飯盛良隆のi佐賀iよ〜したか

住まいづくりのコンシェルジュから転身 佐賀県知事に挑戦した飯盛良隆のブログです。

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震和会とは。(為雷)人生の試練や困難を切り拓き、奮いたつ勇気をもって、
(日本)の国を再興する、という意味です。

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2022年03月

東京を護る神仏たちを

 東京で仕事を始めて7年。節目には「山王日枝神社」「神田明神」「日比谷神社」へ足を運んできました。今月初めに靖国神社を参拝した後に、以前学んだレジメにメモした東京を護る神社仏閣が山手線の内側だけで、これだけもある、というものを見つけました。
 昨日と今日、二日かけでお礼のお参りをし、それぞれ「御朱印」をいただいてきました。

IMG_6737 湯島天神








IMG_6746 湯島聖堂








IMG_6764 伝通院








IMG_6784ちょっと一息、播磨坂の桜








IMG_6801 東京大神宮








IMG_6873 最期に渋沢栄一、徳川吉宗
両氏にゆかりの飛鳥山公園へ


津波の恐怖を間近に感じた夜

IMG_6552 令和4年3月17日の朝を岩手県宮古市で迎えました。宮古駅から徒歩2分ほどのホテルに宿泊し就寝していた私は、突然襲った深夜の大きな長く続く揺れに、津波の恐怖と向き合いました。
 まさか、ここで!
とにかく情報を。電気を付けてテレビの速報を確認します。

「沿岸部の皆さんは津波に注意して下さい」
その後のアナウンスで
「津波の潮位は50cm以下」
と分かったときの安堵感。
現地の皆さんが受けている心理的な影響がどんなものかを、直に経験することになりました。

しばらくすると、今夜の仕事にどうやって間に合わせるかを考える必要に迫られます。JR東日本のサイトで、山田線の運休・遅れの案内が無いことを確認し、列車の出発時刻に合わせて駅へ向かいました。

IMG_6556 三陸鉄道の運休の連絡は防災無線でも放送されていましたが、山田線は特になし。・・・・
 駅の改札で、午前中の列車は運休になったことを知りました。さあ、大変。東京へ帰るには・・・、飛行機を使うには、、、、。花巻空港、それとも秋田空港。直接空港へ行く方法は?
 とにかく、盛岡へ出る方法は?
IMG_6576当初予定していた、宮古発6:45。
盛岡乗換えで新幹線東京12時過ぎに到着予定から、東京駅着は19時過ぎに。宮古を7:30過ぎにバスで盛岡へ向けて出発した後、時刻表と駅で得られる情報と勘を基に、秋田、新潟経由での大移動となりました。

三陸の皆さんは頑張ってますよ

IMG_6063 今回の旅では、気仙沼の旅館「かつらや」さんに泊まりました。木造の和風旅館です。温泉や大浴場があるわけではありませんが、女将さんが親切に、もてなしてくださいます。夜10時過ぎの入浴になり、ちょっと申し訳ありませんでした。



IMG_6067 朝は、7時半の出発に備えるために、6:45から朝食をとらせていただきました。素泊まり価格に、プラス700円で豪華な朝食を準備していただき!





IMG_6068 追って、出されるお魚とデザート。








IMG_6180 BRTで陸前高田へと向かいます。震災当日「街が消滅」と報道された陸前高田市。残った奇跡の一本松は復興のシンボルになりましたね。
 そばに残された震災遺構「高田ユースホステル」。ここに宿泊したことはありませんが、ユースホステル終身会員の私としては、松島ユースホステルとともに・・・・。

IMG_6174 海の近くは、完全に生活の場でなくなったようです。人々の生活は高台へと移っていました。






IMG_6269 釜石では、駅のそばにあるビルの2階「なにわ」さんでランチをいただきます。朝食が豪華だったので、先に進めても良かったのですが、いろいろな街に足を運びたいと思って約80分の途中下車です。




IMG_6265 980円の海鮮丼。注文して15分以上待たされます。海鮮丼にしては、ずいぶん待たされるなー・・・。
 列車の時間が気になります。しかし、これを見た瞬間に!!!
 980円で、ここまでも。
 大満足です。完食して、小走りに駅のホームを目指しました。

IMG_6329 宮古でも、先を急ぐこともできましたが、せっかくここまで足を伸ばしたので、観光の名称「浄土ヶ浜」までバスで向かいました。
 壊れた遊覧船の再開は今年7月からとのこと。現在は洞窟を巡るボートが営業されていました。


IMG_6429 時間の都合(寒かったのも理由ですが)で、ボートには乗らず「浄土ヶ浜」の景色をゆっくり楽しみました。






IMG_6454 この日は宮古駅近くのビジネスホテルに宿泊することを決めて、三陸鉄道の北リアス線を日暮れまで楽しみます。出発するときには久慈駅まで往復するつもりでしたが、翌朝早いことを考え野田玉川駅で折り返すことに。



IMG_6517 ちょっと手間がかかりましたが、乗り換えた列車は、なんと

NHKの朝ドラ「あまちゃん」の撮影に使われた車両でした。

まさに「じぇじぇじぇ」



しかし、本当のじぇじぇじぇ体験は、この後に訪れることに。


この日の夕食は、宮古駅前の「魚彩亭 すみよし」さん。
「三陸丼」と「純米男山」、お通しで4620円。
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東日本大震災から11年の被災地へ

 東日本大震災から11年を迎えました。震災の年に何も出来なかった私は、翌年から2年に一度(コロナの影響で2020年は断念)、東松島市を訪れてきました。何か出来るわけではありませんが、そこに気持ちを置くことで何か伝えること、感じることが出来ればとの念いからでしょうか。
IMG_5880 まずは旧野蒜駅から。








IMG_5890東日本大震災復興祈念公園として整備された駅舎はこれまで以上に見学しやすくなっています。






IMG_58994年前は1階にコンビニが入っていましたが、ここには復興活動の中で生まれた「絆」の紹介がなされていました。贈られた千羽鶴の一部は、こんなに素敵な形で展示されています。




IMG_5914 これまでは立ち入ることの出来なかった野蒜海岸。昔(30年以上前)の記憶に残る美しい砂浜には、まだまだ遠いですが、少しずつ前に進んでいることを感じさせられます。




IMG_5930 レンタカーで訪れた今回は、奥松島の魅力もちょっと楽しみました。奥松島縄文村歴史資料館を見学した後、松島四大観の一つ「大高森」へ。





IMG_5940 15分ほどの登山で美しい景色が楽しめます。時間があれば、遊覧船もお薦めです。






IMG_5980 大高森観光ホテルでの昼食。
「タナゴのから揚げとお刺身4種定食」
お魚づくしに満足です(1320円)。
 東松島市の旧鳴瀬町には震災前、約70件の民宿があったそうです。震災から10年経つ現在、営業している民宿はわずか5〜6件とか。


IMG_5992復興できるものとそうでないもの、現地に行かなければ分からないことも、まだまだ沢山ありそうです。

 続いて女川町へ。以前にも訪れた笹かまぼこの高政さんに。
コロナ対策で工場見学はできませんが、笹かまを自分で焼いていただきます。
もちろん自宅へも笹かまを送ります。
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 今回外せない場所としてピックアップしたのが、震災直後に繰り返し報道された、石巻市の旧大川小学校です。ここは、石巻市震災遺構大川小学校として整備されています。



IMG_6028 衝撃の映像が繰り返し流された、旧・志津川町の防災庁舎。周囲の街は整備された南三陸町でも、「高野会館」とともに、当時の姿でそのまま残されています。





IMG_6035 この日は気仙沼に宿泊しました。気仙沼はこの季節、電飾によるライトアップが素敵でした。駅も港も。
 駅前で法友と会食です。少額であっても現地にお金を落とすことが復興の手助けになると信じて。



IMG_5926 そしてこの念いは、後輩の法友たちが広げ伝えてくれると信じて。







2012年の様子 いわき市
2012年の様子 磐越東線
2012年の様子 松島
2012年の様子 野蒜・東松島市
2014年の様子 野蒜・東松島市
2014年の様子 女川の街とトレーラーハウス
2014年の様子 大川小学校
2014年の様子 戸倉小学校と志津川町
2014年の様子 気仙沼線を走るBRT
2016年の様子 野蒜・東松島市
2016年の様子 女川町(16歳の語り部)
2018年の様子 野蒜・東松島市
2018年の様子 石巻

靖国神社を初めて参拝しました

 保守思想、比較すれば最も右の思想といわれた経験のある私ですが、これまで靖国神社を参拝したことがありませんでした。併設された遊就館を訪れ、時間をかけて資料を読み感じた経験はありますが、参拝にはちょっと引っ掛かるところがありました。
 今から20年くらい前になると思いますが、新聞で目にした昭和天皇の回想に関する記事で、昭和天皇が靖国神社の参拝をやめた理由が、松岡洋右元外務大臣と白鳥敏夫元駐イタリア大使を合祀したことを許すことが出来ないことが記されていたことにありました。
 一般報道では、人物を特定することなくA級戦犯7人が合祀されたこと、と取り上げられる一方で、名指しされる二人は直接戦死した訳でもないのに祀られた理由が分からない(納得できない)のです。命をかけて戦い、終戦後に亡くなった人は他にもいます。祀るものと祀らないものの線引きを誰がどのような判断で行うのか、そこが理解できないのです。

IMG_5699 そんな気持ちを変えてくれたのが、先月招待券をいただいて見に行った映画・愛国女子でした。映画を視ていて頭で考えて参拝しないことよりも、そこに日本国家のために命をかけた先人が祀られている、そのことに対して理屈を抜きに参拝しようと思えるようになったのです。


 人それぞれ、立場や価値観は異なります。
IMG_5695 強制するものではないでしょう。しかし、この問題に対する議論を避け続けたのでは、日本人そして国家が失った「勇気」を取り戻すことはできないでしょう。
 人は何のために生まれてきたのかを改めて考える上でも、重要な機会となりました。

信貴山朝護孫子寺へ寅参りに 

 壬寅年の寅の年寅の月に信貴山へ参拝しようと、計画がはじまったのは約8年も前のことです。その時は信貴山の名前すら知らず、ツアーのメインイベントは空海が開いた天空の都市、高野山でした。その後、高野山への呼びかけはありませんでしたが、信貴山のツアーは毎年恒例となり、私も3回参加させていただきました。
 コロナ騒動で信貴山の毘沙門天結縁勧請の儀は10月に延期されましたが、聖徳太子が授かった勝利の秘宝はどのような環境の下に届いたのか、その空気を感じたいと思い、寅の刻に信貴山朝護孫子寺へと向かいました。
IMG_5638 まずは腹ごしらえ。というわけではありません。午前3時からお参りするために、麓の王寺駅で時間調整のために入ったのが駅にある吉野家さんです。午前2時までの営業ということでしたので、ちょうど良い時間です。駅前には沢山のタクシーが止まっており、閉店からタクシーで登れば「楽勝」という魂胆です。
 ところが、思っているほど現実はあまくありません。午前1時半過ぎに外を見ると止まっているタクシーは1台だけ。そのタクシーもまもなく、お客様を乗せて出発してしまいました。駅に戻ってくるタクシーは・・・・。
全くその気配すら感じることが出来ません。

 覚悟して徒歩で参拝することを決断しました。新月の夜、しかも数時間前まで雨が降った夜です。夜景が綺麗、なんてことは全くありません。闇夜を進みます。2月までの厳しい寒さ、強い風がないことが幸いでした。しかし、いつもの参拝でお世話になっていた観光バスでは想像できません。1400年の昔、信貴山に陣を構えることがいかに大変なことだったのかを実感する機会になりました。
IMG_5642 1時40分過ぎに王寺駅を出発してちょうど1時間。信貴山の山門に着きました。あれ、こんな山門あったっけ??
そうです。観光バスで来るとここは通りません。これも新たな発見でしょう。




IMG_5645 寅の張り子が沢山供養として並べられています。







IMG_5650 お寺なのに鳥居があるのは信貴山の特徴かもしれません。昔は神社とお寺を普通に並べて、信仰していたことの歴史を感じさせられます。





IMG_5660 そして午前3時の時を待って、朝護孫子寺の参拝に石段を上り進めました。境内には・・・・・・。
 コロナ騒動の下とはいえ、境内の様子は想像を絶するものでした。




 今年4月8日には、聖徳太子没後1400年の節目を迎えます。一人の青年の夢が護ってきたこの国ですが、一万円札肖像画の交代から約35年。その功績を正しく学ぶ機会は失われてしまいました。五黄土星で世界が荒れる今、私たちは改めて歴史・太子の偉業を学び知る必要があると感じます。

余談
IMG_5668 帰りの新幹線チケットです。新橋の金券ショップの安いお店を探して購入した京都から東京までの新幹線自由席のチケットでしたが、これ・JR東海の株主優待によるもの。下車予定の五反田、新橋へは別に山手線の乗車券を購入しなければなりません。利用者によっては最安値ではないチケットでした。

飯盛良隆
佐賀県小城市三日月町出身。
佐世保工業高等専門学校卒業後、ブリヂストン鳥栖工場設備課勤務。橋本龍太郎通産大臣の時代に第3種電気主任技術者の免状を取得。

建材店:サンコー商事にて14年間建材の販売に携わり新築・リフォームの現場に数多く潜入。戸建て住宅でもインテリアの重要性を感じ平成20年町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー福岡校に入学しインテリアの基礎を学ぶ。

平成22年、スメトコプロモーションを設立し住宅CMサービス佐賀の運営を始める。
平成25年2月、ダブルスネットワーク(株)社との契約を解消、住宅CMサービス佐賀の運営を終了する。

平成24年3月、帝王学(氣の學問、道の教え)を学び始める。同年6月
唐津から釜山へ新幹線で!

実現するためには長崎県と佐賀県をひとつに。そしてアジアや世界中の人たちが、自然と人の美しさを求めて足を運ぶ地域にする。

そんな夢を描き知事を目指して政治活動をはじめることに。 活動に専念するために平成26年6月末にて住宅に関する事業は終了。平成26年8月末にて(株)スメトコプロモーションを退社。
平成27年1月11日実施の佐賀県知事選挙に立候補。惨敗。
平成27年12月21日
東京エムケイ(株) 入社。
Tokyo2020オリンピック、パラリンピックの関係者輸送も経験


現在
眞理學指導員 (日産鮎川義塾)
稲作農業
佐賀タクシー勤務
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