飯盛良隆のi佐賀iよ〜したか

住まいづくりのコンシェルジュから転身 佐賀県知事に挑戦した飯盛良隆のブログです。

準完全無農薬・無化学肥料のお米「Shin-和」
平成28年産は完売しました。平成29年産の受付は8月を予定しています。

ラジオ体操会を開催します。
6月7日(水)〜10月4日(水)の月曜・水曜日(8月14日はお休みです)
時間は 6:25〜6:45  会場は、主に小城市三日月町樋口地区
 「6月 7日は現在未定」です。

元氣と景氣と大気を探求する震和塾を開催します。
6月12日(月)〜10月2日(月)の月曜日
ただし、7月17日、7月31日、8月14日はお休みです。
時間は
 13:20〜14:50(人を読み、時代を読み、天意を読む)
 15:20〜16:50(人類の至宝インド哲學、眞理學入門)
 19:20〜20:50(ボーダレスな社会・定員5名)
会場は小城市三日月町樋口803 震和会事務所
参加費は1回 1,000円相当 (但し後援会会員は2回まで無料)
震和塾参加申込みはこちらから
お名前と当日連絡の取れる連絡先をご記入の上、送信してください。

震和会とは。(為雷)人生の試練や困難を切り拓き、奮いたつ勇気をもって、
(日本)の国を再興する、という意味です。

政策・夢

夢1 佐賀県と長崎県の合併を実現する

今の政治家は福祉や公共事業など身近な話題にばかり目を向け、私たちに夢を語ってくれる人がいなくなってきていると感じます。確かに、票をいただくためには身近な政策を充実させることは重要です。しかしそれでは、人々が同じ方向を向いて頑張ろうという意欲は生まれにくいと感じます。トップに立つ人をリーダーといいます。漢字で書くと指導者です。指導者の指はどこを指すか。

それは「未来」です。そんな指導者の指が身近な福祉政策と予算のばらまきを語っていては未来が開けません。

佐賀県の抱える課題の中には、隣県の長崎県(県庁)との考えが異なるために解決できない課題があります。もともと肥前の国として共に歩んできた長崎・佐賀の両県は明治になって全国でも珍しく二つに分かれてしまいました。過去の歴史を詳しく学んでいないために、その経緯を詳しく存じませんが、ある方のお話では「肥沃な土地を持つ佐賀がその生産力に慢心して、農作物の取れない地域(長崎県)を切り離してしまった。ところが、産業の主体が農業から工業に変わったために、環境が厳しいと考えられていた長崎県が発展し、佐賀県が取り残されてしまったのだ」といういきさつがあるそうです。それが現実であるのなら、私たち佐賀県民は謙虚に反省することが大切です。そして、人々の暮らしと将来の日本を発展させるためにも、この両県が合併して社会をリードしていくことが必要だと考えています。
 長崎新幹線の建設工事を今さら止めることはできません。しかし、諫早湾の問題は地球にとってあるべき姿を考えて、そこへ導く必要があります。
 伊万里湾に浮かぶ、鷹島、福島は長崎県でありながら、伊万里市のインフラに頼るところがあります。一方で高度医療は、伊万里市も佐世保市の病院を頼りにしています。
 焼き物の里を「有田・伊万里」と「三河内・波佐見」と分かれてPRし続けることが、グローバルな時代に有効でしょうか?
 そしてなにより、壱岐・対馬は海上航路を佐賀県唐津市と福岡市に依存しながら、行政が長崎県であるためにガソリンの価格が高騰するなど生活環境が厳しさを増していても、本土での関心は盛り上がりません。日本にとってこの両島がいかに重要である場所か、日本人として考える必要があるのではないでしょうか。沖縄の基地問題がクローズアップされますが、それと同じように支援が必要な地域ではないのでしょうか?
 しかし、国民や今の政治家に関心を持たせることは簡単でありません。過去のわだかまりを解き、現代の課題を乗り越えて、未来の発展を目指す姿勢が、経営トップの姿勢に必要だと私は考えています。

 利権が絡み合う課題ですから簡単に実現するものではありません。政府には道州制の考えもありますが、全国の自治体や役所の皆さんが賛同する意見のとりまとめは容易ではないと考えています。それぞれの利益を超えて未来の発展のために、長崎県と佐賀県の合併を実現させたいと考えています。

2023年国体を佐賀・長崎両県の共催に

 2013年8月3日の佐賀新聞に佐賀県体育協会と県障害者スポーツ協会が、2023年の国体招致を求める請願書を古川知事などに提出したことが紹介されています。当初知事は「前回の国体では、かなりの職員を採用し、施設の充実もはかったが、今回は資金も限られている。両大会をどう意義づけていくのか、一つのイベントとして考えるのはもったいない。県教委と意見交換しながら検討していきたい」と答えられたようです。
 当時2023年の国体誘致を決めている都道府県がない中で、古川知事の判断は非常に的確なものだと感じております。2023年の国体は、今後少なくとも2回の知事選を経なければ開催できないイベントです。このイベントをすでに3期目を務めている知事が現時点で決断してしまえば、知事が交代したときに責任があいまいになることと予算の硬直化を招きかねません。限られた予算の中でイベントを行うには、インターハイがブロック開催に変更されたように、国体もブロック開催が検討されても良い時期を迎えるのではないでしょうか。
 また前回開催の1976年には、スポーツインフラ整備も脆弱で、職員の採用にも効率化を求められている時代ではありませんでした。現在との状況は大きく異なっています。

 さらにオリンピックが2020年に東京で開催されることが決まったにもかかわらず、私たちの国体への関心は遠のくばかりのように感じています。今年2014年、長崎県で国体が開催されています。しかし、隣の県にいながら準備の段階でその盛り上がりの様子を耳にする機会はほとんどありませんでした。さらに、大会が始まった今でも、新聞やテレビなど報道で大きく取り上げられるものの、日常生活の話題にそのことが上ることはほとんどありありません。

 そんな国体を魅力あるものとして誘致するために、2023年の国体を佐賀県の単独誘致ではなく、長崎県との共同開催することを提案したいと考えております。
 現在の長崎県と佐賀県の関係は、諫早湾干拓事業を発端とした水門の開閉問題でぎくしゃくしています。過去には長崎新幹線の建設決定の際に、佐賀県民の反対意見を振り切って政治判断として着工がなされました。しかし、双方の行政が対立軸の中で議論がかみ合わない状況が続くことは望ましくありません。くしくも計画通りに工事が進むと2022年に長崎新幹線が開業します。その開業イベントのひとつとして佐賀長崎国体を開催することは意味があることと感じています。
 幸い国体を開催している長崎県には、その運営に携わる方が多数いらっしゃることになりますから、9年後に再び開催することは担当職員が継続できることで運営の効率化も図れますし、準備活動を通じて両県の職員、特に若い職員達同士の交流が深まれば、両県が抱える課題を柔軟な方法で解決するための方法をみいだすことができるのではないかと期待します。

 国体という一つのイベントを通じて「和」の精神を復活させるきっかけになればと考えています。

 従来のやり方での誘致では、生まれてこないビジネスの機会が、新しいことに挑戦することで、新たなビジネスのきっかけを生み出してくれるのではないかと考えます。

古事記では火の国と呼ばれていた

少しずつですが佐賀の歴史を勉強しています。明治維新からわずかな期間に、県の組み合わせが度々変わる中、首都東京のある武蔵国と共に、地方の県で唯一分断されてしまった佐賀県と長崎県。当時の様々な思惑を歴史の中から感じることができます。

一方で、古事記の記載では火の国とは、肥後・熊本県のことではなく、肥前・肥後の両方を併せて、火の国と紹介されていることを驚きながら読みました。

安倍政権の下で道州制の議論が再び動き始めましたが、これまでの経緯から、途中で頓挫するのではないかと危惧してしまいます。理想は九州が一つにまとまることだと思いますが、利害関係を調整することは容易でないと感じます。私は過去の歴史を踏まえ肥前県(長崎県との合併)を実現することを夢に掲げています。

現在抱えている佐賀・長崎両県の課題・長崎新幹線の着工手続きと開業後の利用・諫早湾干拓の開門調査・玄界灘の砂採取問題というものは、抱える問題に対する考えの違いのまま、平行線をたどり問題の先送りが続く事例だと思います。

またLLCのジンエアーをめぐる問題も、両県の連携の悪さを象徴するものに感じます。隣県同士競い合うのではなく、将来の発展のために協力していくことが、人口減少社会では必要だと考えています。

その第一歩として、肥前県の実現を夢に掲げています。

吉野ヶ里〜唐津〜壱岐〜対馬〜釜山の海底トンネルを開業させる

2020年の夏季オリンピックが東京に決まりました。日本が一つにまとまることのできるとても良い流れだと感じています。オリンピックのように、現実が見えてきた話題よりも、はるかな先に見え隠れするテーマになりそうですが、私は日本と韓国を結ぶ新幹線・海底トンネルを佐賀からつくりたいと考えています。

この計画は福岡が行動を始めてからでは手遅れです。佐賀の経済を再興して収入を増やし、「吉野ヶ里〜多久〜唐津〜壱岐〜対馬〜釜山」と結ぶ新幹線計画を提案したいのです。

皆さん考えてみてください。この構想は着工して10年で完成する構想ではありません。この書をご覧になった方の中には、完成を目にすることのない方も多くいらっしゃると思います。そんな構想だからこそ、今の私たちが描く必要があるのではないでしょうか。

現在は、関係が良くない「北朝鮮」との関係が、10年後もこうちゃくしているでしょうか?

関係が雪解けしてから対応しようとしても、時は待ってくれません。北朝鮮を再開発する世界プロジェクトが動き出したときに、このトンネルが出来ていれば、日本は陸続きで中国にも負けることなく受注競争できる環境を手に入れることができます。

唐津と釜山を結ぶことで、東京からロンドンまで鉄道を利用して行くこともできます。船による豪華クルージングが人気を集めることと同じように、鉄道旅行を楽しむ人も増えるでしょう。そのときの日本の玄関口として唐津が位置づけられるのです。アジアへの、そして世界の玄関口として。

足下の公共事業が必要だといわれるかもしれませんし、税金の無駄遣いだと批判されるかもしれません。しかし、時代は流れていきます。足下にだけ目を向けることなく、将来へ向けて佐賀がどうありたいのか。江戸時代に長崎が唯一の国際社会への窓口だったことを考えても、ここ肥前の地・佐賀県が世界への玄関口になることを夢に掲げて皆さんの力をまとめることも重要だと考えています。

飛行機による行き来が盛んな現代に似合わない政策かもしれませんが、常に交流でき、そして東アジアの平和の象徴として海峡横断新幹線を実現させたいと考えています。

世界中の人がその美しさを求めて足を運ぶ県にする

「佐賀県はアピール下手だ」と言われてきました。しかし、知事が現在の古川さんになって佐賀の良さをアピールすることは以前に比べて格段に佐賀の良さをアピールできていると感じます。その成果は、学生世代を中心に佐賀を好きだと主張する人が増えたと感じるところにあります。ただ、時代に合う魅力を追いかけるのではなく、時代を超える魅力を大切にしていかなければなりません。観光に力を入れたつもりでも、行き過ぎた開発は自然の魅力を失うことにもなりかねません。

20年前、新幹線の中で読んだ雑誌に「うちの工場は富士山が見える素晴らしい環境に立地しています」という事業者の視点と、その工場を含めて眺める人々の視線「工場がなければ美しい富士山の景色を楽しめるのですが」という記事は、象徴的事例だと思います。

佐賀県の景勝地、虹ノ松原。現在も多くの観光客が足を伸ばす鏡山ですが、昭和50年代の景色と平成の今の景色は、訪れる人たちにそれぞれどう魅了するでしょうか? 昭和の鏡山を知る人は、青い海、緑の松原、その手前の水田に広がる色とりどりの景色、これらをまとめて楽しみ、季節の異なる時期にまた遊びに来たいと思ったでしょう。平成の鏡山からの眺めは、青い海と緑の松原は変わらないものの、その手前に広がる景色は統一感のない住宅やショッピングセンター、そしてビニルハウスです。経済的な発展の一方で、貴重な観光資源を消失してしまったのではないでしょうか。

2013年5月7日、日本の棚田100選にも選ばれている玄海町の「浜野浦の棚田」に沈む初夏の夕日を見ようと、現地へ足を運びました。現地で見る景色は報道映像で見るよりもより時の流れ・音・風・草花などを感じることができ、感動的だった一方で、景色に写り込む高圧電線がその景色を台なしにしているように感じてしまいました。佐賀をPRするフォトスポットで有り、観光の名称として人々を和ませるこの場所から高圧電線と鉄塔と取り除くことは、夢である「世界の人々がその美しさを求めて足を運ぶ県にする」ことを実現するためにも必要な政策だと感じます。現地の左上にある鉄塔は、玄海原発における非常事態に備えるためにも残しておく必要があると考えますが、この電線はルートを変更して、これまで以上に多くの人たちに愛される場所を目指して育てていく必要があります。

こうした課題を一つひとつ解決していくためにも、企業と現地の農政部門・環境部門そして経済・産業部門が一体となって地域の皆さんの活動を支援していくことが重要だと考えています。

20年に一度の式年遷宮を終えて観光客で賑わう伊勢の国を旅すると、自然豊かな木々の色合いや葉の光を感じながら「この国にはその豊かな自然だけで人々を引きつける力がある」ということに気づかされます。そこが日本の神々が宿る場所であるからなのかもしれませんが、出雲や日向では感じられない人々を寄せ付ける魅力を感じるのです。肥前の国には、こうした神々が集まる神話などありませんが、一人ひとりが地域の自然・環境を大切にする念いを持つことで、その魅力が輝き出すのではないでしょうか。

繰り返し足を運んでくれる人を増やしたり、口コミで人が集まるようになるためには、こちらが「見せたいところ」をアピールすることではなく、「見せたくないところ」をなくしていくことから始めなければなりません。 観光資源として見せたくないもの、それが車窓から見えるゴミです。駅で降りて散策するときに落ちているたばこの灰や空き缶、ペットボトルです。 これを無くしていくためには、みんなの道徳心を復興させることが重要でもあります。さらに、それと並行して集めたゴミを処分できる仕組みをつくらなければなりません。集められたゴミを確実に処分できる体制をつくると共に、五行のサイクル(木→火→土→金→水→木)にのって循環できる物作りやそれを使う機運づくりを行い、小泉八雲が賞賛した美しい国の再生を行うことで世界中の人々を魅了できる土地にすることを夢に掲げています。

地元にいると見失う資源が沢山あります。そのことに気づき育てていくことがとても重要です。気づきのためには、人を育てることが大切です。時代を超える魅力を伝え、世界中の人々がその美しさを求めて足を運ぶ県にする。  実現したい夢の章です。
飯盛良隆


佐賀県小城市三日月町出身。
佐世保工業高等専門学校卒業後、ブリヂストン鳥栖工場設備課勤務。橋本龍太郎通産大臣の時代に第3種電気主任技術者の免状を取得。

建材店:サンコー商事にて14年間建材の販売に携わり新築・リフォームの現場に数多く潜入。戸建て住宅でもインテリアの重要性を感じ平成20年町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー福岡校に入学しインテリアの基礎を学ぶ。

平成22年、スメトコプロモーションを設立し住宅CMサービス佐賀の運営を始める。
平成25年2月、ダブルスネットワーク(株)社との契約を解消、住宅CMサービス佐賀の運営を終了する。
平成24年6月 突然
唐津から釜山へ新幹線で!
実現するためには長崎県と佐賀県をひとつに。そしてアジアや世界中の人たちが、自然と人の美しさを求めて足を運ぶ地域にする。
そんな夢を描き知事を目指して政治活動をはじめることに。 活動に専念するために平成26年6月末にて住宅に関する事業は終了。平成26年8月末にて(株)スメトコプロモーションを退社。
平成27年1月11日実施の佐賀県知事選挙に立候補。惨敗。

現在
眞理學指導員 (日産鮎川義塾)
福岡インテリアコーディネーター協会監事
夏・佐賀で稲作
冬・東京で会社員
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