飯盛良隆のi佐賀iよ〜したか

住まいづくりのコンシェルジュから転身 佐賀県知事に挑戦した飯盛良隆のブログです。

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震和会とは。(為雷)人生の試練や困難を切り拓き、奮いたつ勇気をもって、
(日本)の国を再興する、という意味です。

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初立日忌法要を終えました

暮らしが激変した5月31日から一ヶ月が過ぎました。

いつもと変わらない朝の時間
自宅の掃除機かけを行う私に
後はやっとくから
と声をかけ健康診断に送り出してくれました

一段落して父と縁側でお茶を飲むひととき
その一瞬にお迎えがやってきました

救急車を呼んだ後 私に電話で知らせた父は
ほかに何もできず
急ぎ戻った私が目にした母の姿は
青ざめた肌色で横たわっていました
慌てて心臓マッサージなどで蘇生を試みるも力およばず
到着した一三名の救急隊員の力により
鼓動は戻るも意識は戻らず 夕刻に

誰も恨まず
誰にも恨まれないように逝ってしまいました

女性に備わる三徳ですが
 女として 名前や生き方を残そうとせず ただ
 良き 妻として
 良き 母として

その生涯を演じた舞台裏には 午後に予定していた出先へのお土産として
準備をお願いしていた じゃがいもを詰めた紙袋が三つ 整えられていました

御魂は一白水星の雲へと昇華し 私を見続けているでしょう
悲しければ雨となり 心が乱れれば氷となり

四月に父と三人 京都から伊勢へ旅行したことを とても喜んでいたと伺います
そのことからも できる親孝行は先送りせずにやることができた
母にとって 最も幸せなときに旅立ちを迎えた そう思っております

本日 母 飯盛久子(久遠院精勤日和膸弌砲僚蚓日忌法要を営ませていただきました

親族代表の挨拶より

IMG_8277本日は、ご多忙のところ、母・飯盛久子のために、ご弔問下さいまして誠に有難うございました。
生前中は、皆様より各別なご厚情、ご愛顧を賜り誠に有難うございました。

振り返ること6年半前に心臓を弱くし、ペースメーカーを入れる手術を受けておりました。その後は、以前と変わらないように日常生活を過ごしておりましたが、お迎えは突然にやってきました。

朝、洗濯干しと掃除を終え、庭木の手入れをしていた父と二人、玄関脇の部屋で、お茶を飲んで休んでいたところ、横になったままいびきをかき出したようです。
慌てて救急車を呼び搬送されたものの意識は戻らず、5月31日17時、永眠致しました。

本日皆様よりお見送りを受けまして、故人は大変感謝していることと存じます。
残る遺族一同にも、故人の生前同様、ご厚情を賜りますようお願い申し上げます。
誠に措辞でございますが、お礼の挨拶と致します。
本日は有難うございました。

令和4年4月 京都・伊勢へ家族旅行
令和元年8月 長岡花火大会と上高地

虫の知らせ

 人間が自然から「人」としての「道」を伺いたいのであれば、五感と第六感を研ぎ澄ませておくことが必要です。教えてもらえる人と、もらえない人がいるのではなく、繊細な自然の声を聞く気があるか無いのかに違いがあるのです。
 ビジネスで使用している知識や携帯電話に気を散らしていると「気のせい」と呼ばれるその密やかで、深慮な教えを聞き漏らしてしまいます。
 この地上に、大自然が目の前で見せてくれている、様々な生態と光景に優る教科書はありません。自然も人為も同じ、偶然はありません。全ては必然です。

IMG_8267 令和4年5月31日8時半。私は台所とリビングの掃除機かけを残して、小城市が開催している健康診断へ出かけました。
「健康診断は、長く待たせられるよ。」
 母の言葉に、
本を持って行くから待たされても大丈夫。
と答えていながら、出かけるときには本を持って行くことを忘れていました。

 順番待ちで待機しているときに、会場の「ゆめりあ」では、停電が頻発していました。電気を必要とする機械を用いる検診は、一時、中断します。

「一度、本を取りに帰ろうかな」
「電話して、家から届けてもらおうかな」
そして、停電による中断が無ければ・・・。

検診を終えて帰宅しようとした私に父からの電話が!!!
「お母さんが倒れた。救急車を呼んでいるけど・・・」
急ぎ、自転車で帰ったものの、身体は青白く、脈がありませんでした。

AEDもない、できることは心臓マッサージ(人工呼吸)。

まもなく到着した救急隊の方々に、後を引き継ぎました。
AEDによる電気ショックで、心臓の波形こそ戻ったものの、血流の止まった時間が長く
令和4年5月31日17:01
母・飯盛久子は永眠しました。

どこか一つの行動が違っていたら、違う結果になったかもしれません。
しかし、そうならないのが運命であり、奇跡なのです。

これまで、母と出会い、素敵な人生を歩ませていただいた皆様との出会い、奇跡に感謝を申し上げます。(親族代表の挨拶

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飯盛良隆
佐賀県小城市三日月町出身。
佐世保工業高等専門学校卒業後、ブリヂストン鳥栖工場設備課勤務。橋本龍太郎通産大臣の時代に第3種電気主任技術者の免状を取得。

建材店:サンコー商事にて14年間建材の販売に携わり新築・リフォームの現場に数多く潜入。戸建て住宅でもインテリアの重要性を感じ平成20年町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー福岡校に入学しインテリアの基礎を学ぶ。

平成22年、スメトコプロモーションを設立し住宅CMサービス佐賀の運営を始める。
平成25年2月、ダブルスネットワーク(株)社との契約を解消、住宅CMサービス佐賀の運営を終了する。

平成24年3月、帝王学(氣の學問、道の教え)を学び始める。同年6月
唐津から釜山へ新幹線で!

実現するためには長崎県と佐賀県をひとつに。そしてアジアや世界中の人たちが、自然と人の美しさを求めて足を運ぶ地域にする。

そんな夢を描き知事を目指して政治活動をはじめることに。 活動に専念するために平成26年6月末にて住宅に関する事業は終了。平成26年8月末にて(株)スメトコプロモーションを退社。
平成27年1月11日実施の佐賀県知事選挙に立候補。惨敗。

現在
眞理學指導員 (日産鮎川義塾)
夏・佐賀で稲作
冬・東京エムケイ(株) 勤務
令和4年4月29日
 東京エムケイを退社
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