叶い、只見線に乗車することが出来ました。高専を卒業する年に企画した、このルートを通って北海道を目指すこと。当時人気のトワイライトエクスプレスのチケットが、偶然にも前日に手に入りルートの変更をしたのです。


025 紅葉の時期は特に人気のこの路線、雪が溶け始めるこの時期は、ご乗車なさる観光客も少ないようです。
 車窓の雪もほとんどなくなってきています。




035 紅葉はなくても車窓には美しい渓谷が見えてきます。







064 平成23年の大雨で不通になった区間。バス代替輸送のため線路を眺めながら走ります。






088 会津川口駅にて。これから会津若松を経由し仙台市内泊。明日は東日本大震災で津波被害を受けた、東松島市野蒜地区と石巻市、女川町へと足を運ぶ予定です。

大分・宮崎ドライブパスで鹿屋へ

013 10月4日(日)〜10月5日(月)の1泊2日で、鹿児島県鹿屋市にある海上自衛隊航空資料館を目的地に家族旅行に出掛けました。自宅を空けるのは、いとこの結婚式以来10数年ぶり。両親と3人、泊まりの旅行で行動を共にするのは人生初のことです。
 戦後70年の節目の年に、鹿屋の資料館を訪れることは強い思い入れがありましたが、公共交通で行くのは非常に難しい場所です。高速バスで行くか、JRで行くか、いろいろ検討していた8月に目に付いたのが、NEXCO西日本の大分・宮崎ドライブパスです。
 これを使うと、佐賀大和インターから都城インターまで通常の半額程度で利用できるのです。
 それならと、日産リーフのレンタカー70%割引で自動車を借りて、両親と共に出かけることにしました。

 仕事の都合で、土日2日間で出掛けることは出来ません。ちょっと割高になりましたが、3日間のパスを使います。
018 せっかく乗り降り自由のパス、単に九州道を利用して都城まで往復したのでは面白くありません。そこで立ち寄ることにしたのが、法友・渡邉さんが経営されている佐伯市のお店「かつ弘」です。

 佐賀大和インターから大分道を走ること2時間ほどで佐伯インターに着きます。
そこから15分ほどの場所にお店はあります。レンタカーのナビが正確に案内してくれました。

023 とんかつ屋さんでイメージした
「和風の落ち着いたお店」
ではなく、とても明るい店内でした。お芋豚のひれとロースの豚カツは、使用する油にもこだわりを持たれており、とても美味しくいただくことが出来ました。



 佐伯市内からは東九州道の無料区間を利用して霧島を目指します。ところが、ナビの地図は開通した無料区間が登録されていません。一旦引き返す形で、佐伯堅田インターから東九州道を利用しました。
 途中、道の駅・北川はまゆで休憩を取るとアンケートを依頼されました。
「今回の旅行の交通費は?」 「2万円くらい?」
「今回の旅行の宿泊費は?」 「2万円くらい?」
「今回の旅行の食事代は?」 「2万円くらい?」
「お土産に使う予定の金額は?」 「0円(笑)」

 宮崎県のアンケートなのに、宮崎県で使うお金が0円という事に、回答を終えて気づきました。でも、お昼の豚カツ、腹持ちが良くてパーキングエリアで間食する必要がなかったのです。

024 宮崎道の高原インターで下車して、狭野神社へ立ち寄ります。
 特に理由があるわけでもないのですが、2回目の訪問です。





026 境内には季節外れの紫陽花が咲いていました。
 晴天に恵まれたドライブ。霧島の山岳道路を一路、霧島神宮を目指して走りました。




029 日差しが西に傾いた霧島神宮。 
ここも2回目の訪問です。
11月に大祭があるということで、大規模な工事が行われています。
ちょっと、写真撮影には向かないようです。



015 2日目は林田温泉を7時半に出発、霧島神宮駅前、曽於市北俣駅前を経て、東九州道の無料区間・末吉財部〜鹿屋串良ジャンクション〜大隅縦貫道・東原インターを経由して9時半前に資料館に到着しました。



003 まずは資料館の2階から。海軍の歴史と共に、零戦の資料、特攻隊の資料がそれぞれの部屋に展示されています。
 零戦以外は撮影禁止になっていました。





011 展示されている零戦は鹿児島の海から引き上げられた3機の部品を組み合わせて復元されたもので、機体に触れることが出来ます(操縦席に乗ることは出来ません)。
 想像以上に軽く作られた印象を受けました。当時の日本人の技術力、すごいものです。


020 1階には現在の海軍に関する資料が展示されています。
 建物の外には、様々なヘリ、飛行機が展示されています。航空ファンではないのであまり詳しいことは分からないのですが・・・。
 2時間半、ゆっくり見学。敷地内には食堂もありますし、入場無料なので市内で食事をして戻ることも出来ます。が、両親はすでに飽きている様子。帰宅までの距離も考えると、少し早いようですが鹿屋を後にすることにしました。

022 帰りは曽於弥五郎インターで下車し、道の駅・大隅弥五郎伝説の里へ。昼食は、豚のステーキ肉です。2日間で3度の豚肉は、それぞれの違いを楽しむことが出来ました。




025 一般道で都城インターまでの道のりは、市内で少し混雑したものの快適なドライブです。
 前日に比べて、やや雲の多い南九州。えびのパーキングエリアを最後に一路、九州道で鳥栖まで北上、佐賀大和インターまで3時間、道路工事は行われているものの渋滞もなく、快適な2日間のドライブを楽しむことが出来ました。

日本のへそ西脇市を訪ねる

036 伊勢神宮ツアーと東京での指導員クラス授業最終回までの合間に、以前から行きたかった西脇市を訪れることができました。愛知県から兵庫県へ移動する車中から見えるデッカいソーラーパネル。南草津と石山駅の間にあります。



044 さて、西脇駅は想像していた以上にローカルな駅です。佐賀で例えるなら・・・。
ちょっと比較が難しいですが、小城駅よりも寂れた印象があります。でも、街自体は小城よりも生きている感じがします。




047
 地元の人お薦めの西脇大橋ラーメン。

048
 縮れ麺であっさりしています。


049 ちょっと、西脇の市街地を散策します。市役所にほど近い場所、西脇は播州織で有名なところらしく、昭和の半ば頃までは九州からも女性達が職工として移り住んだそうです。





050 昔ながらの機械が今も現役として活躍する工場を見学することができました。







055 紙に穴が空いているのがデザインのパターンで、これを長くすればより大きな柄を織り上げることができるそうです。






058 いろんなデザインのものが商品化されています。








073 西脇市といえば「日本のへそ」と呼ばれています。北緯35度、東経135度の経緯が交わる場所です。天文台のある明石が有名ですが、エネルギーのレベルからすれば、比べても劣らないところだと思います。
農業が盛んな街で、金ごまなど特産品の生産にも取り組まれています。
加古川の水源に恵まれた肥沃な土地という感じがしました。

 西脇を訪れたからには「日本のへそ」は外せません。へそ公園へ移動中に兵主神社という立派なかやぶき屋根の神社がありました。

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加古川線 日本のへそ公園駅

087
ちょっと分かりにくいのですが、へそ公園駅の階段を下りて左へ。
すぐにスロープがあるのでそこを下りて線路をくぐると、右側にオブジェがあります。

097
ここはやっぱり、記念撮影。

100
子午線と緯線の交点です。

106
自然豊かな魅力的な町です。

127 西脇市の北東の端 対岸の丹波市には円応教の聖地がありました。良い土地は、宗教家が先に気がつくのでしょうか。インパクトがあります。






 西脇市。日本再生の要素を持つ魅力を秘めた街だと感じました。時代に流されない発展ができることを願います。

青春18きっぷで日光まで往復

077 昨日は朝早く浅草橋を出発して、日光へ出掛けてきました。日光へ足を運ぶのはたぶん3回目。いつもは東武鉄道を使っていたので、初めてJR線経由で足を踏み入れました。もちろん「青春18きっぷ」ということで。

028
 東照宮にはまだ雪が残っています。


031 ここ東照宮は、私が政治姿勢の礎としている米内光政氏が、内閣総理大臣を辞職した翌月に訪れて、次の歌を詠んだとされています。

見るもよし 聞くもまたよし 世の中は
 いはぬが花と 猿はいうなり

寝たふりを  しても動くや 猫の耳

 三国同盟へと社会が流れそれを阻止しようとした当時と、情報によって左傾化された日本とそれを危惧する人々の対峙。
 国を代表する総理を辞職して間もない米内氏と知事を目指して選挙を戦い敗れた私。

043
 立場は大きく違っても、思いは同じ「日本の将来を危惧していること」でしょう。

048
「みざる きかざる いわざる」 を見て歌を詠んだ米内氏と、そこへは足を運ばず、
輪王寺で般若心経を唱えた私。

050
 迎えてくれた空の色はどちらも同じだったのでしょうか?

044
 ちなみにここは、スカイツリーと同じ高さの標高にあるそうです。

087
 滞在時間90分、日光を慌ただしく後にして宇都宮へ戻り「餃子丼」なるものをいただきました。650円です。



123

 夕方の授業を前に烏山線へ。ハイブリッドディーゼル列車を見たくて計画したのですが、残念ながらそのエンジン音を楽しむことは出来ませんでした。
 しかし、行き違いの駅でその車両が入った時の静かさにはちょっと驚きました。現在、ここと小海線を走っていますので、機会を設けて乗車したいと考えています。

旅名人の九州満喫きっぷで島鉄へ

佐世保駅前 学生時代と違う風景の象徴が、ここ佐世保駅です。佐世保駅前は都会の装いで、駅は高架になっています。海側に出口が出来たのも特徴ですね。





シーサイドライナー 旅の後半はここ佐世保から諫早湾干拓を目指します。
 13時25分発、大村線を走る快速・シーサイドライナーで。





ハウステンボスを望む
 ハウステンボスを横目に見ながら







島原鉄道に 14時33分諫早駅着、島原鉄道に乗り換え。
車内には全列車の停車駅と時刻表が掲載されているので、乗り換えを考えるのも便利です。14時48分発の島原外港行きで出発します。



立ち見席 島原鉄道は1時間に3本、1本は隣の本諫早まで、残り2本のうちこの時間の1本は急行です。
 車内は意外と混んでいるので、建って乗車です。
 こういうときは、ワンマン列車の特等席に。


吾妻駅で行き違い 有明海と諫早湾を隔てる干拓堤防に一番近そうな吾妻駅で15時8分に下車。ちなみに、吾妻までは普通で30分、急行で20分です。





吾妻駅待合所 ホームの待合所には島原鉄道にある駅で「幸〜愛野〜吾妻」の記念乗車券が紹介されています。
 ただ、駅員さんは商売っ気なしです。





吾妻駅 吾妻駅から1時間半程度の予定で散策に出掛けます。







吾妻で見かけた豪邸1 和風の良いお家が目に付きます。








吾妻で見かけた豪邸2 こっちにも。
あとは町並みが課題ですね。







鬼火焚き この日は1月7日だからでしょうか。お火焚きの櫓が組まれています。これは、伊万里川の河川敷でも見つけました。
昔は我が家でも、1月7日の朝に「ほんげんぎょう」といって、鬼火焚きをしたものです。



諫早湾1 さて、寄り道をしながら20分ほどで、目的地の堤防干拓にたどり着きました。







諫早湾2








諫早湾3







諫早湾4








諫早湾水門







堤防と普賢岳 ギロチンと呼ばれた、諫早湾の締切から15年、景色は様変わりしたのだと感じます。
 16時56分発の普通列車で愛野駅へ。





愛野駅 愛野駅17時2分着。
 ここで降りた理由は、島原鉄道は毎月第2、4日曜日、鉄道・バス・天草行きフェリーが1,000円で1日乗り放題になるイベントを行っています。
 島原へ出掛けるときにはこのまま列車を利用しますが、雲仙や口之津など南島原へ行くには、ここ愛野でバスに乗り換えた方が便利なのです。そのバス停を確認するための途中下車です。

愛野の素敵ないえ 愛野のバス停までは、徒歩で約5分。タクシー会社の前の信号を右折して100mほど、交番の向こうにありました。
 バス停までの途中にあったちょっと素敵なお家。洋風のお店ですが、正面に杉板を張られているので、隣の和風の家とのつながりが、とてもいい感じに見えました。

 愛野駅を17時32分発の急行で諫早駅へ。17時47分着。

 諫早からは長崎本線、18時42分発鳥栖行きで帰ります。この電車は4両編成のロングシート(30年戦士)でした。がたがた揺れるものの確実に座れ、シートは暖房でとても熱いのです。
 やはり気になるのは、小長井〜肥前大浦の乗客の少なさです。この時間でも約10人では・・・。
 今回の旅は久保田駅20時20分着で終了です。

(費用)
旅名人の九州満喫きっぷ  3,500円(3回のうちの1回分)
昼食代            600円


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旅名人の九州満喫きっぷで松浦路を旅する

旅名人のきっぷ 旅名人の九州満喫きっぷが、毎年3月末まで有効から3ヶ月有効に変わっていました。
 有効期限が切れる前の1月7日に、最寄り駅でありますJR久保田駅から、有田〜伊万里〜たびら平戸口〜佐世保〜諫早〜吾妻〜諫早〜久保田と廻ってきました。

 ここでは、前半の佐世保までの様子を紹介します。

永尾駅で787系と 久保田駅を7時8分の長崎行きで出発します。この電車は20年ほど前に佐世保高専へ通学していた頃とほぼ同じダイヤですので、ちょっと思い入れがあります。
この日までは冬休みのはずですが、けっこう混んでいます。
肥前山口着7時16分、27分発の佐世保行きに乗り換えます。私が通学していた頃は4両編成でしたので、始発ではみんな座ることが出来たのですが、今は2両のため座れません。その代わり、運転席横からの眺めを楽しみます。

有田発 有田着8時、ここから松浦鉄道に乗り換えです。8時10分発の伊万里行きに乗車です。車内は空いています。



伊万里からの車両

 伊万里着8時35分。つづいて8時43分発の佐世保行きに。






MR車内の様子
 この車両はとても豪華でビックリしました。でも、全てがこの車両ではありません。松浦鉄道はトイレがない車両が多いので、乗車前には気をつけましょう。
 長崎県にはいると乗客が増えます。何事だろうと思っていましたが、松浦駅で下車されたときの様子を見ると、消防出初め式の来賓の皆さんのようでした。


平戸口鉄道博物館 9時46分頃たびら平戸口に到着します。ここで途中下車します。
 駅に鉄道博物館があって驚きました。




松浦線の思い出
 国鉄松浦線時代の品々。



閉塞機

 そういえば、佐世保高専1年の時は夜間長距離徒歩で、ここ平戸口から高専まで約12時間かけて歩いたのでした。1年おきに大村(竹松駅)と交互におこなわれていたのですが、3年の時には松浦線は国鉄から廃止されたために、ここからのスタートはなくなり、それ以来の下車になります。

平戸大橋を望む 次の列車まで1時間半、近くに観光スポットがなさそうでしたので、隣の西田平まで歩くことにしました。
 平戸大橋が見えてきます。



平戸八幡社


 道路の反対には八幡神社が。






西田平駅


 約30分ほど歩くと西田平駅が左手に見えてきました。





西田平にて
 10時42分発の列車で中田平駅へ移動します。





中田平駅

 中田平駅10時53分着。中田平駅前は、保育園があり、近くに東田平小学校と交番、郵便局があるくらいのところです。




中田平にて

 11時13分発の列車で佐世保を目指します。




中佐世保にて
 佐世保では時間があるので、手前の中佐世保で下車し歩きます。中佐世保着12時36分。





中佐世保駅
 中佐世保駅は階段を上った場所にホームがあります。駆け込み乗車は大変ですね。




戸尾市場
 佐世保の町に5年もいながら、余裕がない生活をおくっていたのでしょうね。京町の裏にある市場は初めて通りました。





四ヶ町アーケード入口
 四ヶ町のアーケードは昔と変わらない感じですが、その入口である戸尾町の交差点付近は当時とはべつの光景です。





四海楼
 四海楼という、ちょっと古びた食堂に入りました。




四海楼日替わり定食
 日替わり定食600円です。チャンポンなどの単品メニューより安いのが意外です。

 この後は、佐世保駅発13時25分のシーサイドライナーで大村を目指します。





(旅の後半は島原鉄道で諫早湾干拓を眺めに出掛ける

ワンデートリップ

ちょっとハイセンスな東京ツアー

東京タワー スタートは夜の六本木から見える東京タワー









東京アメリカンクラブ 東京アメリカンクラブ





銀座久兵衛 銀座久兵衛





久兵衛の穴子寿司 お昼のランチは創業記念感謝で2000円引きでした。

 しめは穴子寿司



スカイツリー 東京の最後はスカイツリーの見える押上駅へ。

ワンデートリップ  温泉津温泉・石見銀山

 出雲シティーホテルを6時20分にチェックアウトして、出雲駅へと歩いてゆきます。駅前ロータリーの一角に建つ、一畑電鉄のホテル、その1階にあるレストラン「カメーリア」でバイキングをいただきます。(6時半から営業、900円)

 スムーズな出発が出来たので、6時57分の列車に、と思い駅の改札へ足を運ぶと・・・、なんと列車は浜田行き6時51分発ではありませんか。しかも時計はすでに、6時50分を指しています。
 2階のホームへ満腹のお腹を揺らしながら、ダッシュ。

田儀駅 無事に乗車できた浜田行きでは、とても素敵な景色のプレゼントが。
 行き会い列車待ちで停車した、田儀駅は無垢の木でつくられた、きれいな駅舎。そして、道路を挟んで美し日本海が。
 10分以上の停車時間を楽しめました。


ろうそく岩 日本海に沿って走る山陰本線は、実に美しい車窓が広がります。
 冬の日本海は寒々としていますが、この季節は最高です。



温泉津温泉へ 大田駅には7時42分に到着します。このまま温泉津まで乗車してもいいのですが、観光戦略を練るために、そして手ぶらで観光するために荷物をロッカーに預けます。
 そして、次の列車8時44分発、快速益田行きで温泉津温泉へ。


温泉津温泉街 温泉津には9時5分に到着します。駅舎にはJAが入っていました。
 世界遺産の一部である温泉津温泉の景色は、大社の町並みと同様、とても味があります。
 ただ、電柱が多いことと自動車が雑然と通る町並みは、観光客を増やすためにはもう少し工夫が必要かと感じました。
 こうしてみると、愛媛県の内子町はすごいと感じます。

温泉津温泉の写真


仁万駅 50分ほどで、町並みを一周して駅へと戻り、9時57分発出雲市行きで世界遺産「石見銀山」の入り口のひとつ仁万駅へ。10時9分着。
 ここ仁万駅からは8時半、10時半、13時半、16時半と1日4本のバスが石見銀山へ出ています。10時30分発のバスで出発。でも、乗客は私ともう1人。長く運転され続けるといいのですが・・・。
 仁万から大森代官所までは約15分。ちょっぴり風情のある道のりです。(大田市駅からよりも味があります)


石見銀山入り口 石見銀山は想像以上に歩きます。3時間程度の時間をとっていたのですが、ゆっくり見るには短すぎます。





石見銀山太田市観光協会 1日2回の観光案内が、10時半にスタートしています。バスを降りて歩いていたら、追いつきましたので、そこからガイドのおじさんの説明を聞きながら進みます。




昔、西洋人が描いた日本地図 これ、15世紀頃に西洋人がイメージしていた日本地図だとか。ちょっと笑えます。




石見銀山「うめの店」 石見銀山の最後、大森代官所のそばにある「うめの店」で日替わり定食をいただきます。
 バスの時間を気にしながらの食事。




大森代官所前 ここ大森代官所を13時42分発の太田市行きのバスに乗車して帰ります。大田市駅まで約30分、こちらは賑やかな車内です。




石見銀山の写真

 大田市駅では観光案内所のおばさんに
「おかげで良い散策が出来ました」
とお礼を述べ、駅の売店でお土産を買って帰ります。(サービスもしていただいた)

太田市 14:29発 快速アクアライナー益田行き
益田  16:40着
     17:21発 下関行き
下関  21:24着
     21:45発 小倉行き
門司  21:52着
     21:57発 快速荒尾行き
博多  23:09着

地下鉄で別府へ移動の後、大野英章君の自動車で帰宅。


料金
青春18きっぷ  2300円
コインロッカー   300円
朝食バイキング   900円
バス(仁万〜大森) 500円
龍源寺間歩     400円
昼食(うめの店)   1000円
バス(大森〜太田市) 650円
夕食          500円程度


ワンデートリップ 出雲路

出雲市駅 出雲は約20年ぶり。当時訪れたのが春先だったせいか寒々した印象がありましたが、夏の青空がまぶしいです。
出雲大社へは、出雲市駅前から30分おきにバスがあるほか、1時間に1本の一畑電車があります。
朝8時30分のバスで出雲大社を目指します。旧大社線の面影はどこにやら?

出雲大社入口 出雲大社の正面でバスを下車。このあたりが小高い丘になっているようです。
 大社への参道は松並木。神社の松並木というのは特徴的に感じました。


神話博しまね 今回の旅の目的は古事記を学ぶこと。
神話博しまねの会場へ足を伸ばします。ところがこの日は月に1度の古代出雲歴史博物館の休館日。博覧会のみの見学に・・・。


稲佐の浜 国譲りが行われたという稲佐の浜を徒歩で目指します。





神迎の道 大社町の町並みは何となく統一感があります。
 それは、茶色の石州瓦と外壁の焼杉板の影響でしょうか。



御宮通り 日本の町並みから防火建築を推奨する中で衰退させられたこの景色は、懐かしさを感じるものがあります。




出雲路の写真

一畑電鉄大社駅外観 帰りは一畑電車を使います。





一畑電鉄 松江しんじ湖温泉行き電車を川跡駅で出雲市行きに乗り換えます。





一畑電車の案内お姉さん 社内には観光案内なのか、車内案内なのか、神話博のポロシャツを着たお姉さんが、車内を巡回されています。




一畑電車のきっぷ お姉さんから車内で行先変更のきっぷを購入します。
 懐かしい形のきっぷです。





料金
バス   500円
一畑電車 480円
神話博  600円
出雲大社資料館 150円
カレー  800円

ワンデートリップ 萩〜出雲

久保田 8:18発
鳥栖  8:53着 
     8:54発 門司港行き
小倉  10:43着
     10:57発 下関行き
下関  11:11着
     11:12発 岩国行き
厚狭  11:44着
     11:49発 長門市行き
長門市 12:51着
     12:58発 益田行き

山陰線0820−1





山陰線0820−2





山陰線0820−3





山陰線0820−4





山陰線0820−5





東萩 13:36着

吉田松蔭先生を訪ねて、市内を歩くものの携帯のメモリ不調で、写真が1枚も保存できず。

東萩  16:58発  益田行き
益田  18:09着
     18:12発  出雲市行き

山陰線0820−6





山陰線0820−7

三保三隅駅に15分停車



山陰線0820−8

特急「おき」「まつかぜ」と追い越し、行き会い待ち。



出雲市  21:14着。

出雲ステーションホテル泊

出雲市駅北口から徒歩5分。一畑電鉄側。


料金
青春18きっぷ  2300円
昼食のパン     300円程度
萩駅のロッカー   300円
吉田松陰歴史館   500円
至誠館         400円
萩市循環バス(松蔭先生) 100円
松蔭食堂(カツ丼) 900円
ラーメン        600円

出雲ステーションホテルは 2泊9200円

20120409ワンデートリップ

 青春18きっぷにあまりが1枚あったので、久しぶりに新渡戸稲造先生で行くワンデートリップに出かけてきました。唐津でひとつ用事があったので、そこを含めての行動です。

スメトコプロモーション 久保田駅を8時33分に出発する気動車で出かけます。まもなく右手にはスメトコプロモーションの事務所も目に入ります。小城駅は桜の終わりを迎え、それでも車内からは菜の花の黄色と桜のピンク色が目をひきます。


東多久 東多久、相知駅と待ち時間のある駅では、ホームからも桜やほかの花が楽しめます。

 唐津駅からは徒歩で片道20分ほどのお散歩気分です。

 駅に戻り呼子萬坊のイカカツとか言うもの(100円)をほおばりながら博多方面の電車に乗り込みます。さて、この後の行程ですが筑前前原まで行って、荻浦ガーデンサバーブに立ち寄るか、伊万里と有田の町中を散策するかずいぶん迷いました。
虹ノ松原 が、お天気と気分により、荻浦は見送ることに。虹ノ松原駅で途中下車し、20分後の折り返し電車を待ちます。その間、みのり農場のケーキ屋さんを探してみましたが、電車の時間までに発見することは出来ませんでした。

 唐津へ戻り、12時30分発JR筑肥線の伊万里行きに乗車します。佐里温泉にはいることも考えていましたが、電車の乗り換えを考えて断念。お隣の「駒鳴駅は公開中の映画のロケ地」でも、誰もいない・・・。上伊万里の駅で列車を下車し、徒歩で伊万里駅を目指します。普段歩かない町を歩くのは新鮮な感覚です。
 でも、お昼を食べるところと美しい町並みに出会うことは出来ませんでした。


有田町1 14時4分発の松浦鉄道で有田へ向かいます(410円)。このあと、大村線に乗って諫早から長崎線の電車で帰ろうと考えているのですが、有田の町で撮影ポイントを探したいので、すぐ乗り継ぐことの出来る電車を見送り、次の電車まで町中を散策します。
 そうそう、お昼を食べずに有田焼カレーを食べようと思っていたのですが、喫茶店はお休み?
 駅弁だとお土産が重くなるので断念です。

有田町2 途中にうなぎやさんのランチ700円?の看板が目に入りましたが、14時までで終了。
 結果的に自家製麺と書かれているラーメン屋さんで600円のラーメンをいただきました。面はとても美味しいです。

上有田駅20120409 ところで、今回県内の町を歩いた目的はFacebookページのカバー写真に使う町並みの写真を撮ることでした。しかし、この日は収穫なしです。
その理由は
1.町並みがきれいな場所でも電線が入る
2.自動車の通行量が多く、路駐も多い
3.クラシックな看板と斬新な看板が混在する

有田の陶器市の時には気にならないのですが、ふだん観光で訪れようとすると、とてもマイナスイメージですね。でも、この部分を改善できれば有田の町は通年で観光客を呼べるスポットになるかもしれませんね。最近、有田にも温泉がわいたようです。
湯布院や黒川にあって、有田にないものを「温泉」ということを聞いたことがあります。温泉が出たことで、先ほどの3つに配慮したまちづくりが出来れば、観光地としての魅力が溢れてくるのではないかと感じます。

 さて、旅は上有田駅から佐世保行きで大塔駅へ、本来大村線の列車には早岐で乗り換えるのですが、乗り放題の青春18きっぷ、階段をわたらずに乗り換えられそうでしたので、大塔で乗り換えです。そこから、大村線の長与廻りの普通列車に乗車します。もう1本遅い、快速シーサイドライナーを計画していたのですが、気分が変わって、こちらの列車で東園の駅まで行きます。
東園 東園は特に何もない海辺の駅です。ゆったりした気持ちになれます。10分の待ち時間で折り返しの列車に乗車です。本来は、諫早駅で乗り換えて、長崎本線の普通電車で帰る予定でしたが、旅にハプニングはつきものです。再び早岐廻りで久保田駅へと戻ることにしました。久保田着20時39分。

東日本大震災経験地を旅する4

東塩釜〜松島海岸 さて、JR高城町駅から代行バスで野蒜へ向かおうとしたところ、バスは少し離れた県道から出ており、しかも1時間に1本のバスは出発したばかりと言うことが分かりました。
 そこで、乗り換えに便利な松島海岸駅へ移動することに。ちょうど、塩釜駅まで往復しても乗車できそうだったので、そちらへ足を伸ばしてみました。
 車窓からは、まだ手をつけられていないがれきも見られます。


松島海岸駅 松島海岸の駅は、春休みということもあり観光客で賑わっていました。
 ここから約50人乗りのバスに乗車しますが、車内は補助席こそ使わないものの、満席です。そして駅とは異なり、会話もなくしんと静まっています。
 段々と景色が代わり、その静まる意味が理解できる光景が現れます。

 一寸先は闇、という言葉がありますがある線を境に運命を分けるような境界線を見ることが出来るのです。


野蒜駅前 JR野蒜駅もそのひとつです。ここと隣の東名駅はJR東日本により移転が決まっています。駅周辺は一階天井まで津波が押し寄せた後が残っていました。


(野蒜地区の様子はこちらのアルバムで)


がんばろうの空き缶 重機だけが動く荒涼とした場所を歩いていると、何となく不思議な感覚がします。津波で全てを失った土地ににつかないものが何となく気になるのです。
 それが、この空き缶です。「がんばろう・・・」と書かれているのです。つまり、震災の後で意図的に捨てられているのです。駅から歩いていて何となく違和感を感じていたものは、きれいな空き缶が道ばたに捨てられているのです。

 震災がれきの話題をテレビや新聞のニュースで見聞きして、現実を知りたいと思っていました。しかし、目に入ったのは山積みされた震災がれきではなく、震災の後に無造作に捨てられる無数の「空き缶」なのです。

人事を尽くして天命を待つ

という言葉があります。ちょうど、今回の旅に出る前に東京でのセミナーでも取り上げられた言葉でした。NHKの番組プロジェクトXで、初期の頃に取り上げられた「襟裳岬に春を呼ぶ」とイメージが重なる光景に感じるのです。

 この震災を地球からのメッセージと考えるなら、これまで地球を汚し続けてきた生活そのものを見直さなければ、この地域を再生することが出来ないのではないでしょうか。
 しかし、現実には地域を美しく取り戻そうと言うよりも、以前と変わらぬ人間の傲慢な生活スタイルが続いているのです。

 宮城県の人が必死になってふるさとをもとの美しい町にしようと、団結しているのであれば、九州でがれき処分の支援を表明することに、反対し続けることもないでしょう。
 しかし、現実にはその段階ではありません。
 地元の人がみんなでふるさとを取り戻そうと必死になったときにはじめて、私たちもそこへ支援することを考えなければならないのではないかと感じました。

仙石線のタブレット さて、矢本から石巻へはディーゼルの列車がタブレットを持って走っています。




石巻市1 石巻駅のひとつ手前の駅で下車して市内を歩いてみました。
 以前の生活がどうなのか分かりませんが、建物の復旧も少しずつ進んでいる感じがします。



石巻市2石巻市3






今回の旅で、東日本大震災の被災経験値への支援のあり方、報道に流されるのではなく、ここのネットワークできちんとした情報を整理し、実行していく必要があると感じました。

東日本大震災経験地を旅する3

瑞巌寺 3月27日、この日は今回の目的地、東松島市野蒜地区を訪問します。ただ、その前に20年前の忘れ物、国宝瑞巌寺に寄りたいと思っていました。当時学生だった私には入場料の500円が払えなかったのです。
 朝、旅館の女将さんと地震のことや町のこともいろいろお話を聞かせていただきました。
「今回の地震は私たちもなめていた。戦争も経験したが、こんなに怖い経験は人生ではじめてだった。」
ということでした。旅館はトイレなどの設備は新しいものに変えられていましたが、個室のガス暖房は使えないままで、エアコンのみで暖を取る形になっていました。
 また、建具や床がひずんでおり、完全に修復するのは難しいのではないかと感じました。

瑞巌寺本堂 さて、瑞巌寺ですがただいま本堂が築400年目にして初めての修復工事が行われています。檀家の皆さん曰く、「今回の地震の時にたまたま、工事を行っていて屋根に瓦が乗っていなかったことが、本堂の倒壊を防いだだろう。」
皆さん、口を揃えたようにおっしゃってました。確かに屋根の重みは震災の時に最も建物に影響を与えます。でも、日本の伝統建築にもっと自信を持って良いのではないか、とも感じました。

高城町の町並み1 瑞巌寺から圓光院、五大堂を経てJR高城町駅へ向かいます。ここからJRでいけるところまで・・・、とおもったらこの先バス代行運転区間でした。
 松島町の役場もここにあります。津波の被害よりも地震による外部の損壊が大きいように感じます。

高城町の町並み2 こんな古くて感じの良い建物。玄関ドアと床束が差し替えられていますが、その他は見た目にきれいです。やはり、日本の建築技術はすばらしいと感じます。



高城町の町並み3 こんな外壁が崩れ落ちたのか貼り替え中なのか分かりませんが、体力面材でもあるラスカットがむき出しになっているお家もありました。

東日本大震災経験地を旅する2

わっぱ飯 いわき駅でお弁当を購入します。目論見ではいろんなお弁当があるようですが、立ち寄った13時には鯖の押し寿司とこの「わっぱ飯」しか残っていません。



五目飯 緑が入ったお弁当を食べたかったのでわっぱ飯を購入して列車に乗り込みます。
 磐越東線は2両編成のワンマンディーゼル車。2人掛けのボックスシートで出発前に早速いただきます。

 この選んだ席が今回の旅を有意義なものにしてくれました。出発前からなにやらぶつぶつ言っている隣のおじさん。あまり気にしないでいるとそのぶつぶつしたつぶやきが、いつしか私の方に向いているのです。
 テレビやニュースでは、被災地を観光で訪れることも、そこに元気を与える、と報道されています。しかし、それはその業界で生活する人たちの声であり、実際にそこで生活する人、全ての声ではないということを伝えられていないのです。私が撮影する車窓の写真すらも受け入れられないようです。

 1時間半の磐越東線の旅を終え、郡山から東北本線で松島へと移動しました。

磐越東線1 磐越東線2磐越東線3磐越東線4磐越東線5磐越東線6磐越東線7磐越東線8磐越東線9磐越東線10磐越東線11

東日本大震災経験地を旅する1

20120326いわき市街 3月26日から28日まで東日本大震災の被災を経験した地域を旅してきました。
 新聞やテレビの報道では分からない放射線に対する人々の意識や今も残る被害の状況、そして処理できないほどのがれきの山を見ることで、これから住まいをつくる上でどのような素材を用いることが災害の後始末に有効で何を用いることはやめるべきかを考えるきっかけになればと思い足を運んでみることにしました。

 本当なら、災害ボランティアとして現地に足を運び、1日でも人々の役に立つべきだ、という声を上げられるかもしれませんが、私なりの視点で今何をすべきか学ぶために、今回の行動を選択しました。

 首都圏からの行動は「青春18きっぷ」です。第1日目は成田空港〜成田〜鹿島神宮〜水戸〜郡山〜仙台〜松島、と移動します。車窓から景色を見る時間が多い中、いわき駅では1時間の乗り換え時間を利用して、町中を散策できました。

 ところで、いわき市について考えておかなければいけない事実。それは、いわき市が佐賀県の面積のちょうど半分もの広さがある広大な市であることです。テレビや新聞でいわき市と一言で片付けられるような町ではないのです。そして、人口は33万人ということで、合併して出来た佐賀市よりも大きく、佐賀県の半分の人口がいると言っても過言ではありません。

 ですから、いわき駅を降りたときにすごく活気があると感じました。写真のように町もきれいです。確かに、歩いて廻ると道路のでこぼこや壁が崩れたお家もあります。しかし、神戸で震災から1年たった頃の町に比べても被害の状況は、軽微だとさえ感じてしまいます。

 そして、空も青く美しいです。新聞やニュースを見ると、原発の不安をあおるかのように薄暗い写真や重苦しいイメージの写真が掲載されていたのではないかと疑いたくなる感じさえするほど、きれいな町です。

 そう考えると報道の力はすごいですね。この町を歩いていたときには、今必要なのは観光でもビジネスでもこの町を訪れこ、こでお金を落とすことが一番重要だと感じました。(続く)

全国制覇!

 スポーツ競技ではありません。つまらない話題かもしれませんが、昨日朝7時30分過ぎに和歌山県の新宮駅ホームに降りました。これで、47都道府県全ての地に足を踏み入れました。
 今回の旅行では、比較的訪れたことのない地域を見て回りました。3日午後には飯田線(長野県の諏訪地方と豊橋を天竜川沿いに走る)に乗車してきました。4日午後からは、紀勢本線の多紀から熊野市を経由して和歌山県内を乗車してきました。
 予定外のこともありましたが、天気にも恵まれ素敵な旅が出来ました。今日からは仕事モードです。





「絶対に阿蘇・大分へは行きません!」

 平成22年2月6日、この日から、JR九州の企画切符「ゲキ☆ヤス土日乗り放題きっぷ」が発売されています。
(土日2日間、JR九州の新幹線・特急自由席が乗り放題で大人1万円、大人と同行の子供1千円、3月7日まで)
そこで、この日に出かけたのが鹿児島県の霧島。久保田駅を9時26分の鳥栖行きで出発します。鳥栖駅で熊本方面武蔵塚行き特急、有明に乗車します。この日は朝に大牟田で人身事故が発生しており、ダイヤが一部乱れておりました。そのためか、熊本駅で乗車した九州横断特急人吉行きの車内アナウンスでタイトルの
「この列車は人吉行きです。絶対に阿蘇・大分へは行きません!」
と、思わず車内に笑いがこぼれてしまいました。日本3大急流球磨川に沿って走る列車。天気は快晴。申し分のない旅日和です。
大畑駅駅舎 人吉からは「いさぶろう号」に乗り換えての矢岳越えです。大畑(おこば)駅の駅舎には、北海道釧網本線の北浜駅をまねた「名刺」「定期」の数々が。



大畑駅ループより この日は2月にしては珍しいほどの好天。矢岳へと向かう列車の窓からループ上で見える大畑駅も普段以上にきれいです。



矢岳越え、霧島連山を 肥薩線山線区間のハイライト、北海道根室本線狩勝峠、篠ノ井線姨捨駅と並ぶ日本3大車窓「矢岳越え」では、桜島もかすかに望めます。



安楽温泉 吉松駅で特急「はやとの風」に乗り換えて嘉例川駅へ、ここから温泉バスに乗ります。雨降川流域の温泉郷を走るこのバス。1日乗り放題+立ち寄り湯1カ所利用券が付いてなんと500円。とてもお得です。温泉は、安楽温泉に入浴します。川の流れが望める小さな温泉です。

消えた露天風呂 ところで、霧島の温泉には訪れたいところがありました。2006年12月にぶらぶら温泉を探しに歩いていたら、地元の方たちが入る川に面した素敵な温泉が。
「いつでも入っていいよ」
といわれていたので、いつかはと思ってました。ところがそこは立ち入り禁止に。(下の写真が当時の様子)
2006年幻の露天風呂 町村合併で市になったためか・・・。手入れが出来なくなったのか?理由は分かりませんがとても残念でした。
 温泉バスは2時間に1本。鹿児島空港〜嘉例川駅〜妙見温泉郷〜隼人駅を結んでますが、最終は妙見温泉まで。鹿児島へ戻りたい私は岩崎交通の路線バスで国分駅(450円)へ向かいました。いかに温泉バスがお得か分かりますよね。
 国分からは、鹿児島中央行き「きりしま」、九州新幹線「つばめ」「リレーつばめ」と利用して博多(22時9分着)を目指します。

WIN350東京行き

WIN350正面 広島へ出張しておりました今週の月曜日、朝に時間がありましたので広島駅に新幹線を見に行ってきました。
 目的は、この3月で廃止になる500系のぞみ号を見納めに行きたいと考えたからです。東海道・山陽新幹線の主流はN700系に変わっていますが、私が20代だった頃のあこがれはこの500系でした。
WIN350東京行き これまでの新幹線と外観のスタイルががらりと変わるこの新幹線。開発時はWIN350(たしか、ウエストジャパンレイルウェイ イノベーション フォー 350km/h)と称され、そのデザインとスピードを鉄道ファンが待ちわびたものでした。阪神大震災で運転開始が半年遅れたために乗車機会は少なかったのですが、7号車と11号車に売店があるなど、旅を楽しむことが出来た最後の新幹線車両だと思ってます。
 3月以降は「こだま」号として8両編成で運転されるようですから、興味のある方はその前に、ご乗車してみて下さい。
(売店の営業はやってません)




新渡戸稲造先生では行けない、週末ワンデートリップ

20090920伊勢内宮 世間はシルバーウイークで5連休とか。でも、自営業の私にはそんなの関係ありません。昨日はただの日曜日です。
 というわけで久しぶりに週末ワンデートリップ(番外編)です。
 春先からいろんな「不」がたまってましたので、出かけてきました。秋の行楽シーズン、5連休、その割に鉄道も道路も空いている感じがしましたが、最後の目的地でこの状態です。
30分かかりました。
 やはり5連休の影響でしょうか?お盆の8月13日でも、正月の1月4日でもこんなに混んでませんでしたから。

行程
久保田  6:27発  快速小倉行き 
博多   7:25着
7時30分発  のぞみ8号 東京行き
新大阪  9時58分着
10時6分発  新三田行き
大阪  10時10分着
10時15分発  大阪環状線外回り
鶴橋  10時30分着
10時53分発  近鉄特急鳥羽行き
           (運賃1750円 特急券1280円)
伊勢市 12時35分着
(徒歩)
外宮、月夜見宮参拝
伊勢市駅前(バス)神宮会館前 320円
(徒歩)
内宮参拝
内宮前(バス)中村町 210円
月読宮参拝
(徒歩)
近鉄五十鈴川 
17時24分発  近鉄特急大阪上本町行き
           (運賃1760円 特急券1280円)
鶴橋  19時13分着
19時29分発  大阪環状線内回り
大阪 19時44分着
19時45分発  新快速野洲行き
新大阪 19時48分
19時59分発  ひかり585号博多行き
博多  22時40分
22時55分発  みどり31号佐世保行き
鳥栖  23時16分
23時32分発 肥前山口行き
久保田  0時3分着
 

2009年7月22日奄美大島 皆既日食

いよいよ当日 朝方、名瀬はパラパラ雨が降ってます。天気も心配です。名瀬港でラーメン500円をいただいて、満員のバスで奄美空港へ。キャンセル待ちNo.3で席を抑えることが出来ました。空港もイベントモードで盛り上がってます。


空港展望台 展望台でそのときを迎えようとする人も大勢います。





雲が・・・ 薄曇りの中、雲の流れが速く、天気が回復する見込みはなさそうです。
 空港の駐車場北で、その瞬間を迎えることが出来ました。テレビで見る日食やその話とは違いましたが、3分10秒にわたるその時間は貴重な体験でした。
 百聞は一見にしかず
その場に居合わせたことで、語ることが出来る出来事になりました。

皆既状態の周囲の様子
対比1−1対比2−1





光が戻って、30秒ほどたってからの様子
対比1−2対比2−2





復活10:58:5410時58分54秒





復活10:59:0010時59分00秒





復活10:59:1210時59分12秒





復活10:59:1810時59分18秒





満席 満席を表す表示板。しかし、11時40分の便に、滑り込みセーフ。
25,300円(高い)


鹿児島空港 鹿児島空港から13時40分発霧島温泉行きバスで1区間200円




嘉例川バス停 嘉例川で下車します。
 7分ほど歩くと、JR肥薩線、嘉例川駅。
14時7分発「はやとの風4号」で、吉松へ。(820円)
さらに、人吉・八代・大牟田・鳥栖を経由して21:31、久保田へ到着です。(3,330円)


日食を取るか飛行機を避けるか

クイーンコーラルプラス 奄美大島には早朝3時半に着きます。その後待合室で横になり、5時半のニュークイーンコーラルを見ながら、朝ご飯にカツカレー700円をいただきます。
 7月21日、究極の選択を強いられました。
奄美大島に着いた私は
「明日の皆既日食を見て飛行機に乗る」か「夜のフェリーで鹿児島へ戻るか」
ということです。なんだと思われるか分かりませんが、生まれてこの方、

飛行機に乗ったことがありません。
乗りたくありません。
乗ろうとも思いません。

 しかし、日本で見られる「皆既日食」です。次は26年後。判断に苦しみます。「皆既日食」が今年、奄美で見られるということは以前から知ってましたが、あまり気にもとめてませんでした。しかし、ひと月ほど前の佐賀新聞に、ある方が
「皆既日食と金環食や部分日食は全く違うものです。皆既日食では人生観が変わります。」
といったことを書かれてました。それ以来、「皆既日食」がどんなものか気になってなりません。しかし、平日に3日も休むことは現実的ではありません。難しい選択、悩みます。
奄美空港 とりあえず奄美空港へ移動します。 22日から24日の奄美空港発の飛行機はすでに満席。22日夜から24日にかけてのフェリーも満席。
 しかし、空港の窓口の人が
「明日朝早く空港が開く時間に来てみて下さい。キャンセル待ちでとれる可能性はありますので。」
とおっしゃいました。
 とれそうなら今、決めてくれたらいいのに・・・。
奄美の丘 そんな思いをしながら、ここにいても仕方ないので、お昼ご飯を食べに散策に出かけます。空港の反対の町へ。
 歩く途中、日食ツアーの方ともすれ違いました。
 暑いけど、風が心地よい丘です。

奄美の田舎道 歩きながら私なりに思いました。ここに来て、皆既日食を見ないで帰るということは、
「1980年モスクワ五輪金メダル確実、といわれた瀬古利彦選手が、ボイコットにより出場を逃し、1984年のロス五輪で惨敗することと同じではないか」
と、明日ここにいて、皆既日食が見られるとは限らないが、その場にいられるか分からない26年後の皆既日食を待つよりも、明日の皆既日食に立ち会うべきだと。
むさし屋の昼食 5kmの道のりを歩いて奄美の名物でも定食で、と思ったのですがどうも勘違い。
 こんなデカイ、チャーハンとカツの定食を食べることに。1250円、3人前はありましたよ。意地になって完食しましたが。

赤木名海岸 食堂からは赤木名海岸が見えて、良い席でした。近所のお風呂500円で汗を流しますが、沢山食べたせいか、汗は止まりません。ここからバスで、島の北端を廻ろうと思います。西海岸を見ながら佐仁地区へ。


佐仁地区 このあと、東の用海岸を廻るバスに乗ろうと、道路を歩いてました。




佐仁の山道 一人歩いていると、軽ワゴンに乗った老夫婦が。
「兄ちゃん、どこ行くと。乗っていかんね」
ということでお世話になることに。



用岬 ニュースでも日食観察地として話題になっていた、ここ「用の岬」や「あやまる岬」へも足を伸ばしていただきました。



用海岸 結局、ご夫妻には空港と名瀬の中間当たり、ご自宅近くの龍郷町まで乗せていただきました。
「ありがとうございました」
 この後私は、名瀬に戻りネットカフェ難民として9時間(シャワー付き2300円)過ごし、あらためて翌朝一番のバスで、奄美空港を目指します。
次回へ

沖縄本島の旅

古宇利島へ この日は名護でレンタカーを借りて那覇まで行きます。午前中は名護周辺でフルーツめぐり。無料の橋では、日本で2番目に長いという橋を渡り、古宇利島へ。途中では、パイナップル1個300円で売られています。


フルーツランド 名護フルーツランドへ。800円で熱帯の植物、動物を見ることが出来ます。レンタカーだと1割引でした。いろんなフルーツの販売もされています。



パイナップルパーク フルーツランドの隣はパイナップルパーク。500円で園内をカートで見学した後は、パイナップルの食べ放題も。
 ここは外せませんね。



安富祖海岸 名護を後にして、普天間の移転先とされる、辺野古・キャンプシュワーブを横目に走ります。沖縄高専の立派な建物には驚きました。西海岸へ戻り、安富祖の海岸でひと休み。


ぎのわんトロピカルビーチかわいた58号線を♪
みなみへ♪

と杉山清貴さんの OKINAWA を口ずさみながら宜野湾まで南下してきました。

首里城 渋滞に不安を感じながらも、予定より2時間早く那覇へ。ところが、大きな間違いが。那覇の港を那覇港と那覇新港を間違えていました。レンタカーの会社に電話して返却場所を「那覇空港店」から「浦添店」に変更してもらい、余裕が出来たので、首里城を訪れることが出来ました。(800円)

那覇新港 新港へ向かう前に夕食を食べて港へ歩きます。大阪行きフェリーで奄美大島の名瀬へ向かいます。




船の中 乗客は思ったより少ない感じですが、与えられるスペースは相変わらずここだけです。
 マリックスラインと違い、こちらの船は飲み物にプレミアム価格が付いてます。売店もありません。自販機は売り切れ続出です。関西が母校のため、沖縄では補給しないのでしょうか?
 食料調達など、気をつけたいものです。
さよなら沖縄本島沖縄本島に別れを告げます。





サンセット沖縄沖 東シナ海に沈む夕日はやっぱり美しいです。




次回へ

東シナ海を南へ

名瀬港 一部屋に100人ほどの乗客がいる船内ですから、ゆっくりお休みとはいきません。うとうとしたり目が覚めたり。そんな深夜に甲板に出てみるとすばらしい景色が。東シナ海のど真ん中。周囲に島もありません。甲板で照明の当たらない一角はまさに闇の中。間もなく新月ですから朝方まで月は出ません。そこで見上げる星空のすごさ。田舎の我が家でも以前は沢山の星が見られましたが、この夜に見えた星の数はこれまでの比較にならないほどでした。
暁の名瀬 奄美大島の名瀬には5時半頃着きます。ここで、多くの乗客が下船されます。自動車の他にもいろんな荷物が降ろされ、インフラとしての重要性が感じられます。船内の売店は、港に停船中のみ営業です。食堂も客室扱いですから、この時間にお弁当を購入します。船内で調理されたのでしょう、520円、ほかほかでおいしいです。
クイーンコーラル8の明け方 名瀬港には1時間ほど停船して出港します。入港時は薄暗かった港も明るくなりました。これから徳之島まで約3時間、時々甲板へ足を運びながら、船内でゆっくり過ごします。


徳之島 徳之島といえば五つ子ちゃん、そんな昔のことを考えながら、港の様子を眺めました。結構、乗り降りする乗客の方も多いです。それ以上に、いろんな積み荷が出てくることに興味を覚えました。


東シナ海の碧い海 徳之島を出港して東シナ海を進みます。その海の色、言葉で表すのが難しいほど、美しい色です。これに、船が描く白い波。船旅の特権だと感じました。



クイーンコーラル8のインフォメーション 船内には、インフォメーションと売店があります。新型の船にはお風呂もあるようですが、この船にはシャワーのみです。無料ですが、石けんがありませんので注意しましょう。


クイーンコーラル8のラウンジ ラウンジもありますが、ちょっと手狭な感じがします。船が満員で出航したためでもあると思います。




沖永良部島 沖永良部島には11時半頃到着します。鹿児島の学校で学んでいる人たちも、夏休みを迎えるということで、帰省されているようでした。こんな海の真ん中の島だというのに、人口が2万人ということを聞いて、びっくりしました。そして、インフラとしての船の重要性を感じます。ここで、昼食を購入します、450円のエビフライ弁当です。(他にも同額でいろいろあり)
クイーンコーラル8の和室 船内が落ち着きましたので、その様子を1枚。広い部屋ですが、一人の空間の狭さを感じていただけたでしょうか?
 この空間でくつろぎながら、次の与論島を目指すそのとき、屋外で起きた重要なものを見逃してしまいました。

与論島の珊瑚礁 まもなく、与論島というときに、甲板へ行ってみるとおじさんが、
「ちょうど沖永良部と与論の中間くらいの時に、イルカが百頭くらいの群れで現れたよ」
と教えて下さいました。甲板や窓から海を見ていたのに、何で見逃したのだろう・・・。後悔。

与論島 与論は、珊瑚礁に囲まれています。海の色にも違いが感じられます。ダイビングに来ていた人がおっしゃるには、川が多い沖縄より与論の海が美しいと。
 那覇から沖永良部に行った帰りの方は、沖縄の海はこんなに美しくないですよと。
 鹿児島県の離島、そこにはいろんな魅力が秘めているようです。
もうすぐ沖縄 沖縄本島が近づいてきました。





沖縄をバックに 沖縄本島をバックに1枚。





本部港上陸 鹿児島からほぼ1日、本部港に上陸です。ここからバスで今夜の宿泊地、名護を目指します。




塩川 本部からバスで2区間、180円のところに、塩川という天然記念物があります。長さ300m、世界に2カ所、こことプエルトリコにあるという、塩水が湧き出る川です。ここを訪れた後、宿に近い名護十字路までバスで向かいます。(500円)

次回へ

宿泊 ルートイン名護  6,000円 朝食付き
     夕食       3,680円

鹿児島から大海へ

旅立ち 7月18日、久保田駅7時59分発、全国47都道府県のうち、まだ訪問していない2県のうちのひとつ、46番目の訪問地、沖縄県を目指します。
 このリュックは、20年前に買ったもの、しばらく他のバッグに譲ってましたが、疲労して処分したために今回再登場です。
おれんじ鉄道出水行き 中には、着替えと非常用に2リットルのペットボトル1本。結局最後まで使わずに、体を鍛える(疲労を増す)材料になったのですが、久々に重装備で出かけました。鹿児島までは、「旅名人の九州満喫きっぷ」3,330円相当です。

不知火海 普通列車にしか乗れませんが、肥薩おれんじ鉄道には乗車できます。八代からは出水行きで不知火海を右手に眺めながらゆっくり南下します。



東シナ海阿久根より さらに、川内行きに乗り換えて東シナ海を横目にゆっくりと着実に鹿児島へと進みます。




鹿児島到着 鹿児島中央からフェリー乗り場の鹿児島新港へ市電を使ってみました。




鹿児島市電より 市電の走る場所は、芝生を植えたグリーンベルトになっていました。地球環境に対する配慮で嬉しく感じます。
 市電からバスへの乗り換え場所が分からず、結局タクシー900円で港を目指す羽目に(環境に優しくなかった)。乗船前にコンビニを探しますが、全く見あたりません。
 あるのは「パチンコまるみつ」のみ。タクシーの運転手さんが、
「船の時間つぶしに寄って、財布が軽くなる人が多いよ」
と話してくれてました。
 ここから沖縄本島本部港を目指します。2等運賃13,300円です。
マリックスライン乗船港に待つ船 18時発
クイーンコーラル8
期待に胸高まります。皆既日食で奄美へ向かう人たちで、港は大賑わい。夕食に不安を持ちながら出港時間前ですが乗船します。


桜島に見送られ エントランスでは船のクルーが笑顔でお出迎えです。一方、船のスペースは、長さ180cm、巾70cmのスペースだけ、そこに毛布と枕が準備されてます。広い空間を求めて、出航後は甲板へ


船のトワイライト 桜島に見送られて錦江湾を進みます。私と同じように
狭い室内から抜け出した人たちで、賑わってます。船内で驚いたのは飲食物の価格。お弁当は沢山準備してあり、価格が630円。飲み物も陸地と同じ定価販売なのです。乗船前の不安はなくなりました。

開聞岳に別れを告げて 夕暮れ、開聞岳に別れを告げて東シナ海へと進んでゆきます。このあと、沖縄へ行く乗り物を、マリックスライン那覇行きフェリー「クイーンコーラル8」を選んで良かったと思う素敵なひとときがやってきます。
次回へ

飯盛良隆
佐賀県小城市三日月町出身。
佐世保工業高等専門学校卒業後、ブリヂストン鳥栖工場設備課勤務。橋本龍太郎通産大臣の時代に第3種電気主任技術者の免状を取得。

建材店:サンコー商事にて14年間建材の販売に携わり新築・リフォームの現場に数多く潜入。戸建て住宅でもインテリアの重要性を感じ平成20年町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー福岡校に入学しインテリアの基礎を学ぶ。

平成22年、スメトコプロモーションを設立し住宅CMサービス佐賀の運営を始める。
平成25年2月、ダブルスネットワーク(株)社との契約を解消、住宅CMサービス佐賀の運営を終了する。

平成24年3月、帝王学(氣の學問、道の教え)を学び始める。同年6月
唐津から釜山へ新幹線で!

実現するためには長崎県と佐賀県をひとつに。そしてアジアや世界中の人たちが、自然と人の美しさを求めて足を運ぶ地域にする。

そんな夢を描き知事を目指して政治活動をはじめることに。 活動に専念するために平成26年6月末にて住宅に関する事業は終了。平成26年8月末にて(株)スメトコプロモーションを退社。
平成27年1月11日実施の佐賀県知事選挙に立候補。惨敗。
平成27年12月21日
東京エムケイ(株) 入社。
Tokyo2020オリンピック、パラリンピックの関係者輸送も経験


現在
眞理學指導員 (日産鮎川義塾)
稲作農業
佐賀タクシー勤務
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