
天気予報で「壱岐対馬地方」と称され九州・長崎県の一部であり身近に感じながら、島については何も知らない。その対馬に強い関心を持つようになったのは、2009年6月に購読した雑誌「WEDGE」に掲載されていた産経新聞社・宮本雅史氏の記事「韓国に買われる対馬 国境の島を守れぬ 日本の欠陥」に衝撃を受けたことである。
日本の安全上、極めて重要である所なのに無関心でよいのだろうか?
水と安全はいつまでたっても、タダと考えてよいはずはない。一方で、他人の情報だけで物事を考えてはいけない。指導者であればなおさらのこと。実際の対馬とはどんなところか。何を恐れ、何を大切にしなければならないのか、自然、人、あらゆるものから、何を感じるか、
そんなことをイメージしながら、農作業が一段落した金曜夜、博多港を出るフェリーに準備も計画もなく、ただ帰りの船の時間だけを調べて島を目指した。帰宅してから本棚に、そのときの雑誌WEDGEが残っていたことに気づいたことも、準備不足の象徴になってしまった。
朝4:50の対馬・厳原港。「港の賑わい」を想像していたが、フェリーを下りた人は足早に目的地を目指し、漁港や市場で賑わうわけでもない、フェリーに積まれた車が下船すれば、静かな港に戻るさみしいところ。バスの時刻は島の北部・比田勝港行きが7:03発。港近くのガソリンスタンドに併設されるレンタカーも7時から営業の看板が。時間まで港近くの丘に登って過ごす。準備不十分だから島の地図もガイドブックもない。
(農作業の最盛期で時間に追われた日々が続いていたので、自らと向き合うよい機会になった)
幸い、レンタカーを借りることが出来たので翌日2時までの約30時間を、地図と直感を頼りに巡ることになった。レンタカーとともに貸していただいたガイドファイル。そこにあった神社巡りと砲台跡巡りを中心にルートを考えながら走ることにした。
レンタカーのガイドに載っているからと目指した砲台巡りは、目的地に近づくにつれて道路が狭くなったり、未舗装であったり・・・。そもそも、昼間とはいえ男性でも一人で行くことは考えるべき場所だと感じるところが多かった。上見坂堡塁跡、太平砲台跡、姫神山砲台跡、豊砲台跡(写真6枚)。






芋崎砲台跡と城山砲台跡(金田城跡)は、登山の道のりが長く準備不足のために断念。

日本海海戦100周年を記念し、大きなレリーフが建つ。
日本が勝利したとき、負傷したロシアの水兵たちを井戸に案内し、夜は民家へ分宿させるなど、敵味方を関係なく手厚く看護しもてなした、ことが記されている。

海彦山彦の神話で知られる彦火火出見尊を祭神とする海宮。

WEDGEに紹介された、韓国資本が購入する土地問題が多いとされる浅茅湾。360度全ての眺めが美しい所。

663年の白村江の戦いに敗れた中大兄皇子が、国の守りの最前線として築かせた日本最古級の城跡。準備不十分のため、登山道入口までした行けず。
(登山道入口までの道路も悪路)


板状の石で屋根を葺いた高床式の倉庫。冬場の強い北西の季節風から守るために作られた。
南北約80km東西20kmの島を二日間で400kmを超えて車を走らせた。海に恵まれた漁業の島だから、おいしい刺身やお魚を食べられる、と思っていたが、お昼に食べることが出来る飲食店は少なく意外な結果になった。

「2018年までは韓国からの観光客が多く賑わっていたけど今はこの通り。
閑散としています。元々、(壱岐と違って)観光客の多い町ではありませんので元に戻った感じです。」
と、お話しくださった。夜の宿も手配していなかったので、どこかいいところがあるか尋ねてみると、車で5分ほどの泉という場所の民宿を紹介してくださった。初老のご夫婦で営まれる漁師さんの民宿だったので、こちらでも色々お伺いすることが出来た。

わずか2日間の滞在で自らの答えを出せることではない。厳原にある資料館や神社で、より深く歴史を学ぶことも必要である。冒頭で書いた「韓国に買われる」という懸念は、対馬の問題というより日本中で野放しにされていること、北海道や沖縄、各地の水源が買われている問題と区別して考えるものではないと感じた。そもそも「観光で成り立つ島でなかった」といわれることを考えれば、私たちが対馬という島に対し無関心でいることを反省すべきであると感じた。
古来から大陸とつながり独自の文化を形成しながら、白村江の戦い、元寇、倭寇、秀吉の朝鮮出兵、家康による講和、日清・日露戦争と、常に外と内から圧力をかけられ、厳しい選択を迫られた島の人々。その努力のお陰で現在の日本の暮らしが成り立つことに感謝の意識を持って過ごしたい。日本と韓国・朝鮮、そのバランスの中で島は発展してきた。背景を知らずに韓国からの観光客を非難すべきではない。
自然豊かな対馬は、足を運べば素敵なところである。しかし、私たちの振るまいが島の人や動植物にとって歓迎されるものか否かは判断できない。訪れた6月7日には、島の各地で老若男女総出の公役と思われる草刈りが行われていた。基幹道路の建設は行政の手によって実施されても、維持管理や生活道路を支えることは、住む人たちの力を結束することで成り立っている。それを目にすると私たちが対馬を支える方法は漁業の支援、すなわち「対馬産のお魚を意識して購入すること」なのだろう、と感じた。
「唐津から釜山へ新幹線で!」
そこには対馬をどう守るか、という考えが前提にある。鉄道は国防と国家戦略の重要な要であることは航空機や通信が発達した現在でも変わらないと考える。しかし、コストや技術の問題に目を奪われかねないが、根本の問題として対馬の経済は福岡県(韓国や佐賀も)との結びつきで成り立ち、漁業などの抱える調整すべき課題もこの地域との調整が重要である。にもかかわらず行政だけは長崎県。この現状を維持したままでは、住民が日本社会で共に生きることを実現することが困難になりかねない、と思う旅だった。