飯盛良隆のi佐賀iよ〜したか

住まいづくりのコンシェルジュから転身 佐賀県知事に挑戦した飯盛良隆のブログです。

準完全無農薬・無化学肥料のお米「Shin-和」
平成28年産は完売しました。平成29年産の受付は8月を予定しています。

ラジオ体操会を開催します。
6月7日(水)〜10月4日(水)の月曜・水曜日(8月14日はお休みです)
時間は 6:25〜6:45  会場は、主に小城市三日月町樋口地区
 「6月 7日は現在未定」です。

元氣と景氣と大気を探求する震和塾を開催します。
6月12日(月)〜10月2日(月)の月曜日
ただし、7月17日、7月31日、8月14日はお休みです。
時間は
 13:20〜14:50(人を読み、時代を読み、天意を読む)
 15:20〜16:50(人類の至宝インド哲學、眞理學入門)
 19:20〜20:50(ボーダレスな社会・定員5名)
会場は小城市三日月町樋口803 震和会事務所
参加費は1回 1,000円相当 (但し後援会会員は2回まで無料)
震和塾参加申込みはこちらから
お名前と当日連絡の取れる連絡先をご記入の上、送信してください。

震和会とは。(為雷)人生の試練や困難を切り拓き、奮いたつ勇気をもって、
(日本)の国を再興する、という意味です。

その他の記事

限定解除の試験合格

 人の気持ちを読む管理能力の一つに、経験者の判断、洞察力を教わることが必要とされます。人の不安の原因は未経験から生じるものであり、様々な経験を積むことで不安を取り除くことができるのです。経験値を増やすためには、どんな仕事が来ても言い訳をしないように準備することが必要になります。

001 昨年2月から受験していました大型特殊車両の限定解除。昨日、10回目の挑戦でなんとか合格できました。
 平成24年9月に「農耕車限定」で免許を受けていました。合格当初は、将来役に立つかも、と思いすぐにでも受験しようと思ったのですが、その後いろいろな慌ただしさから試験場に足を運ぶことはありませんでした。
 しかし昨年、普通二種免許を受験することにした際、試験慣れすることを兼ねてこちらにも挑戦することに。
 ところが、佐賀県では毎週金曜日の午前しか試験が実施されません。しかも、一日6名までという事で、不合格者が多くなると、一週間前には予約できない状況になります。しかも、3月から4月10日までは隔週金曜日の実施ということもあり、受験すること自体が困難で、挫折するかと思っていました。

003 東京から戻り、まとまった時間がとれるようになったので、先週からあらためて挑戦。昨日の試験で、ぎりぎり合格することが出来ました。

 新しく免許の裏書きには大特限定解除の文字が記載されました。


 慣れない車両で、それを操ることにみんな苦労します。そして、普段から守れない交通ルールにも苦心します。特にポイントとなるのは
・ 左折時に白線から1m以上、車輪が離れないこと
・ 右折時に中央のゼブラから2m以上車輪が離れないこと(小回りしないこと)
・ 右折時に中央線から50cm以内に車輪を寄せること
・ 合図を出すタイミングは車線変更時は3秒前まで、右左折時は交差点の手前30m、方向指示器を出してルームミラー、サイドミラー、目視の順に確認すること。
・ 発進、および前進・後退が切替わる際には、目視で右後ろ、左後ろ、右前、左前の4点確認を行った上で速やかに進行すること。
・ 左折時の巻き込み確認
・ 踏切停止時の窓開け確認
・ 停止位置(「赤信号」「止まれ」は停止線を出ない、出発点はポールの間、中心±30cm)厳守。
・ 乗降時の安全確認
などが上げられます。特に冒頭の3項目は自動車運転の際に忘れがちになりやすいので注意が必要です。

青春18きっぷっで只見線を走る

017 平成28年3月6日。25年前からの念願が叶い、只見線に乗車することが出来ました。高専を卒業する年に企画した、このルートを通って北海道を目指すこと。当時人気のトワイライトエクスプレスのチケットが、偶然にも前日に手に入りルートの変更をしたのです。


025 紅葉の時期は特に人気のこの路線、雪が溶け始めるこの時期は、ご乗車なさる観光客も少ないようです。
 車窓の雪もほとんどなくなってきています。




035 紅葉はなくても車窓には美しい渓谷が見えてきます。







064 平成23年の大雨で不通になった区間。バス代替輸送のため線路を眺めながら走ります。






088 会津川口駅にて。これから会津若松を経由し仙台市内泊。明日は東日本大震災で津波被害を受けた、東松島市野蒜地区と石巻市、女川町へと足を運ぶ予定です。

消費税は引き下げるべきである

消費税は社会保障制度を構築する上で最良の税制度である
これまでの私の持論です。一方で消費税の引き上げごとに膨らむ一般会計の予算配分を見ると消費税と社会保障費に関連がないことが伺えます。

025 写真が逆さまでアップされていますが、今、ちょっとサラリーマンみたいなことをやっています。働く人々の社会保障負担の大きいことが分かりますし、同じ金額を企業が負担していることを考えれば、日本国内で日本企業が国際競争力を保つことがいかに難しいかの現実をみることが出来るでしょう。
 本来、この保険料のいずれかを無料にして国内コストを引き下げ、消費税を全てその費用に充てるのであれば、消費税の引き上げに賛成です。しかし、消費税を引き上げても、いずれの保険料負担が無くならないのであれば、制度はすでに破綻しています。消費税の引き上げは意味をなしません。

 先日、安倍政権が消費税の引き下げを公約に「解散同日総選挙」を行うのではないかという憶測を耳にしました。是非、実現して欲しいと思います。

ラ チッタ デッラ での披露宴

003 川崎市にあるイタリアンレストラン イルピノーロへ。川崎駅から徒歩7分ほど。
 Googleの案内で迷わずにすみましたが、人づてに訪れるのはちょっと難しいところです。





004 訪れた理由は、昨年の選挙でウグイス嬢を務めてくれた和田明日香さん、彼女が入籍から1年になるこの日に、結婚披露宴を行うということで招待されて足を運んだのです。しかも、新婦代表の挨拶をお願いされて!!




021 披露宴はイベントでMCを勤める明日香さんらしい楽しいモノでした。特に興味深かったのは、お色直し。普通は新婦のお色直しがメインですが、お二人の披露宴では着替えてくるのは新郎の方。しかもコスプレです。
 さらに驚くことは、新婦のウエディングドレスは新郎が縫い上げたモノ。


046 手作り感溢れる式典は、レストランからシアターへ移動、そして噴水のある広場でバルーンアートの演出まで趣向を凝らしたものでした。






051 屋外では休日を楽しむ皆さんも足を止めて注目してくれています。








052 そんな皆さんと共に、バルーンリリースで会を結ばれました。
 いやいや、楽しかった。斬新で。二次会はウグイス嬢・坂田優美さんの司会ということで、参加したかったのですが、明日の予定があるために失礼してきました。

平成28年 謹賀新年

007 初春のお慶びを申し上げます。
 昨年は様々な経験を積ませて頂き、
多くの皆様にご迷惑を掛けながらも、
ご協力をいただいて過ごさせて頂くことが出来ました。

 新たな経験に挑戦している今年も、元旦から活動しております。いろんなご報告が出来るように頑張ってまいります。

 今年は「丙申(ひのえさる)」です。まだまだ、積極的に過ごす一年でありたいと考えております。

 皆様、本年もよろしくお願いいたします。

早いもので1年が過ぎました

010 昨年の今を考えると、今年の私はずいぶん余裕がある暮らしをさせて頂いてます。今チャレンジしている新しいステージは、決して楽なところではございません。しかし、大勢の視線を集めながら、全てのプランニングを一人でイメージしたことに比べれば、多くの先輩にアドバイスをいただきる環境に恵まれています。

 島津先生からいただいた「THE ONE OF SUCCESS」を毎朝口にしながらチャレンジを続けます。

責任者はいない東京オリンピック

東京オリンピックに関して、イメージを悪くする報道、出来事が続いていることが気になります。

メインスタジアムの建設費用高騰問題
エンブレムの盗作問題

いずれも、安倍政権を批判するために利用しているのではないかと感じてしまいます。

東京オリンピックの最高責任者。

それは本来、猪瀬直樹前東京都知事であったはずです。

その責任者を5000万円の政治献金を問題に、マスメディアそして国民は辞任に追い込みました。

1500億円が3000億円超になっても、誘致した知事がいなくなった以上
誰も責任をとれる人はいません。

高い代償ではなかったのでしょうか?

誘致合戦に勝利しても最高責任者のいないオリンピック。

まとまるはずがありません。

都民が団結して成功させようと思えないオリンピックなら、大会を返上すべきではないでしょうか。

誘致合戦で勝利し時の盛り上がり、今一度
思い出して欲しいです。

震災以降、悲しみに包まれた日本の空気を一掃したシーン。

今、報道されているオリンピックの問題。安倍政権を批判することが目的では日本が世界の笑いものになるだけです。

青帯卒業

001 武道を始めて3年。 この度、青帯を卒業することが出来ました。
 40歳を過ぎてから始める武道、簡単ではありません。
 生まれてから、それだけの期間を間違った教育を受けて育っていますから、思考を変えること、ソフトを変えることに時間がかかります。40年かけて壊した身体を元に戻すには、40年?かかります。

 今の子どもたちには、早い時期から武道に親しんで欲しいと感じます。

 これか来年に一つずつ、昇級していくと黒帯になるのは・・・。そんなに順調にいかないかもしれません。しかし、暑さに負けずに頑張って精進します。

70年目の8月15日

 昨日、戦後70年の安部首相談話が発表され、それぞれ賛否の意見が出されています。私は基本的に良い談話ではないかと受け止めています。特に後半部分での
「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」
という表現は、非常に良かったと感じています。
 サイトに投稿されている、いろんな人の声を見ていると、若い人の中に
「戦勝国になるまで謝罪を続けなければいけないのか」
という内容を記すものがありました。これでは、日本が目指すべき方向に逆行してしまいます。そうならないためにも、区切りが必要だと考えています。

 さて、今日の佐賀新聞には70年前の新聞記事の報道が掲載されていました。また、一月以上にわたり70年前を振り返る話題も多く掲載されていました。それらを読む中で、報道が今に伝えたい事実と伝えたくない事実・人物があるのではないかと感じています。
 70年前の記事で8月9日の会議出席者を実名で記載しているのは、平沼枢密院議長、梅津参謀総長、豊田軍令部総長、東郷外相です。陸軍大臣、海軍大臣の名前が登場しません。今年の佐賀新聞を読んでいても、鈴木貫太郎首相を非難するかの記事は繰り返し目にしましたが、米内海軍大臣には全く触れていません。
 70年前の指導体制が、悪かったと主張するために必要なことだけが伝えられ、それに反対する多くの政治家、軍人がいたことが抹消されていること、このことが非常に危惧されます。

 松田十刻氏の著書「海軍一軍人の生涯・最後の海軍大臣 米内光政」のなかで、この8月9日夜の御前会議の様子はより詳しく記述されています。そして、天皇陛下のご決断に至る理由をこう述べられています。
「念のため、理由を申しておく。大東亜戦争がはじまってから、陸海軍のしてきたことをみると、どうも予定と結果が大変ちがう場合が多い。本土決戦というけれど、一番大事な九十九里浜の防備もできておらず、また、決戦師団の武装すら不十分にて、これが充実は九月中旬以降となるという。飛行機の増産も思うようには行っておらない。いつも計画に実行が伴わない。これでどうして戦争に勝つことができるか。
 もちろん、忠勇なる軍隊の武装解除や戦争責任者の処罰など、それらの者は、忠誠を尽くした人々で、それを思うと実に忍び難きものがある。しかし、今日は忍び難きを忍ばねばならぬ時と思う。明治天皇の三国干渉の際の御心持ちを偲び奉り、自分は涙をのんで、ポツダム宣言受託に賛成する。」

 新聞をはじめとするメディアが取り上げない様々な史実。まだまだ埋もれているはずです。これからの日本に必要なのは10代の歴史教育に、明治維新の1860年代から終戦後の1950年代まで100年の歴史を、児童、生徒たちに、自由に研究し議論させる場をつくることではないかと考えています。一人の軍人、一人の政治家、一人の実業家に焦点を当てて調べさせ、それをクラスで発表・議論することで、日本人が反省すべき過去の歴史の真実に、少しずつ近づくことが出来るでしょう。

106 第37代内閣総理大臣で、最後の海軍大臣である米内光政氏。その人物像から日本の近代史を振り返ることは、私のライフワークの一つとなるようです。
 決して管理された情報によって、人々が同じ過ちを繰り返さないためにも。

大前研一さんから

経営コンサルタントとして有名な大前研一さんが
こんな事を言っていたそうです。

「人間が変わる方法は3つしかない。
1番目は時間配分を変える。
2番目は住む場所を変える。
3番目はつきあう人を変える。
この3つの要素でしか人間は変わらない。
最も無意味なのは、
『決意を新たにする』ことだ。」

納得です。大前さんは同じ三碧木星ですから。

私たちの先生は「他人の成功事例は星が同じでなければ役に立たないよ」とおっしゃいます。同じ星の大前さんが都知事選挙に出た時のことが書かれた本を読み学ぶこともありました。

ただ私の場合の1番目は、時間配分を換えることではなく、思考を換えることでした。日本社会の教育の間違いに気づき、思考を換えたことで知事選挙に出馬する挑戦が出来ました。

人生は変わりました。さらにステップアップを目指すために住む場所を変える、つきあう人を変える、思考が変わるとけっして難しいことではなくなります。

ベトナム経済の壊し方

240 4月に訪れたベトナムホーチミン。その活気のすごさにはビックリしました。このまま順調にいけば、10年後には日本を超えると感じました。
 しかし、日本経済の高度成長がオイルショックをきっかけに急減速したことを考えると、一本調子で成長すると断定できないでしょう。私は直感でベトナム経済が壊れる3つの仕組みに気づきました。

1.保険事業が広がること
2.住宅ローンが浸透すること
3.物事に自己責任で取り組むことを避け、行政の規制が強化されること

 海外からの投資が拡大するベトナム社会が、グローバル経済の先例から逃れることが出来るか高い関心を持ちたいと思います。

 逆に、日本経済を10年後に追い抜くには。

 シンガポールの初代首相・リー・クアンユーのようなリーダーが登場し、街を汚すゴミの問題に人々の関心を集め、都市からポイ捨ての文化を一掃すること。これが実現すれば2030年、ホーチミン市は確実に、日本を超える都市に発展しているでしょう。

サガン鳥栖の不振を統計学でみる

 佐賀県民として大切に育てたいプロスポーツチームサガン鳥栖。昨日の試合、1VS6と浦和レッズに惨敗しました。チームのことを批判することはどうかと思いましたが、昨年8月のJ1初首位に付いた後の監督交代劇からのゴタゴタを統計学の視点で検討してみます。
 東洋の統計学のベースに地球・水星・金星・火星・木星・土星の位置関係に起因する視点があり、その中の一つが細木数子氏の六星占術があると考えています。

 さて、2014年8月快進撃を続けるサガン鳥栖は、J1に昇格して初めて首位に立ちました。ところがフロントは直後に、ユンジョンファン監督(1973年2月16日)を更迭し、吉田恵コーチ(1973年4月13日生)を監督に昇格させたのです。ユンジョンファン監督は金星人−。この年は「財成」ということで収穫の秋を迎えています。運命学から考えると、この時点で優勝する可能性はかなり大きなものでありました。また、J1に昇格を決めた2011年は「達成」です。12年間で最も良い運気を生かしてサガン鳥栖をJ1に昇格させ、そしてこの年にチームとして集大成を迎えようとしていたと言っても過言ではありません。
 では、吉田恵コーチの運気はどうだったのか。実はユン監督と同じ金星人−なのです。運気としては同じリズムを刻みます。ただ、迎えるのは収穫の秋です。ユン監督と違って自らが種をまいていません。最終5位と健闘したものの、種をまかなければ同じような実りを結ぶこともなかったでしょう。それから、もう一つ課題がありました。この年は2人とも厄年だったのです。吉田コーチがチームのためにリーダーに着くには不向きな時期だったと考えられます。

 それでも、ドタバタのシーズンをリーグ5位で終えたチームを考えると、そのまま今季も吉田監督で行くのかと思っていたら、新しく森下仁志監督(1972年9月21日生)が誕生しました。初タイトルへ期待が高まるシーズンですが、どこかかみ合わない結果が続いています。そこで、森下監督を調べると水星人+で、今年は中殺界の「乱気」であることが分かります。これまでのチーム状況を振り返ると、残念ながら運命学通りの結果が続いています。もし、森下監督の就任が昨年のユン監督更迭のときだったら・・・。あるいは、来季に就任していたら・・・。

 チームの成績は監督と社長の運気をみる必要があるそうです。サガン鳥栖社長の生年月日が分からないので、これ以上の検討は出来ませんが、今シーズンの結果が少しでも良くなるように応援したいと思っています。

 さて、サガン鳥栖の選手にも気になる選手が一人います。ゴールキーパーの赤星拓選手(1984年4月21日)です。 J1昇格を決めた2011年シーズン途中、室選手の怪我で出場機会を得て神がかり的なセーブでサガン鳥栖をJ1に昇格させた立役者の一人です。苦戦が予想された昇格1年目の2012年シーズンも、周囲の予想を覆す活躍を見せてくれました。ところが、2012年シーズンは開幕から不振が続き、チームは清水エスパルスから林彰洋選手を補強することになります。
 実は、赤星選手は2013年から大殺界に入っています。今シーズンまでで大殺界は終わります。サガン鳥栖のフロントの判断にはこうした統計学による人事が行われないこと考えられますので、今シーズンを終えてり赤星選手との契約が打ち切られることがないことを祈っています。

勝てる戦いをなぜ負けたか反省

 5月20日、前回2月4日を欠席したため半年ぶりに、福岡竹田研究会に参加してきました。ときの話題として、奥さんとの出会いにスタッフ金子さんの気の利いた働きがあったことも紹介していただきました。

 さて、今回の話題日本はなぜアメリカと戦ったのかという話題でお話しが進みました。皇室内部からの視点で語られるその内容は、これまで見聞きしたお話しと異なる角度から大戦への歴史の裏側を感じることが出来、とても興味深く感じました。

その中で最も興味深かったところ
 日清戦争、当時眠れる獅子と呼ばれる大国である清に日本が勝つことはきわめて難しいと考えられていた。その戦争を朝鮮などでの局地戦として速やかな講和に持ち込むことで勝利することが出来た。
 日露戦争、当時世界最強のロシアに日本が勝つなど世界中が想像できなかった。しかし、戦地を日本海と極東に限ったことで日本に有利な形で講和を結ぶことが出来た。
 二つの戦争に比べて、ヨーロッパ戦線に兵力を取られているアメリカとの戦いは、日本にとって局地戦(ハワイ、サンフランシスコの両軍港を空爆する)と短期講和に持ち込むことで、勝利する可能性が高い戦争であった。
という点があります。

 一般に、先の大戦を反省する時に、大国アメリカと戦争を行ったことが問題であり、そのことを反省しなければならないといわれます。しかし、アメリカをはじめとする海外の情報公開が進む現在、戦争を行った表面的な反省ではなく、派閥をつくることや慢心することなど、組織の抱える問題をはじめとする様々な課題にこそ、反省し経験に生かしていく時期を迎えているのではないでしょうか。

 その反省をきちんと行うことが、現在仕掛けられている情報戦に惑わされることなく、日本の発展と世界平和に貢献できる近道であると考えます。


 竹田先生とは異なる視点になりますが、「終戦70年 対米戦争を振り返る」というテーマで、みなさんと過去の歴史について議論したいと考えています。

 日時    7月18日(土)  15:50〜17:50
 場所    ドゥーイング三日月

GAIA SYMPHONY

201 明日16日から一週間、福岡市博多区の中洲大洋映画劇場でガイアシンフォニー 地球交響曲第八番 が上映されます。
 東日本大震災の津波を奇跡的に乗り越えた牡蠣養殖業・畠山さんお話。2011年9月に発生した紀伊半島豪雨により甚大な被害を受けた天川村、天河大弁財天社の能面奉納。そしてヴァイオリニスト・中澤みき子さんのストーリー。
 どれも、これまでの社会観を一転させる経験から、新たな時代を感じさせるお話しばかりです。20年以上前の1992年から発信を続けられた龍村仁監督の作品。できれば、最初から見ていきたいと思います。

197 今回の作品、私は4月7日に東京で作品を見ることが出来ました。被災地から離れて暮らす私たちは、社会の変化に疎いように感じてしまいます。
 わずか一週間、しかも福岡市での上映ですが、足を運んで時代の変化を感じて欲しい作品です。

小城市議会議会報告会に参加

002 5月14日(木)19:30から小城市議会の第3回議会報告会がドゥイング三日月で開催されました。今月配布されていた議会だよりでちょっと気になるところがありましたので足を運んできました。
 市内4会場を2つのグループに分かれて2日間で開催されている今回の報告会。10名の議員さんがそれぞれのテーマに対し説明をされます。

 さて、私が疑問に思ったのは、西九州大学の誘致問題で、この誘致に関し小城市が事業費の一部を補助したいという考えを示されていることです。
 この疑問点、先の憲法記念日に憲法9条を考えるために本を読んでいた時に、私学に対して行政が助成を行うことは憲法89条に抵触するということが書かれていたことに始まります。

(日本国憲法89条) 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

 つまり、私立学校に助成することは憲法違反であるが、慣例としてまた法律によって、そのことを問題にすることなく、助成を行っているのが現実のようです。しかし、憲法9条などと異なり、多くの国民に不利益が発生していないので、訴訟問題にならずに現在まで至っていると考えられます。

 とはいえ、大学が過剰の時代に、行政が支援して大学を誘致することが、本当に地域のためになるか疑問を抱きます。それに限らず、会場へ足を運んだ方の多くは、誘致場所に対し疑問をお持ちのようでした。私は将来、大学経営に支障が生じた時に新たな支援が求められるのではないかという考えから、議員の皆さんに
「小城市が事業費の一部を助成することは憲法89条の視点から問題がないのか?
そもそも、議員としては憲法の条文を守ることより、慣例遵守の姿勢を取るのか?」
について、質問させていただきました。

 進行係の方から
「憲法問題については考えていなかったので、今後議論したい」
という回答をいただきました。

 大学の誘致については、市民のため、学生のためになるのかを、一市民としてじっくり見ていきたいと感じています。

知らないことの多かったベトナム

028 4月25日(土)から4月29日(水)までベトナムに滞在してきました。私のいとこが現地で5年くらいからビジネスを行っていたこともあり、ちょっとしたイメージを持っていたものの、実際に足を運ぶつもりなど全くなかったので、同国への知識など全く持っていませんでした(ベトナム戦争があって、枯れ葉剤の影響でベトちゃんドクちゃんのような子供が生まれたことくらいの浅い知識だけです)。
029 フランスの植民地として長く支配された一方で、第二次大戦の一時期、日本軍が入った影響か現地の人たちは、日本人のことを好意的に考えてくれています。第二次大戦の後は、共産勢力の北軍とフランスを支援したアメリカ軍による南軍の戦いにより、国土の広範囲にその影響が及んでいます。
 そんなベトナムで比較的戦火の影響が少ない都市が今回訪問したホーチミン(旧・サイゴン)です。

 ベトナムの面積は32万平方キロ(日本は38万)、人口が8000万人(ホーチミンは800万人)、人口の8割の人が大乗仏教を信仰し民族の9割がキン族という日本と似たところの多い国です。首都ハノイと経済都市ホーチミンは1750kmも離れ、南北に細長い国です。中華文明の影響がある一方で筋金入りの中国嫌いだとか。また、ベトナム戦争の影響で1995年に国交は回復しているもののアメリカとの仲もあまり良くないようで、市内で見かける看板に英語表記が少ないことも印象的でした。

 その一方で、大の親日国と言うことで街を歩くと日本語の上手な方に時々で会います。もっとも、日本人相手の商売がお金になると言うことがありますが、ホテルでお話を伺うと日本に対するあこがれが強いことも感じました。
 ちなみに、ホーチミンで働く大卒者の給与が$284US(2013年)程度だそうですが、英語が出来ると2割上昇し、日本語が出来ると2倍になるそうです。ですから、仕事を終えてから日本語の学校に通う人も多いようです。

 ベトナムの人たちは真面目な一方、働き方を知らないところがあるように感じました。ですから、仕事の進め方をきちんと教えることが出来れば一生懸命働くようです。老若男女みんな一生懸命働きますから、みんな幸せを感じて過ごしています。

016
 発展を続けるベトナムの街

153
 上を見れば日本と全く変わりません。
 年収が1500万円を超える富裕層も人口の5%に上るそうです。

155
 人口が1000万人を超え、東京に追いつくことも時間の問題かもしれません。


045
 一方で足下を見るとベトナムの人の悪しき特徴が見えます。


046
 どうやら掃除と後片付けが苦手のようです。
 みんな食べかすはテーブルの上、道端、そして屋根の上までポイ捨てです。

118
 線路にもこんな具合ですから・・・。

 昭和40年代の日本に、スマホなどIT技術だけが持ち込まれたような感じがします。

 一生懸命働いて幸せな笑顔で過ごす姿を見ていると、日本が先生であり、ベトナムが生徒など、おごった考えであることに気づかされます。

 考えてみると「保険」と「(住宅)ローン」と「規制(免許・資格制度)」が充実し自己責任を放棄することで日本社会の活気は失われ、今後ベトナム社会にそれが充実すると日本と同じ歴史をたどるのではないかと感じます。

 とはいえ真面目な人たちです。前回紹介したように日本文化を学ばせる学校の影響力が大きくなった時に、この国の人たちの意識が変わるかもしれません。そうなった時には、確実にベトナムは日本をリードする国へと成長するでしょう。私たち日本人は、ベトナムの人たちに追い越されないためにも、たばこや空き缶のポイ捨てを止め、みんなで街を美しく守らなければなりません。国際都市として世界に誇るためにも、2020年のオリンピックを控え注目される今を生きる私たちの務めだと感じます。

ベトナムで日本国憲法を考える

002 先日訪れたベトナムホーチミン。二日目の朝食をツアー参加者の方といただきながら、憲法のお話になりました。
 その時、私の考えがすごくシンプルにまとまっていることに驚いてしまいました。
 憲法改正は実現できるかどうかを考えるのではなく、憲法に問題があるなら、行動することが大切でしょう。改正が実現することが目的ではなく、憲法の問題を議論することが大切です。議会で否決されることよりも、それを恐れて改正案を審議できないことが問題です。否決されたら、修正して議論すれば良いのです。問題なのは、憲法改正の中身を国会で議論しないことです。

 美しくまとまった改正案など見たいとは思いません。反対意見の出ない憲法改正案など興味もありません。もし、国会が発議した憲法改正案に96条改正(改正要件の緩和)が含まれていれば私は無条件に反対するでしょう。しかし、憲法の抱える課題にまっすぐに向き合う案なら改正に賛成します。


(憲法改正案)
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力を保持する。

ホーチミンで日本精神を学ぶ

027 今日4月30日はベトナムの戦勝記念日。1975年4月30日に旧ベトナム共和国の首都サイゴン(現ホーチミン)が陥落し、ベトナム戦争が終結したことを記念する祝日だそうです。
(当時のベトナム共和国の大統領府であった統一宮(Dinh Doc Lap、現在の統一会堂)に北ベトナム軍が突入した日が4月30日です。)
 そんなことなど知らずに、4月25日から29日までの5日間をベトナムで過ごしてきました。ホーチミンに3泊と150kmほど離れた都市・Can Thoに1泊してきました。
 日本にいながらイメージしていたベトナムと現地の様子は、全く異なっていてビックリしました。戦争証跡博物館では当時の情報の他、枯れ葉剤による影響の写真を見ることが出来ました。しかし、ホーチミンの街を歩いてもそんな影響を感じさせることは全くありません。みんな、明るく楽しそうです。生き生きと生活しています。一方で、枯れ葉剤の写真を見ると私たちの食生活が同じ農薬を使用する現状を継続して良いのかを考えるきっかけにもなります。

097 今回のベトナムツアーは、ビジネス視察が目的です。現地の様子を知り、現地で事業をなさる日本人の方々からお話を伺うことが目的でした。
 ツアー3日目の午後は事業所へ直接足を運びました。まずは現地で会計事務所を営む方のオフィスです。KT会計事務所・社長の大塩さんは、シンガポールで知り合ったベトナム人女性と結婚した後、ベトナムに移って生活を始め現在は会計事務所を営まれていました。
 日本を離れたのが1980年代ということで、日本のバブル時代を経験することなく、古き良き日本のビジネス習慣を現地に広め、多くの日系企業から支持を集めていらっしゃいました。
 ロバート・ケネディの演説を用いて、国力や企業の評価は
「ひと もの かね 情報」
である。しかし、会計指標の問題は人の価値が数字に上らないことだ、
と強く語られていました。企業の価値が人であると同時に、幸せの価値はお金では評価できないことを、実感させられる出会いでした。

166 続いて訪問したのが、日本語教育を行い、生徒達を日本企業へと人財派遣を行う(株)ジェイ・プラネットさんの学校を訪問しました。
 社長の吉野さんはベトナムで生まれ医者になるためにフランス留学の後、日本で研修医として働いたそうです。その後、エンジニアなどとして活躍の後、日本国籍を取得、現在はご自身と同じように日本で働くベトナム人をサポートできるようにと、教育機関を立ち上げられています。

136-2 お話を伺っていると私たち日本人が失った勤労精神をきちんと受け継ぎ、ベトナム人の育成に励まれていることがよく分かりました。
 研修生として安価な労働者として期待している業界がありますが、こうしたお話を伺うと、日本人として恥ずかしくなってしまいます。ベトナムの人たちは本当に日本人が大好きです。
 大好きな日本に行きたい、そんな思いで一生懸命勉強している彼らを、現地の様子を知らずに安価な労働者として期待すべきではありません。
 ベトナムには「介護」という概念がまだありません。彼らがその仕事をになうことは困難でしょう。不足するトラックの運転手として期待する声を耳にしたことがあります。しかし、運転スタイルは日本と全く異なります。彼らが日本で学ぶべきビジネスは、そこではないと感じました。

吉野さんは学生達に顧客第一主義のビジネスを教え込みます。
「あなたのお給料、誰が払っていますか?」

社長じゃないですよ。会社じゃないですよ。お客様です。

100年を超える寿命を持つ日本企業が伝える精神を、しっかりとベトナム人にも伝えて下さっています。改めて学ばなければならないのは私たち日本であることを痛感させられました。

143 生徒達は全員、寮で共同生活をおくっているそうです。日本へ行った時に、身の回りのことで困らないように、料理・洗濯・掃除などしっかりと日本の習慣を身につけるための仕組みです。訪問した日の翌日からは、ベトナムでも大型連休が始まるということで、夕方から帰省する学生も多く見られました。吉野さんと生徒達の交流、ご自身の経験をしっかりと伝えて、日本で活躍できるように願う姿勢がとても印象的でした。

 日本とベトナムとの関係、これは日本の発展のためにも私たち日本人一人ひとりが、彼らと対等な意識で接していかなければならないと痛感させられました。

戦争証跡博物館とベンタイン市場へ

002
 ホテルの朝食はバイキングです。朝は5時半からやってました。
パン食、和食と共に現地の食事も選べ充実していました。こんなネタのお寿司もあります。


010
 さて、4月27日午前は市内観光です。まずは戦争証跡博物館へ向かいます。タクシーの窓から見えるこんなお店、昔、日本でよく見かけた町の雑貨屋さんみたいです。


027
 ベトナムでは朝が早い一方で、お昼休みが長いのも特徴だとか。
 ここ戦争証跡博物館では、午前7時半にオープンした後、お昼12時に一旦閉まり、13時半から17時まで再び開館するそうです。図書館や博物館といった施設でお昼休みがあるというのは、日本では考えられませんが。


019
 ベトナム戦争時代の風刺報道。ちょっと日本の偏った思想が目に付きます。


031
 屋外の展示物は臨場感があります。平日の午前にかかわらず、若い人たちの見学者が多いのも印象的です。

 続いてベンタイン市場へ移動します。
045
 初日は前を通るだけでしたが、この日は中も見学します。


046
 車を降りて気になるのがこれ。ベトナムの人たちは掃除や片付けが苦手なようで・・・。


049
 でも、市場の周辺は活気が溢れています(市内どこでも活気があるのですが)。


052
 市場の広さにも圧倒されます。同じような物を売ってるお店が次々にあって・・・。どこで買うか迷っているうちにとおりすぎてしまいました。


056
 中には食堂もあります。お昼まではまだ時間があるので人影はまばらです。


062
 色んなものを売っています。


063
 民族衣装のアオザイが目を引きます。


064
 一方で、Tシャツも沢山売っていますが、日本円に換算すると1,000円以上するので、これは高いと感じました。
 市場でのショッピングは団体行動では難しそうです。改めてチャンスを伺うことにします。

いつもと違うホーチミンの街

003 4月26日(日)、ホーチミンの朝はいつもと少し違うようです。日曜日だからというわけではありません。
 ホテルの前には警察官の姿が。
 この日は、4月30日に行われる戦勝記念イベントのリハーサルということで、道路は車両規制がかけられています。いつもはバイクで賑わう道路も閑散と。


004 タクシーも潜入できません。10時に待ち合わせをしていたガイドさんも、交通規制で中心部への規制で足止めされたようです。
30分くらい遅れての到着。





005 タクシーで市内観光の予定でしたが、12時まで交通規制がひかれており、自家用車はもちろん、バス・バイク・タクシーも中心部を走ることが出来ません。
 想定外の徒歩で市内観光です。
 日差しは強いものの、そんなに遠くへ行くわけではありませんでした。



016

024

028

029


041

045 日差しの強い中を歩きましたのでカフェで休憩です。意外とおしゃれな空間でビックリしました。







051 ココナッツジュース。
果肉も内側から削って食べることが出来ます。
汁のように美味しくはありません。







055
 今度はタクシーで移動します。
 前の日も足を運んだような所へ来ました。 

057 日本企業との合弁で進企業地下鉄工事。当初計画では完成の時期を迎えていますが、2020年を目指して建設中。おそらく間に合わないとの予想でした。
 ベトナムはバスもあまり充実していないようです。都市交通としての鉄道もありません。
 当面、バイクや車による渋滞が激しくなるように感じます。



ベトナムの人と文化に触れる

081 朝食を終えて、サイゴン川沿いの道路を歩いてホテルまで戻りかけていました。
 なにやら、変な形の自転車に乗ったおじさんが声をかけてきます。
 どうやら、広い道路の向かいにあるサイゴン側を見せるために、道路横断の手伝いをしようというのです。
 これも、国際交流。行為は素直に受けます。

091 お礼にチップを払おうとするものの
「いらなーい」
と言って受け取りません。今度は自分の友達だ、と言う仲間を連れてきて、街を案内するからのりな、というのです。なんだか怪しい展開ですが、これも経験です。
 まぁ。高い旅費を払ってきたわけだし、午前から危ない経験もいいかと思って、鳥内さんと2人町中散策に連れ出されました。

097 面白い視点で町の様子を見ることが出来ます。
 働く人、くつろぐ人、様々です。道端で散髪する人たちがいるのも印象的でした。とにかく、街に活気があることと、ゴミを散らかすこと。
 運転するおじさん達は
「ひったくりに気をつけなさい。バッグ、それからスマホ。」
何度も注意されます。私たちのガイドからも、治安は良いがスマホを取られないように気をつけなさい、と情報をいただいてました。
 なんでも、中古のi-Phone が4万円くらいで売れるというから驚きです。大卒の月給が3万円の街で、若者をはじめ多くの人がスマホを手にしている不思議な街、ホーチミン。

104 しかし、良くこんな広い道路で、自動車とバイクそして自転車までが、車線を区別されることなく走れるものかと感心します。それでいて、事故現場を目撃することもないのですから。
 徒歩で15分ほどの道のりを変える予定が1時間弱。だいぶ遠回りをしました。ガイドさん達と10時にロビーで待ちあわせの予定です。

107 いよいよクライマックス。ある程度予想された自体が・・・。
 ホテルから少し離れた場所で下ろされて、料金表を見せられます。
 1500000ドン。
 桁が多くて勘違いしそうになります。
 明らかにぼったくりです。値引き交渉。
 平行線をたどります。
 納得しがたいところもありますが、日越友好と私の布施として、夜のラウンジ並に高いお金を払ってきました。

ベトナムではひったくりに気をつけろと教えてくれる人は、親切心ではなく自分がぼったくる稼ぎを取られないための商いの一部に過ぎない。

 後日談として、このぼったくりのおじさんとは、3日後に再び再会することになります。人口800万の都市ホーチミンなのに驚きました。

141 さて、ホテルに戻った私たちは、早入りメンバーとガイドさんとで、ホーチミンの本屋さんに案内してもらいます。
 ホーチミンでは本屋さんに入る時、カバンをロッカーに預けなければなりませんでした。いろいろお店の習慣も違いますね。
 写真はノート積んだモニュメント

 いろんな見せ方があります。


142
 日本のアニメ、漫画はベトナムでも大人気のようです。

143
 ドラえもんは定番商品といった感じです。

144
 懐かしい。のび太の恐竜。日本で映画化されたのは35年前?
 ワクワクしてみたのを思い出しました。

145 漫画本に限らず、日本文化が世界中に広がっていることを改めて実感します。

ホーチミン市1区を散策する

039 日本人ガイドと別れた私。
今度は旅行の主催者である鳥内浩一さんと市内散策しながら朝食を食べに出掛けます。






040 世界中を旅される鳥内さん。社員からの情報を基に歩いて20分ほどのお店を目指します。
 ところが、i-Phone で案内される地図は路地裏へばかり進んで、いっこうに先へ進みそうにありません。
強制移動します。



041 ホーチミンの1区は日本人の多い町です。
飲食店にも日本語の名前が付いたお店を沢山見かけます。

044
 市内の通りはすごく緑が充実しています。


045
 バスも見かけますが、道路を走るのは大半がバイク。そしてタクシーです。
 自動車は高級車は見かける物の日本の5ナンバーに相当する小型車や軽自動車は見かけません。



068






064
 街角ではいろんな日本語を目にします。
 和食

065
 日本

069
 和伊の介

173

126


175
 で、目的のお店は、その先にある「NHU LUN」というお店でした。

071
 ちょっと市場っぽい雰囲気のあるお店

073
 バインミーがお薦めという情報でしたが、食べたのはハンバーガー
 マンゴージュースも美味しいです。

074
 ベトナムの言葉が分からない2人旅。
 いろんなハプニングで楽しいです。

ベトナムへ一人で入国を試みる

008 ベトナム・ホーチミンに来ました。昨年3月のアメリカ合衆国サンフランシスコ・サクラメント、12月の香港に続いて3回目の海外旅行。過去2回は成田や羽田から参加者の皆さんと一緒だったので、ただ付いていくだけでOKでした。
 しかし今回は現地の空港を出たところまで迎えに来ていただけるものの福岡から羽田経由でホーチミン空港、そして入国審査まで一人でクリアしなければなりません。飛行機は日本航空とはいえハードルは高くなったようです。

 ま、不安がある時は余計なトラブルもあります。
001
 佐賀から福岡空港へ向かう高速バスは、都市高速で事故が2箇所で発生し渋滞にはまりました。

002
 福岡空港で食事をして乗り込むつもりだった、19時発の日本航空羽田行き。
時間に余裕がなくなったので弁当を買って機内へ。今度は、
「羽田空港上空の混雑のため、離陸時刻が19時35分頃になります」
と。

031 それでも、羽田の出発は午前1時過ぎですから余裕があります。飛行機は現地時間の5:15着なのでさすがに機内食などのサービスはないだろう、とおもって空港でお好み焼きを食べることに・・・。
 それ自体は美味しかったのですが、コンビニで買ったミネラルウォーターが身体に合わずに、出発時刻の1時間前ぐらいから、何度もトイレに駆け込むことに。

019
 離陸した飛行機の中でも気分が優れません。

001 それなのに、ないと思っていた豪華な機内食が出てくるではありませんか!
 果物などは食べることが出来たものの、メインは無理。お隣の席の方に
「よろしければどうぞ」
と、お薦めすることになりました。

 さて、心配していた入国手続きですが、こうも簡単にクリアできるのか! と驚くほど簡単に(でも、結構待たされた)通過することが出来ました。なんといっても、通過するまでひと言も話さなくて良かったのですから。しかも、書類を書く必要もなく赤いパスポートの威力をまざまざと感じました。

 荷物を受け取って正面の両替所で1万円を両替。なんか分からんけど沢山もらえます。166万数千ドン。なんか、500ドンはないからサービスしとくと1000ドン紙幣をくれました。でも、為替を聞いてびっくりです。1円は175ドンほど。500ドンは4円くらい? 喜ぶほどでもなかったようです。

 002 さて、お迎えに来てくれたガイドさんと共にホテルへ向かいます。ベトナムではこの赤と緑のラインが目印(Vinasanタクシー)と緑の車体(マイリンタクシー)が優良会社と言うことで、それ以外はぼったくりに気をつけるようにアドバイスをいただきました。

014
 ホテルまで20分ほど、800円弱で到着です。

017
 とりあえず、ホテルに荷物を預けて、軽い朝食をいただきます。この時には飛行機の中まで続いた腹具合もすっかり回復しました。

019
 朝食にはバインミーをいただきます。

023
 飲み物はミルクたっぷり、ドロドロ感のあるベトナムコーヒー。

026 買うのは屋台でも、いただくのはホテルのロビーで。
 うん、うまい。
 ベトナムコーヒーは現地の人が路上で雑談しながら2時間くらいかけて飲めるようにドロドロになっているとか。
 日本人の感覚では、ちょっとの見にくいイメージがあります。

 早朝7時。ベトナムの人は活動が早いです。ここで一旦ガイドさんとお別れです。

南佐賀自動車学校で安全講習

 佐賀県知事選挙が終わって3ヶ月が過ぎました。この間に普通自動車運転免許の二種免許に挑戦していました。知事選挙を経験して感じたことの一つに佐賀県の奥深さを感じたことがあります。
 建材店として約15年活動する間、月平均3000kmの移動距離で県内を回っていました。佐賀市や神埼市が中心ですが、唐津市などへも足を運ぶことも多く、県内を広く知っているつもりでいました。
 しかし、今回の選挙戦で足を運んでみると、隅々と思っていたところのさらに奥に、まとまった集落があることに驚かされました。まだまだ佐賀県の知らないところが多いことに驚くと共に、その魅力を伝えることが出来ないかを考えるきっかけにもなりました。
 また、これと並行して私が学んだ伊勢、京都・奈良、出雲の神社仏閣の持つ意味を、多くの人々に伝えていかなければならないと言うことも自覚しています。その両方を実現するために将来、旅行会社をつくろうと考えました。その一歩として、お金をもらって人を自動車に乗せることが出来る二種免許を持つこと目指したのです。

001 直接、免許試験場で学科、実技の試験をクリアしたので、講習のみが残っていました。
 4月22日、23日の両日、南佐賀自動車学校にて「普通旅客車講習」と「応急救護処置講習2」を受講してきました。2日間の講習費用が26,400円というのは結構高いです。通常は3名そろって実施されるそうです(1人では実施しない)。講師の方の人件費を考えれば、致し方ない金額でもありますが・・・。
 それでも2日間、面白いお話も聞くことが出来ました。少子化で自動車免許の取得を目指す若者が減少する一方、経営を維持させてくれるのが講習の委託。特に高齢者講習は大きな支えになっているとのことです。現在こちらの自動車学校では年間2300人ほどの受講者がある高齢者講習。団塊世代が高齢者講習を受けるようになると、5000人規模になることも予想されています。3時間講習に9名ずつ。午前午後合せて18名ですから、フル回転の状況です。一方、受講料が30万円近くかかる普通免許の取得に、今の若い人たちはあまり熱心ではないようです。入校しても数回足を運んで来なくなる人も、よくあるとか。親が出してくれるお金とはいえ、考えものです。

003 さて、講習は午前中はシミュレーターを使った危険予知の講習が3時間、路上走行が1時間、ビデオなどの座学が2時間で行われました。
 午後は、応急介護の講習が3時間ずつ2日間行われました。私が自動車免許を取った頃にはなかった応急介護。今は3時間が必修になっているそうです。大型車や二種免許の取得者はさらに要求レベルが高くなると言うことで、座学と実技の両方をじっくりと指導されます。


007 普段経験のない人工呼吸や心臓マッサージなど、2時間にわたり実技指導を受け、日頃使わない筋肉もしっかりと使いました。
 2日間の講習を終え、後は試験場に書類を持って行けば免許取得完了です。

過去を変えられる幸せノート

001 意識を変えることで「未来を変えること」は誰にでも出来ることです。私が知事選に挑戦できたのも、意識を変えたからと言えるでしょう。そのプロセスには、幸せノートを毎日記入し、過去の行為を反省し、過去の出会いに感謝することから始めることで、夢という形の創造力が起動したのです。

 選挙が終わり3ヶ月が過ぎ、そろそろ新しいテーマに向けて活動の準備にかかりました。2年間通った東京での「眞理學」の講座も今月修了しましたので。

 そんな今週、信じられない出来事が起きました。25年前、就職活動する時に受験を断念した会社が契約社員の募集を行っているのです。募集枠は狭いものの、応募条件を満たしています。インターネットで、ある条件の仕事を探していたのですが、その企業については全く考えてもみませんでした。

 眞理學の先生が初級クラスの頃に、幸せノートなら「過去を変えられるよ」とおっしゃってました。

 これまでも、そんなことが起きるのかな?

と感じることはありましたが、今回の募集を目にしたことは、まさに過去を変える出来事のような衝撃です。

001 「出会いに一つの偶然はない」という言葉を信じて行動します。
 久しぶりの履歴書書き。
 職務経歴書など書いたことありません。2回、3回と書き直しました。

 思った以上に時間がかかります。


ジョブスの言葉

「もし明日死ぬとしたら、その仕事を続けますか?」

Yes と答えられる仕事。それに巡り会えることは、幸せなことです。

失敗したら総てを失う挑戦が出来ること。それも幸せなことです。

物事を「損得」ではなく、「善悪」で判断できるから、気づくことではないでしょうか。

横須賀の田戸台分庁舎を訪ねる

008 平成26年4月7日、横須賀市にある田戸台分庁舎へ足を運びました。こちらの施設は、昨年3月に参加した海上自衛隊横須賀基地「艦艇」乗艦見学ツアーで訪れた、第二術科学校でOB自衛官の方から「夏と桜の季節に一般開放があるから」と薦められ、たまたま春の一般公開5日間が私の上京予定にリンクしたので足を運びました。
 週末見頃だった桜も雨で散ったせいでしょう。この日午前に施設を見学に訪れている方は数名でした。その分、中もゆっくり見学できました。

013


014


015


016


020


027


031


036


056


071


081


122
 田戸台を後にして足を運ぶのは、横須賀市の重要観光ポイント・三笠公園。入場料は
600円ですが、すごくボリュームがあります。1時間くらいでも見学できるのですが、できることなら身軽な格好でゆっくり見学したいところです。施設のことは他の方が詳しく紹介されていると思いますので、私の記事はここまでで。

日本のへそ西脇市を訪ねる

036 伊勢神宮ツアーと東京での指導員クラス授業最終回までの合間に、以前から行きたかった西脇市を訪れることができました。愛知県から兵庫県へ移動する車中から見えるデッカいソーラーパネル。南草津と石山駅の間にあります。



044 さて、西脇駅は想像していた以上にローカルな駅です。佐賀で例えるなら・・・。
ちょっと比較が難しいですが、小城駅よりも寂れた印象があります。でも、街自体は小城よりも生きている感じがします。




047
 地元の人お薦めの西脇大橋ラーメン。

048
 縮れ麺であっさりしています。


049 ちょっと、西脇の市街地を散策します。市役所にほど近い場所、西脇は播州織で有名なところらしく、昭和の半ば頃までは九州からも女性達が職工として移り住んだそうです。





050 昔ながらの機械が今も現役として活躍する工場を見学することができました。







055 紙に穴が空いているのがデザインのパターンで、これを長くすればより大きな柄を織り上げることができるそうです。






058 いろんなデザインのものが商品化されています。








073 西脇市といえば「日本のへそ」と呼ばれています。北緯35度、東経135度の経緯が交わる場所です。天文台のある明石が有名ですが、エネルギーのレベルからすれば、比べても劣らないところだと思います。
農業が盛んな街で、金ごまなど特産品の生産にも取り組まれています。
加古川の水源に恵まれた肥沃な土地という感じがしました。

 西脇を訪れたからには「日本のへそ」は外せません。へそ公園へ移動中に兵主神社という立派なかやぶき屋根の神社がありました。

086
加古川線 日本のへそ公園駅

087
ちょっと分かりにくいのですが、へそ公園駅の階段を下りて左へ。
すぐにスロープがあるのでそこを下りて線路をくぐると、右側にオブジェがあります。

097
ここはやっぱり、記念撮影。

100
子午線と緯線の交点です。

106
自然豊かな魅力的な町です。

127 西脇市の北東の端 対岸の丹波市には円応教の聖地がありました。良い土地は、宗教家が先に気がつくのでしょうか。インパクトがあります。






 西脇市。日本再生の要素を持つ魅力を秘めた街だと感じました。時代に流されない発展ができることを願います。

二種免許実技試験合格

001 普通二種免許実技試験チャレンジ5回目。はじめは簡単に考えていた試験に、ここまでのお金をつぎ込むことになるとは!
 でも、10回以上挑戦している方もいらっしゃいます。4月に入ったとたんに試験場はガラガラになっています。高校生達のほとんどが、進学・就職で会場を離れたためでしょう。私もそろそろ卒業を、と気持ちだけは入っています。

 この日も3番目の受付で3コース。そして場内試験は方向転換です。無事に場内試験を終えて路上試験へ。5回のうち4回同じコースとなると、それぞれのポイントも分かります。慎重に意識しながら走ります。助手席に座る試験官のペンの動きも気になります。減点されても冷静に先のことを考えます。
 ぎりぎりか? 最後の難関、方向転換。県道31号線の交通量は多いので、安全確保までの時間も長くかかります。それでも、落ち着きを保つことができました。路上試験の時間は25分にも及びました。たぶん、他のコースに比べて長い時間を要します。
 3コースの最終ポイントは歩道の縁石がありますので、
「縁石を避けるために少し先に止めます。」
と告げて左寄せして停車。ギアをバックに入れて、手ブレーキをかけ、安全確認の上、車から降ります。

 試験場までの回送時間は、緊張します。試験官から3人の受験者に
「(縁石の上に)並んで下さい」
との指示。もしかしたら。
期待通りに私の合格でした。2コースを乗車した方も、結構うまく運転されていたのでどうだろうかと思いましたが、この日は私1人の合格でした。

事務手続きの後、自動車学校で受講する「普通旅客車講習」と「応急救護処置講習2」について案内を受けます。

受講後に免許が交付されることになります。

JAさが臨時総代会に出席して

 3月30日午後2時から佐賀市の佐賀市文化会館大ホールで開催されたJAさが臨時総代会に参加してきました。参加にあたり気になったのが、農業団体の大規模な支援を受けて就任された山口知事がどんな挨拶をなさるか、という事でした。
 ところが、来賓席は寂しいものです。国会議員の方々の姿はなく、知事の姿もありません。議員さんたちは国会開催中ですから仕方ないものの、知事の姿が見えないことにはちょっと寂しさを感じました。

 地元の農家の方から
「せめて小城だけでも、農政会の推薦をもらわんね」
といってもらったものの、JAにも問題がありますし、
「推薦をいただくことで言いたいことを言えなくなるのは、本末転倒でありますから」
とお断りした私としては、山口知事がご支援なさった団体の皆さんにどんな挨拶をなさるのか注目していただけに、肩すかしを食った感じです。

 一方知事はこの日、県内20の自治体の首長と会合をなさっていたようです。先月中旬に県内7箇所で県民との意見交換会意見交換会に続き、ご自身の目指すスタイルで取り組まれているようですね。

 ただ、首長が一堂に集まって話し合うことは、再考する必要があるのではと感じます。国には有識者会議など様々な諮問委員会があるようです。委員として参加する方は、そのメンバーであることにステータスを感じられる一方、運営する方は委員の数を増やすことで議論が煮詰まらずに、最終的に事務局一任という形での結論を得られることが目的で開催されているということも耳にしました。20人の参加者があるこの日の会合に、全員が同じように発言すると、1時間の会合で発言できる時間は1人あたり3分にしかなりません。とても議論が深まるとは考えられず、それぞれの首長が移動することにかける時間や県内全ての自治体で行政トップが不在となる危機管理上のデメリットを考えれば、公務としての効果は小さいのではないかと感じます。

 ある方から、身近な会合を開く時には6人以内で行うべきとアドバイスを受けたことがあります。7人を超えると座がばらけてしまい、一つのテーマで議論に集中することが難しくなるためだということでした。多くの人が発言し、議論を深め情報を共有化するためには、とても理にかなったアドバイスだと感じています。議論に集中できる時間も90分が一つの目安となりますから、より効果的な会合を行うことができます。
 そういえば、県知事選の討論会も90分〜120分に候補者3〜4名と司会・コーディネーターの6者以内で行われましたね。

 知事の演説や講演会に首長全員が集まるのであれば違った意味で効果はありますが、対等の立場で意見を聞くのであれば地域ごとに開催された方が、より地域に密着したテーマで議論できるのではないかと感じます。明後日は県会議員選挙の告示日です。首長と県議にはそれぞれの役割があると考えています。
 無投票が予想される選挙区もありますが、身近な地域の選挙です。投票に行きましょう。

マタハラが話題になっています

 議論できる立場ではないと思いながら、今朝のテレビ報道を視ていてマタハラが気になったので記事を書いてみます。

 マタハラを受けた方に質問してみたいことが一つ
「あなたは、スーパーやショッピングセンターでお買い物をする時、高くて良いものを選んでいますか?」
ということです。

 この質問に「いいえ」と答えなければならない方には、少し考えていただきたいのです。

 あなたがお買い物する時に、同じような商品なら安いものを選ぶという行動は、
労働環境において経営者や上司が
「同じ仕事をさせるなら効率の良い人を使いたい」
という行動に巡り会うことにつながりやすいですよ、
ということです。
 因果応報(善因善果・悪因悪果)と考えられます。

 ご自身を雇用する側に大切に使って欲しいと思うのであれば、私生活の上でも(買い物をする時でも)相手(作り手・売り手)の念いを感じて行動することを心掛けていることが大切だと感じます。

 可処分所得が減少する中、お金を使うことも慎重になりたい気持ちは理解できます。
しかし、そのお金をもらわなければ生活が成り立たない仲間(日本人)がいることを思いやる人が増えた時に、マタハラをはじめ様々な差別がなくなっていくのではないかと感じるテーマです。

日本での不正選挙をなくすには

 統一地方選挙前半戦がスタートしました。佐賀県では当初予定されていた知事選挙が前倒しになってしまいましたので、今度の金曜日に県会議員選挙が告示されるまで静かな環境でいられます。

 さて、県知事選挙に立候補したことで、それまで考えていなかった不正選挙の実態を考えなければいけない現状を知りました。私の中では不正選挙のといえば中学3年生の頃に行われたフィリピン大統領選挙と生徒会選挙が記憶に残ります。フィリピンの大統領選挙は同国の政府が集計する「中央選管」と民間機関「ナムフレル」という団体による集計が大きく異なり、その後アキノ大統領誕生につながる報道が象徴的でした。そして、不正選挙はアラブやアフリカ諸国など発展途上国の問題だと考えていました。

 しかし、現実は違うようです。時々日本で報道されてる「票のトラブル」は、不正選挙を行う上で手違いを起こした結果ではないか、と疑わなければいけないようなのです。

 先の知事選挙に立候補した私は「開票立会人」を出すことができる権利を得ました。
 立会人は、各開票区ごとに1名を本人の承諾を得て届け出ることができます。佐賀県20市町それぞれに届け出ることができたのですが、慌ただしく対応した選挙で立会人まで気が回りません。支持者の方から「やりたいのですが」とお声掛けいただいた佐賀市のみに届出を行いました。さらに、同じ開票区に1名しか出せないことを知らずに複数届けようとしたために、結果として選挙終了後に実際に立ち会えた方と立ち会えなかった方を橋渡しする形で情報交換の場を設け、そこで不正選挙の存在を疑わなければならない局面に遭遇したのです。ちなみに、立会人は10名以内ということで、議員選挙などでは抽選になることもあるようです。

 さて、開票に立ち会った方が次のように報告をまとめてくださいました。

------(立会人からの報告)---------------------------------------------

選挙開票立会人を経験して知り得た「穴だらけの選挙制度の現況」のご報告です。
1.ムサシでの機械開票について
 。永間に500枚(カタログ性能660枚/分)程度読み込みます。スピードが要求される開票作業には必須。
◆‥衂室毀召糧縦蠅蓮▲廛蹈哀薀爐琶源形式パターンと照合して、候補者名を判定。
   この文字パターンの作り方とプログラムのロジックで、どのような不正も可能です。
 今回の知事選でのプログラム不正は不可能だったが、大きな選挙では不正可能

 今回の佐賀市の開票所では、我々開票立会人が、敵対候補者を含む全ての候補者の開票投票用紙をチェック出来ました。つまり、敵対者の投票用紙を、立会人が目でチェックできますから、プログラム不正してもバレます。今回の佐賀県知事選は不正は出来ませんでした。

<大きな選挙で敵候補の投票用紙を確認できない場合は、プログラム不正が可能>
 ただ、佐賀県知事だけの選挙開票でしたから、開票する量が少なく、このように、開票数が少ないと、他候補者の投票用紙までもチェックできますが、大都市の場合で、且つ、衆議院選挙だと、比例も裁判官の否認の投票用紙があり、開票及び確認/監視業務が煩雑/繁忙になり、他の候補者の投票用紙までもチェックできるのか?
 先の衆議院選挙では、どのように運用されたのかを、選挙区別に実際を調査する必要があると思います。
 自候補者だけの投票用紙の確認なら、プログラム不正通りの捏造当選者が、そのまま当選者となり、捏造された選挙結果に成ります。(プログラムと解読文字パターンは、後で不正チック出来るように保管を義務付ける必要があります。)

ぁ.爛汽靴任竜ヽ3票の手順
 今回の開票の方法は、ムサシの読み取り機械で、候補者別に仕分けされます。その仕分けされた投票用紙を、人間(特定の候補者に関係ない 職員、アルバイト)が正しく仕分けされているかを目でチェックしています。やはり、機械判定は信用できないから、人間が判定しているのです。その人間がチェックした投票用紙を、お札カウンターに懸けて50枚づつ輪ゴムでバンドルして、我々開票立会人の前のテーブルに平積します。その山の数が投票数と成ります。
 大都市の場合に佐賀と同じくどの候補者の投票用紙もチェックできる運用をしていれば、ムサシプログラム不正判定はできませんが、全ての選挙区の運用形態を調べる必要があります。
 また、選挙区によって不正のやり方は異なると考えられます。

ヅ衂屡⊆体の不正の可能性
 facebook投稿情報によるとムサシが燃える投票箱を作成したとの記事があった。投票箱自体が捏造され、大量の不正票が不正投票箱で大量に持ち込まれる可能性を示唆している。私が、選挙開票立会人として経験した限りでは、立会人に投票箱の管理報告がない。有権者数と各候補の得票数だけの報告で、投票箱に関する報告は無い。この報告がないと、投票箱の中身の「投票用紙」入れ替え、若しくは、架空の投票箱を紛れ込ます荒業の不正も出来る可能性がある。   
 その投票箱管理には、投票会場で投票された投票総数を記入した「送り状」が必要だが、我々開票立会人には、投票箱毎の投票者数の「送り状」報告は全くなかった。さらに、投票箱から投票用紙を取り出す際の投票用紙枚数の確認が無い。
 つまり、不正投票用紙持ち込み、及び、不正投票箱と正規の投票箱の入れ替えの不正チェックができていないのである。
 特に、投票箱から投票用紙を出す際に、投票箱の投票用紙枚数を確認しない、理由を選挙管理委員に説明を求めたら、まだ、投票箱管理/集計用紙ができていないからとのお答え。これでは、投票箱を偽物とすり替えても、解らない、追跡できない。すり替え不正を発見するには、投票箱毎の投票用紙の枚数の確認が必要である。それをしないで、すぐに複数の投票箱を混ぜる事がマニュアルで決められている。このマニュアルなら、投票箱入れ替えが簡単に出来る。

 ‥衂屡△ら取出した投票用紙の枚数を数えないこと、
◆(数の投票箱をすぐ混ぜる事。
この2つの事実は、投票箱の入れ替えを可能にする。


 やっぱりオカシイ、不正を誘導/そそのかす仕組みである。投票箱から出す投票用紙の枚数を確認は不可避でしょう、事務の基本でしょう。ここが、一番大きな不正ができる穴だと考える。
 今の選挙制度には瑕疵があり、早急に直すべきである。
  

2.同じ筆跡の投票用紙が多数ある問題点について
 〜綾劼猟未蝓開票立会人の前に、開票された投票用紙が積んでありますから、自由に開票された投票用紙を見ることが出来ました。ぱらぱらめくるだけで、前後に連続して同じ筆跡の投票用紙が見受けられます。それも、1枚2枚ではなく、10枚程度大量に発見できます。明らかに、投票所で書いているのではなく、別の所で大量に書き込んで、正規の投票用紙と入れ替えている、若しくは、架空の投票箱を持ち込んでいるとしか考えられません。

◆”埓掬衂射兒罎粒稜Г浪椎修任后2罅后開票立会人の最後の仕事は、前述の開票され目の前のテーブルの50枚綴りの開票済み用紙の保管確認でした。つまり、開票された投票用紙は、どこかに保管されています。
 この保管された投票用を公開して、不正と思われる投票用紙の筆跡鑑定を行えば、不正が確定できるのです。しかし、投票用紙の再集計は、〜挙無効と当選無効を証明する場合に限定されてあり、投票用紙の公開は簡単には実現できません。

 何故、投票箱から出した投票用紙を、他の投票箱と混ぜるのか?の疑問
 投票箱から投票用紙を取り出して、開票作業を始めるのですが、まず、投票箱から、とり出された投票用紙を混ぜます。何故でしょうか?
 選挙管理委員に質問したら、投票者の秘密を守る為との答え。それに対し私は、
“それはオカシイでしょう、混ぜて、秘密が守れるのですか?”
と再質問。選挙管理委員は、今の選挙制度は、個人の秘密を守ることが基本ですと、これ以上、話してもラチがあかないから、議論は止めたが、これは、大量の同じ筆跡の投票用紙が見つかると、不正がバレる可能性がありから、投票箱自体を偽装スルために、カルト系狂信的な選挙管理委員が主導して「混ぜる」規則を作って、不正の道を開いたと憶測できる。


今回の佐賀県知事選挙の開票立会人を経験して、
 .爛汽靴良埓気粒両擇聾つけられなかったが、不正の可能性や、そのスキームは、ある程度推測できるようになった。
◆〔世蕕に同じ筆跡の投票用紙があり、投票所以外で記入された不正投票用紙がカウントされ、捏造された選挙結果になっている。
  民意を歪め、世論捏造で、邪悪な政治がまかり通る民主主義の危機を感じました。

---------------------------------------------------(以上報告より)---------

 投票率低下に対応しようと始まった期日前投票。現在でも不在者投票が続いていることを知らない人も沢山いらっしゃることを知らない方も多いでしょう。
 選挙管理委員会が管理する投票所で実施される期日前投票や投票日の投票での不正は難しいかと存じます。現在も続けられている病院などでの期日前投票で行われることがないか、注目していくことが必要だと感じます。
飯盛良隆


佐賀県小城市三日月町出身。
佐世保工業高等専門学校卒業後、ブリヂストン鳥栖工場設備課勤務。橋本龍太郎通産大臣の時代に第3種電気主任技術者の免状を取得。

建材店:サンコー商事にて14年間建材の販売に携わり新築・リフォームの現場に数多く潜入。戸建て住宅でもインテリアの重要性を感じ平成20年町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー福岡校に入学しインテリアの基礎を学ぶ。

平成22年、スメトコプロモーションを設立し住宅CMサービス佐賀の運営を始める。
平成25年2月、ダブルスネットワーク(株)社との契約を解消、住宅CMサービス佐賀の運営を終了する。
平成24年6月 突然
唐津から釜山へ新幹線で!
実現するためには長崎県と佐賀県をひとつに。そしてアジアや世界中の人たちが、自然と人の美しさを求めて足を運ぶ地域にする。
そんな夢を描き知事を目指して政治活動をはじめることに。 活動に専念するために平成26年6月末にて住宅に関する事業は終了。平成26年8月末にて(株)スメトコプロモーションを退社。
平成27年1月11日実施の佐賀県知事選挙に立候補。惨敗。

現在
眞理學指導員 (日産鮎川義塾)
福岡インテリアコーディネーター協会監事
夏・佐賀で稲作
冬・東京で会社員
お問い合わせ

名前
メール
本文
最新コメント
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ