飯盛良隆のi佐賀iよ〜したか

住まいづくりのコンシェルジュから転身 佐賀県知事に挑戦した飯盛良隆のブログです。

準完全無農薬・無化学肥料のお米「Shin-和」
平成28年産は完売しました。平成29年産の受付は8月を予定しています。

ラジオ体操会を開催します。
6月7日(水)〜10月4日(水)の月曜・水曜日(8月14日はお休みです)
時間は 6:25〜6:45  会場は、主に小城市三日月町樋口地区
 「6月 26日は震和会事務所前 小城市三日月町樋口803」です。

元氣と景氣と大気を探求する震和塾を開催します。
6月12日(月)〜10月2日(月)の月曜日
ただし、7月17日、7月31日、8月14日はお休みです。
時間は
 13:20〜14:50(人を読み、時代を読み、天意を読む)
 15:20〜16:50(人類の至宝インド哲學、眞理學入門)
 19:20〜20:50(ボーダレスな社会・定員5名)
会場は小城市三日月町樋口803 震和会事務所
参加費は1回 1,000円相当 (但し後援会会員は2回まで無料)
震和塾参加申込みはこちらから
お名前と当日連絡の取れる連絡先をご記入の上、送信してください。

震和会とは。(為雷)人生の試練や困難を切り拓き、奮いたつ勇気をもって、
(日本)の国を再興する、という意味です。

法友との旅

十二社熊野神社へ

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西新宿のビル街
都庁からすぐのところに

信ずべし尊ぶべき山「信貴山」

056 信貴山を初めて訪れた二年前。有名な絵巻物があることしか知らずに訪れたこの時は、滞在時間わずか2時間。
 ご祈祷と宿坊を兼ねた千手院さんでお食事と法話をいただいて慌ただしく高野山へ向かったことを覚えています。



039 そんな信貴山を改めて訪れることができるとは思ってもいませんでした。しかも、先生や帝王学を学ぶ皆さんと一緒に。
 信貴山というと戦国武将・松永久秀をイメージされる方が多いようですが、日本の国造りの始まり、聖徳太子にゆかりの深い山なのです。


 今から1400年前、聖徳太子は物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遙かに毘沙門天が出現され必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも、寅の年、寅の日、そして寅の刻でありました。
 太子はそのご加護で勝利し、自ら天王のご本尊を刻み伽藍を建立し、信ずべし尊き山「信貴山」と名付けられたそうです。
 崇仏論争で、「そもそも日本には、古来より八百万の神がおり、外国の神様なんかを容認しようものなら大変なことになる」と仏教に反対した物部氏を、良いものは取り入れたいとする蘇我氏、そして聖徳太子。
 この戦いに勝利したことで、仏教が日本へと徐々にと広められていくことになるのです。この後国の制度をつくる過程で制定される冠位十二階は儒教の教えを基につくられたとされています。

109 千手院に宿泊、夕食の後に境内を散策。







110 目的は本堂・朝護孫子寺から見える町の夜景です。







005 こちらは朝の御来光。








112 夜の境内と








011 昼間の境内








013 朝ご飯を頂いて、山に登ります。








017 本堂の脇から空鉢堂まで、ポットに水を抱えて上ります。ポリバケツに水を治めることで功徳を積んだことになるそうです。
 空鉢堂まで、まつわる絵巻「飛倉巻」をはじめ国宝の絵巻3本(ただし模造品)は必見です。



 日本の成り立ちから考えて神社巡りをなさる方は沢山いらっしゃいます。しかし、天皇家が約1300年にわたり、日本の神様と並べて祈った仏教の祈り、忘れているような気がします。

毘沙門様のご加護について、次のような説明がなされていました。

御利益を得るためには、それなりの努力と信仰が大切です。
何にもまして、運(強運)を頂かなければなりません。その強運を頂く最大の鍵が信仰心なのだと。福を頂くためには次の十ヶ条を守ることが必要で、この実践により生活が変化することで、自らが良い方向へ導かれることになるということです。

1.感謝の生活をする人
2.収入以下で生活する人
3.夫婦仲の良い人
4.金や物を大切にする人
5.健康に心がける人
6.独立自尊心の強い人
7.仕事を趣味とする人
8.一事をつらぬく人
9.常に節約をする人
10.儲けをあてにせぬ人

簡単そうで、意外に難しい生き方。そう、今の私たちには日本人としての生き方が問われているのです。

日本佛法最初のお寺・四天王寺へ

043 氣の學問を学ぶ皆さんと1泊2日の修学旅行。今回のテーマは聖徳太子の国造り。
 初日に訪れたのは、先生が30年前につくられた緞帳がある四天王寺。当然、緞帳を観ることが出来ると思っていたのですが、納められているのはこちら。


042 なんと、四天王寺高校。大阪一の才女が通う女子校ではありませんか。
 しかも、オリンピック卓球で活躍された、石川佳純選手の母校だったとは。
 ここで問題です。四天王寺学園は成人男性の入校を許可して頂けないのです。みんなで女装してはという冗談もでていましたが先生曰く、
「厳しい門番がいるからダメだよ。」
ということで断念せざるを得ませんでした。

077 そんな四天王寺ですが、私たちの知らない歴史が凝縮されています。
 日本という国の成り立ち、それを学ぶためには外すことのできないお寺なのです。同じ聖徳太子がつくられた法隆寺よりも歴史が古く、推古天皇元年(西暦593年)に建立されました。
 物部守屋と蘇我馬子の合戦の祈り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、「この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世全ての人々を救済する」と誓願され、戦勝後にその誓願を果たすため建立されたものです。

082 四天王寺のすぐそばには、世界一歴史の長い企業「金剛組」があります。
 近年、不幸な事件がありましたが創業から約1400年続く世界企業です。
 こちらの訪問も叶いませんでしたが、今回スタートしたこのツアーは毎年実施されることが決まりました。

 四天王寺の緞帳と共に、いずれ足を踏み入れ、責任者の方とお話しできる機会が生まれることと期待しています。



なるには學問堂を観てきました

003 今、関西で注目の児童教育施設なるには學問堂。ご縁があって今回、会社と施設を見学させて頂くことができました。
 夏休みの午前、10名ほどの子どもたちが楽しそうに学んでいました。
 學長の上村さんが子どもたちに
「学長先生のお友達のいさがいさんです。」
と紹介してくださると、元気な声で
「こんにちは、***です。」
と挨拶してくれます。
009 子供の才能を引き出すための施設は、お部屋によって様々なテーマを設けてあります。
 このお部屋は、新聞を読まない子どもたちに、新聞に親しんでもらおうと造られたお部屋。



015 子どもたちが気になる記事を読んで








014クイズをつくります。
「学校の好きな時間は?」
といった記事や鉄道に関する記事が多く目にとまりましたが、論語を取り上げて出題をする子どもたちもいて、関心事の広さに驚かされます。
 新聞記者さんも注目ですし、取材に来られた後は、
「新聞記者になりたい」
という子どもたちが続出したというお話しもありました。

 こうした魅力ある施設は、保育園のように厚生労働省の補助金を受けずに、学校のように文部科学省の助成金も受け取らない、子供とお父さん、お母さんというお客様のために、という視線でつくられているところから生まれていると感じます。
 所得環境の違いから、佐賀では難しいと思いますが、未来の日本のためにも上村さんの施設が全国に広がれば良いな、と感じています。

八田與一が導いた烏山頭ダム

167 佐賀県で治水の神様といえば成富兵庫茂安候ですが、1945年まで日本が統治していた台湾では、八田與一氏がそう呼ばれています。日本にいると全く知ることのない台湾の歴史。なぜ日本で震災が発生すると真っ先に義援金を送り支援を続けてくれるのか。


191 1930年に完成した烏山頭ダムは、その後の台湾経済の安定、台湾南部の農業振興に大きな役割を果たしたのです。
 堰堤は標高66.66m、長さ1273m、高さ56m、堰堤上の幅は9m、底の幅は303mにも及ぶそうです。専門的には「セミハイドロリックフィル工法」と呼ばれ、アジアにはここだけの施設ということです。
 湖面の水が堤防を適量しみ出すことで、その堤防が強い強度を保つ設計になっているとのことです。

127 長い堤防の中には、水力発電を行うための水管が設置されています。曲線を描くことで水圧をうまく逃がす仕組みになっているそうです。





147 水力発電施設が新しくなったげんざい、こちらの水管は、現在は使用されていませんが、映画KANOのラストシーンはこの放水路から水を放水して撮影されたそうです。




079 このダムから配水する15万haの灌漑地には総延長16,000km の給排水路を同時に建設し、多くの土地を潤すために、稲作は3年に一度の輪番制とし、その間の2年はサトウキビなど畑作を推奨することで、より多くの人々に恩恵を与え、嘉南平野と人々を潤すことに成功している。
 戦前日本の陰の部分がクローズアップされるばかりで、現地で80年以上経つ今でも人々の役に立つ功績が伝えられない現実。
 もっと史実に目を向けることが必要であると感じます。

 そして、稲作は日本文化の象徴で、その果実であるお米を食べることが日本人の精神そのものであることに、光を当てなければならないと感じています。

李登輝元総統に会えなかった台湾

056 昨年11月、法友の鳥内浩一さんが主催するグループで、李登輝総統の講演を聴きに行くツアーが開催されていました。私は参加していませんでしたが、その後、日本塾をはじめとする会合の場所で、参加した皆さんから「とてもよかった」という声を沢山耳にしました。
 今年になって、第二段が開催されるということで日程を調整し、参加することにしました。ところが、総統は高齢です。日本から若者が来るというと、より張り切ろうとして体調を崩されることがあるようです。
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 残念ながら、講演の登壇は叶わず、代役の金美齢さんと交流協会の沼田幹夫様にお話を伺うことができました。
 親日国(国ではないが)台湾の歴史を少しだけ理解できるようになりました。

 この時期、台湾は新しい総統の誕生に期待が高まっていました。

蓬莱米ってどんなコメ

119 台湾には蓬莱米、という日本人が開発したお米があるそうです。
 台湾で育てられていたお米は長粒種のインディカ米で、日本人の味覚に合わないため、磯永吉先生と末永仁先生によって研究をはじめられた短粒種をベースに、食味を日本米と同程度に育成された品種を総じて蓬莱米と呼ぶそうです。
 日本でいう「コシヒカリ」とか「ヒノヒカリ」という一つひとつの種類の呼び名の一つに「蓬莱米」があるのではなく、研究されてできたお米を総じて「蓬莱米」と呼ぶそうです。

054 南回帰線付近に位置する台湾で日本のお米を育てることは、容易ではありません。温度の違いを克服するために台北・陽明山の麓にある竹子湖に試験場を設け、品種改良に取り組まれています。生育に成功すると少しずつ、標高の低い地域に作付けを広げることで、新しい品種の実用に結びつけたそうです。

072 資料館を見学したあとは当時、品種改良を行っていた試験田へ。







095 今は、稲の品種改良ではなく地元の皆さんが様々な野菜作りに励まれています。

 戦前、日本本土だけでまかなうことができなかったコメを、海外の土地から輸入する、そんな時代があったことを私たちは知っておく必要があると感じます。

伊豆下田の爪木崎で海岸清掃

044 関東地方が梅雨明けしたばかりの7月29日、30日の両日、伊豆半島の南端、下田市の爪木崎へ出掛けてきました。
 お天気に恵まれた両日、自然からのメッセージを理解するための學を身につけるために、成田から東京へ出て、さらに東京から5時間かけて現地に到着しました。

 ここは、アリスの門と呼ばれるそうです。

046 門をくぐると目の前に美しい青い海が広がります。ゴミ一つ無い美しい芝生。

 この場所は皇室の御用邸がすぐそばにあるために、行政が総力を挙げて清掃活動を行っているから、この美しい環境が維持されているということを知りました。


051 広場での授業を終えると海に向かって歩いて行きます。
 眼下に広がる美しい海。しかし、その景色が少しずつ違った姿を見せてきます。海岸にテントを張ってくつろぐおじさん。美しい景色に癒やされているようです。

 しかし、その先には・・・。

054 大きな冷蔵庫!!

 遊歩道はありますが、自動車で行くための道路はありません。
 キャンプに来る家族が捨てに来るわけはありません。
 この冷蔵庫が、どうしてここにあるのか?

 これが、日本の海の実情なのです。決して、そこに捨てようと思って捨てられたゴミがそこにあるわけではありません。意図しない場所からそこにたどり着いたのです。
 たとえば、津波で流された家の中から流れ出た冷蔵庫の一つが、この冷蔵庫なのかもしれません。
076 時々ニュースで
「川原でキャンプ中のグループが、増水した水で中州に取り残されている様子」
を報道されます。
 取り残された家族は、場所代も払ってキャンプをしている。
何も悪いことをしていないのに。
そう思うでしょう。

 しかし、地球から見た姿は違って写るのかもしれませんね。
「ここにテントを張るお前、そこにテントを張る前に、この冷蔵庫を片付けろよ。」
と。もし、あなたの部屋に身も知らずの誰かが、毎日ゴミを捨てていったら、あなたは警察や市役所に届けることなく、何日間我慢できるのでしょうか?
「あなたが我慢できる時間」
それが、自然の待てる時間なのです。

083 ゴミを拾うだけながら芦刈海岸や県内の海岸でも行うことができます。しかし、自然からのメッセージを解釈できるのは法友との学びです。
 学びの深い2日間でした。

未来の世界はファンタジーから

016 黒姫童話館を訪ねます。バスを降りて裸足で芝の上を散策。地球の暖かさを感じます。
 芝生に目を向けると小さな動物たちが懸命に生きる姿を見ることが出来ます。

 さて、童話館。改めてミヒャエルエンデの言葉を考えます。

「おまえは自分の知らないものにかんして存在を認めません。そしてファンタジーなど現実でないと思うのです。でも未来の世界はファンタジーからしか育ちません。私たちは自らが想像するものの中でこそ自由な人間になるのです。」

 振り返って三ヶ月前倒しになった昨年の選挙。ファンタジーを描きながら、それを主役に戦うことができませんでした。新しい取組を実行するためには勇気と信じる力が必要です。

先祖供養は善光寺

020 3年ぶりに長野・善光寺を訪ねました。ここでの目的の一つに、戦没者の御魂を仏式でお祭りされている三重の塔へお参りに行くことがありました。
 靖国神社の参拝が政治的に賛否の議論がなされる中、そうした声に左右されることなくお参りしたいとのおもいで短い時間でしたが、実現させることができました。

 善光寺は宗派を越えて先祖供養ができるといわれます。今回は母と共に参加しましたので、飯盛家と母の実家の先祖供養をお願いしてきました。三年前に訪れたときは、その準備をしていなかったので善光寺で供養を依頼するのは初めてです。
 善光寺の本堂には阿弥陀如来様と観音菩薩様、勢至菩薩様が迎えて下さいます。今回は願い事がないので、タダ感謝のお参りになりました。

003 善光寺へ貸切バスの駐車場から入るとすぐの場所に、7年目に一度行われるご開帳の時に建てられる回向柱を見ることが出来ます。
 毎回新しいものを前にして、古くなったものは腐ったところを除いてだんだんと短くして埋められます。

1人教王護国寺へ

074 神宮参拝の帰りに東寺に立ち寄り、ご挨拶させていただきました。本来、熊本地震を受けて6月1日に緊急召集された、日本を護るための参拝に参加しなければならなかったのですが、稲の種まき日程の都合上、時間をつくることができなかったためです。


076 先生から日頃
「旅行は一人で行くものではない。2人以上で出掛け何を感じるかが大切だ!」
と言葉をかけられます。「1人で東寺を訪れるとは論外」とも思いましたが、日本の危機である今、時間がありながらそこをスルーする方がもっと問題だと考え、内なる5人と救国の念いを新たにしてきました。

知らないことの多かったベトナム

028 4月25日(土)から4月29日(水)までベトナムに滞在してきました。私のいとこが現地で5年くらいからビジネスを行っていたこともあり、ちょっとしたイメージを持っていたものの、実際に足を運ぶつもりなど全くなかったので、同国への知識など全く持っていませんでした(ベトナム戦争があって、枯れ葉剤の影響でベトちゃんドクちゃんのような子供が生まれたことくらいの浅い知識だけです)。
029 フランスの植民地として長く支配された一方で、第二次大戦の一時期、日本軍が入った影響か現地の人たちは、日本人のことを好意的に考えてくれています。第二次大戦の後は、共産勢力の北軍とフランスを支援したアメリカ軍による南軍の戦いにより、国土の広範囲にその影響が及んでいます。
 そんなベトナムで比較的戦火の影響が少ない都市が今回訪問したホーチミン(旧・サイゴン)です。

 ベトナムの面積は32万平方キロ(日本は38万)、人口が8000万人(ホーチミンは800万人)、人口の8割の人が大乗仏教を信仰し民族の9割がキン族という日本と似たところの多い国です。首都ハノイと経済都市ホーチミンは1750kmも離れ、南北に細長い国です。中華文明の影響がある一方で筋金入りの中国嫌いだとか。また、ベトナム戦争の影響で1995年に国交は回復しているもののアメリカとの仲もあまり良くないようで、市内で見かける看板に英語表記が少ないことも印象的でした。

 その一方で、大の親日国と言うことで街を歩くと日本語の上手な方に時々で会います。もっとも、日本人相手の商売がお金になると言うことがありますが、ホテルでお話を伺うと日本に対するあこがれが強いことも感じました。
 ちなみに、ホーチミンで働く大卒者の給与が$284US(2013年)程度だそうですが、英語が出来ると2割上昇し、日本語が出来ると2倍になるそうです。ですから、仕事を終えてから日本語の学校に通う人も多いようです。

 ベトナムの人たちは真面目な一方、働き方を知らないところがあるように感じました。ですから、仕事の進め方をきちんと教えることが出来れば一生懸命働くようです。老若男女みんな一生懸命働きますから、みんな幸せを感じて過ごしています。

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 発展を続けるベトナムの街

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 上を見れば日本と全く変わりません。
 年収が1500万円を超える富裕層も人口の5%に上るそうです。

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 人口が1000万人を超え、東京に追いつくことも時間の問題かもしれません。


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 一方で足下を見るとベトナムの人の悪しき特徴が見えます。


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 どうやら掃除と後片付けが苦手のようです。
 みんな食べかすはテーブルの上、道端、そして屋根の上までポイ捨てです。

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 線路にもこんな具合ですから・・・。

 昭和40年代の日本に、スマホなどIT技術だけが持ち込まれたような感じがします。

 一生懸命働いて幸せな笑顔で過ごす姿を見ていると、日本が先生であり、ベトナムが生徒など、おごった考えであることに気づかされます。

 考えてみると「保険」と「(住宅)ローン」と「規制(免許・資格制度)」が充実し自己責任を放棄することで日本社会の活気は失われ、今後ベトナム社会にそれが充実すると日本と同じ歴史をたどるのではないかと感じます。

 とはいえ真面目な人たちです。前回紹介したように日本文化を学ばせる学校の影響力が大きくなった時に、この国の人たちの意識が変わるかもしれません。そうなった時には、確実にベトナムは日本をリードする国へと成長するでしょう。私たち日本人は、ベトナムの人たちに追い越されないためにも、たばこや空き缶のポイ捨てを止め、みんなで街を美しく守らなければなりません。国際都市として世界に誇るためにも、2020年のオリンピックを控え注目される今を生きる私たちの務めだと感じます。

ベトナムで日本国憲法を考える

002 先日訪れたベトナムホーチミン。二日目の朝食をツアー参加者の方といただきながら、憲法のお話になりました。
 その時、私の考えがすごくシンプルにまとまっていることに驚いてしまいました。
 憲法改正は実現できるかどうかを考えるのではなく、憲法に問題があるなら、行動することが大切でしょう。改正が実現することが目的ではなく、憲法の問題を議論することが大切です。議会で否決されることよりも、それを恐れて改正案を審議できないことが問題です。否決されたら、修正して議論すれば良いのです。問題なのは、憲法改正の中身を国会で議論しないことです。

 美しくまとまった改正案など見たいとは思いません。反対意見の出ない憲法改正案など興味もありません。もし、国会が発議した憲法改正案に96条改正(改正要件の緩和)が含まれていれば私は無条件に反対するでしょう。しかし、憲法の抱える課題にまっすぐに向き合う案なら改正に賛成します。


(憲法改正案)
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力を保持する。

ホーチミンで日本精神を学ぶ

027 今日4月30日はベトナムの戦勝記念日。1975年4月30日に旧ベトナム共和国の首都サイゴン(現ホーチミン)が陥落し、ベトナム戦争が終結したことを記念する祝日だそうです。
(当時のベトナム共和国の大統領府であった統一宮(Dinh Doc Lap、現在の統一会堂)に北ベトナム軍が突入した日が4月30日です。)
 そんなことなど知らずに、4月25日から29日までの5日間をベトナムで過ごしてきました。ホーチミンに3泊と150kmほど離れた都市・Can Thoに1泊してきました。
 日本にいながらイメージしていたベトナムと現地の様子は、全く異なっていてビックリしました。戦争証跡博物館では当時の情報の他、枯れ葉剤による影響の写真を見ることが出来ました。しかし、ホーチミンの街を歩いてもそんな影響を感じさせることは全くありません。みんな、明るく楽しそうです。生き生きと生活しています。一方で、枯れ葉剤の写真を見ると私たちの食生活が同じ農薬を使用する現状を継続して良いのかを考えるきっかけにもなります。

097 今回のベトナムツアーは、ビジネス視察が目的です。現地の様子を知り、現地で事業をなさる日本人の方々からお話を伺うことが目的でした。
 ツアー3日目の午後は事業所へ直接足を運びました。まずは現地で会計事務所を営む方のオフィスです。KT会計事務所・社長の大塩さんは、シンガポールで知り合ったベトナム人女性と結婚した後、ベトナムに移って生活を始め現在は会計事務所を営まれていました。
 日本を離れたのが1980年代ということで、日本のバブル時代を経験することなく、古き良き日本のビジネス習慣を現地に広め、多くの日系企業から支持を集めていらっしゃいました。
 ロバート・ケネディの演説を用いて、国力や企業の評価は
「ひと もの かね 情報」
である。しかし、会計指標の問題は人の価値が数字に上らないことだ、
と強く語られていました。企業の価値が人であると同時に、幸せの価値はお金では評価できないことを、実感させられる出会いでした。

166 続いて訪問したのが、日本語教育を行い、生徒達を日本企業へと人財派遣を行う(株)ジェイ・プラネットさんの学校を訪問しました。
 社長の吉野さんはベトナムで生まれ医者になるためにフランス留学の後、日本で研修医として働いたそうです。その後、エンジニアなどとして活躍の後、日本国籍を取得、現在はご自身と同じように日本で働くベトナム人をサポートできるようにと、教育機関を立ち上げられています。

136-2 お話を伺っていると私たち日本人が失った勤労精神をきちんと受け継ぎ、ベトナム人の育成に励まれていることがよく分かりました。
 研修生として安価な労働者として期待している業界がありますが、こうしたお話を伺うと、日本人として恥ずかしくなってしまいます。ベトナムの人たちは本当に日本人が大好きです。
 大好きな日本に行きたい、そんな思いで一生懸命勉強している彼らを、現地の様子を知らずに安価な労働者として期待すべきではありません。
 ベトナムには「介護」という概念がまだありません。彼らがその仕事をになうことは困難でしょう。不足するトラックの運転手として期待する声を耳にしたことがあります。しかし、運転スタイルは日本と全く異なります。彼らが日本で学ぶべきビジネスは、そこではないと感じました。

吉野さんは学生達に顧客第一主義のビジネスを教え込みます。
「あなたのお給料、誰が払っていますか?」

社長じゃないですよ。会社じゃないですよ。お客様です。

100年を超える寿命を持つ日本企業が伝える精神を、しっかりとベトナム人にも伝えて下さっています。改めて学ばなければならないのは私たち日本であることを痛感させられました。

143 生徒達は全員、寮で共同生活をおくっているそうです。日本へ行った時に、身の回りのことで困らないように、料理・洗濯・掃除などしっかりと日本の習慣を身につけるための仕組みです。訪問した日の翌日からは、ベトナムでも大型連休が始まるということで、夕方から帰省する学生も多く見られました。吉野さんと生徒達の交流、ご自身の経験をしっかりと伝えて、日本で活躍できるように願う姿勢がとても印象的でした。

 日本とベトナムとの関係、これは日本の発展のためにも私たち日本人一人ひとりが、彼らと対等な意識で接していかなければならないと痛感させられました。

戦争証跡博物館とベンタイン市場へ

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 ホテルの朝食はバイキングです。朝は5時半からやってました。
パン食、和食と共に現地の食事も選べ充実していました。こんなネタのお寿司もあります。


010
 さて、4月27日午前は市内観光です。まずは戦争証跡博物館へ向かいます。タクシーの窓から見えるこんなお店、昔、日本でよく見かけた町の雑貨屋さんみたいです。


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 ベトナムでは朝が早い一方で、お昼休みが長いのも特徴だとか。
 ここ戦争証跡博物館では、午前7時半にオープンした後、お昼12時に一旦閉まり、13時半から17時まで再び開館するそうです。図書館や博物館といった施設でお昼休みがあるというのは、日本では考えられませんが。


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 ベトナム戦争時代の風刺報道。ちょっと日本の偏った思想が目に付きます。


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 屋外の展示物は臨場感があります。平日の午前にかかわらず、若い人たちの見学者が多いのも印象的です。

 続いてベンタイン市場へ移動します。
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 初日は前を通るだけでしたが、この日は中も見学します。


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 車を降りて気になるのがこれ。ベトナムの人たちは掃除や片付けが苦手なようで・・・。


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 でも、市場の周辺は活気が溢れています(市内どこでも活気があるのですが)。


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 市場の広さにも圧倒されます。同じような物を売ってるお店が次々にあって・・・。どこで買うか迷っているうちにとおりすぎてしまいました。


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 中には食堂もあります。お昼まではまだ時間があるので人影はまばらです。


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 色んなものを売っています。


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 民族衣装のアオザイが目を引きます。


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 一方で、Tシャツも沢山売っていますが、日本円に換算すると1,000円以上するので、これは高いと感じました。
 市場でのショッピングは団体行動では難しそうです。改めてチャンスを伺うことにします。

いつもと違うホーチミンの街

003 4月26日(日)、ホーチミンの朝はいつもと少し違うようです。日曜日だからというわけではありません。
 ホテルの前には警察官の姿が。
 この日は、4月30日に行われる戦勝記念イベントのリハーサルということで、道路は車両規制がかけられています。いつもはバイクで賑わう道路も閑散と。


004 タクシーも潜入できません。10時に待ち合わせをしていたガイドさんも、交通規制で中心部への規制で足止めされたようです。
30分くらい遅れての到着。





005 タクシーで市内観光の予定でしたが、12時まで交通規制がひかれており、自家用車はもちろん、バス・バイク・タクシーも中心部を走ることが出来ません。
 想定外の徒歩で市内観光です。
 日差しは強いものの、そんなに遠くへ行くわけではありませんでした。



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045 日差しの強い中を歩きましたのでカフェで休憩です。意外とおしゃれな空間でビックリしました。







051 ココナッツジュース。
果肉も内側から削って食べることが出来ます。
汁のように美味しくはありません。







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 今度はタクシーで移動します。
 前の日も足を運んだような所へ来ました。 

057 日本企業との合弁で進企業地下鉄工事。当初計画では完成の時期を迎えていますが、2020年を目指して建設中。おそらく間に合わないとの予想でした。
 ベトナムはバスもあまり充実していないようです。都市交通としての鉄道もありません。
 当面、バイクや車による渋滞が激しくなるように感じます。



ベトナムの人と文化に触れる

081 朝食を終えて、サイゴン川沿いの道路を歩いてホテルまで戻りかけていました。
 なにやら、変な形の自転車に乗ったおじさんが声をかけてきます。
 どうやら、広い道路の向かいにあるサイゴン側を見せるために、道路横断の手伝いをしようというのです。
 これも、国際交流。行為は素直に受けます。

091 お礼にチップを払おうとするものの
「いらなーい」
と言って受け取りません。今度は自分の友達だ、と言う仲間を連れてきて、街を案内するからのりな、というのです。なんだか怪しい展開ですが、これも経験です。
 まぁ。高い旅費を払ってきたわけだし、午前から危ない経験もいいかと思って、鳥内さんと2人町中散策に連れ出されました。

097 面白い視点で町の様子を見ることが出来ます。
 働く人、くつろぐ人、様々です。道端で散髪する人たちがいるのも印象的でした。とにかく、街に活気があることと、ゴミを散らかすこと。
 運転するおじさん達は
「ひったくりに気をつけなさい。バッグ、それからスマホ。」
何度も注意されます。私たちのガイドからも、治安は良いがスマホを取られないように気をつけなさい、と情報をいただいてました。
 なんでも、中古のi-Phone が4万円くらいで売れるというから驚きです。大卒の月給が3万円の街で、若者をはじめ多くの人がスマホを手にしている不思議な街、ホーチミン。

104 しかし、良くこんな広い道路で、自動車とバイクそして自転車までが、車線を区別されることなく走れるものかと感心します。それでいて、事故現場を目撃することもないのですから。
 徒歩で15分ほどの道のりを変える予定が1時間弱。だいぶ遠回りをしました。ガイドさん達と10時にロビーで待ちあわせの予定です。

107 いよいよクライマックス。ある程度予想された自体が・・・。
 ホテルから少し離れた場所で下ろされて、料金表を見せられます。
 1500000ドン。
 桁が多くて勘違いしそうになります。
 明らかにぼったくりです。値引き交渉。
 平行線をたどります。
 納得しがたいところもありますが、日越友好と私の布施として、夜のラウンジ並に高いお金を払ってきました。

ベトナムではひったくりに気をつけろと教えてくれる人は、親切心ではなく自分がぼったくる稼ぎを取られないための商いの一部に過ぎない。

 後日談として、このぼったくりのおじさんとは、3日後に再び再会することになります。人口800万の都市ホーチミンなのに驚きました。

141 さて、ホテルに戻った私たちは、早入りメンバーとガイドさんとで、ホーチミンの本屋さんに案内してもらいます。
 ホーチミンでは本屋さんに入る時、カバンをロッカーに預けなければなりませんでした。いろいろお店の習慣も違いますね。
 写真はノート積んだモニュメント

 いろんな見せ方があります。


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 日本のアニメ、漫画はベトナムでも大人気のようです。

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 ドラえもんは定番商品といった感じです。

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 懐かしい。のび太の恐竜。日本で映画化されたのは35年前?
 ワクワクしてみたのを思い出しました。

145 漫画本に限らず、日本文化が世界中に広がっていることを改めて実感します。

ホーチミン市1区を散策する

039 日本人ガイドと別れた私。
今度は旅行の主催者である鳥内浩一さんと市内散策しながら朝食を食べに出掛けます。






040 世界中を旅される鳥内さん。社員からの情報を基に歩いて20分ほどのお店を目指します。
 ところが、i-Phone で案内される地図は路地裏へばかり進んで、いっこうに先へ進みそうにありません。
強制移動します。



041 ホーチミンの1区は日本人の多い町です。
飲食店にも日本語の名前が付いたお店を沢山見かけます。

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 市内の通りはすごく緑が充実しています。


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 バスも見かけますが、道路を走るのは大半がバイク。そしてタクシーです。
 自動車は高級車は見かける物の日本の5ナンバーに相当する小型車や軽自動車は見かけません。



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 街角ではいろんな日本語を目にします。
 和食

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 日本

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 和伊の介

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 で、目的のお店は、その先にある「NHU LUN」というお店でした。

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 ちょっと市場っぽい雰囲気のあるお店

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 バインミーがお薦めという情報でしたが、食べたのはハンバーガー
 マンゴージュースも美味しいです。

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 ベトナムの言葉が分からない2人旅。
 いろんなハプニングで楽しいです。

ベトナムへ一人で入国を試みる

008 ベトナム・ホーチミンに来ました。昨年3月のアメリカ合衆国サンフランシスコ・サクラメント、12月の香港に続いて3回目の海外旅行。過去2回は成田や羽田から参加者の皆さんと一緒だったので、ただ付いていくだけでOKでした。
 しかし今回は現地の空港を出たところまで迎えに来ていただけるものの福岡から羽田経由でホーチミン空港、そして入国審査まで一人でクリアしなければなりません。飛行機は日本航空とはいえハードルは高くなったようです。

 ま、不安がある時は余計なトラブルもあります。
001
 佐賀から福岡空港へ向かう高速バスは、都市高速で事故が2箇所で発生し渋滞にはまりました。

002
 福岡空港で食事をして乗り込むつもりだった、19時発の日本航空羽田行き。
時間に余裕がなくなったので弁当を買って機内へ。今度は、
「羽田空港上空の混雑のため、離陸時刻が19時35分頃になります」
と。

031 それでも、羽田の出発は午前1時過ぎですから余裕があります。飛行機は現地時間の5:15着なのでさすがに機内食などのサービスはないだろう、とおもって空港でお好み焼きを食べることに・・・。
 それ自体は美味しかったのですが、コンビニで買ったミネラルウォーターが身体に合わずに、出発時刻の1時間前ぐらいから、何度もトイレに駆け込むことに。

019
 離陸した飛行機の中でも気分が優れません。

001 それなのに、ないと思っていた豪華な機内食が出てくるではありませんか!
 果物などは食べることが出来たものの、メインは無理。お隣の席の方に
「よろしければどうぞ」
と、お薦めすることになりました。

 さて、心配していた入国手続きですが、こうも簡単にクリアできるのか! と驚くほど簡単に(でも、結構待たされた)通過することが出来ました。なんといっても、通過するまでひと言も話さなくて良かったのですから。しかも、書類を書く必要もなく赤いパスポートの威力をまざまざと感じました。

 荷物を受け取って正面の両替所で1万円を両替。なんか分からんけど沢山もらえます。166万数千ドン。なんか、500ドンはないからサービスしとくと1000ドン紙幣をくれました。でも、為替を聞いてびっくりです。1円は175ドンほど。500ドンは4円くらい? 喜ぶほどでもなかったようです。

 002 さて、お迎えに来てくれたガイドさんと共にホテルへ向かいます。ベトナムではこの赤と緑のラインが目印(Vinasanタクシー)と緑の車体(マイリンタクシー)が優良会社と言うことで、それ以外はぼったくりに気をつけるようにアドバイスをいただきました。

014
 ホテルまで20分ほど、800円弱で到着です。

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 とりあえず、ホテルに荷物を預けて、軽い朝食をいただきます。この時には飛行機の中まで続いた腹具合もすっかり回復しました。

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 朝食にはバインミーをいただきます。

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 飲み物はミルクたっぷり、ドロドロ感のあるベトナムコーヒー。

026 買うのは屋台でも、いただくのはホテルのロビーで。
 うん、うまい。
 ベトナムコーヒーは現地の人が路上で雑談しながら2時間くらいかけて飲めるようにドロドロになっているとか。
 日本人の感覚では、ちょっとの見にくいイメージがあります。

 早朝7時。ベトナムの人は活動が早いです。ここで一旦ガイドさんとお別れです。

飯盛良隆


佐賀県小城市三日月町出身。
佐世保工業高等専門学校卒業後、ブリヂストン鳥栖工場設備課勤務。橋本龍太郎通産大臣の時代に第3種電気主任技術者の免状を取得。

建材店:サンコー商事にて14年間建材の販売に携わり新築・リフォームの現場に数多く潜入。戸建て住宅でもインテリアの重要性を感じ平成20年町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー福岡校に入学しインテリアの基礎を学ぶ。

平成22年、スメトコプロモーションを設立し住宅CMサービス佐賀の運営を始める。
平成25年2月、ダブルスネットワーク(株)社との契約を解消、住宅CMサービス佐賀の運営を終了する。

平成24年3月、帝王学・氣學を学び始める。同年6月
唐津から釜山へ新幹線で!
実現するためには長崎県と佐賀県をひとつに。そしてアジアや世界中の人たちが、自然と人の美しさを求めて足を運ぶ地域にする。
そんな夢を描き知事を目指して政治活動をはじめることに。 活動に専念するために平成26年6月末にて住宅に関する事業は終了。平成26年8月末にて(株)スメトコプロモーションを退社。
平成27年1月11日実施の佐賀県知事選挙に立候補。惨敗。

現在
眞理學指導員 (日産鮎川義塾)
夏・佐賀で稲作
冬・東京エムケイ(株) 勤務
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