飯盛良隆のi佐賀iよ〜したか

住まいづくりのコンシェルジュから転身 佐賀県知事に挑戦した飯盛良隆のブログです。

準完全無農薬・無化学肥料のお米「Shin-和」
購入のお申込、お問合せはこちらのサイトから

震和会とは。(為雷)人生の試練や困難を切り拓き、奮いたつ勇気をもって、
(日本)の国を再興する、という意味です。

「コメント」「お問い合わせ」は、日本語でお願いします。
(日本語以外は無視または削除します)

その他の記事

神話から誕生した津島・対馬へ

033 日本の神話・古事記などにも登場する大八島の一つ津島。大陸文化との中継地でもある国境の島「対馬」に足を運んでみたい。そう思ってから10年が過ぎた今月、ついに足を踏み入れることが出来た。
 天気予報で「壱岐対馬地方」と称され九州・長崎県の一部であり身近に感じながら、島については何も知らない。その対馬に強い関心を持つようになったのは、2009年6月に購読した雑誌「WEDGE」に掲載されていた産経新聞社・宮本雅史氏の記事「韓国に買われる対馬 国境の島を守れぬ 日本の欠陥」に衝撃を受けたことである。
 日本の安全上、極めて重要である所なのに無関心でよいのだろうか?
 水と安全はいつまでたっても、タダと考えてよいはずはない。一方で、他人の情報だけで物事を考えてはいけない。指導者であればなおさらのこと。実際の対馬とはどんなところか。何を恐れ、何を大切にしなければならないのか、自然、人、あらゆるものから、何を感じるか、
 そんなことをイメージしながら、農作業が一段落した金曜夜、博多港を出るフェリーに準備も計画もなく、ただ帰りの船の時間だけを調べて島を目指した。帰宅してから本棚に、そのときの雑誌WEDGEが残っていたことに気づいたことも、準備不足の象徴になってしまった。
 朝4:50の対馬・厳原港。「港の賑わい」を想像していたが、フェリーを下りた人は足早に目的地を目指し、漁港や市場で賑わうわけでもない、フェリーに積まれた車が下船すれば、静かな港に戻るさみしいところ。バスの時刻は島の北部・比田勝港行きが7:03発。港近くのガソリンスタンドに併設されるレンタカーも7時から営業の看板が。時間まで港近くの丘に登って過ごす。準備不十分だから島の地図もガイドブックもない。
(農作業の最盛期で時間に追われた日々が続いていたので、自らと向き合うよい機会になった)

 幸い、レンタカーを借りることが出来たので翌日2時までの約30時間を、地図と直感を頼りに巡ることになった。レンタカーとともに貸していただいたガイドファイル。そこにあった神社巡りと砲台跡巡りを中心にルートを考えながら走ることにした。

 レンタカーのガイドに載っているからと目指した砲台巡りは、目的地に近づくにつれて道路が狭くなったり、未舗装であったり・・・。そもそも、昼間とはいえ男性でも一人で行くことは考えるべき場所だと感じるところが多かった。上見坂堡塁跡、太平砲台跡、姫神山砲台跡、豊砲台跡(写真6枚)。
136
141
143
152
153
167
芋崎砲台跡と城山砲台跡(金田城跡)は、登山の道のりが長く準備不足のために断念。

077 上対馬町殿崎にある「日ロ友好の丘」
日本海海戦100周年を記念し、大きなレリーフが建つ。
日本が勝利したとき、負傷したロシアの水兵たちを井戸に案内し、夜は民家へ分宿させるなど、敵味方を関係なく手厚く看護しもてなした、ことが記されている。


131 豊玉町にある「和多都美神社」
海彦山彦の神話で知られる彦火火出見尊を祭神とする海宮。






156 和多都美神社から10分弱で到着できる「烏帽子岳展望所」
 WEDGEに紹介された、韓国資本が購入する土地問題が多いとされる浅茅湾。360度全ての眺めが美しい所。




204美津島町にある「金田城跡」
 663年の白村江の戦いに敗れた中大兄皇子が、国の守りの最前線として築かせた日本最古級の城跡。準備不十分のため、登山道入口までした行けず。
(登山道入口までの道路も悪路)



222厳原町小茂田にある「小茂田神社と元寇の古戦場」







234厳原町椎根にある「椎根の石屋根」
 板状の石で屋根を葺いた高床式の倉庫。冬場の強い北西の季節風から守るために作られた。





 南北約80km東西20kmの島を二日間で400kmを超えて車を走らせた。海に恵まれた漁業の島だから、おいしい刺身やお魚を食べられる、と思っていたが、お昼に食べることが出来る飲食店は少なく意外な結果になった。
125 初日にお昼ご飯を食べた比田勝のお店で、観光客の様子をうかがうと
「2018年までは韓国からの観光客が多く賑わっていたけど今はこの通り。
閑散としています。元々、(壱岐と違って)観光客の多い町ではありませんので元に戻った感じです。」
と、お話しくださった。夜の宿も手配していなかったので、どこかいいところがあるか尋ねてみると、車で5分ほどの泉という場所の民宿を紹介してくださった。初老のご夫婦で営まれる漁師さんの民宿だったので、こちらでも色々お伺いすることが出来た。
275 2日目は偶然なのか後を付けられたのか分からないが、島の南・多久頭魂神社でパトカーがやってきて、赴任して2年目というお巡りさんから10分くらい島の様子を伺うことも出来た。





 わずか2日間の滞在で自らの答えを出せることではない。厳原にある資料館や神社で、より深く歴史を学ぶことも必要である。冒頭で書いた「韓国に買われる」という懸念は、対馬の問題というより日本中で野放しにされていること、北海道や沖縄、各地の水源が買われている問題と区別して考えるものではないと感じた。そもそも「観光で成り立つ島でなかった」といわれることを考えれば、私たちが対馬という島に対し無関心でいることを反省すべきであると感じた。
 古来から大陸とつながり独自の文化を形成しながら、白村江の戦い、元寇、倭寇、秀吉の朝鮮出兵、家康による講和、日清・日露戦争と、常に外と内から圧力をかけられ、厳しい選択を迫られた島の人々。その努力のお陰で現在の日本の暮らしが成り立つことに感謝の意識を持って過ごしたい。日本と韓国・朝鮮、そのバランスの中で島は発展してきた。背景を知らずに韓国からの観光客を非難すべきではない。
 自然豊かな対馬は、足を運べば素敵なところである。しかし、私たちの振るまいが島の人や動植物にとって歓迎されるものか否かは判断できない。訪れた6月7日には、島の各地で老若男女総出の公役と思われる草刈りが行われていた。基幹道路の建設は行政の手によって実施されても、維持管理や生活道路を支えることは、住む人たちの力を結束することで成り立っている。それを目にすると私たちが対馬を支える方法は漁業の支援、すなわち「対馬産のお魚を意識して購入すること」なのだろう、と感じた。

 「唐津から釜山へ新幹線で!」
 そこには対馬をどう守るか、という考えが前提にある。鉄道は国防と国家戦略の重要な要であることは航空機や通信が発達した現在でも変わらないと考える。しかし、コストや技術の問題に目を奪われかねないが、根本の問題として対馬の経済は福岡県(韓国や佐賀も)との結びつきで成り立ち、漁業などの抱える調整すべき課題もこの地域との調整が重要である。にもかかわらず行政だけは長崎県。この現状を維持したままでは、住民が日本社会で共に生きることを実現することが困難になりかねない、と思う旅だった。

本栖湖と富士山

057 1000円札の裏面に描かれている
「本栖湖に映る富士山」
 お札のような逆さ富士を見ることはできませんでしたが、その容姿はあこがれの美しさ。
 波立つ湖面は、そのときの心境を現すもの。同行したメンバーのものか、日々磨いていかなければなりませんね。

 ところで、最近道路標識などで、日本橋を「Nihonbashi Bridge」とか、隅田川を「Sumidagawa River」と表記するものを見かけます。
 なのに山だけ「Mt. Fuji」では、御山に対して失礼ではないかと疑問に・・・。
「Mt. Fujisan」
「Mt. 富士山」「Mt. Fujiさん」
自然ではありませんが、御山に対して敬意を払って読んでみるのはいかがでしょう。
 言葉にはエネルギーがあります。その美しい姿をこれからも、見ること、拝むことができますように。

Tokyo Subway Ticket

 飛行機で東京へ出掛け、都内を周遊するときにお薦めなのが、Tokyo Subway Ticket です。通常の販売所では外国人向けにしか販売されていませんが、羽田空港第二ターミナル地下一階にあるインフォメーションや成田空港の京成線切符売り場では、私たち日本人も購入できます。その際には、出発した空港の保安検査場で渡される黄色い紙が必要になります。
 このチケットの魅力は、都営地下鉄と東京メトロの両方を、それぞれ24時間、48時間、72時間乗り放題で利用できることです。通常の1日券ですと到着した日や帰る日には、半日しか乗ることができず、購入をためらってしまいます。でも、このチケットだと滞在日数に合わせてフル活用できるのです。

008 羽田空港からの場合、京急線で泉岳寺まで(モノレールだと浜松町まで)別に料金が必要ですが、都心部を回るにはこのチケットだけで、ほとんどの地域を楽しむことができます。
 24時間券は 800円
 48時間券は 1200円
 72時間券は 1500円
と、通常の都営地下鉄・東京メトロ一日乗車券の900円より割安で楽しむことができます。

十万キロでリーフの電池交換

004 満6歳を迎える我が家の日産リーフ。
年明けの1月11日に走行距離100000kmに到達しました。
 さて、電気で走る日産リーフは電池の劣化が走行距離に直結します。新品の電池レベルは、一番右側のランプが12セグメント点灯します。これが、丸5年か100000kmを迎える前に、8セグメントまでレベル低下すると、メーカーで無償交換していただけます。
 しかし、丸5年を迎えた昨年のレベルが9セグメント。無償交換の対象にはなりませんでした。あと5年は乗れるほどきれいな車体。昨年の12月に自費で電池交換を行いました。
 写真は電池交換後、2016年12月31日に帰宅したときのメーターです。

十二社熊野神社へ

4468fdec.jpg
6a9cc2ae.jpg
西新宿のビル街
都庁からすぐのところに

信ずべし尊ぶべき山「信貴山」

056 信貴山を初めて訪れた二年前。有名な絵巻物があることしか知らずに訪れたこの時は、滞在時間わずか2時間。
 ご祈祷と宿坊を兼ねた千手院さんでお食事と法話をいただいて慌ただしく高野山へ向かったことを覚えています。



039 そんな信貴山を改めて訪れることができるとは思ってもいませんでした。しかも、先生や帝王学を学ぶ皆さんと一緒に。
 信貴山というと戦国武将・松永久秀をイメージされる方が多いようですが、日本の国造りの始まり、聖徳太子にゆかりの深い山なのです。


 今から1400年前、聖徳太子は物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遙かに毘沙門天が出現され必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも、寅の年、寅の日、そして寅の刻でありました。
 太子はそのご加護で勝利し、自ら天王のご本尊を刻み伽藍を建立し、信ずべし尊き山「信貴山」と名付けられたそうです。
 崇仏論争で、「そもそも日本には、古来より八百万の神がおり、外国の神様なんかを容認しようものなら大変なことになる」と仏教に反対した物部氏を、良いものは取り入れたいとする蘇我氏、そして聖徳太子。
 この戦いに勝利したことで、仏教が日本へと徐々にと広められていくことになるのです。この後国の制度をつくる過程で制定される冠位十二階は儒教の教えを基につくられたとされています。

109 千手院に宿泊、夕食の後に境内を散策。







110 目的は本堂・朝護孫子寺から見える町の夜景です。







005 こちらは朝の御来光。








112 夜の境内と








011 昼間の境内








013 朝ご飯を頂いて、山に登ります。








017 本堂の脇から空鉢堂まで、ポットに水を抱えて上ります。ポリバケツに水を治めることで功徳を積んだことになるそうです。
 空鉢堂まで、まつわる絵巻「飛倉巻」をはじめ国宝の絵巻3本(ただし模造品)は必見です。



 日本の成り立ちから考えて神社巡りをなさる方は沢山いらっしゃいます。しかし、天皇家が約1300年にわたり、日本の神様と並べて祈った仏教の祈り、忘れているような気がします。

毘沙門様のご加護について、次のような説明がなされていました。

御利益を得るためには、それなりの努力と信仰が大切です。
何にもまして、運(強運)を頂かなければなりません。その強運を頂く最大の鍵が信仰心なのだと。福を頂くためには次の十ヶ条を守ることが必要で、この実践により生活が変化することで、自らが良い方向へ導かれることになるということです。

1.感謝の生活をする人
2.収入以下で生活する人
3.夫婦仲の良い人
4.金や物を大切にする人
5.健康に心がける人
6.独立自尊心の強い人
7.仕事を趣味とする人
8.一事をつらぬく人
9.常に節約をする人
10.儲けをあてにせぬ人

簡単そうで、意外に難しい生き方。そう、今の私たちには日本人としての生き方が問われているのです。

日本佛法最初のお寺・四天王寺へ

043 氣の學問を学ぶ皆さんと1泊2日の修学旅行。今回のテーマは聖徳太子の国造り。
 初日に訪れたのは、先生が30年前につくられた緞帳がある四天王寺。当然、緞帳を観ることが出来ると思っていたのですが、納められているのはこちら。


042 なんと、四天王寺高校。大阪一の才女が通う女子校ではありませんか。
 しかも、オリンピック卓球で活躍された、石川佳純選手の母校だったとは。
 ここで問題です。四天王寺学園は成人男性の入校を許可して頂けないのです。みんなで女装してはという冗談もでていましたが先生曰く、
「厳しい門番がいるからダメだよ。」
ということで断念せざるを得ませんでした。

077 そんな四天王寺ですが、私たちの知らない歴史が凝縮されています。
 日本という国の成り立ち、それを学ぶためには外すことのできないお寺なのです。同じ聖徳太子がつくられた法隆寺よりも歴史が古く、推古天皇元年(西暦593年)に建立されました。
 物部守屋と蘇我馬子の合戦の祈り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、「この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世全ての人々を救済する」と誓願され、戦勝後にその誓願を果たすため建立されたものです。

082 四天王寺のすぐそばには、世界一歴史の長い企業「金剛組」があります。
 近年、不幸な事件がありましたが創業から約1400年続く世界企業です。
 こちらの訪問も叶いませんでしたが、今回スタートしたこのツアーは毎年実施されることが決まりました。

 四天王寺の緞帳と共に、いずれ足を踏み入れ、責任者の方とお話しできる機会が生まれることと期待しています。



なるには學問堂を観てきました

003 今、関西で注目の児童教育施設なるには學問堂。ご縁があって今回、会社と施設を見学させて頂くことができました。
 夏休みの午前、10名ほどの子どもたちが楽しそうに学んでいました。
 學長の上村さんが子どもたちに
「学長先生のお友達のいさがいさんです。」
と紹介してくださると、元気な声で
「こんにちは、***です。」
と挨拶してくれます。
009 子供の才能を引き出すための施設は、お部屋によって様々なテーマを設けてあります。
 このお部屋は、新聞を読まない子どもたちに、新聞に親しんでもらおうと造られたお部屋。



015 子どもたちが気になる記事を読んで








014クイズをつくります。
「学校の好きな時間は?」
といった記事や鉄道に関する記事が多く目にとまりましたが、論語を取り上げて出題をする子どもたちもいて、関心事の広さに驚かされます。
 新聞記者さんも注目ですし、取材に来られた後は、
「新聞記者になりたい」
という子どもたちが続出したというお話しもありました。

 こうした魅力ある施設は、保育園のように厚生労働省の補助金を受けずに、学校のように文部科学省の助成金も受け取らない、子供とお父さん、お母さんというお客様のために、という視線でつくられているところから生まれていると感じます。
 所得環境の違いから、佐賀では難しいと思いますが、未来の日本のためにも上村さんの施設が全国に広がれば良いな、と感じています。

八田與一が導いた烏山頭ダム

167 佐賀県で治水の神様といえば成富兵庫茂安候ですが、1945年まで日本が統治していた台湾では、八田與一氏がそう呼ばれています。日本にいると全く知ることのない台湾の歴史。なぜ日本で震災が発生すると真っ先に義援金を送り支援を続けてくれるのか。


191 1930年に完成した烏山頭ダムは、その後の台湾経済の安定、台湾南部の農業振興に大きな役割を果たしたのです。
 堰堤は標高66.66m、長さ1273m、高さ56m、堰堤上の幅は9m、底の幅は303mにも及ぶそうです。専門的には「セミハイドロリックフィル工法」と呼ばれ、アジアにはここだけの施設ということです。
 湖面の水が堤防を適量しみ出すことで、その堤防が強い強度を保つ設計になっているとのことです。

127 長い堤防の中には、水力発電を行うための水管が設置されています。曲線を描くことで水圧をうまく逃がす仕組みになっているそうです。





147 水力発電施設が新しくなったげんざい、こちらの水管は、現在は使用されていませんが、映画KANOのラストシーンはこの放水路から水を放水して撮影されたそうです。




079 このダムから配水する15万haの灌漑地には総延長16,000km の給排水路を同時に建設し、多くの土地を潤すために、稲作は3年に一度の輪番制とし、その間の2年はサトウキビなど畑作を推奨することで、より多くの人々に恩恵を与え、嘉南平野と人々を潤すことに成功している。
 戦前日本の陰の部分がクローズアップされるばかりで、現地で80年以上経つ今でも人々の役に立つ功績が伝えられない現実。
 もっと史実に目を向けることが必要であると感じます。

 そして、稲作は日本文化の象徴で、その果実であるお米を食べることが日本人の精神そのものであることに、光を当てなければならないと感じています。

李登輝元総統に会えなかった台湾

056 昨年11月、法友の鳥内浩一さんが主催するグループで、李登輝総統の講演を聴きに行くツアーが開催されていました。私は参加していませんでしたが、その後、日本塾をはじめとする会合の場所で、参加した皆さんから「とてもよかった」という声を沢山耳にしました。
 今年になって、第二段が開催されるということで日程を調整し、参加することにしました。ところが、総統は高齢です。日本から若者が来るというと、より張り切ろうとして体調を崩されることがあるようです。
 058 
 残念ながら、講演の登壇は叶わず、代役の金美齢さんと交流協会の沼田幹夫様にお話を伺うことができました。
 親日国(国ではないが)台湾の歴史を少しだけ理解できるようになりました。

 この時期、台湾は新しい総統の誕生に期待が高まっていました。

蓬莱米ってどんなコメ

119 台湾には蓬莱米、という日本人が開発したお米があるそうです。
 台湾で育てられていたお米は長粒種のインディカ米で、日本人の味覚に合わないため、磯永吉先生と末永仁先生によって研究をはじめられた短粒種をベースに、食味を日本米と同程度に育成された品種を総じて蓬莱米と呼ぶそうです。
 日本でいう「コシヒカリ」とか「ヒノヒカリ」という一つひとつの種類の呼び名の一つに「蓬莱米」があるのではなく、研究されてできたお米を総じて「蓬莱米」と呼ぶそうです。

054 南回帰線付近に位置する台湾で日本のお米を育てることは、容易ではありません。温度の違いを克服するために台北・陽明山の麓にある竹子湖に試験場を設け、品種改良に取り組まれています。生育に成功すると少しずつ、標高の低い地域に作付けを広げることで、新しい品種の実用に結びつけたそうです。

072 資料館を見学したあとは当時、品種改良を行っていた試験田へ。







095 今は、稲の品種改良ではなく地元の皆さんが様々な野菜作りに励まれています。

 戦前、日本本土だけでまかなうことができなかったコメを、海外の土地から輸入する、そんな時代があったことを私たちは知っておく必要があると感じます。

伊豆下田の爪木崎で海岸清掃

044 関東地方が梅雨明けしたばかりの7月29日、30日の両日、伊豆半島の南端、下田市の爪木崎へ出掛けてきました。
 お天気に恵まれた両日、自然からのメッセージを理解するための學を身につけるために、成田から東京へ出て、さらに東京から5時間かけて現地に到着しました。

 ここは、アリスの門と呼ばれるそうです。

046 門をくぐると目の前に美しい青い海が広がります。ゴミ一つ無い美しい芝生。

 この場所は皇室の御用邸がすぐそばにあるために、行政が総力を挙げて清掃活動を行っているから、この美しい環境が維持されているということを知りました。


051 広場での授業を終えると海に向かって歩いて行きます。
 眼下に広がる美しい海。しかし、その景色が少しずつ違った姿を見せてきます。海岸にテントを張ってくつろぐおじさん。美しい景色に癒やされているようです。

 しかし、その先には・・・。

054 大きな冷蔵庫!!

 遊歩道はありますが、自動車で行くための道路はありません。
 キャンプに来る家族が捨てに来るわけはありません。
 この冷蔵庫が、どうしてここにあるのか?

 これが、日本の海の実情なのです。決して、そこに捨てようと思って捨てられたゴミがそこにあるわけではありません。意図しない場所からそこにたどり着いたのです。
 たとえば、津波で流された家の中から流れ出た冷蔵庫の一つが、この冷蔵庫なのかもしれません。
076 時々ニュースで
「川原でキャンプ中のグループが、増水した水で中州に取り残されている様子」
を報道されます。
 取り残された家族は、場所代も払ってキャンプをしている。
何も悪いことをしていないのに。
そう思うでしょう。

 しかし、地球から見た姿は違って写るのかもしれませんね。
「ここにテントを張るお前、そこにテントを張る前に、この冷蔵庫を片付けろよ。」
と。もし、あなたの部屋に身も知らずの誰かが、毎日ゴミを捨てていったら、あなたは警察や市役所に届けることなく、何日間我慢できるのでしょうか?
「あなたが我慢できる時間」
それが、自然の待てる時間なのです。

083 ゴミを拾うだけながら芦刈海岸や県内の海岸でも行うことができます。しかし、自然からのメッセージを解釈できるのは法友との学びです。
 学びの深い2日間でした。

未来の世界はファンタジーから

016 黒姫童話館を訪ねます。バスを降りて裸足で芝の上を散策。地球の暖かさを感じます。
 芝生に目を向けると小さな動物たちが懸命に生きる姿を見ることが出来ます。

 さて、童話館。改めてミヒャエルエンデの言葉を考えます。

「おまえは自分の知らないものにかんして存在を認めません。そしてファンタジーなど現実でないと思うのです。でも未来の世界はファンタジーからしか育ちません。私たちは自らが想像するものの中でこそ自由な人間になるのです。」

 振り返って三ヶ月前倒しになった昨年の選挙。ファンタジーを描きながら、それを主役に戦うことができませんでした。新しい取組を実行するためには勇気と信じる力が必要です。

先祖供養は善光寺

020 3年ぶりに長野・善光寺を訪ねました。ここでの目的の一つに、戦没者の御魂を仏式でお祭りされている三重の塔へお参りに行くことがありました。
 靖国神社の参拝が政治的に賛否の議論がなされる中、そうした声に左右されることなくお参りしたいとのおもいで短い時間でしたが、実現させることができました。

 善光寺は宗派を越えて先祖供養ができるといわれます。今回は母と共に参加しましたので、飯盛家と母の実家の先祖供養をお願いしてきました。三年前に訪れたときは、その準備をしていなかったので善光寺で供養を依頼するのは初めてです。
 善光寺の本堂には阿弥陀如来様と観音菩薩様、勢至菩薩様が迎えて下さいます。今回は願い事がないので、タダ感謝のお参りになりました。

003 善光寺へ貸切バスの駐車場から入るとすぐの場所に、7年目に一度行われるご開帳の時に建てられる回向柱を見ることが出来ます。
 毎回新しいものを前にして、古くなったものは腐ったところを除いてだんだんと短くして埋められます。

1人教王護国寺へ

074 神宮参拝の帰りに東寺に立ち寄り、ご挨拶させていただきました。本来、熊本地震を受けて6月1日に緊急召集された、日本を護るための参拝に参加しなければならなかったのですが、稲の種まき日程の都合上、時間をつくることができなかったためです。


076 先生から日頃
「旅行は一人で行くものではない。2人以上で出掛け何を感じるかが大切だ!」
と言葉をかけられます。「1人で東寺を訪れるとは論外」とも思いましたが、日本の危機である今、時間がありながらそこをスルーする方がもっと問題だと考え、内なる5人と救国の念いを新たにしてきました。

10年目の神宮参拝

022 平成28年6月6日朝
人影のない神宮参道を歩くことができました。
 初めて伊勢神宮にお参りしたのは 平成18年8月。それまで、初詣を含めて観光目的で神社参拝することしかなかった私が、全く違ったに踏み入れた理由は「運命学」の影響かもしれません。
 
051 前年に仕事で立ち寄った取引先で
「(六星占術で社長と私の)来年の相性を見てやる」
といって本を取り出されたことにはじまります。その影響なのか、当時放送されていたテレビ番組
「幸せって何だっけ?」
を見ることが習慣になりました。その番組の中で出演者である
カンニング竹山さんの鑑定で、
「次の誕生日までに結婚しなさい、でないと死ぬよ。宿命大殺界が終わるから。」
という場面が印象に残りました。宿命大殺界、何だろう?
 当時はインターネットで宿命大殺界を計算するサイトが有り、簡単に調べることが出来ました。簡単に見ることが出来たのは良かったのですが、なんと私の宿命大殺界も同じように終わりを迎えようとしていたのです。
 あらためて本を購入して宿命大殺界を調べるも、コンピュータの結果に間違いはなさそうです。これは一大事でした。

029 テレビで鑑定された竹山さんは当時お付き合いをされていた女性に、番組中にプロポーズして結婚なさったのですが、私にはその相手がいませんでした。
 もしいたとしても、この年の私は大殺界の真ん中、幸せにならない、命をつなぐだけの結婚など考えられませんでした。
 知らなければ、そのまま過ぎてしまう課題が、大きなプレッシャーとしてのしかかってきます。
 まさに最後の神頼みという事で足を運んだのが、私のお伊勢参りのスタートなのです。

 一生に一度のお伊勢参り

 本当にそんな気持ちでした。お参りする前日に伊勢市駅の前のホテルに泊まり、翌朝は日の出時刻に間に合うように、予約したタクシーで二見浦へ(たぶん5000円くらいかかった)。ホテルへ戻って外宮・内宮の順に参拝。
047 初めてのことなので、正式な参拝方法など分からなかったので、白い封筒に
「上 飯盛良隆」
と書いてお賽銭を入れてお参りしたと思います。誕生日まで約一週間の時です。
 その甲斐あって、誕生日を無事に越すことができました。さらに伊勢神宮についての学びを深め、大殺界を抜けた正月に、改めてお礼参りをさせていただきました。

060 学びの中で、神宮と共に斎宮という歴史があったことも知り、足を運びました。

 いろんな反省、感謝、祈念、また反省、様々な思いがありますが以来、毎年足を運ぶことができることが、一番の感謝だと感じています。

限定解除の試験合格

 人の気持ちを読む管理能力の一つに、経験者の判断、洞察力を教わることが必要とされます。人の不安の原因は未経験から生じるものであり、様々な経験を積むことで不安を取り除くことができるのです。経験値を増やすためには、どんな仕事が来ても言い訳をしないように準備することが必要になります。

001 昨年2月から受験していました大型特殊車両の限定解除。昨日、10回目の挑戦でなんとか合格できました。
 平成24年9月に「農耕車限定」で免許を受けていました。合格当初は、将来役に立つかも、と思いすぐにでも受験しようと思ったのですが、その後いろいろな慌ただしさから試験場に足を運ぶことはありませんでした。
 しかし昨年、普通二種免許を受験することにした際、試験慣れすることを兼ねてこちらにも挑戦することに。
 ところが、佐賀県では毎週金曜日の午前しか試験が実施されません。しかも、一日6名までという事で、不合格者が多くなると、一週間前には予約できない状況になります。しかも、3月から4月10日までは隔週金曜日の実施ということもあり、受験すること自体が困難で、挫折するかと思っていました。

003 東京から戻り、まとまった時間がとれるようになったので、先週からあらためて挑戦。昨日の試験で、ぎりぎり合格することが出来ました。

 新しく免許の裏書きには大特限定解除の文字が記載されました。


 慣れない車両で、それを操ることにみんな苦労します。そして、普段から守れない交通ルールにも苦心します。特にポイントとなるのは
・ 左折時に白線から1m以上、車輪が離れないこと
・ 右折時に中央のゼブラから2m以上車輪が離れないこと(小回りしないこと)
・ 右折時に中央線から50cm以内に車輪を寄せること
・ 合図を出すタイミングは車線変更時は3秒前まで、右左折時は交差点の手前30m、方向指示器を出してルームミラー、サイドミラー、目視の順に確認すること。
・ 発進、および前進・後退が切替わる際には、目視で右後ろ、左後ろ、右前、左前の4点確認を行った上で速やかに進行すること。
・ 左折時の巻き込み確認
・ 踏切停止時の窓開け確認
・ 停止位置(「赤信号」「止まれ」は停止線を出ない、出発点はポールの間、中心±30cm)厳守。
・ 乗降時の安全確認
などが上げられます。特に冒頭の3項目は自動車運転の際に忘れがちになりやすいので注意が必要です。

青春18きっぷっで只見線を走る

017 平成28年3月6日。25年前からの念願が叶い、只見線に乗車することが出来ました。高専を卒業する年に企画した、このルートを通って北海道を目指すこと。当時人気のトワイライトエクスプレスのチケットが、偶然にも前日に手に入りルートの変更をしたのです。


025 紅葉の時期は特に人気のこの路線、雪が溶け始めるこの時期は、ご乗車なさる観光客も少ないようです。
 車窓の雪もほとんどなくなってきています。




035 紅葉はなくても車窓には美しい渓谷が見えてきます。







064 平成23年の大雨で不通になった区間。バス代替輸送のため線路を眺めながら走ります。






088 会津川口駅にて。これから会津若松を経由し仙台市内泊。明日は東日本大震災で津波被害を受けた、東松島市野蒜地区と石巻市、女川町へと足を運ぶ予定です。

ベトナム経済の壊し方

240 4月に訪れたベトナムホーチミン。その活気のすごさにはビックリしました。このまま順調にいけば、10年後には日本を超えると感じました。
 しかし、日本経済の高度成長がオイルショックをきっかけに急減速したことを考えると、一本調子で成長すると断定できないでしょう。私は直感でベトナム経済が壊れる3つの仕組みに気づきました。

1.保険事業が広がること
2.住宅ローンが浸透すること
3.物事に自己責任で取り組むことを避け、行政の規制が強化されること

 海外からの投資が拡大するベトナム社会が、グローバル経済の先例から逃れることが出来るか高い関心を持ちたいと思います。

 逆に、日本経済を10年後に追い抜くには。

 シンガポールの初代首相・リー・クアンユーのようなリーダーが登場し、街を汚すゴミの問題に人々の関心を集め、都市からポイ捨ての文化を一掃すること。これが実現すれば2030年、ホーチミン市は確実に、日本を超える都市に発展しているでしょう。

サガン鳥栖の不振を統計学でみる

 佐賀県民として大切に育てたいプロスポーツチームサガン鳥栖。昨日の試合、1VS6と浦和レッズに惨敗しました。チームのことを批判することはどうかと思いましたが、昨年8月のJ1初首位に付いた後の監督交代劇からのゴタゴタを統計学の視点で検討してみます。
 東洋の統計学のベースに地球・水星・金星・火星・木星・土星の位置関係に起因する視点があり、その中の一つが細木数子氏の六星占術があると考えています。

 さて、2014年8月快進撃を続けるサガン鳥栖は、J1に昇格して初めて首位に立ちました。ところがフロントは直後に、ユンジョンファン監督(1973年2月16日)を更迭し、吉田恵コーチ(1973年4月13日生)を監督に昇格させたのです。ユンジョンファン監督は金星人−。この年は「財成」ということで収穫の秋を迎えています。運命学から考えると、この時点で優勝する可能性はかなり大きなものでありました。また、J1に昇格を決めた2011年は「達成」です。12年間で最も良い運気を生かしてサガン鳥栖をJ1に昇格させ、そしてこの年にチームとして集大成を迎えようとしていたと言っても過言ではありません。
 では、吉田恵コーチの運気はどうだったのか。実はユン監督と同じ金星人−なのです。運気としては同じリズムを刻みます。ただ、迎えるのは収穫の秋です。ユン監督と違って自らが種をまいていません。最終5位と健闘したものの、種をまかなければ同じような実りを結ぶこともなかったでしょう。それから、もう一つ課題がありました。この年は2人とも厄年だったのです。吉田コーチがチームのためにリーダーに着くには不向きな時期だったと考えられます。

 それでも、ドタバタのシーズンをリーグ5位で終えたチームを考えると、そのまま今季も吉田監督で行くのかと思っていたら、新しく森下仁志監督(1972年9月21日生)が誕生しました。初タイトルへ期待が高まるシーズンですが、どこかかみ合わない結果が続いています。そこで、森下監督を調べると水星人+で、今年は中殺界の「乱気」であることが分かります。これまでのチーム状況を振り返ると、残念ながら運命学通りの結果が続いています。もし、森下監督の就任が昨年のユン監督更迭のときだったら・・・。あるいは、来季に就任していたら・・・。

 チームの成績は監督と社長の運気をみる必要があるそうです。サガン鳥栖社長の生年月日が分からないので、これ以上の検討は出来ませんが、今シーズンの結果が少しでも良くなるように応援したいと思っています。

 さて、サガン鳥栖の選手にも気になる選手が一人います。ゴールキーパーの赤星拓選手(1984年4月21日)です。 J1昇格を決めた2011年シーズン途中、室選手の怪我で出場機会を得て神がかり的なセーブでサガン鳥栖をJ1に昇格させた立役者の一人です。苦戦が予想された昇格1年目の2012年シーズンも、周囲の予想を覆す活躍を見せてくれました。ところが、2012年シーズンは開幕から不振が続き、チームは清水エスパルスから林彰洋選手を補強することになります。
 実は、赤星選手は2013年から大殺界に入っています。今シーズンまでで大殺界は終わります。サガン鳥栖のフロントの判断にはこうした統計学による人事が行われないこと考えられますので、今シーズンを終えてり赤星選手との契約が打ち切られることがないことを祈っています。

知らないことの多かったベトナム

028 4月25日(土)から4月29日(水)までベトナムに滞在してきました。私のいとこが現地で5年くらいからビジネスを行っていたこともあり、ちょっとしたイメージを持っていたものの、実際に足を運ぶつもりなど全くなかったので、同国への知識など全く持っていませんでした(ベトナム戦争があって、枯れ葉剤の影響でベトちゃんドクちゃんのような子供が生まれたことくらいの浅い知識だけです)。
029 フランスの植民地として長く支配された一方で、第二次大戦の一時期、日本軍が入った影響か現地の人たちは、日本人のことを好意的に考えてくれています。第二次大戦の後は、共産勢力の北軍とフランスを支援したアメリカ軍による南軍の戦いにより、国土の広範囲にその影響が及んでいます。
 そんなベトナムで比較的戦火の影響が少ない都市が今回訪問したホーチミン(旧・サイゴン)です。

 ベトナムの面積は32万平方キロ(日本は38万)、人口が8000万人(ホーチミンは800万人)、人口の8割の人が大乗仏教を信仰し民族の9割がキン族という日本と似たところの多い国です。首都ハノイと経済都市ホーチミンは1750kmも離れ、南北に細長い国です。中華文明の影響がある一方で筋金入りの中国嫌いだとか。また、ベトナム戦争の影響で1995年に国交は回復しているもののアメリカとの仲もあまり良くないようで、市内で見かける看板に英語表記が少ないことも印象的でした。

 その一方で、大の親日国と言うことで街を歩くと日本語の上手な方に時々で会います。もっとも、日本人相手の商売がお金になると言うことがありますが、ホテルでお話を伺うと日本に対するあこがれが強いことも感じました。
 ちなみに、ホーチミンで働く大卒者の給与が$284US(2013年)程度だそうですが、英語が出来ると2割上昇し、日本語が出来ると2倍になるそうです。ですから、仕事を終えてから日本語の学校に通う人も多いようです。

 ベトナムの人たちは真面目な一方、働き方を知らないところがあるように感じました。ですから、仕事の進め方をきちんと教えることが出来れば一生懸命働くようです。老若男女みんな一生懸命働きますから、みんな幸せを感じて過ごしています。

016
 発展を続けるベトナムの街

153
 上を見れば日本と全く変わりません。
 年収が1500万円を超える富裕層も人口の5%に上るそうです。

155
 人口が1000万人を超え、東京に追いつくことも時間の問題かもしれません。


045
 一方で足下を見るとベトナムの人の悪しき特徴が見えます。


046
 どうやら掃除と後片付けが苦手のようです。
 みんな食べかすはテーブルの上、道端、そして屋根の上までポイ捨てです。

118
 線路にもこんな具合ですから・・・。

 昭和40年代の日本に、スマホなどIT技術だけが持ち込まれたような感じがします。

 一生懸命働いて幸せな笑顔で過ごす姿を見ていると、日本が先生であり、ベトナムが生徒など、おごった考えであることに気づかされます。

 考えてみると「保険」と「(住宅)ローン」と「規制(免許・資格制度)」が充実し自己責任を放棄することで日本社会の活気は失われ、今後ベトナム社会にそれが充実すると日本と同じ歴史をたどるのではないかと感じます。

 とはいえ真面目な人たちです。前回紹介したように日本文化を学ばせる学校の影響力が大きくなった時に、この国の人たちの意識が変わるかもしれません。そうなった時には、確実にベトナムは日本をリードする国へと成長するでしょう。私たち日本人は、ベトナムの人たちに追い越されないためにも、たばこや空き缶のポイ捨てを止め、みんなで街を美しく守らなければなりません。国際都市として世界に誇るためにも、2020年のオリンピックを控え注目される今を生きる私たちの務めだと感じます。

ベトナムで日本国憲法を考える

002 先日訪れたベトナムホーチミン。二日目の朝食をツアー参加者の方といただきながら、憲法のお話になりました。
 その時、私の考えがすごくシンプルにまとまっていることに驚いてしまいました。
 憲法改正は実現できるかどうかを考えるのではなく、憲法に問題があるなら、行動することが大切でしょう。改正が実現することが目的ではなく、憲法の問題を議論することが大切です。議会で否決されることよりも、それを恐れて改正案を審議できないことが問題です。否決されたら、修正して議論すれば良いのです。問題なのは、憲法改正の中身を国会で議論しないことです。

 美しくまとまった改正案など見たいとは思いません。反対意見の出ない憲法改正案など興味もありません。もし、国会が発議した憲法改正案に96条改正(改正要件の緩和)が含まれていれば私は無条件に反対するでしょう。しかし、憲法の抱える課題にまっすぐに向き合う案なら改正に賛成します。


(憲法改正案)
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力を保持する。

ホーチミンで日本精神を学ぶ

027 今日4月30日はベトナムの戦勝記念日。1975年4月30日に旧ベトナム共和国の首都サイゴン(現ホーチミン)が陥落し、ベトナム戦争が終結したことを記念する祝日だそうです。
(当時のベトナム共和国の大統領府であった統一宮(Dinh Doc Lap、現在の統一会堂)に北ベトナム軍が突入した日が4月30日です。)
 そんなことなど知らずに、4月25日から29日までの5日間をベトナムで過ごしてきました。ホーチミンに3泊と150kmほど離れた都市・Can Thoに1泊してきました。
 日本にいながらイメージしていたベトナムと現地の様子は、全く異なっていてビックリしました。戦争証跡博物館では当時の情報の他、枯れ葉剤による影響の写真を見ることが出来ました。しかし、ホーチミンの街を歩いてもそんな影響を感じさせることは全くありません。みんな、明るく楽しそうです。生き生きと生活しています。一方で、枯れ葉剤の写真を見ると私たちの食生活が同じ農薬を使用する現状を継続して良いのかを考えるきっかけにもなります。

097 今回のベトナムツアーは、ビジネス視察が目的です。現地の様子を知り、現地で事業をなさる日本人の方々からお話を伺うことが目的でした。
 ツアー3日目の午後は事業所へ直接足を運びました。まずは現地で会計事務所を営む方のオフィスです。KT会計事務所・社長の大塩さんは、シンガポールで知り合ったベトナム人女性と結婚した後、ベトナムに移って生活を始め現在は会計事務所を営まれていました。
 日本を離れたのが1980年代ということで、日本のバブル時代を経験することなく、古き良き日本のビジネス習慣を現地に広め、多くの日系企業から支持を集めていらっしゃいました。
 ロバート・ケネディの演説を用いて、国力や企業の評価は
「ひと もの かね 情報」
である。しかし、会計指標の問題は人の価値が数字に上らないことだ、
と強く語られていました。企業の価値が人であると同時に、幸せの価値はお金では評価できないことを、実感させられる出会いでした。

166 続いて訪問したのが、日本語教育を行い、生徒達を日本企業へと人財派遣を行う(株)ジェイ・プラネットさんの学校を訪問しました。
 社長の吉野さんはベトナムで生まれ医者になるためにフランス留学の後、日本で研修医として働いたそうです。その後、エンジニアなどとして活躍の後、日本国籍を取得、現在はご自身と同じように日本で働くベトナム人をサポートできるようにと、教育機関を立ち上げられています。

136-2 お話を伺っていると私たち日本人が失った勤労精神をきちんと受け継ぎ、ベトナム人の育成に励まれていることがよく分かりました。
 研修生として安価な労働者として期待している業界がありますが、こうしたお話を伺うと、日本人として恥ずかしくなってしまいます。ベトナムの人たちは本当に日本人が大好きです。
 大好きな日本に行きたい、そんな思いで一生懸命勉強している彼らを、現地の様子を知らずに安価な労働者として期待すべきではありません。
 ベトナムには「介護」という概念がまだありません。彼らがその仕事をになうことは困難でしょう。不足するトラックの運転手として期待する声を耳にしたことがあります。しかし、運転スタイルは日本と全く異なります。彼らが日本で学ぶべきビジネスは、そこではないと感じました。

吉野さんは学生達に顧客第一主義のビジネスを教え込みます。
「あなたのお給料、誰が払っていますか?」

社長じゃないですよ。会社じゃないですよ。お客様です。

100年を超える寿命を持つ日本企業が伝える精神を、しっかりとベトナム人にも伝えて下さっています。改めて学ばなければならないのは私たち日本であることを痛感させられました。

143 生徒達は全員、寮で共同生活をおくっているそうです。日本へ行った時に、身の回りのことで困らないように、料理・洗濯・掃除などしっかりと日本の習慣を身につけるための仕組みです。訪問した日の翌日からは、ベトナムでも大型連休が始まるということで、夕方から帰省する学生も多く見られました。吉野さんと生徒達の交流、ご自身の経験をしっかりと伝えて、日本で活躍できるように願う姿勢がとても印象的でした。

 日本とベトナムとの関係、これは日本の発展のためにも私たち日本人一人ひとりが、彼らと対等な意識で接していかなければならないと痛感させられました。

戦争証跡博物館とベンタイン市場へ

002
 ホテルの朝食はバイキングです。朝は5時半からやってました。
パン食、和食と共に現地の食事も選べ充実していました。こんなネタのお寿司もあります。


010
 さて、4月27日午前は市内観光です。まずは戦争証跡博物館へ向かいます。タクシーの窓から見えるこんなお店、昔、日本でよく見かけた町の雑貨屋さんみたいです。


027
 ベトナムでは朝が早い一方で、お昼休みが長いのも特徴だとか。
 ここ戦争証跡博物館では、午前7時半にオープンした後、お昼12時に一旦閉まり、13時半から17時まで再び開館するそうです。図書館や博物館といった施設でお昼休みがあるというのは、日本では考えられませんが。


019
 ベトナム戦争時代の風刺報道。ちょっと日本の偏った思想が目に付きます。


031
 屋外の展示物は臨場感があります。平日の午前にかかわらず、若い人たちの見学者が多いのも印象的です。

 続いてベンタイン市場へ移動します。
045
 初日は前を通るだけでしたが、この日は中も見学します。


046
 車を降りて気になるのがこれ。ベトナムの人たちは掃除や片付けが苦手なようで・・・。


049
 でも、市場の周辺は活気が溢れています(市内どこでも活気があるのですが)。


052
 市場の広さにも圧倒されます。同じような物を売ってるお店が次々にあって・・・。どこで買うか迷っているうちにとおりすぎてしまいました。


056
 中には食堂もあります。お昼まではまだ時間があるので人影はまばらです。


062
 色んなものを売っています。


063
 民族衣装のアオザイが目を引きます。


064
 一方で、Tシャツも沢山売っていますが、日本円に換算すると1,000円以上するので、これは高いと感じました。
 市場でのショッピングは団体行動では難しそうです。改めてチャンスを伺うことにします。

いつもと違うホーチミンの街

003 4月26日(日)、ホーチミンの朝はいつもと少し違うようです。日曜日だからというわけではありません。
 ホテルの前には警察官の姿が。
 この日は、4月30日に行われる戦勝記念イベントのリハーサルということで、道路は車両規制がかけられています。いつもはバイクで賑わう道路も閑散と。


004 タクシーも潜入できません。10時に待ち合わせをしていたガイドさんも、交通規制で中心部への規制で足止めされたようです。
30分くらい遅れての到着。





005 タクシーで市内観光の予定でしたが、12時まで交通規制がひかれており、自家用車はもちろん、バス・バイク・タクシーも中心部を走ることが出来ません。
 想定外の徒歩で市内観光です。
 日差しは強いものの、そんなに遠くへ行くわけではありませんでした。



016

024

028

029


041

045 日差しの強い中を歩きましたのでカフェで休憩です。意外とおしゃれな空間でビックリしました。







051 ココナッツジュース。
果肉も内側から削って食べることが出来ます。
汁のように美味しくはありません。







055
 今度はタクシーで移動します。
 前の日も足を運んだような所へ来ました。 

057 日本企業との合弁で進企業地下鉄工事。当初計画では完成の時期を迎えていますが、2020年を目指して建設中。おそらく間に合わないとの予想でした。
 ベトナムはバスもあまり充実していないようです。都市交通としての鉄道もありません。
 当面、バイクや車による渋滞が激しくなるように感じます。



ベトナムの人と文化に触れる

081 朝食を終えて、サイゴン川沿いの道路を歩いてホテルまで戻りかけていました。
 なにやら、変な形の自転車に乗ったおじさんが声をかけてきます。
 どうやら、広い道路の向かいにあるサイゴン側を見せるために、道路横断の手伝いをしようというのです。
 これも、国際交流。行為は素直に受けます。

091 お礼にチップを払おうとするものの
「いらなーい」
と言って受け取りません。今度は自分の友達だ、と言う仲間を連れてきて、街を案内するからのりな、というのです。なんだか怪しい展開ですが、これも経験です。
 まぁ。高い旅費を払ってきたわけだし、午前から危ない経験もいいかと思って、鳥内さんと2人町中散策に連れ出されました。

097 面白い視点で町の様子を見ることが出来ます。
 働く人、くつろぐ人、様々です。道端で散髪する人たちがいるのも印象的でした。とにかく、街に活気があることと、ゴミを散らかすこと。
 運転するおじさん達は
「ひったくりに気をつけなさい。バッグ、それからスマホ。」
何度も注意されます。私たちのガイドからも、治安は良いがスマホを取られないように気をつけなさい、と情報をいただいてました。
 なんでも、中古のi-Phone が4万円くらいで売れるというから驚きです。大卒の月給が3万円の街で、若者をはじめ多くの人がスマホを手にしている不思議な街、ホーチミン。

104 しかし、良くこんな広い道路で、自動車とバイクそして自転車までが、車線を区別されることなく走れるものかと感心します。それでいて、事故現場を目撃することもないのですから。
 徒歩で15分ほどの道のりを変える予定が1時間弱。だいぶ遠回りをしました。ガイドさん達と10時にロビーで待ちあわせの予定です。

107 いよいよクライマックス。ある程度予想された自体が・・・。
 ホテルから少し離れた場所で下ろされて、料金表を見せられます。
 1500000ドン。
 桁が多くて勘違いしそうになります。
 明らかにぼったくりです。値引き交渉。
 平行線をたどります。
 納得しがたいところもありますが、日越友好と私の布施として、夜のラウンジ並に高いお金を払ってきました。

ベトナムではひったくりに気をつけろと教えてくれる人は、親切心ではなく自分がぼったくる稼ぎを取られないための商いの一部に過ぎない。

 後日談として、このぼったくりのおじさんとは、3日後に再び再会することになります。人口800万の都市ホーチミンなのに驚きました。

141 さて、ホテルに戻った私たちは、早入りメンバーとガイドさんとで、ホーチミンの本屋さんに案内してもらいます。
 ホーチミンでは本屋さんに入る時、カバンをロッカーに預けなければなりませんでした。いろいろお店の習慣も違いますね。
 写真はノート積んだモニュメント

 いろんな見せ方があります。


142
 日本のアニメ、漫画はベトナムでも大人気のようです。

143
 ドラえもんは定番商品といった感じです。

144
 懐かしい。のび太の恐竜。日本で映画化されたのは35年前?
 ワクワクしてみたのを思い出しました。

145 漫画本に限らず、日本文化が世界中に広がっていることを改めて実感します。

ホーチミン市1区を散策する

039 日本人ガイドと別れた私。
今度は旅行の主催者である鳥内浩一さんと市内散策しながら朝食を食べに出掛けます。






040 世界中を旅される鳥内さん。社員からの情報を基に歩いて20分ほどのお店を目指します。
 ところが、i-Phone で案内される地図は路地裏へばかり進んで、いっこうに先へ進みそうにありません。
強制移動します。



041 ホーチミンの1区は日本人の多い町です。
飲食店にも日本語の名前が付いたお店を沢山見かけます。

044
 市内の通りはすごく緑が充実しています。


045
 バスも見かけますが、道路を走るのは大半がバイク。そしてタクシーです。
 自動車は高級車は見かける物の日本の5ナンバーに相当する小型車や軽自動車は見かけません。



068






064
 街角ではいろんな日本語を目にします。
 和食

065
 日本

069
 和伊の介

173

126


175
 で、目的のお店は、その先にある「NHU LUN」というお店でした。

071
 ちょっと市場っぽい雰囲気のあるお店

073
 バインミーがお薦めという情報でしたが、食べたのはハンバーガー
 マンゴージュースも美味しいです。

074
 ベトナムの言葉が分からない2人旅。
 いろんなハプニングで楽しいです。

ベトナムへ一人で入国を試みる

008 ベトナム・ホーチミンに来ました。昨年3月のアメリカ合衆国サンフランシスコ・サクラメント、12月の香港に続いて3回目の海外旅行。過去2回は成田や羽田から参加者の皆さんと一緒だったので、ただ付いていくだけでOKでした。
 しかし今回は現地の空港を出たところまで迎えに来ていただけるものの福岡から羽田経由でホーチミン空港、そして入国審査まで一人でクリアしなければなりません。飛行機は日本航空とはいえハードルは高くなったようです。

 ま、不安がある時は余計なトラブルもあります。
001
 佐賀から福岡空港へ向かう高速バスは、都市高速で事故が2箇所で発生し渋滞にはまりました。

002
 福岡空港で食事をして乗り込むつもりだった、19時発の日本航空羽田行き。
時間に余裕がなくなったので弁当を買って機内へ。今度は、
「羽田空港上空の混雑のため、離陸時刻が19時35分頃になります」
と。

031 それでも、羽田の出発は午前1時過ぎですから余裕があります。飛行機は現地時間の5:15着なのでさすがに機内食などのサービスはないだろう、とおもって空港でお好み焼きを食べることに・・・。
 それ自体は美味しかったのですが、コンビニで買ったミネラルウォーターが身体に合わずに、出発時刻の1時間前ぐらいから、何度もトイレに駆け込むことに。

019
 離陸した飛行機の中でも気分が優れません。

001 それなのに、ないと思っていた豪華な機内食が出てくるではありませんか!
 果物などは食べることが出来たものの、メインは無理。お隣の席の方に
「よろしければどうぞ」
と、お薦めすることになりました。

 さて、心配していた入国手続きですが、こうも簡単にクリアできるのか! と驚くほど簡単に(でも、結構待たされた)通過することが出来ました。なんといっても、通過するまでひと言も話さなくて良かったのですから。しかも、書類を書く必要もなく赤いパスポートの威力をまざまざと感じました。

 荷物を受け取って正面の両替所で1万円を両替。なんか分からんけど沢山もらえます。166万数千ドン。なんか、500ドンはないからサービスしとくと1000ドン紙幣をくれました。でも、為替を聞いてびっくりです。1円は175ドンほど。500ドンは4円くらい? 喜ぶほどでもなかったようです。

 002 さて、お迎えに来てくれたガイドさんと共にホテルへ向かいます。ベトナムではこの赤と緑のラインが目印(Vinasanタクシー)と緑の車体(マイリンタクシー)が優良会社と言うことで、それ以外はぼったくりに気をつけるようにアドバイスをいただきました。

014
 ホテルまで20分ほど、800円弱で到着です。

017
 とりあえず、ホテルに荷物を預けて、軽い朝食をいただきます。この時には飛行機の中まで続いた腹具合もすっかり回復しました。

019
 朝食にはバインミーをいただきます。

023
 飲み物はミルクたっぷり、ドロドロ感のあるベトナムコーヒー。

026 買うのは屋台でも、いただくのはホテルのロビーで。
 うん、うまい。
 ベトナムコーヒーは現地の人が路上で雑談しながら2時間くらいかけて飲めるようにドロドロになっているとか。
 日本人の感覚では、ちょっとの見にくいイメージがあります。

 早朝7時。ベトナムの人は活動が早いです。ここで一旦ガイドさんとお別れです。

南佐賀自動車学校で安全講習

 佐賀県知事選挙が終わって3ヶ月が過ぎました。この間に普通自動車運転免許の二種免許に挑戦していました。知事選挙を経験して感じたことの一つに佐賀県の奥深さを感じたことがあります。
 建材店として約15年活動する間、月平均3000kmの移動距離で県内を回っていました。佐賀市や神埼市が中心ですが、唐津市などへも足を運ぶことも多く、県内を広く知っているつもりでいました。
 しかし、今回の選挙戦で足を運んでみると、隅々と思っていたところのさらに奥に、まとまった集落があることに驚かされました。まだまだ佐賀県の知らないところが多いことに驚くと共に、その魅力を伝えることが出来ないかを考えるきっかけにもなりました。
 また、これと並行して私が学んだ伊勢、京都・奈良、出雲の神社仏閣の持つ意味を、多くの人々に伝えていかなければならないと言うことも自覚しています。その両方を実現するために将来、旅行会社をつくろうと考えました。その一歩として、お金をもらって人を自動車に乗せることが出来る二種免許を持つこと目指したのです。

001 直接、免許試験場で学科、実技の試験をクリアしたので、講習のみが残っていました。
 4月22日、23日の両日、南佐賀自動車学校にて「普通旅客車講習」と「応急救護処置講習2」を受講してきました。2日間の講習費用が26,400円というのは結構高いです。通常は3名そろって実施されるそうです(1人では実施しない)。講師の方の人件費を考えれば、致し方ない金額でもありますが・・・。
 それでも2日間、面白いお話も聞くことが出来ました。少子化で自動車免許の取得を目指す若者が減少する一方、経営を維持させてくれるのが講習の委託。特に高齢者講習は大きな支えになっているとのことです。現在こちらの自動車学校では年間2300人ほどの受講者がある高齢者講習。団塊世代が高齢者講習を受けるようになると、5000人規模になることも予想されています。3時間講習に9名ずつ。午前午後合せて18名ですから、フル回転の状況です。一方、受講料が30万円近くかかる普通免許の取得に、今の若い人たちはあまり熱心ではないようです。入校しても数回足を運んで来なくなる人も、よくあるとか。親が出してくれるお金とはいえ、考えものです。

003 さて、講習は午前中はシミュレーターを使った危険予知の講習が3時間、路上走行が1時間、ビデオなどの座学が2時間で行われました。
 午後は、応急介護の講習が3時間ずつ2日間行われました。私が自動車免許を取った頃にはなかった応急介護。今は3時間が必修になっているそうです。大型車や二種免許の取得者はさらに要求レベルが高くなると言うことで、座学と実技の両方をじっくりと指導されます。


007 普段経験のない人工呼吸や心臓マッサージなど、2時間にわたり実技指導を受け、日頃使わない筋肉もしっかりと使いました。
 2日間の講習を終え、後は試験場に書類を持って行けば免許取得完了です。

横須賀の田戸台分庁舎を訪ねる

008 平成26年4月7日、横須賀市にある田戸台分庁舎へ足を運びました。こちらの施設は、昨年3月に参加した海上自衛隊横須賀基地「艦艇」乗艦見学ツアーで訪れた、第二術科学校でOB自衛官の方から「夏と桜の季節に一般開放があるから」と薦められ、たまたま春の一般公開5日間が私の上京予定にリンクしたので足を運びました。
 週末見頃だった桜も雨で散ったせいでしょう。この日午前に施設を見学に訪れている方は数名でした。その分、中もゆっくり見学できました。

013


014


015


016


020


027


031


036


056


071


081


122
 田戸台を後にして足を運ぶのは、横須賀市の重要観光ポイント・三笠公園。入場料は
600円ですが、すごくボリュームがあります。1時間くらいでも見学できるのですが、できることなら身軽な格好でゆっくり見学したいところです。施設のことは他の方が詳しく紹介されていると思いますので、私の記事はここまでで。

日本のへそ西脇市を訪ねる

036 伊勢神宮ツアーと東京での指導員クラス授業最終回までの合間に、以前から行きたかった西脇市を訪れることができました。愛知県から兵庫県へ移動する車中から見えるデッカいソーラーパネル。南草津と石山駅の間にあります。



044 さて、西脇駅は想像していた以上にローカルな駅です。佐賀で例えるなら・・・。
ちょっと比較が難しいですが、小城駅よりも寂れた印象があります。でも、街自体は小城よりも生きている感じがします。




047
 地元の人お薦めの西脇大橋ラーメン。

048
 縮れ麺であっさりしています。


049 ちょっと、西脇の市街地を散策します。市役所にほど近い場所、西脇は播州織で有名なところらしく、昭和の半ば頃までは九州からも女性達が職工として移り住んだそうです。





050 昔ながらの機械が今も現役として活躍する工場を見学することができました。







055 紙に穴が空いているのがデザインのパターンで、これを長くすればより大きな柄を織り上げることができるそうです。






058 いろんなデザインのものが商品化されています。








073 西脇市といえば「日本のへそ」と呼ばれています。北緯35度、東経135度の経緯が交わる場所です。天文台のある明石が有名ですが、エネルギーのレベルからすれば、比べても劣らないところだと思います。
農業が盛んな街で、金ごまなど特産品の生産にも取り組まれています。
加古川の水源に恵まれた肥沃な土地という感じがしました。

 西脇を訪れたからには「日本のへそ」は外せません。へそ公園へ移動中に兵主神社という立派なかやぶき屋根の神社がありました。

086
加古川線 日本のへそ公園駅

087
ちょっと分かりにくいのですが、へそ公園駅の階段を下りて左へ。
すぐにスロープがあるのでそこを下りて線路をくぐると、右側にオブジェがあります。

097
ここはやっぱり、記念撮影。

100
子午線と緯線の交点です。

106
自然豊かな魅力的な町です。

127 西脇市の北東の端 対岸の丹波市には円応教の聖地がありました。良い土地は、宗教家が先に気がつくのでしょうか。インパクトがあります。






 西脇市。日本再生の要素を持つ魅力を秘めた街だと感じました。時代に流されない発展ができることを願います。
記事検索
飯盛良隆
佐賀県小城市三日月町出身。
佐世保工業高等専門学校卒業後、ブリヂストン鳥栖工場設備課勤務。橋本龍太郎通産大臣の時代に第3種電気主任技術者の免状を取得。

建材店:サンコー商事にて14年間建材の販売に携わり新築・リフォームの現場に数多く潜入。戸建て住宅でもインテリアの重要性を感じ平成20年町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー福岡校に入学しインテリアの基礎を学ぶ。

平成22年、スメトコプロモーションを設立し住宅CMサービス佐賀の運営を始める。
平成25年2月、ダブルスネットワーク(株)社との契約を解消、住宅CMサービス佐賀の運営を終了する。

平成24年3月、帝王学(氣の學問、道の教え)を学び始める。同年6月
唐津から釜山へ新幹線で!

実現するためには長崎県と佐賀県をひとつに。そしてアジアや世界中の人たちが、自然と人の美しさを求めて足を運ぶ地域にする。

そんな夢を描き知事を目指して政治活動をはじめることに。 活動に専念するために平成26年6月末にて住宅に関する事業は終了。平成26年8月末にて(株)スメトコプロモーションを退社。
平成27年1月11日実施の佐賀県知事選挙に立候補。惨敗。

現在
眞理學指導員 (日産鮎川義塾)
夏・佐賀で稲作
冬・東京エムケイ(株) 勤務
お問い合わせ

名前
メール
本文
QRコード
QRコード
最新コメント
Archives
  • ライブドアブログ